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初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

平 幹二郎さん死す

2016-10-24 | 市民劇場

広島出身の平幹二郎さんが亡くなられた。

TVでも活躍されていたが舞台も精力的に活躍されて近々には市民劇場で昨年鑑賞したばかり。

私はたまたま市民劇場の演目を決める会議に友人と出席し「平さんはご高齢になられたので早く見ておかないと残念なことになる」とみんなの意見が一致して決定した。

会議は2~3年前だったが「王女メディア」は若い頃映画を見てとても感動したので役員でもないのに必死で推薦した。

映画はメディアにオペラ歌手のマリア・カラス。

ギリシャが舞台なのでマリアカラスの容貌はピッタリ。

それに美しい歌声は映画館を出てもうっとりと家路についたのがごく最近のような感情を覚える。

私は長年もう一度見たいと思っていた映画の一つなのに平さんのおかげで良い舞台も見ることが出来た。

市民劇場や労音、映画サークルとお金を工面しては楽しんでいた時代は今の若者にはあまり理解できないかもしれない。

 

 

 

 


見上げてごらん夜の星を

2015-02-22 | 市民劇場

私世代の人は殆どが知っている「見上げてごらん夜の星を」と言う歌が生まれた時代の話。

若かった作詞家「いずみたく」の和製ミュージカルを生むための苦悩とその時代の若者たちの話をミュージカル仕立てにしている

「ミュージカルカンパニー イッツフォーリーブス」

私はミュージカル仕立てだと言うのであまり期待していなかったがどんな劇団であれ「プロ」のお芝居で期待外れのものは無い。

若い人たちが所狭しと歌い踊る。

勿論のことだが美しい歌声とのびやかな演技は爽やかさが残った。

いずみたくさんがこの歌を発表されたころ私も歌声サークルに入っていた頃かな?などと考えながら若かったころの思い出を振り返りながら観た。

1960年初演とあったからもっと前の話か。

定時制高校が舞台なのでぬくぬくと学生時代を過ごしていたわたしには貧乏とは言いつつも甘えた高校時代だったと思った。

時には喫茶に行ったり、うどんを食べに行ったり公立高校に落ちて益田市の私立高校に行った同級生の男の子たちと待ち合わせてバイクに乗って遊びに行ったりもした。

今ではすぐに「不良」と名指しされるようなこともあったがしていたことと言えばスキー場で走り回っていただけの事。

同級生の中には中卒で紡績工場に行った子が数人いたが聞いたところによるとその子の息子さんは現役で東大に入ったそうだ。

人間の一生何て地球の自転と同じようだが変化に富んでいる。

今回たまたま隣席に座った人が「あ!初ちゃんじゃない?」と言ったので驚いて顔を見たが名前も思い出せなかった。

「私、お隣の課のTです」と言われたら私もすんなりと下の名前が出てきた。

私は旧姓で久しぶりに呼ばれた。

大抵の人が今でも旧姓で呼ぶ。

12課あったので〇課の〇〇と言うふうに呼んでいたが今は再編でみんなバラバラどこで何の仕事をしていたのか判らない。

私はどうも死ぬまで旧姓で呼ばれ、「初ちゃん」で終わるみたいだ。

夫はいつも「旧姓で呼ばれ初ちゃん元気?」と声をかけられ「結婚して何年になると思ってるんだ」と、怒るけどよほど独身時代の私が強烈だったのだろう。


夢千代日記

2014-12-06 | 市民劇場

今日は前進座の「夢千代日記」でした。

TVの吉永小百合さんのイメージが強く、内容も少々忘れたところがあり新鮮でした。

重いテーマをじっくりと演じる一人ひとりの思い入れが伝わってきて暫くは涙が止まりませんでした。

劇中劇も本当に奇麗にまとまり、さすが~です。

今日は夫はOB会、なので珍しく娘の送迎です。

昨日、肉類が底をつきコストコで買ってきたお肉を娘の分を分けて私たち用はぜんぶ日付と肉種を書いてぺったんこにして冷凍。娘は袋にドサッでいいんだそうです。

私は最初は計ってからジッパー付に分けていましたが、今は150g~200g程度にいれすぐに冷凍して冷凍庫に持って行きます。友人の忠告で粉類のタッパーも冷凍庫へ持って行きました。

ちょっと奮発した肉、一緒に食べようと思ったけど私は市民劇場から帰るとシナモンブレッドを食べてちょっと足りないかな~とタイコン葉とじゃこを炊いていたのを新米の上に乗せてちょこっと食べておしまい。

