先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る4.なぜ貯蓄・投資バランスという概念は消滅したのか?https://blog.goo.ne.jp/thegeneraltheory/e/13d1b85bf14ef64efb5d252f50157386で、「次回、余剰資金の発生の原因とその対策を考える。といっても本ブログの読者には自明のことであろうが。」と書いてずいぶん経った。実は原因と対策は一般理論 . . . 本文を読む
第三節の構成は以下のようになっている。これを見ただけで読む気が失せそうになる。一歩ずつ行くしかない。 なぜこんなことになっているのか?それはこの節がマルクスの「貨幣論」だからだ。貨幣とは何か?という問いを商品とその交換から導き出している。貨幣とは何か?という問いは、今に至るまで、多くの経済学者に挫折を経験させた。ケインズが一般理論を書き上げる前の論文は「貨幣論」である。マルクスは怯むことなく立ち . . . 本文を読む
本ブログ 総目次へ戻るこのカテゴリの目次へ戻る 物価の上昇が続いている。物価の安定目標2%を達成したのだから円安を「是正」するために金融緩和もやめるべきだという意見も出始めている。原因の一つとされる円安は日銀の失策だということらしい。*1 もちろん異次元の金融緩和を永遠に続けるわけにはいかない。どこかに出口があるだろう。その出口とはどこか?どのような指標が考えられるのか?今日はそんな話だ。世間の議 . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 「日本経済の将来を展望する」もずいぶん長くなってしまった。ここで少々まとめてみたい。国民経済計算によると2012年から賃金総額(*)は増え続けている。増加の原因を、もう一つの賃金に関する統計である賃金構造基本統計調査から探ってみると増加の重要な要因は勤続年数の上昇にあった。賃金の上昇に一番必要なもの、それは安定した雇用環境である。ところがGDPの成 . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 借り手のいない貯蓄は余剰資金である。日本経済は余剰資金に溺れているということを二回に分けて書いてきた。筆者が経済学の勉強を始めた頃、貯蓄-投資バランス(ISバランス)は中心的な分析手段だった。今やすっかり見なくなってしまった。その経済思想史的分析は脇に置いて余剰資金の発生原因について考えてみたい。1.余剰資金で公的債務を削減すればいい。 のか? . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 経済を論じるときに、まず言及されないのは日本銀行の資金循環統計だ。総裁交代に伴って前総裁の功罪が様々に論じられているが、基本的なことを分かってない人が様々に言うのは見ていられない。時々思う。黙っててくれ、資金循環統計見たことあんのか、と。 まあそんなことを言っても始まらないので、気を取り直して今日も考えよう。で、資金循環統計である。資金循環統計は国 . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 以下のグラフは国民経済計算の「2.民間・公的別の資産・負債残高」から筆者が作成したものである。民間部門(家計+企業)の資産を元に現預金と貸出を抜き出した。 現預金と貸出がきれいに対応するわけではないが、注目すべきは1998年までは貸出が現預金を上回っていたことである。そんなことができるのか、と思われるかもしれないが、銀行全体には信用創造 . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 日本の将来に対する悲観論が大勢を占めている。この悲観論は政治的思想的立場を問わない。年齢、性別、社会的地位も問わない。現代日本を重苦しく覆っている「空気」である。悲観論のいちいちをここで取り上げることはしないが、少子高齢化という「自然現象」を「諦めの境地」で迎えているのではないだろうか。重苦しい雰囲気の下では極端な言動と「敵探し」が始まる。最近では . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 日本の将来に対する悲観論が大勢を占めている。この悲観論は政治的思想的立場を問わない。年齢、性別、社会的地位も問わない。現代日本を重苦しく覆っている「空気」である。悲観論のいちいちをここで取り上げることはしないが、少子高齢化という「自然現象」を「諦めの境地」で迎えているのではないだろうか。重苦しい雰囲気の下では極端な言動と「敵探し」が始まる。最近では . . . 本文を読む
先進国の経済学 目次へ戻る本ブログ 総目次へ戻る 日本の将来に対する悲観論が大勢を占めている。この悲観論は政治的思想的立場を問わない。年齢、性別、社会的地位も問わない。現代日本を重苦しく覆っている「空気」である。悲観論のいちいちをここで取り上げることはしないが、少子高齢化という「自然現象」を「諦めの境地」で迎えているのではないだろうか。重苦しい雰囲気の下では極端な言動と「敵探し」が始まる。最近では . . . 本文を読む