初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

運命の人

2012-02-28 | 日記

山崎豊子原作「運命の人」の視聴率がUPしているそうだ。

個人的に昔から山崎豊子の作品は好きで過去の作品は殆ど読んでいる。

最近では「大地の子」以降発刊されるとすぐに買って読む。

殆どの作品が一気に読めるほど読者の心を知り尽くして書いていると言うのが判る。

最近、80代になって書いた自伝的な本を読んでみると彼女の作家としての考え方が「なるほどな」と納得できるようになった。

彼女の出発は新聞記者で上司は「氷壁」を書いた井上靖さんだ。

井上靖さんはやはり私の好きな作家で中学か高校で読んだ「氷壁」が一番好きで端正な文章を書かれる方だ。

上司として山崎豊子さんの指導をされ「作家になってみないか」とアドバイスして新聞社を辞めて作家に転身した。

後を追うようにして山崎さんも退社して作家デビューしている。

井上靖さんが山崎豊子さんに徹底して指導したのは「調査」だった。

一冊の本を書くのに構想から調査にかかる時間は膨大で随分年数をかける。

大地の子も中国の指導者から直々に入国を許可されて調査や取材したが最後は指導者が変わり入国も出来なくなったと書いてあった。

が、一方で「盗作」がささやかれもする。

裁判沙汰になったこともあるらしいのだがこれは真相をよく知らない。

だが、80ウン歳の彼女が言うには「調査は徹底してやる」だが「私は作家だ。事実だけで描いてもそれが読む人にとって面白く読みごたえが無いと小説とは言えない。どういう風に読み手の心をつかみ展開するかは私の書き方で決まる。」と書いている。

「運命の人」は勿論実話に基づいている。

私の世代の人は少なからず事件については耳にしたことだろう。

私は本が出版するのを待ちかねて本屋に走った。

読みながら実在の総理「佐藤栄作」のあのブルドックのような顔を昨日のことの様に思いだし不愉快極まりない思いをして読んだ。

そして、その裏で暗躍した「佐藤道夫」や「ナベツネ」こと「渡辺恒夫」国会議員の社会党横路氏やバクダン男と言われた楢崎弥之助氏も容易に判った。

あの当時「沖縄返還」一色だった私達世代や先輩は警察権力によって逮捕された人もいたのだ。

私も宮崎まで行き日本中の若者たちと集会をしたりデモをしたりした経験がある。

それでも最終的に国家権力の前に手も足も出ずアメリカの思うような結果になってしまった。

山崎さんも本来はこの密約問題が書きたくて最後の作品にと取っておいたのだと書いている。

それは自分の出発点が「新聞記者」だったからだと。

しかし、事実だけ書いたのでは小説にならない。そこに読者を引き付けるものを書いてこそ「作家」だと言われる。

だから、ナベツネさんが怒ったり、当の西山記者も「TVや本には事実に無いことが書かれているので見ない」そうだ。

私が知らなかったのは西山記者の上司が政治評論家の三宅久之氏だと言うことで意外だなあと思った。

最も気になる外務省の蓮見喜久子氏(?)でしたか、彼女は今生きているのか、どうして国家権力の思うがままに行動したのかが聞いてみたいなあと思う。

余りにも自分を守り過ぎてあのような行動をしたのか、何ら考えも無しに検察の言うがままになったのか哀れと言えば哀れだ。

誰も こころから彼女を守ってくれる人はいなかったのだろうか。

今の日本があの当時と何ら変わりなくアメリカの言うがままになっているのはこの事件の真相を下半身問題にすり替え国民を騙し続けたからに他ならないと思うのは私だけだろうか。


エンディングノート

2012-02-17 | 勉強

午前中公民館の「エンディングノート作成講座」に行ってきた。

数年前から友人たちと「パソコンで作ろう」と話していたので友人と一緒に勉強に行った。

指導されたのは地元の行政書士さんで41歳の女性。

今回は女性ばかり20人、大人気で二倍の応募があったとか。

実際学んでみると女性は経済的な面で自己の資産はあまり保障されていないと思うことが多い。

私の資産としては年金や貯金以外は自宅を含め夫の名義になっており書き込むことが出来ない。

行政書士さんからは「自宅購入に際し奥さんが拠出したものははっきりさせておいた方がいいですね」とアドバイスされ、資産化するようにとの事でした。

数年前、私がエンデンィグノートを作ろうと思い立った時はネット上にはあまりモデルが無くやっと見つけたものはあまりにも「くどく」て作る前から投げてしまった。

そういう人は多いらしく「その為に超簡単なモデルを作った」のだそうで残り1時間で記入できる所は記入して取り掛かったのだがこれは法的な拘束力は無いにしてもやはり重いものだと思った。

