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Think Yokoyama Weblog

50代のお部屋へようこそ…

ヨコ録番外編

2008-04-27 18:55:07 | ヨコ録
番外編としてアーティスト物でない作品やその他表に出ていない事などを紹介します。
まずは第1弾としまして・・・

専門学校期
 1 『WAX TRAX JAPAN』配布用MIXテープ (1989年)

ラジオ期
 2 bay FM『クラブ◎』ジングル (1990年4月~1992年3月O.A.)
 3 FM802『クラブキングロンドン』テーマ曲 (1990年4月~1990年6月O.A.)
 4 FM802『クラブレディオ802』テーマ曲、ジングル (1990年4月~1992年3月O.A.)
 5 『JTスーパーサウンド90'』ラジオCM用ジングル (1990年O.A.)
 6 ラジオCM用(タイトルは忘れてしまいました)BGM (1990年O.A.)
 7 エアロビVideo用(タイトルは忘れてしまいました)BGM10曲 (1990年発売)
 8 ビクターコンポ『メッツォA7』店頭説明用CDのBGM2曲 (1990年)
 9 『JTスーパーサウンド91'』ラジオCM用ジングル、TV番組用テーマ曲 (1991年O.A.)
 10 ケーブルTV番組用(タイトルは忘れてしまいました)テーマ曲 (1991年O.A.)

横メモ
 1...DJ(踊らせるほう)の友達がいた事務所が「WAX TRAX」というレーベルの日本での窓口になった?という事で、プロモ用にクラブ(踊るほう)で配布するカセットテープを二人で創りました。これがきっかけでボディミュージックを知りました。
 2...曲終わりなどにかける短い(5~15秒)音楽です。10パターンくらい創ったでしょうか。
因みにテーマ曲は当時同じ事務所に所属していたバンド<GEN>の曲でした。この番組でインディーズものをいっぱい聴きました。
 3...ロンドンで流行っていた音楽を意識して創りました。この番組でアシッドジャズを知りました。
 4...2曲創りましたが、1年目の曲はDJ(話すほう)が(後にボンバーヘッドする)富樫明生さんだった影響でファンクテイストに、そして2年目に創った曲はアシッドハウスっぽいものでした。
 5...オーケストラヒットを使った重々しい30秒くらいの曲です。
 6...当時流行っていた『ランバダ』みたいな曲を創ってと発注されて創りました。そのまんまになっちゃうので崩すのが大変でした。
 7...ラジオで使用していたスタジオでよく会うディレクターから発注されました。テンポや曲調は指定されてたのである意味創りやすかったです。
 8...クラブ◎のDJ(話すほう)石丸元章さんの番組という形式で創られました。曲はジングル的に使われてます。
 9...曲は忘れてしまいましたが、この時の番組のDJ(話すほう)マイケル富岡さんのほうが印象に残ってます。
(この頃僕はディレクターに成り立てだったので恐縮してましたが、やさしく接してくれました^^ とても素敵な人でした)
 10...ラジオ番組のプロデューサーから発注を受けました。民族音楽系の曲が欲しいということでアラブの音楽を勉強しました。

 DJイベントでもラジオ番組でもいえる事は、「いかに時間的盛り上がりの波を作るか?」でした。
夜10時から朝5時までのイベントなら「ピークを何時と何時に持ってくる」とか、1時間の番組なら「掴みをどこに置くか」など・・・
 とすると、1曲の中にも言える事に気が付きました。
これらを学んだ事により、サビは盛り上がるのは当然として、「まずはイントロ命」な横山作風が形作られました。(その後他の要素も加わっていく事になります)
 それまで偏った音楽しか聴いていなかった僕が、この頃一気に幅が広がったようです。
音楽は素晴しい。・・・つづく
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M-AGE その6

2008-04-22 11:58:42 | ヨコ録
Single『mother』/M-AGE (1993年7月21日発売)

参加楽曲
 2 cure
   (全2曲中1曲参加)

横メモ
 ベースのカジワラ君脱退後の<M-AGE>初レコーディングがこのシングルでした。

 92年にロンドンでカジワラ君と同部屋の時に、脱退したいというニュアンスを何となく聞いていたので「ついに実行したのかぁ」と思いました。
(こういう時、勧めるべきなのか思いとどまらせるべきなのかはわかりませんでした。・・・こればっかしゃわかりません^^;)
(因みに彼はその後CMJK君と<confusion>を始めました)