夫は昨夜作ったキーマカレーを食べていました。

キーマカレーが食べたくなり野菜をガーと機械で切りミンチ肉と大量のハーブ類を入れてコトコト・・・。食品庫にずっと前に買ったトマトの缶詰も入れてコトコト・・・。

雑にしてもじっくりと煮るといい香りが充満して子供達には人気です。

昨日、娘たちの好物のクロワッサンが安売りなので買って帰りました。

私はシナモンブレッドを初めて買ったのですが美味しかったので娘たちが来た時に私の部屋に隠していました。

夫が「食べ物を隠しておくなんて珍しいねえ」と言う。

私は作ってもほとんど食べずに娘に持って帰って貰うからです。

今回はパイナップルも安売り・・珍しい。

夫はワインとチーズ駄菓子を良く買っていますが昨日は見つかりちゃっかりと食べられていました。

夫はOB会から帰ると「おい、娘が子供連れて離婚した」というやつが多いぜ。最近はどうしたことかなあ。と聞いたそうだ。

最近は子供の養育費とか決まっても最後まで支払わないそうだ。

友人の中には全く支払わない人もいて今どき(?)の男性の「父性」はどうなっているのだろうかと疑う。

我が家の場合もそうだが「もめない離婚」を目指しているそうだがもし、大学に行きたいと子供が言ったらその膨大な資金はどうするのだろう。

孫が「おばあちゃん、おじさんは東京の私大に入ったけどお金をどうしたの?」と聞いてきた。

私には一言も言わなかったが生活費は当時15万円。これは夫の給料から、ただ授業料はどう支払ったかいくらだったのか夫が支払った。

それは生前義父が「山を売ったお金は孫の教育資金にしてくれ。お前たちは使うな」と遺言したので引き継いだ義母から授業料は払って貰っていた。

考えたことが無かったが「東京の私学」何て受験するとは思わなかったので必死で貯めた学資保険でも足らなかったと思う。

私学に4年。大学院は国立に変わってくれたのでセーフ。

今思うと必死で行かせたと思うんですよ。

娘は専門学校に行くと情報処理などの専門を勉強しましたがそれは今とても役立っています。

孫が「じいじとばあばの山を売って大学に行かせて」と言うので「う~ん、山ねえ。じいじとばあばは老後資金と田舎の土地しか持ってないからお金はないねえ」と言ったが学資保険は我々が全額出したからそれで勘弁してほしいなあと思います。

男性でも「父性」と言うものがあると思うのですが子供のために・・・・という事は考えないのでしょうか。

子供たちの離婚。最近の親は孫の将来も考えないといけないのでしょうか?

 

今日の芝居を見乍ら、あの時代、環境にそんな甘い事言ってられないのになぁと思いました。

前回の山椒大夫も感動の舞台でしたが本当に「うまい」

お金が無いと言いながらやはり市民劇場は辞められません。

 


カミサマの恋

2012-10-08 | 市民劇場

あらすじ

まだそこここに雪の残る津軽。"カミサマ"遠藤道子のもとへは嫁姑問題、息子の受験、息子の結婚相手探しなどなど何かしら家庭の悩みごとを抱えた人びとがひっきりなしに訪れている。相談者の話を丁寧に聞いてやり、神様の言葉と適切な助言で心をほぐしてゆく道子は、近隣の人びとから信頼を集めている。そんな道子には息子として育てた銀治郎がいる。何年も連絡がなかった銀治郎がある日突然あらわれ、神妙な面持ちで道子に頼みごとを持ちかける。なにやら隠していることがある様子だ。そんな銀治郎を見守る道子の目には、むかし事故で死んだ婚約者の姿が重なって見えてくるのだった……


劇団民芸「カミサマの恋」を見に行った。前評判どうり期待を裏切らないパーフェクトな内容だった。

奈良岡朋子演じるカミサマとは今風に言えば「カウンセラー」

本来カウンセラーは自分の考えや思想も関係なく話し手の考えを聞きそのまま本人に返すのがプロ。

その為に多くの言葉を学び最もふさわしい言葉で返してあげるのが基本。

だが、今回の劇は畑澤聖悟さんと言う作家が奈良岡さんのために書いた内容だと言う。

彼は青森中央高校美術教諭で演劇部顧問と言うから驚く。

青森と言う地には「恐山」がありそんなものなのかなと思って行ったらセリフの中でとある信者が「死者を呼び出してくれ」と言ったら「それはイタコの仕事だべ」と言うくだりがあり変に感心してしまった。

