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Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

不思議なようこおばさん

2016-11-10 | 福岡が合わない
近所に、ようこさんという女性がいる。50過ぎなのだが、おばさんとは言い難い、おねえさんだ。

顔かたち、体の姿はきれいで、地味な恰好をしているけれど、清潔な雰囲気を漂わす、おねえさん。ぶっちゃけ、モナリザにすごく似ている。

彼女は謎の人。

福岡では、容姿がよくてその清楚な雰囲気では、徹底的に潰されるのだ。女によってである。
福岡の女の強烈な僻みは、特筆すべき特徴であろうと思う。
福岡では特に、容姿のいい女性は、他の女達の安心する存在に成り下がらないことには、生きていけないぐらいに女による攻撃、排除がすさまじいのだ。つまり、下品なことを言ったり、彼女たちの発想と同調したりして、低俗な感じを出すことだ。そうしなかったら、福岡の女たちが徹底的に叩き潰しにくる。福岡では、品位を保つ女性が女によってすごい勢いで攻撃される。気に入らないならほっとけばいいのにわざわざ攻撃してくるのが、マグマのような僻みの感情に突き動かされる女達である。

だけど、このようこさんは、そんな風に自分を堕すことができないのだ。彼女の心は清潔すぎて、周りの下衆女たちを安心させる「親しみやすい」行動をすることができない。私と一緒で仲間*^^*
いつも、きれいで清楚な品位を漂わす、50過ぎてもおねえさんのようこさん。

彼女はどうやって生きているのか、謎。

その風情で、女が女を徹底的に叩き潰しにくる福岡の荒波の中で、どうやって生きているのか。
女の僻み攻撃を散々うけてきたのは、見ているだけでも伝わってくる。彼女は福岡の女が嫌いなはずである。

また、東京ではようこさんは男性にとてもモテるはずだ。でも、福岡では彼女のような女性へのニーズはほとんどない。福岡の男はレベルが低く、自分の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる女でないと対象外となる。また女に頼っているため、この荒き福岡で上手に渡って行ける根性にまみれた女(=福岡の土壌強化女)でないと、頼りなくてニーズがない。東京だったら、ようこさんはたくさんの男性に見初められるに違いない。
福岡では、いい女ほど売れないという現象がある。私はその多数の例の目撃者。

私はようこさんが好き。味方である。ようこさんは、私のことを、他と同じ僻み女かもしれないと警戒しているかもしれないけど、仲間であり、親しくなりたいと思っている。
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振り子に乗っかるだけなら、同じことだ

2016-11-10 | 社会・教育のこと
イクメンが振り子になると、今まで育児を母親に全面的にさせて当たり前のようにしていた人達が、急にイクメンアピールし出す。福岡のイクメン気取り男からは特にしらじらしいものを感じる。

こういう例はあまたあり、ただ今そっちの風が吹いてるからそれに乗ってるだけの風見鶏である。

そういう風が吹いてないなら、別の風に乗っかるくせに。

本当に、クソダセーったらない。

「そういう時代だったから」

だから何?そういう時代でも、自分で考えて行動する奴はいるんだよ。何でも時代に決められる、思考停止の野蛮人。こういう人は、東京では顕著に感じられた。浅ましく飛びつき、乗っかり、渡り歩いて行く、節操のない猿人。男も女も。いい歳した人も。こういう猿人たちが日本の9割だから、支配者たちはチョロイだろう。

それで、別の振り子を作った人がいる。世の中の主流へのアンチテーゼとして、別の振り子を。その人たちはすごい人達。でも、それに飛びつき群がり乗っかるだけの人達は、別の場では180°変わる。自分1人では闘って来なかったし闘う気もないくせに。根無し草のサーファーたちが振り子に乗っかり次々に渡りスライドして行く。新しい振り子を作った人達は、それに飛びつき群がってくるカッコだけの人達と自分たちとの違いを知っているはずだ。それでも自分たちの新しい振り子が勢いつくのなら、よしとするだろう。でも、本当は彼らのことを仲間とは思っていないだろう。言えば、利用しているだろう。
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楽しい時の感触をしっかりとつかまえて

2016-11-10 | うつ病とその回復
私はうつ症状が強くあり、悪いことに注意が行く。

うつになるだけの、経験をしてきた。そんな醜悪な社会=日本にいるのは、たしかだ。

でも嫌なことをしてくる人達、生きづらい社会を強化している人達に対する洞察が決して外れていなくても、たまに降ってくる、いいことに対してしっかりと感触をつかまえるべきだ。

それが、低劣な奴らから潰されない ということだ。もし、たまに降ってくるいいことよりも、嫌なことにばかり注意が向けられるのなら、それは嫌なことをしてくる、低劣な人達に人生を乗っ取られている 状態である。