 表題曲は確か僕は参加してないと思います。残ったメンバー4人だけで創った作品です。
4人で頑張ろうという意気込みが、ベースラインや打ち込みに感じられます。(あくまでもシリアスにならず。)

 カップリングの「cure」はボーカルのコーイチロー君の曲で、僕はそれには誘われました。
メンバー以上に僕の方が複雑な心境で参加した記憶があります。(^^;)
レコーディング自体は問題無くいきましたが。
(彼と僕の世界観が割と近いから、「いつか一緒にユニットでもやりたいねぇ」と言ってくれましたが実現してません。残念)
 
 この作品を最後に僕の<M-AGE>への参加は終了しました。
(その後出たアルバム『INTERFACE』のクレジットにスペシャルサンクスで僕の名前を見つけた時は涙しました。感謝)

彼らから学んだ事・・・
 今でも交流のあるかっちゃんからは、リズムパターンとユーモアと茨城弁。
 そしてミヨケンからは、ギターのコードを弾いただけで伝える事の出来る音色による説得力。
 コーイチロー君からは、「好きな世界観を出して良い」という事。
 カジワラ君からは、聴いた事のない音に対する飽くなき探究心。
 DJ PEAH君からは、DJならではのクールなグルーヴ。
・・・など、まだ他にも沢山ありますが挙げたらキリがありません。

 <M-AGE>と出会えたお陰で僕は音楽の世界に足を踏み入れる事が出来ました。
 僕の音楽人生に大きな影響を与えてくれたバンドの一つ・・・それが<M-AGE>です。

 僕の中で大きな節目を迎えました。次に進まなければ!と思うのでした。・・・つづく

※M-AGEとのその前
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BRAIN DRIVE その4

2008-04-16 13:53:30 | ヨコ録
Maxi『realize』/BRAIN DRIVE(1993年6月23日発売)

参加楽曲
 4 realize [CONTROLLED PKO replay]
   (全5曲中1曲参加)

横メモ
 山中湖のスタジオで<Mari Mari>のレコーディングが終わった時にTさんから連絡が入り、レコーディングに参加するため急遽そのまま川奈に向かいました。(なんというタイミングの良さ^^)

 着いてみるとメンバーはぐったりしてました。(雰囲気が重かった記憶があります)
今回のシングルは各々がリミックスを創るという事らしく、作業を終えた姿だったようです。
(僕はさっきまでの柔らかい雰囲気の現場から一気にシャキっとならざるを得なかったのです^^;)

 すでにスタジオに着いていたMC SAGAWAと一緒にリミックスを創りました。
(リミックスにはやり方が大きく2種類あります。一つは原曲を活かすタイプ、そしてもう一つは無視するタイプ。
・・・今回は無視しちゃいました^^)


 この作品を最後に僕の<BRAIN DRIVE>のレコーディング参加は終了しました。(この作品のせいで終わったわけではありません^^)
ただ、その後もライブには沢山参加させてもらいました。
1度解散するまでの期間は、(その後解散する)<M-AGE>のミヨケンとサポートしました。
涙のラストライブというのも体験させてもらいました。
 その後水田君が一人で再生させた時も、ライブサポートをさせてもらいました。(その時のサポートギターは、その後出会う<GUNIW TOOLS>のアサキちゃんだったり、当時<03>の秋山智江さんだったりと色々想い出があります。)

 僕の音楽人生に大きな影響を与えてくれたバンドの一つ・・・それが<BRAIN DRIVE>です。
今現在も<BRAIN DRIVE>は活動しています。また出会う事があるでしょうか?・・・つづく
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BUCK-TICK その2

2008-04-06 16:49:41 | ヨコ録
Single『ドレス』 /BUCK-TICK(1993年5月21日発売)
Album『Darker Than Darkness -Style 93-』/BUCK-TICK(1993年6月23日発売)

参加楽曲
 Single:全2曲参加
 Album:「キラメキの中で…」「誘惑」「ドレス」(全11曲中3曲参加)

