初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

青春のフォーク

2010-10-26 | 未分類
日曜日「はつかいち音楽祭」主催の「杉田二郎&因幡晃フォークコンサート」に行ってきた。
フォークと言っても時代ごとに色んな歌手がいて、私が一番好きなのは関西フォーク。
京都を中心にして活動していた高石友也や高田渡、赤い風船、泉谷しげる、岡林信康など。
杉田二郎さんは大阪万博で「戦争を知らない子供たち」を歌ったのが大ヒットして北山修さんや加藤和彦さん達と共にTVで有名になった方です。
もう一人の因幡晃さんは年代的にちょっと若く独特の歌唱力で、私はCDでしかお目にかかったことがありません。
二人ともしっかりおじさんになっていましたが、会場も同世代同志、懐かしい歌を一緒に歌ってきました。


戦争を知らない子供たち/杉田二郎 <object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" width="425" height="353" type="application/x-shockwave-flash" ><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/SB5Bdo901Sc"/><param name="wmode" value="transparent"/><embed src="http://www.youtube.com/v/SB5Bdo901Sc" width="425" height="353" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" wmode="transparent" type="application/x-shockwave-flash" /></object>

わかって下さい/因幡 晃 <object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" width="425" height="353" type="application/x-shockwave-flash" ><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/gBULjKlgNaA"/><param name="wmode" value="transparent"/><embed src="http://www.youtube.com/v/gBULjKlgNaA" width="425" height="353" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" wmode="transparent" type="application/x-shockwave-flash" /></object>



秋なのに・・・

2010-10-19 | 未分類
秋なのに・・・食べられない・・。

7年前、押し花教室の仲間と北海道の柳川昌子先生のアトリエに研修に行こうと申し込んでいた頃、下痢と腹痛に悩まされ随分衰弱してもう行けないと一度は断った。

まだ元気だった母が心配して来てくれ寝たきりで口から殆ど食べることが出来なくなった私に付き添ってくれた。

それなのに友人の迫ちゃんは「絶対連れて行く」と前日まで言い張り当日の朝になってしまった。

早朝、母に手伝ってもらい10人の仲間とマイクロバスに乗った時の私の顔は真っ青だったとあとで聞いた。
前日早めに床についたものの殆ど眠れぬままに朝を迎えたのだからそうだろう。

不安な気持ちで出発した私は空港で落ち合った迫ちゃんとあっという間に機上の人になった。

先生のアトリエは北海道美瑛町にあり、絵本の中から出てきたような教室は私達のあこがれ。
あっという間に羽田、乗り換えも車いすで私と迫ちゃんは又もやあっという間に旭川行きに乗り換え旭川上空から美瑛の風景を見ることに。

降り立つと北海道独特のあの解放感が目の前に広がり体中から元気が出てきたから不思議。
申し込んでいた観光タクシーさんの案内でお蕎麦屋さんに行くと急にお腹が空きはじめ恐る恐る食べた。
それだけで随分力が付き観光するときは自分でも想像できないほどてくてく歩き、夕方先生のアトリエに着くころにはすっかり元気になってみんなから「朝とは比べ物にならないくらい顔色が良くなった」と言われた。

お部屋はどの部屋もロマンティックなかわいらしい部屋ばかり。
私と迫ちゃんはトイレやお風呂が近い一階に陣取ってアトリエの外に広がるハーブやラベンダー畑を見に行く。
柳川先生からラベンダーを一人一束づつ摘んでくるように言われみな少女のようにはしゃいで摘んできた。

夕食はバーベキュー、私は持参してきた「おかゆ」を食べようと先生に言うと「そう~、でもせっかくだから少しだけ食べてみて。ご飯も私が特製のお結びを作るから」と言われ少しづつ箸をつけると食べられた。
先生が「ほら、これは地元のジャガイモ餅だから美味しいよ」とジャガイモ餅、鮭、ホタテなど食べた。

その夜、講習の後でお風呂に入る時、摘んできたラベンダーを手に持ってお風呂に入った。
二人づつ入り、都度お湯を抜いて贅沢なお風呂だった。
いい香りに包まれ前日寝ていない私はあっという間に入眠。
朝、起床と同時に便意が・・・。

怖いなあと思いつつトイレに行くと何とあんなに下痢で苦しんでいたのに下痢は止まっていた。
3日間、お腹も下痢もせずに私は目いっぱい楽しむことが出来大好きな柳川先生に手ほどきを受けたり、ハーブ料理を楽しんだりこの上ない幸せだった。

