初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

五木寛之2

2008-09-27 | 未分類

 昨年、BSハイビジョンで放送された「21世紀仏教への旅」を5夜連続で見た。


仏陀が悟りを開いたインドからブータン、さらに韓国、中国を巡りフランス、アメリカと仏教の教えが世界でどのように浸透し、受け継がれてきたか、他力本願の教えが今の世界に通用するのかなど各国の仏教徒を中心に取材をされた。


私はその時の五木寛之さんの奥深い仏教の知識とこれまでご自分が思索を続けてきた思いをダブらせながら精力的に対話を続けている姿にこそ感動を覚えた。


彼は2度ほど休筆している。


私はおそらく「うつ病」なのだと思っていたが、今日の話ではほぼそんな状態だったらしい。


今日の話の中で「うつ」はエネルギーが低下しているのではない。エネルギーが満ち溢れているけどそれが鬱積した状態なんだと言われる。無気力では無いのだ。


そこからの脱出は、カチカチに固まった心を和らげる為に最初は「よろこびノート」をつけ、次に「悲しみノート」をつけ感情の起伏を呼び起こした。


しきりに「今の時代は鬱の時代」と言われる。


そうかも知れない。経済成長期は躁の時代。


あの頃から比べるとまさに鬱の時代であり、今の時代を生きる人間も隣を見れば「うつ病」


五木さんの作品で言うと「凍河」


そして、憂いを帯びたこの時代を遊行することこそ大事だと話された。


作家でいてまるで「僧」のようによどみなく話されると「そうだ」とうなづかされる。


龍谷大学で学ばれ僧籍ももたれていると聞いたことがある。


「親鸞」を書くに至ったのもこんな思いで「他力で引き寄せられて書けと言われたので書く」と、一年間の連載もあまり「苦」ではない様子。


こんな話を聞くと明日からも又楽しみになった。<o:p></o:p>


80歳近いお年で世界を股に遊行される五木寛之さん、益々持って魅力的だなあ。




五木寛之

2008-09-26 | 未分類

9月から新聞連載が始まった五木寛之「親鸞」


毎朝、この連載を楽しみにしている人は多いだろう。ご他聞に漏れず私も、もう一つの重松清さんの連載と共に朝の楽しみのひとつである。


親鸞そのものにも興味があるがやはり書き手の五木寛之さんの魅力も大いにある。


私が始めて五木寛之さんを知ったのは本屋でふと手に取った本からだった。


当時、一世を風靡した「青春の門」は映画になり本も瞬く間にベストセラーになった。


私は「青春の門」はあまりに激しい描写なので、ほのかな色気、未知の国ロシアと金沢が舞台になった「朱鷺の墓」が好きで全巻買って読んだ。


当時は向田邦子、澤地久枝など女性作家が好きだったが五木寛之さんの文章はとても読みやすくてどんどん引き込まれていった。


小説の舞台を勝手に膨らませ金沢に旅して本の世界を体感したり、不覚にも友人と金沢の町を五木寛之さんを探して犀川のほとりやJRの駅を散策したりした。


40代になって広島に講演で来られると聞きすぐに申し込んだ。


今は閉鎖した「朝日会館」一番前のかぶりつきで身じろぎもせずに聞いたが内容はとうに忘れた。


印象はふさふさと豊かな髪(もう白かったような)と大きなめがねの奥の黒い目。


今朝の、話すトーンも当時と全く同じ。


私はその後「四季シリーズ」を出版されてこれはあまり面白くなく「軽々しく」感じたので長く彼の本を読むことは無かったが今日の話だと「朱鷺の墓」も「青春の門」もそろそろ完結編を書かれるそうだ。


<続く>


 




