絵手紙道具の中にレインコートを入れて出て行ったけど何とか1日もった。
今日は墨滴を地模様にして大きな和紙に描いた。
シャレオの地下で花を買ってそれを見ながら描いたが今日はどうも気分がのらない。
だけど、大きな紙に描くのはとても気持ちがいい。
先生の見本を見ながら「筆運びを真似ようとするが同じようにしても出来上がった線はまるで違う。
それにしてもこのクラスはとてもユニーク。
同じ事をしても雰囲気も墨滴のつけ方も違い個性がありありと出ている。
終わってコーヒーを飲みながら私の発病時の事や身体の話しになり「痛み」の話になった。
先日のブログでも驚かれた人がいたが、みんな驚いて「痛みがあるのにどうして平気な顔してるの?」と言われる。
「痛みに強いのかな?入院中やリハビリの時に患者同士では言ってたけどもう面倒で~」と、言ったら「ES細胞を取り込んで培養しそれを貼り付けると筋肉が動き始めるようになるんだって。だから、4~5年後の実用化まで頑張ってね」と、励ましてくれる。
私はどうも与えられた場所で生きて行くのが得意らしく、こういうこともあまり期待していない。
科学、医学の進歩でこれからは救われる人が増えればいいなとは思う。
でも、私は「障害」を持ってみて色んな人の私を見る目が変わったり、自分も人を見る目が変わったりして「よかった」のではないかと思える。
出来なくなった事を悔やむより、出来る事を見つけたときの喜び。
それは、健康であった時よりも嬉しく楽しい。
自分の好きな所に自由に行けて自分のしたい事が瞬時に実現できる、それがあたり前の生活だった私が、我慢をしたり、悔しい思いをしたり、自分を抑えることが自然に身についていけばこれからどんな事態になってもポジテブに生きて行けるのではないか、そんな事を考えた仲間との会話だった。
もし、障害を持った人が読まれたら不快に思われるかもしれません。
私は健康な時には「障害」に対してあまり深く考えた事が無くて無関心でした。
だから、我慢や悔しさ、不便さも殆んど理解していなかったのです。だからこそ、こういう風に思えるのかもしれません。
でも、まだまだ「障害は個性よ」何て軽々しくは言えないのです。