昨日、東京から帰って、久しぶりに感じた「これだ」という福岡の媚び文化。
私は、説明よりも先に身体症状が先に現れる。後頭部の鈍痛、窒息感である。
この権力者に媚び媚びの文化は、平成生まれの若い世代にも脈々と受け継がれている。
嘘(欺瞞とも言い換えられる)がデフォルトな福岡では、本当のことがはっきりと見える人は排除され、不当に損をし、生きづらい土地となっている。そしてその欺瞞合戦、茶番合戦に盲目的に乗ってそれを担ぎ上げ強化する猿芝居の団員にならないと、頭が悪い人、劣った者として位置づけられる。
豚がミネルバの神に説法するのはショーペンハウエルの時代も今も同じ。
嘘の塗り固めに参加しない人を、頭が悪い、劣った者と即位置づける、福岡の9割の人達がなぜそうできるのか。その嘘の塗り固めという現象があることは承知でも、そこに参加するかしないかは自分で決めるという 選択 の行為が存在するということを知らないからだ。そこが彼らの獣性の所以である。
欺瞞合戦の存在は知っていても、それに参加するかしないかは、自分で決めることである。そこで、参加しない人が、それを選んでいるとは考えないのが彼ら福岡人の9割である。彼らは、その現象に加担するかしないかを選択するということを知らない。だから、欺瞞合戦の共犯者にならず別の選択をする人を頭が悪い、劣った者と即位置づけることができるのだ。劣った者が、劣っていない者を馬鹿扱いするのは昔も今も同じ。
教養がないとはこのことである。
東京から帰って昨日に久しぶりに感じた、今なお脈々と受け継がれる福岡の盲目的な媚び文化に唖然とし(唖然とするのがAspieかADHDの特性だ。私は、この欺瞞がデフォルトの文化を、大人として一種諦観をもって眺めることができないから、毎回唖然としてしまうのだ。私が年齢よりも異常に若く見えるのは、私が学習しないからだと思っている)
そして、私が昔から感じていた、福岡人の相というのがある。嘘がデフォルト、嘘で本当のことをねじ伏せ丸め込み生きている人の相だ。
透明感のなさ。
張り付いた顔。元気モン!でも暗い。瑞々しさがない。どんづまりの、窒息感のある、ぶっとい直線をマジックで引いたような硬直した相。鉛のように鈍重で、軽やかさがない、凝り固まった相。
これが、嘘がデフォルトの福岡人に共通する相である。脳の使い方が、人の相を決めると感じている。
女の人の化粧も、武装や自己防衛が前面に出た、能面のような鋭利な化粧。表情も、目つきも険しく鋭い。武装と自己防衛が先にくる、福岡の人達。そんなに化粧と服装こしらえて街に出ても(そういうのが田舎猿っぽい)、ビリビリと電気のような緊張感を発して(そういうのが田舎猿っぽい)自己防衛しているのなら、異性との出会いもないだろうに。もっとさ、やさしい魅力的な顔してないと、なんのためにこしらえたのか、わからない。
※私は田舎の住民であり、田舎に満足して住む人のことを蔑視していない。ただ、必死で都会人きどりをして猿芝居をしている者に対して田舎猿というのである。
私が好きな人達は、これと反対の相をもつ。東京の特殊な場所に集まってきた人たちの相、真理を追究する人たちの相、科学者の相、子供の相、自分の感性を譲り渡さない人が共通してもつ相。
透明感。やわらかさ。やさしさ。みずみずしさ。
私は、説明よりも先に身体症状が先に現れる。後頭部の鈍痛、窒息感である。
この権力者に媚び媚びの文化は、平成生まれの若い世代にも脈々と受け継がれている。
嘘(欺瞞とも言い換えられる)がデフォルトな福岡では、本当のことがはっきりと見える人は排除され、不当に損をし、生きづらい土地となっている。そしてその欺瞞合戦、茶番合戦に盲目的に乗ってそれを担ぎ上げ強化する猿芝居の団員にならないと、頭が悪い人、劣った者として位置づけられる。
豚がミネルバの神に説法するのはショーペンハウエルの時代も今も同じ。
嘘の塗り固めに参加しない人を、頭が悪い、劣った者と即位置づける、福岡の9割の人達がなぜそうできるのか。その嘘の塗り固めという現象があることは承知でも、そこに参加するかしないかは自分で決めるという 選択 の行為が存在するということを知らないからだ。そこが彼らの獣性の所以である。
欺瞞合戦の存在は知っていても、それに参加するかしないかは、自分で決めることである。そこで、参加しない人が、それを選んでいるとは考えないのが彼ら福岡人の9割である。彼らは、その現象に加担するかしないかを選択するということを知らない。だから、欺瞞合戦の共犯者にならず別の選択をする人を頭が悪い、劣った者と即位置づけることができるのだ。劣った者が、劣っていない者を馬鹿扱いするのは昔も今も同じ。
教養がないとはこのことである。
東京から帰って昨日に久しぶりに感じた、今なお脈々と受け継がれる福岡の盲目的な媚び文化に唖然とし(唖然とするのがAspieかADHDの特性だ。私は、この欺瞞がデフォルトの文化を、大人として一種諦観をもって眺めることができないから、毎回唖然としてしまうのだ。私が年齢よりも異常に若く見えるのは、私が学習しないからだと思っている)
そして、私が昔から感じていた、福岡人の相というのがある。嘘がデフォルト、嘘で本当のことをねじ伏せ丸め込み生きている人の相だ。
透明感のなさ。
張り付いた顔。元気モン!でも暗い。瑞々しさがない。どんづまりの、窒息感のある、ぶっとい直線をマジックで引いたような硬直した相。鉛のように鈍重で、軽やかさがない、凝り固まった相。
これが、嘘がデフォルトの福岡人に共通する相である。脳の使い方が、人の相を決めると感じている。
女の人の化粧も、武装や自己防衛が前面に出た、能面のような鋭利な化粧。表情も、目つきも険しく鋭い。武装と自己防衛が先にくる、福岡の人達。そんなに化粧と服装こしらえて街に出ても(そういうのが田舎猿っぽい)、ビリビリと電気のような緊張感を発して(そういうのが田舎猿っぽい)自己防衛しているのなら、異性との出会いもないだろうに。もっとさ、やさしい魅力的な顔してないと、なんのためにこしらえたのか、わからない。
※私は田舎の住民であり、田舎に満足して住む人のことを蔑視していない。ただ、必死で都会人きどりをして猿芝居をしている者に対して田舎猿というのである。
私が好きな人達は、これと反対の相をもつ。東京の特殊な場所に集まってきた人たちの相、真理を追究する人たちの相、科学者の相、子供の相、自分の感性を譲り渡さない人が共通してもつ相。
透明感。やわらかさ。やさしさ。みずみずしさ。
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