横メモ
 93年の春、1年振りのアルバムということで<BUCK-TICK>のレコーディングに参加しました。
今回は全曲ではなく主にヒデさんの楽曲中心でした。
(他の曲でシンセの音が入っていますが多分今井さんがギターで入れたものと思われます)

 プライベートではヒデさんとよく呑んでもらってましたが(その頃ヒデさんは「キーボード教えて」と僕に言ってました)、1年振りという事で他のメンバーと会うのを楽しみにして合宿レコーディングに望みました。(でもレコーディングの前半に行ったので櫻井さんとは逢えずだったと思います)

 今回はリズム録りからお邪魔していたので前回話せなかったドラムのヤガミさん(以降アニイさんと呼びます)、ベースの樋口さん(以降ユータさんと呼びます)と沢山話しました。(このお二人が兄弟という事をその時知りました・・・遅いですか^^;)
 この二人は常にタイミングとかグルーヴのことをシビアに確認しあっていました。(その反面常に巨人と阪神の話しもシビアにしてました^^)

 ヒデさんはレコーディングからキーボードを弾きたいという事で、最初に僕が音を創ってその後どこを弾くのかを教えるというやり方をしました。
 特に「誘惑」という曲は最初MIDIピアノで自動演奏させて仮りで録音しといて、後からヒデさんが生ピアノで弾き直しました。味のある良い演奏だと思います。
(そういえばあの頃「シティー派」ということでエリック・サティの曲を教えましたが、今でも弾けるのでしょうか?^^)

 今井さんは・・・やはりあまり話せませんでした(^^;)
この時は彼の曲にほぼ参加しなかったので、「次回チャンスがあったら絶対酒を酌み交わしながら沢山話をするぞ!」と思ったものです。
(以前から呑み会で何回かお会いしましたが、その時も話すきっかけが掴めずそのまま僕が夜中の1時(!?今じゃ考えられない^^)くらいに「帰ります」と伝えるだけが精一杯でした)

 今回はヒデさんとのキーボード付き合いが始まったという思い出の作品です。


 アルバムの過激な出来上がりに驚き、絶対に次こそはガッツリと<BUCK-TICK>に食い込むぞと思ったのでした。・・・つづく
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funny mouth v.a.

2008-04-04 14:21:40 | ヨコ録
『funny mouth v.a.』/V.A. (1993年5月25日発売)

参加楽曲
 1 Everyday, Under the Blue Blue Sky / Mari Mari
   (全7曲中1曲参加)

横メモ
 93年の春くらいに某レコード会社の(僕にとっては初めての)ディレクターさんから直接仕事の連絡をいただきました。(Tさんとの繋がりで僕に発注してくれたそうです。感謝!)
 今回のアルバムは女性ボーカルのオムニバスということで、その参加者の1人であるMariさんを紹介されました。

 女性シンガーという事でどんな感じのレコーディングになるのか全く想像がつきませんでした。(男臭~い現場が多かったので^^)
 当然僕は人見知りするのですが、Mariさんに気さくに話しかけてもらいながらの作業だったと思います。(記憶が少し曖昧)

 具体的に何を入れたか忘れちゃいましたが、曲の最後の方のピアノの手弾き(バッキングだけです)は憶えています。
僕の作業が終わって一安心していたところに、急遽彼女からのリクエストで「ピアノを入れて欲しい」という事になりました。
 一度途切れたテンションを戻すのは大変ですが、(「よろこんで~!!」ってな具合で)速やかにやりました。
 出来上がった作品を彼女はとても喜んでくれたので良かったです。

 Mariさんの雰囲気と同様、作品もふんわりとした優しいものになったと思います。


 激しい音楽だけだと優しい音楽もやりたくなるし、それをやると今度は真逆のことをしたくなる「ひねくれ者」な僕なのです。・・・つづく
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M-AGE その5

2008-03-20 19:09:09 | ヨコ録
『NEXUS 7』 /M-AGE (1993年5月21日発売)

参加楽曲
 1 NEXUS 7<MIXED BY M-AGE>
   (全4曲中1曲参加)