選択を迫られると言うか無責任な選択はとてもできないと思うのです。

人間、他には結構厳しいけど自分の事だと甘くなりがち。

私はそれぞれの親を見送った時、その後にも随分悩まされしんどい思いをした。

だからこそ私の子供達には苦しい思いをさせたくないと言う思いが強い。

これから本格的に悩みつつ紙面を埋めなくてはいけない。

自分自身と向き合い、どういう風に生き、どういう風に逝きたいのか決定しなければいけない。

私は見本にもう少し書き加え自分らしくしたいなと思っている。


気詰まりな一日

2012-02-05 | 家族

娘の長女が木曜日から高校受験でした。

木曜・金曜が試験で昨日土曜日が発表でした。

発表は4時、夫は数日前から「俺も行く」と言っていましたが私は「行かない」と言いました。

我が子の受験にも殆ど関わらなかった私。

娘が東奔西走するのを見て「大変だなあ」と思っていました。

結果は「桜散る」でした。

でも、決してどうでも良い訳でなく受かればいいと思っていました。

が、息子が同じ学校を受験した時とあまりに様子が違うので時折アドバイスはしていたのですがやはり勉強の仕方がちょっと違います。

息子が最初にアドバイスしたのは「塾で自宅学習の仕方を教えて貰えるので基本自宅でみっちり学習することだ。そうしないと学力がつかない・・・のだそうです。

私も夫も勉強は大嫌い、学閥も大嫌い、変人の我々夫婦は「勉強するほど馬鹿になる」と信じ切っています。

どうして今でもそれを信条としているかと言うと、お互いが独身時代に遡ります。

まだお付き合いもしていなかった頃、とある中学教師の講演を聞いたのです。

細かいことは省きますが「人間勉強するほど馬鹿になる。賢い人間を育てようと思えば郊外、もしくは田舎で子育てをした方がいい。広島市の統計で見ると学力の向上は郊外に行くほど上昇傾向にある。自然豊かな所でゆったりと育てれば賢く育つ」

この先生の人間性に惚れ込んだ我々二人が結婚しようと決めた時にお互いにこの一点で非常に盛り上がり子供が生まれたら田舎に帰って育てようと決心したのです。

市内まで2時間30分バスに揺られ半日勤務をして又2時間30分揺られて帰り、その足で保育園に迎えに行き食事を作って家事をする、大変な日課でした。

町内でも有名な厳しい舅、姑に叱られたりする日もありましたが「田舎で子育て」の信念がある限りちっとも苦ではありません。

当時は雪の量が半端でなく朝一番のバスに乗っても途中雪でスリップした車の為渋滞し職場に着くともう終業時間になっており勤務担当管理者に「遅刻するな!」とどなられたことも。

しかし、私の担当課長は「初ちゃん、俺がカードを取って待っているから勤務担当の所へ行くな」とかばってくれ、私は嫌な思いをすることなく仕事が出来ました。

当時の所属課は皆同じような子育ての人ばかりなのでお互いにかばい合い結束が強く今でも仲良くしています。

その後もう少し近い職場に転勤したのですが息子が中2の時又しても元の職場に転勤。

田舎にいたので学力がついて行かれるかなと心配して友人の紹介で小さな塾に行かせることにしました。

それまで勉強らしい勉強はしていなかったので大丈夫かな~と心配していたのですが夏休みが終わっても「行かせてくれ」と言うので友人にすべてお願いしお任せすることにしました。

成績はぐんぐん上がり勉強が楽しくなって行ったようです。

聞くところによると同じような学力の子が10人ほどいて毎月その順序が上がったり下がったりお互いが切磋琢磨していたようです。

夏休みも先生がその子たちを連れて山で合宿したりとても楽しそうでした。

高校受験の時になりあの小さな塾から灘校、ラサール、愛光(?)、など私も知っている有名校を受けに連れて行きました。

息子もラサールや四国の愛光(?)など連れて行って貰ったのですが勿論受かるはずは無かったです。

殆どの子は修道校、付属へ進み受験はあっという間に終わりました。

一年と少しでしたが勉強の仕方、楽しさを教えて貰ったようです。

息子は今でも勉強を続けています。

修士しか行かせなかったのにいつの間にか自力で博士号を取っていました。

塾も色々あるけど息子の場合は本当にいい先生に巡り合えたのだと思います。

孫の場合は残念だったけれど「悔しさ」をばねにして次を目指してくれればいいなと思います。