私の世代は皆さん同じような経験があるでしょうが、トイレはぼっちゃんトイレ。
いわゆる汲み取り式のトイレでした。
このトイレが小さい時から怖くて怖くてたまりませんでした。
それは、近所のおばさん達がトイレに行こうとすると「トイレから手が出てきて引きずり込まれるよ~」と、からかうからです。
それでなくても怖がりの私は縮み上がって用を足していたので下を覗き込むことが出来ませんでした。
「もう、やめてよ~」と、言うのですが陽気な母の所には近所の人がいつも沢山やって来てはおしゃべりをしていましたので誰かがこういう風にからかうのです。
時には鼻が低い私に「初ちゃんトイレで鼻をピンチで挟むと高くなるよ」と言うので私は痛くてたまらないのをこらえ、ピンチで鼻先を挟んで用を足していました。
私が生まれ育った津和野は小学校から月に一度映画に連れて行ってくれるのです。
隔月で洋画・邦画を団体で見に行くのがとても楽しみでした。
邦画は日活。吉永小百合さん全盛期でほとんどの映画はみました。
洋画はチャップリン・アランドロン・チャールトンヘストンなどいい映画のオンパレード。
必然映画好きになるのは当たり前ですが、高校生になると学校から行かない映画も時には見たくて友人と約束して帰り、夜の外出なので一緒に行って欲しいと家族に頼みました。
当時は車がなく自家用車は自転車です。
家族には反対されたのですが反対を押し切っていった映画は「四谷怪談」
そりゃあもう怖いのなんの。おまけにたらいの中から青白い手がニューと伸びて着物の裾を引っ張ったので「ギャー」と言ったまま動けなくなりました。
子供の時に怖い思いをして「トイレから手」と言うトラウマから抜け出していなかった為に今でもどうやって家に帰りついたか思い出せないくらいです。
次は広島に来て兄夫婦と暮らしていた時のこと。
2DKのアパートの真ん中の部屋で暮らしていました。
仕事帰りに洋裁学校に通い夜遅く帰り眠りに着くと夜中に目が覚め金縛り状態になるのです。
うっすらと目を開けると何かぼんやりと見えるのです。
こういう事が何度も続いたある日、大家さんの所へそれとなく聞きに行ったら「ここは昔原爆が落ちた時に沢山の人が亡くなり墓場にしていた」と言うのです。
この話も真偽のほどは判らないがやっぱり「ぞ~」としました。
もう一つは私の職場で起きた事件(?!)
私の仕事は夜勤や宿直があり、宿直室は沢山ありました。
その頃まことしやかに話されていたのは「このビルには幽霊が出る」と言う噂です。
戦時中そこは軍の「練兵場」だったそうで原爆の時の死体が沢山埋まっていると言うのです。
だから、夜な夜な階段を上がる軍靴の音が聞こえると言うのです。
そしてそれはいつしか宿直室にも出てくると言う事になり大騒ぎになりました。
その前に急逝した主任だと言う事になり、有志がお祓いをしてもらうと「その方の墓参りを誰もしないから寂しがっている」と言われみんなでお墓参りに行ったそうです。
すると何事も無かったように平穏になりました。
私はいずれも経験した事は無く、本当のことだったのかどうかは判りませんが今でも思い出すとぞ~とするのです。
しかし、一番怖いのは「生きている人間」だったりして・・・。