
数年前に資本論を翻訳していたのが最近出てきた。第7章まで進んでいた。忘れていたわけではないが放っておいた。
読者にはどうでもいいことだが、翻訳で最も苦労したのは、よく出てくるシェークスピアの作品の引用である。当時の人には当然の教養であったシェークスピアは筆者にとっては遠い存在である。浅学菲才の身としてヴェニスとロミジュリくらいしか読んでいない。そのためシェークスピアの現代英語訳のサイトにもお世話になった。それでも「○○のような」というのはよく分からないことが多い。ご容赦願いたい。
今回ブログに掲載することでやりかけたことに区切りがつくかもしれないと思い「資本論を読む」というカテゴリーを新設した。翻訳終了までに肉体的あるいは精神的生命が保つかどうかは分からないが・・・
翻訳と言っても英語版からのものである。ドイツ語は大学に置いて来てしまった。テキストは以下のものを使用した。
Marxists Internet Archive
Archive of eBooks, Print-Ready Books, and Audiobooks of Marx and Engels
「一般理論を読む」でも言及したが、一般理論と資本論は同じ種が違う土壌で咲かせた二つの花である。実もなるだろうがその味は相当違うだろう。今やどちらも読まれなくなったが、それは政策の貧困、哲学の貧困、もっと悪いことに現世の貧困となって表れている。
少しづつ、少しづつ掲載していくが、それによって読者がマルクスに興味を持っていただければ幸いである。
第1巻
第1編 資本の生産過程
第1部 商品と貨幣
第1章 商品
と冒頭からいかにもドイツらしいのである。
資本論の正式名称は「資本 政治経済学批判」だ。原則として()内は訳者注となる。コメント、解説の類はできるだけ避ける方針である。それでも入れた場合は*で示してある。