初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

怪談と言えば・・

2009-01-31 | 未分類

私の世代は皆さん同じような経験があるでしょうが、トイレはぼっちゃんトイレ。


いわゆる汲み取り式のトイレでした。


このトイレが小さい時から怖くて怖くてたまりませんでした。


それは、近所のおばさん達がトイレに行こうとすると「トイレから手が出てきて引きずり込まれるよ~」と、からかうからです。


それでなくても怖がりの私は縮み上がって用を足していたので下を覗き込むことが出来ませんでした。


「もう、やめてよ~」と、言うのですが陽気な母の所には近所の人がいつも沢山やって来てはおしゃべりをしていましたので誰かがこういう風にからかうのです。


時には鼻が低い私に「初ちゃんトイレで鼻をピンチで挟むと高くなるよ」と言うので私は痛くてたまらないのをこらえ、ピンチで鼻先を挟んで用を足していました。


私が生まれ育った津和野は小学校から月に一度映画に連れて行ってくれるのです。


隔月で洋画・邦画を団体で見に行くのがとても楽しみでした。


邦画は日活。吉永小百合さん全盛期でほとんどの映画はみました。


洋画はチャップリン・アランドロン・チャールトンヘストンなどいい映画のオンパレード。


必然映画好きになるのは当たり前ですが、高校生になると学校から行かない映画も時には見たくて友人と約束して帰り、夜の外出なので一緒に行って欲しいと家族に頼みました。


当時は車がなく自家用車は自転車です。


家族には反対されたのですが反対を押し切っていった映画は「四谷怪談」


そりゃあもう怖いのなんの。おまけにたらいの中から青白い手がニューと伸びて着物の裾を引っ張ったので「ギャー」と言ったまま動けなくなりました。


子供の時に怖い思いをして「トイレから手」と言うトラウマから抜け出していなかった為に今でもどうやって家に帰りついたか思い出せないくらいです。


次は広島に来て兄夫婦と暮らしていた時のこと。


2DKのアパートの真ん中の部屋で暮らしていました。


仕事帰りに洋裁学校に通い夜遅く帰り眠りに着くと夜中に目が覚め金縛り状態になるのです。


うっすらと目を開けると何かぼんやりと見えるのです。


こういう事が何度も続いたある日、大家さんの所へそれとなく聞きに行ったら「ここは昔原爆が落ちた時に沢山の人が亡くなり墓場にしていた」と言うのです。


この話も真偽のほどは判らないがやっぱり「ぞ~」としました。


もう一つは私の職場で起きた事件(?!)


私の仕事は夜勤や宿直があり、宿直室は沢山ありました。


その頃まことしやかに話されていたのは「このビルには幽霊が出る」と言う噂です。


戦時中そこは軍の「練兵場」だったそうで原爆の時の死体が沢山埋まっていると言うのです。


だから、夜な夜な階段を上がる軍靴の音が聞こえると言うのです。


そしてそれはいつしか宿直室にも出てくると言う事になり大騒ぎになりました。


その前に急逝した主任だと言う事になり、有志がお祓いをしてもらうと「その方の墓参りを誰もしないから寂しがっている」と言われみんなでお墓参りに行ったそうです。


すると何事も無かったように平穏になりました。


私はいずれも経験した事は無く、本当のことだったのかどうかは判りませんが今でも思い出すとぞ~とするのです。


しかし、一番怖いのは「生きている人間」だったりして・・・。


 


 




怪談?