今日で二回目

2008-09-24 | 未分類

先週から「音訳ボランティア講座」に通い始めた。


リタイアしたら是非したいと思っていたこの講座、3度目でやっと受講できるようになった。


以前は朗読ボランティアだと言う名前だったように記憶していたが、授業を受けて本質的に全く違うものだと言うことに気付かされた。


私の貧相な知識の中では「本や新聞などを朗読、録音して目の不自由な人に聴いていただくのだと思っていた。


なぜ講座を受けなくちゃボランティア出来ないんだろうと思っていた。


初日、目からウロコの講義を聴いて自分の無知に顔を覆いたい位の恥かしさを感じた。


朗読とは読み手の側の読み方、読み手の意思が入ったり、時には演劇調に感情移入もあるかもしれない。


しかし、このような読み方だと視覚障害の方にはとても聞きづらいのだそうだ。


最初は聴いても二度三度と聞かされると「No Thank you」の方もいらっしゃるそうだ。


聴いている人は同じ文章でも感性の違いから読み手と別のことを思い浮かべるかもしれない。


確かに。顔も思想も人間性も違う他人にどれだけ正確に伝えられるか・・・真剣に取り組まなければとても伝わらない、大変な作業であることは間違い無い。


これはボランティアの基本精神にも当たると思うが「誰の為の行為なのか」と言うことを強調された。


一冊の本を作者が書いた通りに聞く人に伝える。そして聞き手が喜んで下さればボランティアはそれを喜びとする。


ただひたすらに「黒子」に徹するのですよ」講師の方はこう強調された。


その為にはまず共通語をマスターするのが望ましい。


★腹式呼吸 ★発声 ★アクセント などの訓練をして聞き取り易い言葉で読めるようになること。


どんな小さな発声の間違いも無いように厳しいチェックがなされ利用者に届ける。


一同毎回ため息交じりで訓練に汗だくになっている。


アエイウエオアオ カケキクケコカコ 仕事柄この訓練は随分して来た積もり。


でも、どんな少しの間違いもきちんと指摘され繰り返し訓練をする。


この訓練を繰り返す度に自分の安易な思い上がりがグラグラと音たてて崩れる。


でも、良かった。こんな事も知らずにボランティアだと思っていた私にはいい薬だ。


今日はちょっとしたテストがあり自信満々だった自分にこれも知識の無さを暴露してしまった。


なので、皆様にも問題をお出しします。


間違っても全問正解でも懲罰はありません。マスコミ関係の方は強いでしょうね。


読み方を書いてください。


1、睡眠不足


2、過不足


3、見巧者


4、津々浦々


5、幅広


6、共存


7、残存


8、現存


9、重苦しい


10、換算


11、合板


12、相好


13、脊椎カリエス


14、万灯会


15、軍配


16、黙示録


17、西方・東方


18、天の河


19、返り咲き


20、子福者


はい、以上です。今日は真面目でした。




クスッと笑う

2008-09-23 | 未分類

  


ナンバンギセル


皆さんに心配かけるような記事を書いてコメントのお返事も書かずにいたら友人から電話がかかりました。


「コメントの返事書いてないからまだ寝込んでるのかと・・・」


頭は少々ぼんやりしてはいるものの今朝は早朝に目覚めた。


もう少し眠ろうとベッドにもぐったら心臓がドキドキして眠らせてくれない。


自分で自分に問う。「あなた起きたいの?」


よっこらしょと起きたけど食事には早いので椅子に腰掛け足を伸ばすと心地よい風がすぅ~と吹いてそのままうつらうつらと余韻を楽しむ。


まだ万全の体調ではないと自分の身体がささやく。


娘が言ったように「したい事だけして過ごす」


  


朝食を準備してもらって久しぶりに朝ドラを見た。


一年中欠かすことの無い朝ドラ、もうすぐ終わっちゃうんだね。


頑張って朝食を食べたが食べた後がきつい。


げっぷが出たり、お腹が張ったりもたれたり下腹部が痛んだり。


酷い時は吐いたり下痢したりだったがここ数日で随分改善した。


こう言う症状が心が不安定になると決まって起こってくる。


それに口の中が苦くなるのが特徴。



宮本常一さんが寄贈された石(ほとけばら遊園)


