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チリチリリン

風にゆれる風鈴のように
こころ休まる音を届けたい

肉筆浮世絵展

2016年01月14日 | 展覧会

 

 

微細に描かれた浮世絵版画を見る度に、この原画はどれほどなのかと思っていました。今回シカゴウェストン財団所有の肉筆浮世絵が展示されていますので、上野の森まで行ってきました。

素晴らしい作品があまりに大量に飾られていて、これらが全部アメリカに行ってしまったのかと、残念な気持ちになりました。世界中に渡った作品はこの何倍もあるのでしょうね!

着物の線は大胆で力強く、絵柄は微細に描き込まれ、それでいて顔はたおやかに優しく、とても美しかったです。遊女の着物は色鮮やかな豪華な着物ですが、芸奴の着物は江戸小紋のような落ち着いた色合いで、それが艶っぽさを引き立てています。

葛飾北斎の掛け軸が三幅ありました。二本は墨の素描のような美人画で控えめに色がさしてあります。その立ち姿の完璧な美しさに北斎が並大抵な画家でないことが伺いしれます。この絵葉書が欲しかったけど、絵葉書は綺麗な色のものばかりでした。


同時にギャラリーで美術館所蔵の版画展をやっていました。比べてみると、版画と肉筆画では全然違います。版画でも微細に描かれていて、色は一段鮮やかなのですが、何かペターとしてるような......


      

お天気のよい上野の森は、広々として気持ち良く、人々も三々五々そぞろ歩いて、その中に混じって歩いていると、イライラも忘れます。


藤島淳三ボタニカルアート展

2015年10月19日 | 展覧会

 

藤島淳三は挿絵程度に扱われていた植物画を芸術的な域まで高めようと、ボタニカルアートの道を切り開いた画家です。理想的なボタニカルアートは「植物学的に見て誤りのないこと」「実物を実際にあるように描くこと」だとして、野外に出て、植物の生きている姿を完全に描こうとしてきました。咲き誇る彼岸花には揚羽蝶が戯れ、満開の藤の房には蜂が集まる、甘い匂いまで漂ってきそうな絵です。八重桜の花びらが鞠のように固まり、重さでリンゴのように枝垂れる様は、本当の桜を見ているようで美しいです。

ボタニカルアートにしろパッチワークにしろ、細かな仕事をこなす人を私は心底尊敬します。粟つぶのような花の一つ一つまで、蜘蛛の巣のように細かな葉脈の一本一本まで描き出す、その集中力に脱帽です。何事にも大雑把な私には到底出来ません。

 

 

 

会場の牧野記念庭園は私が頻繁に行き来する道筋にあって、いつでも入れるからと今まで入ったことがありませんでした。牧野富三郎が没するまでの30年間を過ごした家と庭が残っています。さほど広くない庭ですが、大王松の巨木や桜の古木もあり、300種類以上の植物が植えられているそうです。とても静かで心落ち着く空間です。入場無料なのも嬉しいです。

 


モネ展

2015年10月06日 | 展覧会

 

9月に定年退職した元同僚と「モネ展」に行ってきました。退職する前に会社の共済会でチケットを買ったからと誘ってくれたのです。今日は朝から秋晴れの清々しい日で、美術館にも大勢が押し寄せ大変な人気です。美術館近くの上野の森でベンチに腰掛けおしゃべりをして、心持ち人が途切れた時を狙って入ったのですが、会場入り口には30分の人の列が.......

最初にはルノワールが描いたモネとモネ夫人の肖像画、良く見るおじいさんのモネではなく若い頃です。それからモネ自身が描いた子供達の肖像画。モネは自分の絵の多くを手元に置いていたそうで、10代から晩年までの作品と、また美術品の収集もしていたそうで、それらコレクションも合わせ約90点が出展され見応えのある展覧会でした。

会場は芋の子を洗うような人でしたが、モネの絵は少し離れて見ないと実態が分からない絵なので、人の後ろから鑑賞しながら進みました。ただ10代で描いた諷刺画は鉛筆画で繊細な線で描かれ、その後の油彩画とは随分違う絵でした。

あまりの人に、同僚と「日本人はルノアールやモネなど印象派が本当に好き」と話しました。なにか癒される絵なのでしょうね。

ちょうど10年前に大阪の友人とパリのマルモッタン美術館に行きました。みぞれの降る寒い晩秋の日で、小さな美術館は人も少なく、静かな館内で「印象、日の出」と「サン=ラザール駅」を観て絵葉書を買ってきました。その日かその翌日だったか、観光の帰りに、友人が「サン=ラザール駅に行きたい」と言いました。私は歩き疲れていたのか「駅は元どおりには残ってないと思う」と話に乗りませんでした。今でもこの絵を見るとその時の事が思い出され、どうして行かなかったのだろう、面倒がらずに行けばよかったと悔やまれます。ゴメンネ......