かの地ではイタコとカミサマとはどうも仕事の内容が違うらしい。

しかし、呼び出せないことはないと死者を呼び出す場面もありなかなか発想が柔らかいんだなあと可笑しくもあった。

神がかりとは言ってもそこに人情が入り、お互いの人間関係をスムーズにするための仲介役としての存在。

カミサマとは言っても遠い昔恋に落ちたこともある。

が、その深く愛した恋人が事故で亡くなってしまう。

その結果カミサマの仕事をするようになった。

昔ながらの基本的な悩み、恋や嫁姑の不仲の悩みなどをカミサマの声を通じて解決していくコミカルだが心がほっとする内容。

最後に奈良岡朋子が息子銀次郎へ「ありがとう」と2回言うシーンがあったがその声のトーンのやさしいひびきと言ったらない。

思わず涙がほろほろとこぼれたが周りもみんな大急ぎでハンカチを探す人が多かった。

と言うことはここは見せどころだったのだろうか。

それにしても民芸のもう一人の代表大滝修治さんが千秋楽の日に亡くなられたのは何かの因縁だろうか。

最初から奈良岡さんは千秋楽が終わったらその足で東京に戻る予定だったが彼女もこの公演を最後にすると聞いていただけにもし引退なら残念だ。

すらすらとよどみなく繰り出されるせりふ回し、動きの軽さなどちっとも年を感じることのない舞台。

久しぶりに大感動の舞台だった。


川を越えて森を抜けて

2012-07-04 | 市民劇場

あらすじ

アメリカ・ニュージャージー州の小さな町に住むフランク(加藤健一)、アイーダ(竹下景子)夫妻。2軒隣には娘の夫の両親ヌンツィオ(有福正志)とエンマ(一柳みる)夫妻の家があり、孫のニック(山本芳樹)も祖父母たちの近くで暮らしている。毎週日曜日には、みんなでいっしょにディナーを食べる仲の良いイタリア系の家族だ。
ある木曜日、仕事の都合で遠くシアトルに引っ越すことになってしまったニックは、日曜日を待たずに祖父母たちに報告に来た。突然の発表におどろいたおじいちゃん、おばあちゃんたちは、ニックにシアトル行きを中止させるために“お見合い計画”を思いつく。
数日後の日曜日、いつものようにディナーにやってきたニックは、エンマの知り合いの若い女性・ケイトリン(小山萌子)を紹介される。シアトルに行くか、町に残るかを決断できずにいたニックは、ディナーの後、発作で倒れてしまう。
それから数日間、ニックはフランクの家で過ごし、今まで目にしたことのないような祖父母たちの姿を見る・・・。

先日、市民劇場で加藤健一さんの舞台を見た。

加藤健一さんは大抵アメリカやヨーロッパの古い時代の老夫婦を中心に演じることが多く、少し笑わせつつ泣き笑いの人生模様を上手く表現される。

今回は初めて竹下景子さんとの共演で楽しみにしていたが竹下景子さんのひょうきんでお料理上手なおばあさんに少々食われたようで面白い取り合わせだった。

舞台は孫のニックの語りが多く、ニックの演技は上手いのだけれど声のボリュームが無く私には「声を張り上げている」ように聞こえ聞きずらかった。

私の耳が悪いせいもあるが演劇には「声」もとても重要だ。

さすがに加藤健一さん、竹下景子さんはつぶやきであってもはっきり聞こえ、演技が楽に見える。

内容は孫のニックをいかに引き止めるかをユーモアを交えながら進行するのだが「本当の孫の幸せ」と、祖父母の「近くで見守りたい」感情が今の私にも当てはまって他人ごとで無く感情移入した。

市民劇場の観客も私世代が多くうなづきながら鑑賞されたことだろう。

孫の将来を祖父母の我々が干渉するなどもっての外だと思うが夫とは密かに「孫たちは近くにいて欲しい」と話している。

自分の子供にはそんなことは思ったことは無く本当に勝手なわがままだと思う。

しかし、時折「もっと世界に羽ばたいてほしい」と願ったり・・・結局今特に心配事も無いと言うことだろうか。

上の子が高校生になり、食事に連れ出すことも少なくなって夫も「さみしいなあ 」と、時折こぼす。

下の子供達も今は、塾やサッカーの送迎に忙しくしているが来年から中学生、小学高学年になり手が離れていく。

娘も仕事に少しづつシフトして行くのでその分家事を少し手伝ってあげたいと思っているがどの程度かを見極めるのは難しい。

私の母は私が退職して家庭にいるようになってもまるで「影」のように何くれと手伝ってくれた。

それがいいのかどうかは難しい判断だなあと演劇を鑑賞しつつ思った。

TVでしか見たことが無かった竹下景子さん、声の張りと言い老人の動作と言い加藤健一さんに負けないくらい上手でした。

「さすが!」と言いたいくらいの役者です。

今までは上品で綺麗な女優、だと思っていたのにすっかり「役者」で今回からファンになりました。

せりふ回しもとっても多いんですよ。でも、かむこともなくベテランの舞台は人を楽しませます。

アナログも時にいいものです。

お金と体力の続く限り通いたいと思います。