ちなみに次の日のお風呂はカモミールを摘んで入った。リンゴの香りいっぱい。

皆が畑に出ている時先生とお話をする時間が出来押し花を普段の生活に利用していることなど話していたら「そうなんだ~。色んなことに利用しているのね。嬉しいなあ。初ちゃん、これから頑張って先生の資格を取って活躍してね」と励ましてもらって迫ちゃんと二人大感激。

その時に教えてもらったレンズ豆のスープは今でも我が家の定番です。

優しい先生の笑顔に送られ帰広してからも下痢や腹痛はぶり返しはしたものの最悪の状態は抜け出ることが出来た。
消化器の先生が「ほう~、これは凄い。一か月位北海道にいると治ると思うよ」と笑われて小さな声で「これは心の病だと思うね」

はっきりと病名を言われなかったけれどネットで調べると過敏性大腸炎と言う病気に近い。
最悪の状態の時胃カメラを受けたが胃の中はこれと言った症状は無いと言われた。

その後、そのときほど酷くはないが時折繰り返す。
ピロリ菌の除去はしているので十二指腸潰瘍では無いと思うが痛くなると早めに薬を飲んでゆっくりするしかない。
今回はどうも法事の後の食事を食べすぎたのもあるかな?と反省。

食欲もりもりの夫を横目にじっと我慢です。
それにしてもストレスに弱い私の胃。
もう一度北海道に行くことも考えたり・・・じっと我慢の子です。

以前ホームページで公開したページです。



13回忌

2010-10-09 | 未分類
姑の13回忌をした。

私が病気で倒れたので親戚の人が1周忌が終わった後「これからは二人でお寺にお参りしなさい。親戚づきあいも無理をしないように」とアドバイスしてもらって、以後我々二人と私の母3人で質素にしてきた。

母が亡くなって二人でお参りしようと思ったら娘たちもお参りさせてくれと言ってきた。
それならばと毎週帰って家の掃除、庭の手入れをしたおかげで何とか今日を迎えることが出来た。

早めに帰り、仏壇に花を飾り、お供えをしてお墓用の花も綺麗にそろえて待った。

子供はなぜか仏壇が好き。
3人の子供たちが身を寄せ合うようにして手を合わせる。

そういえば3人とも義父母の事は知らない。
興味があるのは仏壇にお供えしている和菓子や果物のゆくえらしい。

時間にゆとりがあるのでお墓に先にお参りすることにして車で行く。
以前は三々五々だった親戚のお墓を数年前に一か所に集めた。
公園内の高台に代替え地を貰ったので車で横ずけ。

便利にはなったが殆どの家族は町内にいない。
我が家も長男は横浜。
もう広島には帰らないという。

お寺にお参りした時にご住職さんから境内に建てた納骨堂を勧められた。
以前、お墓のことで相談したら境内に納骨堂を建てる予定だと言われたが完成してすでに予約が入っているそうだ。

お寺は息子の同級生が継いでいたが彼は九州の大きなお寺に婿養子として行き、大学生の二男が継がれるそうだ。
長男さんとは大の仲良しでいつもお寺に遊びに行かせてもらっていたのでお参りさせてもらうといつも子供たちの話に始まり、枝垂桜の事、山野草の話と話しがつきない。

出されたお茶菓子も大はしゃぎでぺろりと平らげ子供たちは物珍しそうにお寺を探検している。

最近娘は法事の最後にお話しされる法話が気に入っているらしく今日も「お寺さんがお話されたことを長女が自分に当てはめて考えてくれればいいのに」と言う。
長い人生のうちで別世界のような静寂な場所で聞く法話は若い心にも響くらしい。

長男はあいにく10月に又もやトラバーユして今日は来ることが出来なかった。
本人いわく「最後のトラバーユ」だそうだがこれでやっと落ち着くことが出来たのか電話してきたときに「これでもう落ち着いて仕事をしようと思うが落ち着いたら実家のことなどが気になり始めた」と言っていたので少しづつ息子に申し送りを
しなければと思っている。

親を送ると今度は自分の番が来たようで気ぜわしく感じるがいつその時が来てもいいように準備しなければいけない時期が来たようだ。


会食はいつも利用させてもらっている「壱の糸」

子供が多いのでセットメニューにはしなかったけれど創作和洋折衷のお料理は絶品で出てくるお料理に子供たちの歓声が上がり、野菜嫌いのはずの子供が野菜もぺろりと食べ娘と「野菜嫌いは私達の料理がまずいってこと?」と落ち込んだ。