数年前に始めてこういう症状が起きた時にはパニックになった。


それも数年かけて徐々に付き合ってこれるようになり、最近は数日でケロリ、何てことになったのだが・・・。


今回も二人の友人に助けられた。


ドライブに誘ってくれたり、ハーブの花束や野菜などを持って駆けつけてくれたり・・・。


今回は強力な助っ人、娘が近くに越してきたので時間を見つけてはチョコッと顔を出してくれる。


この3人に助けられやっとベッドから脱出。


そこへ、一通の手紙が舞い込んだ。


絵手紙教室の仲間からだ。


分厚い手紙を開けると大きな和紙に墨で文字がいっぱいに書いてある。


「ナースの吉本さんちの猫 


          下痢をしてトイレが間に合わない。


                  猫の話で今日も盛り上がる」


これだけが大きな字で書いてあるのだけれど、私は全てを飲み込んで思わず「クスッ」と笑った。


彼女の家にはいつも絵手紙のモデルになる猫がいる。だから当然猫の話題は多いのだ。


笑って裏面に何やら書いてあるのを読んでありゃりゃと思った。


「私は今うつで絵が描けません。10年可愛がった猫が死にました。気分転換にあなたに会おうと教室に行ったのにあなたが休んでいてがっくりしました。」


お気の毒だけど私だけ笑わせてもらってありがとう。


早く元気になって私も彼女に「あはは・・・」と笑える絵手紙を描こう。


少し元気が出てきてブログの返事を書く時、皆さんの顔が浮かんだ。


ネガティブな事はなるべく書かないようにしようと思っていたのにすっかり心配をかけてしまった。


励ましの言葉本当に有難うございました。


気にかかっていたナンバンギセルがススキの根っこで密かに咲いていましたのでUPして見ます。宮本常一さんの石についてはこの庭が色づいた頃に見ごろをお知らせします。




もう一度八幡高原

2008-09-21 | 未分類

体調の優れない私を友人夫婦が連れ出してくれました。


先日行った時と別の所を散策して今度は「トリカブト」「フウロ」「アケボノソウ」などを見た。


今回は湿地だったので中へ入れず見るだけのものもあったが次から次へと秋の花が咲き始め見ごろだ。


中高年のアマカメラマンが懸命に花と向き合って湿地も賑やかです。


 スラドショーはこちらです。


 




父の法要・八幡高原

2008-09-16 | 未分類



 


日曜日、兄の家族と父の33回忌法要をしました。


私達にとっては父の法要はこれで最後になります。


孫、ひ孫に囲まれての暖かい雰囲気での法要に父も安心した事でしょう。


67歳と言う若さで逝った父には改めての思い出はあまり無かったのですが折に触れ貴重な言葉を残してくれたと感謝しています。


性格的には派手好みだったのか私の洋服はいつも父がチョイスしてくれ、いわゆる「小豆色」今で言うとショックピンクに近い色が好きだったのか小さい時の服は殆んどこの色です。


自身も凄いお洒落さんでいつも澄ましこんでいたのを覚えています。


三人兄弟の末っ子として親に寵愛されたと母に聞かされていましたが、成績も優秀で父の自慢は「津和野から呉海軍工廠に入れたのは二人だった」という事です。


軍需産業に従事していたので戦争には行きませんでしたが戦火を免れて津和野に帰ったそうです。母からは当時飲み代ばかり払わせられて生活が大変だったと聞かされました。


私のおぼえている限り休みの日はパチンコに自転車で行っていたのを覚えています。


そして凄いヘビースモーカーで夜中にタバコ屋さんを起こして買ったこともあります。


そして何故か「しつけ」には非常に厳しく「○○箸」や食事のマナーに関しては無言の圧力がありました。


言葉は柔らかく、決して怒る事も無い父でしたが結婚時に一言「お前が我慢できなくて帰ることがあっても決して家に入れない。何故かと言うと相手の家庭(両親・夫)は申し分の無い家庭だから帰るということはお前のやり方がまずいからだ」


末っ子でわがままに育った私がどんな事があっても「実家に帰る」とか「離婚する」とか言わなかったのは不思議だと友人に言われた事があるが父が逝った後もこの言葉が心にあってそういう安易な道に走らなかったのはありがたいことだと思う。


私もそんな父のいい所だけを見習って年を重ねたいと思うがざわざわとした心が動きまだ当分は父の境地に行きそうにない。


連休、「マツムシソウ」や「キツリフネ」を探し八幡高原に行ってきた。


ゆっくりと時間が取れずあれもこれも写したかったが大急ぎのドライブでチョコッとです。


久しぶりにスライドショーにして見ました。




断水!雷?