横メモ
 92年末のライヴで<M-AGE>との関わりも(みなさんも自分達で創れるようになったので)終わると思いきや、93年になってからライヴ用レコーディングに呼ばれました。
ディスコイベントに出るらしく、過去曲を大幅にリアレンジするとの事でした。

 時代は某巨大ディスコで(デス)テクノと扇子とボディコンとお立ち台の時代でした。
僕は同じ踊るほうでも(音楽性も)ディスコよりクラブのほうが好きでした。
デステクノと呼ばれる音楽が出たばっかりの91年?ころは影響を受けましたが、その後の定番化されたものは苦手でした。

 なので、メンバーと一緒に4曲くらいリアレンジをしたのですが、極力流行の要素を取り入れながらも捻くれたクラブ要素をミックスさせて創りました。
その中の1曲に「MIND WAR」という曲を作り直しましたが、それが今回の「NEXUS 7」という曲になりました。
(知っている人は原曲の一部分が聞き取れるかもですね)

 その後CD用のレコーディングには参加しなかったのですが、頂いたCDを聴いて(残りの曲をリミックスしている)ジョン・ロビンソンさんは、
いろんな意味で流石だと思いました(^^;)

 この作品は、葛藤と闘いの中で出来た作品といったところでしょうか。


 なんで僕の性格は、「みんながいい」とされているものが苦手なんだろう?素直じゃないんだろうか?と思うのでした。・・・つづく

※M-AGEとのその前その後
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BRAIN DRIVE その3

2008-03-17 01:15:41 | ヨコ録
Single『Beauty Blood Monsters』 /BRAIN DRIVE    (1993年1月21日発売)
Maxi 『BRAIN WASHING』(メジャー盤)/BRAIN DRIVE (1993年4月21日発売)

参加楽曲
 Single:2曲目「Destroy」参加
 Maxi :全楽曲参加

横メモ
 <CONTROLLED PKO>名義で参加してました。(特にこの名義で活動を続けるというつもりはなかったのですが。)

 シングルに関しては全く記憶にございません。(すいません)
表題曲は出来上がったのを聴かせてもらった記憶があるのでこのシングルには参加していなかったと思ってましたが、(先日CDを見てみたら)クレジットが入っていたので多分「Destroy」に参加していたのでしょう。(この曲はノイジーですから・・・^^;)

 マキシの方ですが、これは1年前に発売されたインディーズ盤のニューミックス(一部新録音)ヴァージョンです。(こちらは憶えています)
さらにビートを過激にして、違うシンセを入れたりしました。
この時、ボーカルの水田君が何曲か歌を録り直したのですが、自分の気分なのか歌メロを変えて唄っていました。
自由だなぁと思いました。(「こうじゃなきゃいけない」という固定概念に縛られないようにって事ですか。)

 <BRAIN DRIVE>では僕もライヴに参加してましたが、この頃はゲストに<ソフトバレエ>の藤井麻輝さんがギターでノイズを弾きまくっていったり、<DOOM>の藤田さん(彼は『DANCE 2 NOISE 004』で表野君と<NINETY SEVEN PERCENTS>というユニットを組んでました)もギターで骨太なバッキングで参加してもらったりしていました。
(藤田さんは見た目から怖いのですが、非常にチャーミングでやさしい方でした^^
牛乳瓶の底の様な眼鏡をわざわざかけて下さってありがとうございました)

 パーカッション担当の表野君ですが、彼のドラムパッドを叩くスタイルは(曲によっては)全身全霊殴りつけるものでした。
(今ドラムパッドを使っている現場の僕は彼の影響を受けているのだと気が付きました。)
その頃の僕はパフォーマンスの事など考えてもいませんでしたが、彼らから多くの事を学んだようです。


 コンピューターやシーケンスの普及で、まわりのみんなも自分で音楽を創れるようになってきました。
ということは、「自分にしかないもの」を持っていないと仕事が減るなぁ~(^^;)と思うようになるのに・・・
時間はかかりませんでした。・・・つづく
コメント (7)
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SUPER MEGA DANCE FACTORY Vol.1

2008-02-27 20:03:04 | ヨコ録
『SUPER MEGA DANCE FACTORY Vol.1』/V.A. (1993年2月24日発売)