美味しい料理を堪能した真ん中ちゃん「次の法事はいつ?法事大好きになっちゃった」を連発。

私は何とか役目を果たしてホッとしました。



木の皿

2010-10-07 | 未分類
市民劇場「木の皿」例会に行ってきた。
今日は以前から広島市の「ICTボランティア研修」がある日だったのが申し込みが遅れて私だけ行けなかったので内心「やれやれ」と思っている。
いつもの例会だとそうは思わないけれど今日は待ちに待った「加藤健一事務所」の例会。
席は前から2番目の左だったのに市民劇場特有の真ん中づめのおかげで真ん中の席に移動。
感極まって涙が溢れているのも見える至近距離で泣かせて貰いました。

加藤健一さんは好きな俳優さんですがなかなかTV出演されないので見る機会が少なく、昨年作品を選ぶときに真っ先にチェックをしました。
「木の皿」の原作はエドモンド・モリスと言うアメリカの作家の作品ですがアメリカのみならず今の日本にそのままあてはまるとても重いテーマです。

主人公ロンと言う老人の介護を巡り家族が崩壊寸前まで行き最後は自ら老人ホームに入るのですが介護されるもの、介護するものの気持ちが痛いほどわかり、自分の経験と合わせ涙しました。
老いると言うことはまさに物忘れや動作の緩慢さ、心の固さなどネガティブなことばかりとの闘い。
それと同時に介護する側にもそれらの事項に巻き込まれストレスが増す。

私はまさにこの中の介護する役を10数年前に経験したのですが、家族の手助けがあったにも関わらず私自身が倒れてしまい、崩壊まではいかなくとも子供や夫にも影響が及びこの10数年は大波小波の波乱人生でした。

娘は「お母さんが倒れて私はもう子供が産めない。お母さんだけの人生じゃないのに・・・」と泣き崩れた割に今では3人の子持ち。

息子も学校を出ると早々と結婚。今は自分の進むべき道を着々と歩んでいます。

病気ひとつしない健康な夫は介護の「か」の字も判らなかったのに直前にホームヘルパーの免許を取得した私の言うことを聞いてくれて認知症になった姑にも上手に接してくれてあんなにきつかった姑も最後は優しい母になり最後のひと時を安らかに暮らすことが出来ました。

今となってはどうでもいいことですが半年くらい前に初めてのヨーロッパ研修の話があり予定に入れてはいたものの私の知らないうちにキャンセルしていて行かせてあげることが出来ず残念でした。
もう一つ、永年勤続の副賞で貰った旅行代金は私の入院費に消えてしまったと聞きこれはショックでした。

私は元々血圧が高く、介護が伸びるにつれて私の症状も悪くなり、私の主治医は「介護をすると貴女が寝たままあの世に行くよ」と薬の量を増やしたり点滴をしたり治療は受けていたのです。

今もそうだと思いますが亡くなるまでの1週間くらいは殆ど眠れないくらい夜中の介護が続き、ブザーを押しても若い看護婦さんは殆ど来ませんでした。
中年の看護師さんは「夜中は介護は私たちに任せて眠りなさい」とかばってくれたのですがシーツ交換やおむつ交換、体位移動などが一人で出来ることを知っている看護師さんは少々呼んでも来なくて疲れがどっとたまっていました。
その日の朝、主治医の先生に「今日か明日ですね」と宣告され、その前に休まなくては倒れると感じた私はすぐに夫に電話しました。
夫は飛んできて交代してくれました。
バトンタッチしたその瞬間、夫の腕の中にへなへなと倒れこんで動けなくなりました。

その時何を思ったと思います?
一つは「これで介護しなくてもいい」と安堵したこと。
もう一つは数日前にストレス解消にとそごうで買ったハイヒールが履けなくなったと落胆したこと。
本当に呑気な私でした。

その日から数日ICUでの生活はまさに天国と地獄のはざまにいるようでした。
数時間おきに看護師さんが「お名前は?感覚は?」とか声掛けに来るのです。救急車の音、声をかけても返事が無い人がいると「亡くなったのかなあ」と思い、自分も死ぬのかな?と怖くなったり、一晩中「人の死」を感じていました。

それからの長いリハビリ生活は辛いこともあったけれど結構楽しいこともあって色んな人に出会うたびに元気を貰って今日は昔のように市民劇場を楽しんでる自分がいる。
加藤健一さん演じるロンが高らかに「闘い」宣言をして老人ホームに行くシーンで目にいっぱい涙を溜めて演技をしている姿に「ロン、がんばれ」と心の中で言っている自分がありました。
最後のきめ台詞「ママにも同じことが来るんだよ」に全員大納得。

そうなのです「病・老・死」誰にも等しくやってきます。
その時は戦うもよし、じっと時間が過ぎるのをひたすら待ってもよし、私のように早く諦めるもよし・・・人それぞれですね。

いや~、久しぶりに過去を思い出しました。
いつも長文読んでくださってありがとうございました。