2008-09-13 | 未分類

昼ごはんを食べて休んでいると「ゴロ!」「ピッカーン」と、変な雷の音。


大急ぎで電源を切り外を見ると何だか暗くなって雨が降り始めそう。


私は買い物もパソコンも休止してベッドで少し眠る事にした。


ぐっすりと眠って目が覚めると外は少し明るい。


不覚にも私は朝の午前5時だと勘違いして夫のベッドに姿が無いので驚いて起きた。


夫は居間でパソコンをしている。


不可思議な顔をして突っ立っている私を見て「インターネットも不通になった」と言う。


やっと自分の置かれている状況を思い出し「今日はまだ土曜日だったっけ」と言うと「午後2時頃雷がなってその後眠ったから2時間少し昼寝をしただけ」だと言った。


そうか、今日は何処にも出ていないから出かけようとゆうさんの所へ肉と卵を取りに行く事にした。


お化粧をしていると夫が慌てて走り回っている。


「トイレが断水だ」


台所の水道をひねると弱弱しく水がしたたり止まった。


「う~ん、雷がどこかに入ったのかなあ」と、フリーダイアルの管理会社に電話。


「私達はこれから出かけますがうちの階は在宅している家庭はすべて断水状態ですからたぶん全戸だと思います。連絡は留守電でいいのですぐに業者に連絡してください」と言って出かける前に理事長さんにも事の次第を報告した。


理事長さんは断水になったことも知らず水道をひねって驚かれていた。


ゆうさんのところでくんちゃん卵と肉を受け取り運動を兼ねてスーパーに買い物に行った。


もう7時を回っている。帰宅しても断水だと食事の支度も出来ない。


夕食は食べて帰る事にしてお店の中をグルグルと歩いて運動。


8時ごろ帰宅すると数社の車が止まって4~5人が点検している。


エレベーターに乗り込もうとすると降りてきた人がポリタンクを持っていて驚いて聞いた。


「ありゃ、まだ断水ですか?」


「いいえ、一応出始めましたよ」


帰宅して留守電を聞くと「水は現在一応出ています」と言う内容。


台所の水道をひねると出てはいるが元気が無い。


先ほどから出たり止まったり・・・。


いざと言う時の為に近くに娘が来たのでそこへ逃げようと言うことにして今夜は飲み水の確保だけして寝ようと言うことにした。


こんな時、普段の私の散歩の情報が役立つ。


一番近くの公共のトイレは近くのスーパーのトイレ。ここは24時間営業でトイレは駐車場にあり、洋式トイレも完備している。


お昼だとすぐ裏の公民館や駅など。


それにしても、一人暮らしのお年よりの方の名前と部屋番号を聞いておけば良かったと悔やむ。


その方の話だとこの地元の人で息子さんが時折車で迎えに来られるのを見たので多分大丈夫だろうと思っているが水を買いに行けない人やトイレの事で困っている人がいるのでは無いかと少々心配だ。