参加楽曲
 9  白昼夢 / Virus (Yokoyama feat. 3-P)
 10 802 / K.R.S.
    (全10曲中2曲参加)

横メモ
 93年に入って、事務所の人から「ダンス系のオムニバスを作るので参加して」と言われました。
そこで、一人でやるのか?と思っていた所、事務所の人から<3-P>という女性2人組のユニットを紹介されました。

 彼女達は当時クラブ系(踊るほう)のイベントでは知る人ぞ知る存在だったようです。
セクシー系担当のASAEさんは某音楽大学の声楽科出身で、音楽理論もテクニックも優秀でした。
 僕も一時期音楽大学を意識した事がありましたが(当然入れるレベルもなく)、「教わっているうちは自分の物が創れない!」などと軽はずみにも思ってしまい^^;(今は決してそんな事は思っていません。両方の良い所があると思いますm(_ _)m)、「音大出身者に負けるもんか!」ってな具合で会いました。
 彼女の話だと、音大生の中でもめずらしい存在だったらしく、話を聞いてる時「理論を知っていてこちら側の音楽の世界に入ってきたら強敵だなぁ」と思ったりもしました。

 実際の創作はオケを自分が創り、簡単なイメージを説明して彼女に詞を創ってもらいました。
当時ブルガリアン・ボイスが注目されていましたが、そんな話をしていたら一人でそんな感じのコーラスをぱぱっと唄ってビックリしました。

 アルバム発売後、1回だけ神楽坂にあったディスコのイベントで演奏しました。
繋がりはそれっきりでしたが、この時の影響でその後少しだけ学理を勉強しました。(^^;)
面白い体験でした。


 そしてもう一つは、僕一人の匿名ユニットです。(ユニット名は特に意味はありません・・・ホントはあるけど^^)
事務所の人に「アルバムの時間が余ったから、なんか曲ない?」と聞かれたので、ラジオ番組(大阪のFM802で僕が制作していた『CLUB RADIO 802』テーマ曲)で使っていた曲を新たに録音し直した曲を提供しました。(個人的にはラジオ番組ヴァージョンの方が好きですが^^;)

 テクノ系の人たちはフットワーク軽く、キャラクター・イメージやサウンドに捕われず名前を変えて活動していたので、いいなぁと思っていました。(その頃の名残が今もあります。YOCODILEとか和宇とか・・・あっ!別人だった^^)

 自分一人でやるより、誰かとやるほうが為になるし、自分が広がるなぁと思った作品です。


 この頃から、「ただ音楽に携われるから嬉しい」だけではなく、「どんな事を自分はしたいのか?なにをやらなければいけないのか?」と思うようになったのでした。・・・つづく
コメント (11)
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DANCE 2 NOISE 004

2008-02-23 14:51:30 | ヨコ録
『DANCE 2 NOISE 004』/V.A. (1993年1月21日発売)

参加楽曲
 2 STATE VIOLENCE STATE CONTROL / CONTROLLED PKO
   (全12曲中1曲参加)
 尚、6曲目の「SINK{2010 MIX}」/M-AGEには、録音には参加していますが、当リミックスには参加しておりません。

横メモ
 日本に戻って<M-AGE>のツアーも終えた頃?、92年の暮れにTさんからのお誘いで参加しました。

 この<CONTROLLED PKO>とは僕と秘密の人達との3人組ユニットでした。(その後2人組になります)
DJ JIMMINが僕だったわけですが、ほかの方々はみんな非常に近い人です。(時間が経ってますが伏せさせていただきます)

 カバーをやろうということでMC SAGAWAが選曲をし、アレンジを僕がやり、Y-LOWがベースを使ってノイズを出してました。
(ロンドンでエンジニアさんから貰った(何故か)中国のキラキラ音の出る丸い物を、ベースの弦に乗せて転がし、ノイズを録音しました)
ユニット名の由来やら名前は、当時の日本の状況を風刺したもので、ある意味社会派?でした。(^^;)
(現在の状況もこの頃とあまり変わっていないように思われるのか気のせいでしょうか?)
この曲では僕もコーラス?がなり声?で参加しています。

