今はもう閉園してしまった宝塚ファミリーランドの、園内の様子が記録された8ミリカセットが、我が家にあった。それには、当時よく家族全員で入館していた、大人形館の内部が映し出された映像も残っていて、とても懐かし想いに駆られた。映像の片隅に表示された日付には、1991年2月1日となっており、25年近く前の私を含めた家族3人の姿が、写jされていた。2月1日という、冬の真っ只中にも関わらず、映し出される、若い頃の家内や娘の姿は、全く寒さなど感じてないように、生き生きと動き回り、カメラに向かって笑い話しかけている。
宝塚ファミリーランドは、1960年、にそれまで宝塚駅東部周辺にあった宝塚大劇場や、動植物園、その他の周辺施設をひとつに統合して、一大アミューズメント施設として正式に発足した。大人形館は、1967年に、園の東側最奥にオープンした。本家のディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドが1966年5月にオープンしているが、その日本版の東京ディズニーランドは、1983年4月オープンなので、日本では、関西のファミリーランドの方が、15年以上先駆けていたわけだ。幼い頃の娘は、この施設が大のお気に入りで、行くたびに必ず館内の水路をめぐるボートに、大喜びで乗っていた。
館内には、世界の民族衣装を着た宝塚歌劇団の団員を模した人形たちが、テーマ音楽である「世界はひとつ」に合わせて、歌い踊る一大パノラマのシーンが、ボートが進んでいくたびに、次々と現われてくる。日本から始まり、アフリカのジャングルや、海底の世界、ロケットの飛ぶ宇宙空間などをも訪れたあと、また世界各国を巡り、最後に歌劇団がある宝塚に戻って来るという構成になっていた。
2003年8月31日宝塚ファミリーランドの閉園とともに、大人形館はほかの施設とともに取り壊された。
宝塚ファミリーランドにつながる花のみち。
宝塚ファミリーランドメインゲート。
大人形館「世界はひとつ」。
宝塚ファミリーランド 大人形館の内部
宝塚ファミリーランドは、1960年、にそれまで宝塚駅東部周辺にあった宝塚大劇場や、動植物園、その他の周辺施設をひとつに統合して、一大アミューズメント施設として正式に発足した。大人形館は、1967年に、園の東側最奥にオープンした。本家のディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドが1966年5月にオープンしているが、その日本版の東京ディズニーランドは、1983年4月オープンなので、日本では、関西のファミリーランドの方が、15年以上先駆けていたわけだ。幼い頃の娘は、この施設が大のお気に入りで、行くたびに必ず館内の水路をめぐるボートに、大喜びで乗っていた。
館内には、世界の民族衣装を着た宝塚歌劇団の団員を模した人形たちが、テーマ音楽である「世界はひとつ」に合わせて、歌い踊る一大パノラマのシーンが、ボートが進んでいくたびに、次々と現われてくる。日本から始まり、アフリカのジャングルや、海底の世界、ロケットの飛ぶ宇宙空間などをも訪れたあと、また世界各国を巡り、最後に歌劇団がある宝塚に戻って来るという構成になっていた。
2003年8月31日宝塚ファミリーランドの閉園とともに、大人形館はほかの施設とともに取り壊された。
宝塚ファミリーランドにつながる花のみち。
宝塚ファミリーランドメインゲート。
大人形館「世界はひとつ」。
宝塚ファミリーランド 大人形館の内部