軽蔑する人達によって、自分の大切な注意・時間・エネルギーが奪われる とは悔しいことだろう。

だから、いいことへの注意を手離さないようにしたい。

これは、自分に言い聞かせながら書いている。

とても楽しい経験をした時の感触を、しっかりとつかまえて、できればそれを自分で呼び寄せられるのが目標。(私はモラハラに遭っていた時にこれを努めていた。するとモラハラ女達は、それを強力な嫉妬心で潰しにかかってきた。彼女たちは、躍起になってターゲットの心の中の灯を消そうとしてくる。)

私の仲間たちにも、言いたい。こんな醜いくだらない社会の中で、怒るのはまとも。周りの愚衆に踏み潰されるのもまとも、嫌なことばかりなのはまとも。
岡本太郎も言った。この日本で、幸せだなんて言うのは愚鈍な感性の人だけだと。

でも、それでも、楽しい時の感触をしっかりとつかまえるべきだ。次にまた来たらわかるように。そして、嫌なことで心の中が覆われている時でも、自分でその感触を呼び起こせるようになるために。

うんざりなんて、してて当たり前。絶望なんて、してて当たり前。諦めるのは簡単だ。簡単過ぎてつまらない。 ってハイロウズが「1人で大人 1人で子供」という曲で歌っている。
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嘘(欺瞞)がデフォルト な福岡では、澄んだ目を持つ者は馬鹿者と位置づけられる

2016-11-10 | 福岡が合わない
昨日、東京から帰って、久しぶりに感じた「これだ」という福岡の媚び文化。

私は、説明よりも先に身体症状が先に現れる。後頭部の鈍痛、窒息感である。

この権力者に媚び媚びの文化は、平成生まれの若い世代にも脈々と受け継がれている。

嘘(欺瞞とも言い換えられる)がデフォルトな福岡では、本当のことがはっきりと見える人は排除され、不当に損をし、生きづらい土地となっている。そしてその欺瞞合戦、茶番合戦に盲目的に乗ってそれを担ぎ上げ強化する猿芝居の団員にならないと、頭が悪い人、劣った者として位置づけられる。

豚がミネルバの神に説法するのはショーペンハウエルの時代も今も同じ。

嘘の塗り固めに参加しない人を、頭が悪い、劣った者と即位置づける、福岡の9割の人達がなぜそうできるのか。その嘘の塗り固めという現象があることは承知でも、そこに参加するかしないかは自分で決めるという 選択 の行為が存在するということを知らないからだ。そこが彼らの獣性の所以である。
欺瞞合戦の存在は知っていても、それに参加するかしないかは、自分で決めることである。そこで、参加しない人が、それを選んでいるとは考えないのが彼ら福岡人の9割である。彼らは、その現象に加担するかしないかを選択するということを知らない。だから、欺瞞合戦の共犯者にならず別の選択をする人を頭が悪い、劣った者と即位置づけることができるのだ。劣った者が、劣っていない者を馬鹿扱いするのは昔も今も同じ。

教養がないとはこのことである。


東京から帰って昨日に久しぶりに感じた、今なお脈々と受け継がれる福岡の盲目的な媚び文化に唖然とし(唖然とするのがAspieかADHDの特性だ。私は、この欺瞞がデフォルトの文化を、大人として一種諦観をもって眺めることができないから、毎回唖然としてしまうのだ。私が年齢よりも異常に若く見えるのは、私が学習しないからだと思っている)

そして、私が昔から感じていた、福岡人の相というのがある。嘘がデフォルト、嘘で本当のことをねじ伏せ丸め込み生きている人の相だ。

透明感のなさ。

張り付いた顔。元気モン!でも暗い。瑞々しさがない。どんづまりの、窒息感のある、ぶっとい直線をマジックで引いたような硬直した相。鉛のように鈍重で、軽やかさがない、凝り固まった相。

これが、嘘がデフォルトの福岡人に共通する相である。脳の使い方が、人の相を決めると感じている。

女の人の化粧も、武装や自己防衛が前面に出た、能面のような鋭利な化粧。表情も、目つきも険しく鋭い。武装と自己防衛が先にくる、福岡の人達。そんなに化粧と服装こしらえて街に出ても(そういうのが田舎猿っぽい)、ビリビリと電気のような緊張感を発して(そういうのが田舎猿っぽい)自己防衛しているのなら、異性との出会いもないだろうに。もっとさ、やさしい魅力的な顔してないと、なんのためにこしらえたのか、わからない。
※私は田舎の住民であり、田舎に満足して住む人のことを蔑視していない。ただ、必死で都会人きどりをして猿芝居をしている者に対して田舎猿というのである。

私が好きな人達は、これと反対の相をもつ。東京の特殊な場所に集まってきた人たちの相、真理を追究する人たちの相、科学者の相、子供の相、自分の感性を譲り渡さない人が共通してもつ相。

透明感。やわらかさ。やさしさ。みずみずしさ。
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