 レコーディングは川奈にあるスタジオで合宿し、毎日楽しく自由にやりました。
因みに、ここのスタジオには温泉が付いていて、とても良かったんです。ほんと良かったんです。温泉。
ご飯も美味しかったですし。
好きだったスタジオの一つです。(現在は確かなくなったと思います)

 社会風刺とは別に、まったりとした気分で創った作品です。(でもサウンドは別ですが^^;)


 ぼくにとって、激動の時間だったと思われる92年が走り去って行ったのでした。・・・つづく
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M-AGE その4

2008-02-17 11:22:55 | ヨコ録
『vibES』/M-AGE (1992年11月21日発売)

参加楽曲
 全楽曲参加

横メモ
 92年7月末から9月前半までの約1ヶ月半、ロンドンにて<M-AGE>2ndアルバムのレコーディングがありました。
初めての海外、しかも行きたかったロンドンという事もあり、テンションは最高潮でした。

 実は行く前、1ヶ月半も言葉の通じない国で同じ顔ぶれのみという環境に耐えられるのだろうか?と個人的には心配していましたが、全く問題ありませんでした。
 むしろ英語を話すという環境がストレス解消になりました。飽きたら散歩にでかけたりして。
いつも同じタバコを買いに行ってたお店があって、そこのおばちゃんは僕を覚えてくれてタバコの銘柄を言わずとも出て来るようになったりして新鮮でした。(当時の値段は日本が200円くらいなのに対して500円くらいして「高っ!」って思いました)
 最初は地下鉄やタクシーに乗るのも大変でしたが、後半は一人で目的地に行けるようになりました。(タクシーは乗る前に行き先を交渉するのですね。今でもそうなのでしょうか?)

 レコーディングでの印象的な事は・・・
 フラットを借りて寝泊まりをしたのですが、ベースのKAJIWARA君と同部屋だったので毎日いろいろな話をしました。(音楽から思想、彼の悩み事まで幅広く^^)
 あと、僕が悩みながら創っている音に、エンジニアさんはすぐにピンときて「こうだろ?」って音で返してくれる感じが、音楽は言葉じゃないなぁと思いました。(まぁ、言葉も大切ですが^^;)

 人との出会いで面白かったのは・・・
 当時アシスタントだったとても陽気なベン君(彼は今や<デペッシュモード>のプロデューサー&エンジニアになってます。クレジット見た時驚いたんですが、たぶん同一人物だと思います。僕も頑張ろ!)が、友達のジム君を紹介してくれました。
 日本語を勉強しているジム君は<ジーザス・ジョーンズ>のドラムの人の弟だそうで、何故か彼が当時<ジーザス・ジョーンズ>のレコーディング中の曲を聴かせてくれて、「僕らのほうがかっこいいぞ!」(^^;)なんて盛り上がってました。
 レコーディングの前半は、僕にはほとんど休みがなかったのですが、ダビングが終了した頃にようやくロンドンを満喫する時間が出来ました。
 <M-AGE>のメンバーは取材やら撮影やらで忙しいので、僕はジム君と夜中にクラブ(踊るほう)へ遊びに行きました。
(二人で地下鉄に乗ってふと気付いたんですが、僕と彼とのコミュニケーションもままならないのに、一人で大丈夫なのだろうか?と不安になりましたが^^;)
 着くなりジム君が<ジーザス・ジョーンズ>のボーカルとキーボードの人を紹介してくれました。
ボーカルのマイクは<M-AGE>の事を知っていて、とても気に入っていると言ってくれました。
キーボードのイアンとは、同職種なので突っ込んだ話をしました。
 「来週も来るよ」と彼らが言うので、「じゃあ今度はメンバーも連れてくるよ」と約束し別れました。
ちゃんと約束通り次の時も来てくれて、みんなで楽しい時間を過ごしました。
(マイクやイアンと一緒に(日本人らしく)写真を撮ったのですが、現像して気が付きました。僕は彼らの前で<ミニストリー>のTシャツ着てました^^;)

 本当に刺激的で楽しい思い出たっぷりのアルバムです。


 日本に戻ってから、このアルバムのツアーに同行しましたが、ライブ参加はこの時で終了しました。
永遠はないのです。少し不安になるのでした。・・・つづく

※M-AGEとのその前その後
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