それにしても、雷で停電は聞いたことがあるけど断水は珍しい。


今回も管理会社の手早い連絡で早く来てもらうことが出来た。


まだ完全復旧していないので工事の人は待機している。


早く原因を突き止めて復旧して欲しい。


明日は朝早く花の写真を撮りに行くことにした。


こういうときは一時避難。すたこら遊びに行くに限る。




優雅な1日

2008-09-10 | 未分類

毎年夏の終わりに昔の仲間4人で「鮎」を食べに行く。


今年は暑くて呼びかけるのが遅くなり、もう終わった店や水曜日の休みなどでどうしても予約が取れない。


それではと、この間行った「鄙の料亭」に行こうと予約を入れた。


希望の時間が満室、仕方なく13時の予約をした。


友人が「折角だから宮島に行かない?」と言うので「そんな悠長な時間はないから私がセレクトした場所に行きましょう」と、朝早めの出発をした。


私のお勧め「海の見える杜美術館


ここは宗教法人の運営ながら日本画の収集を沢山していて絵を見に行ったり、少しづつ充実してきたお庭を散策したり、美術館に続くカフェからの眺めを楽しんでいる。


この美術館の前身の施設とは現役時代に少し縁があり一度だけここで忘年会をした事がある。


その年は各課での忘年会は取りやめ、全社員参加の忘年会だと言う。


お迎えのバスが来て乗り込んだらバスは山の中をどんどん登り、異様な道場のような施設が見えてきた。


女性社員は「怖いよ怖いよ」と言いながら漆黒の森の中を歩いて講堂の中に入った。


社員全員が輪になって並んだ所へ作務衣姿の男女が無言でお料理を運んできた。


異様な雰囲気で一同シーンと静まり返り乾杯はしたが誰もひそひそ話しで盛り上がらない。


お酒は出たがあまり飲む気にならない。


飲んだところで全く酔わない。


お料理を運ぶ寡黙な作務衣の人が気になり食も進まない。


その内誰かが「トイレに行きたい」と言い始め「私も、私も」と、みんな我慢していたらしく一群になってトイレに行く事にした。


トイレまでの廊下も暗くて寒い。


身体を寄せ合ってトイレに着くと何と木製の暗いトイレ。


みんなが入り終わるまで見守って帰りも一群で帰る。


その時、台所のようなものが見え寡黙の男女が言葉もなく黙々と働いているのが見えた。


噂話をするとまずいような雰囲気で私達も言葉も無く立ち去った。


誰とも無く帰り支度を始めて私もほっとした。出口に行くと乗ってきたバスが待っていて乗り込もうとすると誰かが「この先に美術館があってそりゃいいものがあるそうだよ」と言った。


何人か勇気のある人が森の中を見に行ったが私達は早く光の輝く場所に帰りたい一心だった。


寡黙な作務衣の人たちに送られ帰途に着いた時誰かが大声で言った。


「行き先は流川じゃ~」


やっとバスの中に笑い声が響いた。


この経験が頭にずっとあって長く行く事が無かった。


今は雰囲気も人間もすっかり明るくなって見間違えるくらい。


仏教系の宗教法人だと言う事しか知らないけどどうしてあんな所で忘年会をしたのかいまだかつて知らない。


今日も明治大正、昭和初期の日本画の作品が展示してありゆっくりと楽しむことが出来た。


その後の「鄙の料亭」も食べきれない位のお料理で友人二人も大喜び。


最後は我が家で「ティー」お腹も心も満腹の1日。


明日はPC教室の食事会。


食べ歩きはちょっと苦手になった私、おしゃべりを楽しんできます。




吾妻山

2008-09-07 | 未分類


昨日行くつもりで出発したが、高速道に入る前に危うくETCに入り損ねそうになったり、30分しない内にこっくりこっりし始め運転事態が危ういので「今日は疲れてるみたいだから運転は危ない。やめよう」と、高田インターで下車。