 

美術鑑賞の後、久しぶりにアメ横をぶらぶらしました。魚でも果物でも形の良い新鮮なものにあふれ目移りしますが、量が多すぎるのですよね。タラコを買って友人と半分ずつ分けました。

 

 

 


春画展

2015年09月30日 | 展覧会


昨秋ロンドンの大英博物館で大盛況を博した春画展は、延べ9万人が訪れ、来場者の役6割が女性。海外で高い評価を得ているにもかかわらず国内での春画展は主要な美術館からは断られ、ようやくこの小さな美術館で開催が決まったそうです。静かな森の中の閑静な建物には人影もまばら、入り口に係員が一人いるのみ、と思ったら、狭い会場はかなりの人でぎうぎうでした。


『春画は、江戸時代に笑い絵とも呼ばれ、性描写と笑いが同居したユーモアで芸術性の高い浮世絵になります。』

『実際の作品をご覧いただくと分かりますが、春画の性描写って「エロい」けど「いやらしさ」がないんですよね、ポルノではないというか。そこに描かれている人たちは、みな楽しそうに、そして真剣に(!?)「エロを謳歌」しているんですね。』

『喜多川歌麿だろうと歌川国芳だろうと、浮世絵師で春画を描いてない人はいない。春画を描くのは当たり前だった。『春画を見ると絵描きの技量がよくわかる』とさえ言われているんです。』

 

春画はおおっぴらに出回るものでなく、注文して描かせたものが多かったようで、贅沢な絵の具もふんだんに使われていて美しく、芸術性の高いことは納得できます。喜多川歌麿や葛飾北斎など、有名な浮世絵師は春画でもその才能を発揮していて、すばらしい絵が残っています。上記のように評価はみな肯定的ですが、男女の交わりを殊更強調して描かれた絵はやっぱり”いやらしい”絵で、延々と見せつけられると食傷気味というか、うんざりしてきます。

前にエジプトのパピルスに描かれた同様の絵を見たことがあります。それらはシンプルで図案化された模様みたいで「いやらしさ」は感じられず、面白いと思ったのですが、浮世絵はあまりに微細に描かれていて、「ポルノ」とどこが違うの?

18歳未満入場禁止ですが、ショップでは絵そのままの絵葉書や図録が売られていて、暑さ6、7センチもありそうな図録を買っていく人がたくさんいました。あれが世間に出回ってもやはり「ポルノ」ではないの?

 

項にかかるほつれ毛やチラッとのぞく白い脛、見せないで想像させるのが「色っぽい」モロは「エロい」それが私の解釈で、そして浮世絵は「色っぽい」表現が得意との思いが覆されました。

 

 

 

 

 
 



伊豆の長八鏝絵展

2015年09月28日 | 展覧会

       

 

入江長八は伊豆松崎町生まれ、江戸末期の左官職人であったが狩野派の絵と彫塑を学び、これを左官の仕事に応用して漆喰で立体的な絵を描き華麗な色彩を施し、長八独特の鏝絵という芸術を完成しました。大きな物では寺社の壁画や仏像など、上の写真の仲間の左官職人の塑像は20センチくらいでしょうか、漆喰で作られ色が塗られています。展示されている道具のコテは大小100以上もあります。

伊豆風景画では海岸の松の枝や砂浜に遊ぶ人々が米粒の4分の1ほどの大きさで、ちゃんと浮き上がって描かれています。右の写真の「近江のお兼」画は、力自慢のお兼が荒ぶる馬の手綱を高下駄で踏んで、涼しげな顔で空を仰いでいる絵ですが、躍動感あふれる馬もお兼の表情も、手に持った団扇の骨組みや描かれた絵も、すべて漆喰で盛り上げられ、コテで微細に仕上げられています。高村光雲をして「名人」と言わせた技です。長八の理想の女性像は「おかめ」だそうです、焙烙に描かれたおかめの顔はふくよかで優しげで何事も受け入れる寛容さにあふれ素敵です。

 

浅草観音堂、目黒祐天寺、成田不動尊など各地に名作を残したのですが、関東大震災などでほとんどが失われ、静岡や関東周辺の寺院・個人宅に伝えられた作品を集めた「伊豆の長八美術館」が故郷松崎に作られています。

はるか昔に松崎に行ったことがありますが、伊豆半島の向こう側でちょっと行きにくい場所なのが残念です。

なんと、全国漆喰鏝絵コンクール作品展が開催されています。

鏝絵は今では全国規模の芸術みたいです。