昨日の雨は寒くて暗い。
なのにお弁当を持って田舎の家に行った。
電気ポットにいっぱいの湯を沸かし、インスタント味噌汁をすすると身体が温まった。
のりを播いたおむすびは梅干と辛子明太子。
これだけでいいと言うのだけど私は「おかず」が無いと食べられない。
タッパーに冷蔵庫の残り物を調理して詰め込み食べると少し遠足気分で美味しい。
二人で顔を合わせて「何でこんな寒い日にお弁当を持って薄暗いガレージでお弁当食べるんやろう?」
「これからは遠くに遊びに行くのもしんどいからこうして遠足気分で弁当を食べるのも楽しいし、お金がかからなくていいじゃん。」と、夫は意外と満足げ。
私も嫌じゃないけど兼業農家として作った家の作りになじめず大きなごみは処理したにもかかわらず農具などがまだ所狭しと出ていて落ち着かない。
二階の窓は障子が破れていたので全部剥いだら何と空き家だと言うことがバレバレの様相を呈してきた。
家周りの草も私一人じゃとても間に合わず取らないうちに枯れて来ている。
近所の建設やさんからは改装の誘いがあるし、郵便受けには「空き家バンク」の登録の誘いが入っている。。
治すべきか取り壊すべきか毎回悩みながらのここ数年。
同居していた10年間も風呂、トイレ、玄関、など毎年改装して使いよくしてきたつもり。
でも、一旦人がすまなくなった家の傷みは早い。
宝くじが当たったらログハウス建てようと決まってはいるが・・・こればかりは・・・。
前回庭の悪い苔を剥ぎ取ったので庭は少しすっきりした。
飛び石にもべったりと苔や泥がついていたのも剥ぎ取って多少は綺麗になった。
小さな坪庭だが義父と共に作業した思い出が詰まっていて涙がこぼれそうになった。
義父も養子で随分辛い思い出があるみたいで過去の事はあまり喋らない人だったが歴史と政治が好きでよく話し込んだものだ。
私は話に着いて行くために「太閤記」「徳川家康」「織田信長」など10部以上の長編小説を仕事の合間に読んで話相手になった。
雪が降り始めるこの時期はいつも植木に「こも」を巻いていた。
ある日脚立から落ちて大怪我をした。
宿直で朝帰りの私を近所、親戚の人が大勢で待っていた。
聞くところによると頭を打ち安佐北区の病院に行くために救急車が待機して私の帰りを待っていたと言う。
私は義母に入院の支度をしてすぐに来るように伝え地元の病院に向った。
待合室に行くと親戚や近所の人がここも大勢来ている。
皆が口々に言うのを聞くと「頭を打っているので動いたらいけないと言うのに歩いてトイレに行くと言って困っている」との事。
町内でも有名な「頑固で煩い人」。人の言うことを聞くはずがない。
「申し訳ありませんが皆さん外に出ていただけますか?」と人払いして私は義父と向き合った。
「おじいちゃん、これから救急病院に行ってレントゲンを撮るまで動くとまずいんよ。これから救急車で行って入院になっても私の言う事が聞いて貰えないのならお見舞いには行けません。もし、言うことを効いてくださるのなら毎日仕事帰りに行きます。どちらか選んでください」と、言うと暫く考えて「ここでトイレをする。毎日来てくれるね」と、言った。
トイレを済まして病室から出ると周りの人が「どうして説得したか」と、口々に聞いたが今まで誰にもしゃべっていない。
勿論、私も一ヶ月毎日通った。
矍鑠(かくしゃく)とした義父のイメージのままあの世に行ってもらった。
庭仕事をしながら「おじいちゃん、あの時は生意気な嫁の言うことをよくぞ聞いてくださったね。ありがとう」と、心の中でわびた。
あの頃の義父の年に近くなり始めあの時の義父の思いがわかるようになった。
家に帰り、夫にその事を話すと「へぇ~そんなことがあったん」と、驚いていた。
「実るほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな」この格言、息子にもいつも口癖に言っていましたが本当に「偉い」人は頭が低いものだと今更ながらに思います。