「神楽門前」に行ってお茶を飲もう、と言うので黙って見ていると、今度は何だか方向違いの方に走る。


随分走ったが一向に「神楽門」は見えない。


こういう時に口を挟むと怒り出すのでだんまりを決め込む。


あっちへ行ったりこっちへ行ったりする内に見覚えのある山道に入った。


どうやら千代田に抜ける昔の道らしい。うっそうとした山に入ると突然雨が降り始めた。


写真を始めてから山野草に興味が沸き咲いていそうな場所を見つけるのが上手になった私急カーブで「ツリフネソウ」の群落を見つけた。



あまり珍しくないが私はこの花が好きだ。


「キツリフネ」と言う黄色の種は珍しいが一度だけ友人を連れて行った事がある。


友人は嬉々として見に行ったがそこは車一台がやっと通れる場所。私は離合場所でじっと待った。


その頃は元気いっぱいだった私、いつでも見れると思い見なかったが今年はご機嫌のいいときにそこへ連れて行って貰おう。


こんな時代だからもう愛好家に根こそぎ持っていかれたかも知れない。


道に迷ったのだからこのくらい、と車を止めて雨の中をあちらこちら写した。



暗い森の中鮮やかなピンクが際立って可愛い。


何だか疲れたドライブだったので今朝は朝食を済ますと蒸し暑さに追い出されるように「リベンジ吾妻山」に出発。


所が庄原インターを出て西城まで順調にドライブして「今日は上手く行ったねえ。コンビニでお弁当を買って山で食べよう」と、カーナビをセットして出発した。


途中から雨が降り始め、土砂降りになった。


気が付くと「三井野原」スキー場まで来てしまった。


カーナビをたどると島根県経由で吾妻山に行くようにセットしてある。


いやいやいくらなんでも島根経由は無いよと引き返し「県民の森」でお弁当を食べることにした。


土砂降りの雨でずぶぬれの登山者が続々と降りてくる。


何年ぶりの「県民の森」だろう。


子供達を連れて毎週毎週登山をしていた。


毎回義父母に「毎週遊んでるのはこのあたりではお前らだけだ」と、怒られても怒られても夏は登山、冬はスキーに出かけた。


リスのように飛び跳ねながら登る長男、まだ足がおぼつかないような娘の手を引いて三瓶、大山、石鎚、信州の山、富士山はドライブに終わったがどの山にも思い出がある。


そんな私達が山の中を何時間もウロウロ・・・と。途中見覚えのある山道に出た。


やっと吾妻山への道を見つけレストハウスに着いたが雨が止みそうに無い。


それでなくても風が強い所なので吹き飛ばされそうだ。


少し歩くとマツムシソウやカワラナデシコなどの花に出会えるが今年は吹き飛ばされて怪我をしかねない。


雰囲気を味わって帰り道のツリフネソウを楽しむ事にした。


帰り道に二人で思い出した。


あ!お弁当を買ったコンビニを左折じゃなくて直進だった。


やれやれ、じじばばのドライブ、来年はどうなりますか。




こんな事あるんだ

2008-09-06 | 未分類

今日は珍しく午後休みを取って帰った夫に病院に連れて行ってもらった。


思ったよりも早く終わり、病院の裏にある「生協」で買い物をしながら夫を待った。


夫は10分であっても「待つ」と言う事が嫌い。


私を降ろすとさっさとどこかへ消える。


しかし、この病院は裏手に大きな生協があり、そこで買い物が出来るので大助かり。


夕食の買い物を済ませ出口に行くと懐かしい人に会った。


大昔の20代の頃、労働運動華やかな頃彼はとある労組の役員としてであった事がある。


誠実で穏やかな彼は後輩にも慕われ、その職場にも良く遊びに行った。


私より少し年上の彼は指導的な立場にありながら勉強熱心だった。


昔のままの顔で頭や眉はもう真っ白。目を合わせた途端「身体はどう?」と近寄ってこられた。


夫も懐かしそうに挨拶をしている。


きっと誰かに病気の事を聞いたのだろう。


お互いに近況を話し合ってわかれた。


荷物を載せながら「あの方は昔も今も誠実な人だねえ」と話しながらそろそろ車を動かしていると向こうから大手を振って「さよなら」と言っているのが見えた。


私は頭を下げて通り過ぎようとした。


その時「元気でね・・・」と、傍にいた奥様の声がして振り向くと「え~~~」としか言葉が出なかった。


彼女はとても良く知っている人だったが彼の奥様だと言う事は知らなかった。


何処の会社だったかは覚えていなかったが色んな所でご一緒していた「仲間」


「あの二人は夫婦なの?」「あたり前、しらんかったの?」


知っていれば積もる話はいくらでも合ったのに。


それにしても、何十年もお二人が夫婦だったとは知らずにいました。


向こうは私の驚いた顔を見てどう思われたのでしょうね。