2009-01-29 | 未分類

音訳の録音は済ませたものの、編集が気になり今日も参加した。


昨日から「雨だ・雨だ」と言うのでレインコート・お弁当・お茶・資料・筆記用具など入れていたら一番大きなリュックになってしまった。


その日の気分や用途に従って毎日色んなリュックを使う。


遊びの時、病院用、ボランティア用、買い物丁度いい大きさを探していたら6個にもなった。


夫が「身体が一つしかないのに何でこんなに揃えるのかねえ」と笑うがこういう身体になったから身体に合わせないと仕方が無い。


今日はレインコートを入れたので大きいものに変えた。


天気予報が3時ごろから雨と言ったのがずばり当たって帰る頃には随分酷く降り始めた。


でも、レインコートのおかげであまり濡れないで駅まで行くことが出来た。


タクシー代が浮いてちょっと嬉しい。


お出かけは行く時はタクシーを使うことが多い。


でも、帰りは殆んど公共交通機関。


帰りに歩くことで自分のリハビリにしている。


今日、他のメンバーの録音が終わったので編集を教えてもらっていたら録音室が賑やかになった。


何を騒いでいるのかと思ったら録音のバックに男性の話し声が聞こえると言う。


確かに男性のはっきりした声が聞こえ気持ちが悪い。


私が録音した時にもかすかに男性の声が聞こえていたそうだが今日聞いて見るとそんなに気になるほどでは無く編集した。


とうとうセンターの職員の人に来てもらって色々調査してもらったら二階で会議している声だと判明した。


話している内容まで判る位だから混線もはなはだしい。


まだ新設したばかりのセンターで録音室も出来たばかりなのに、これでは会議がある日は録音が出来ない。


先日の録音の時は原因が判らず「まさか、幽霊?」などと話していたが原因が判りホッ。


私が思うに「安普請だなあ」と。


高校の放送部の時の録音室の厚さから見ても半分以下。


こういうものにお金は掛けられないと言う気持ちは判るが、役に立たないのは如何なものかと思う。


次回までには混線が直っていますように。




ボランティアには行ったものの・・・

2009-01-26 | 未分類

今日は音訳ボランティアだと確信して行ったが連絡不十分で私の担当グループではなかった。


しかし、変更になった日は私が行けない日で今日の録音を一緒にさせて貰った。


今日はPC教室を休んでの参加だったので無理をお願いした。


他のグループなので作業は少し違うけれど一緒にすることで勉強になった。


今日のグループの人たちは中国新聞の「天風録」を録音された。


私は毎日読んでいるので内容的には知っていたが、人名や地名、国名など統一して読んだり地域によって呼び名が違っていないかなど細かい調査をしつつ録音するので4人がかりで夕方までかかった。


私は早めに終わり帰らせて貰ったがPC操作を誤り録音したものを削除して迷惑をかけてしまった。


でも、皆さん嫌な顔をされずにお付き合いしてくださってほっとした。


先輩の発音や読み方の綺麗な事。


私は練習中は随分つっかえたが本番では何とかあまり詰まらずに録音する事が出来た。


その後の編集作業は沢山の作業があり、録音時間60分の中での配分なので随分気を使う作業だ。


そういう作業を繰り返して出来た作品はやはり思い入れがある。


しかし、PC作業は誰もが出来るようになるには普段PCを触っている人で無いと難しいかなと思った。


「慣れる」のは月に一度では少し無理がある。


自宅のPCで取り込んで操作してみると次回から格段にわかり易いので「やろう」と思う人はダウンロード版で練習をしてくるといい。


一ヶ月に一度の事があっという間に回ってくる。


私は「暮らしの手帖」を読むグループなので随筆や特集記事が多い。


今日の「天風録」は毎日なので一人が10日分読んだりする。


もっともっと人数が増えないと負担が大きい。


大変なボランティアだと改めて思った。


 




江田島の旅

2009-01-25 | 未分類



今朝は寒かったものの青空が広がり天気が良かったので雑誌で見かけたお刺身の美味しいお店に行ってみようと言う事になり江田島市へ行った。


江田島は青年の家や術科学校などがあり、何度かみかん狩りに行ったことがある島。


広島からは船でしか行ったことが無く呉を経由して車で行くと初めての場所のような気がしてちょっとした旅気分になった。


風光明媚を連想していたのだが牡蠣いかだや造船所など入り江ばかりで瀬戸内の風景はあまりよくない。


途中、閉鎖された音戸ロッジを通り、ロッジの姿は取り壊されて食事どころだけになって昔の面影は無い。



音戸ロッジは安くて泊りがけの会議によく利用されていた。


夫も何度か来ているらしくちょっとしんみり。


探していったお店はナビに登録していたのですぐに見つかった。


11時半過ぎなのにお店の周りは車やオートバイでいっぱい。


私が先に入るとお刺身が二つしかない。


「もうおしまいなの?」と聞くと「もう少しお刺身出すからね」と、言われかんぱちの刺身とイカさしの盛り合わせが出てきた。


夫が来て名物だと言うお豆腐も頼んでお金を払うと「セルフだからこれを持って二階に行ってね」と、言われ階段を上がる。


お茶碗や汁碗などを取り自分で好みの炊き込みご飯をよそおい魚入りのお味噌汁をつぎ席をさがす。


もう殆んど席が埋まり私達は終わりごろで炊き込みご飯も終わっているのもある。



私はクロダイの炊き込みご飯にした。


ご飯も味噌汁も食べ放題でどんどんお代わりをしている。


牡蠣、イカ、マツタケ、ひじきなど大きな釜が並んでいて隣の人が大盛りにお代わりをしている。


私もと二人でお代わりしたらその後随分喉が渇き塩辛かったのだろう。


食べ終わり下に下りると12時なのにもう閉店。


ご飯が無くなるとおしまいだそうだ。


折角だからと青年の家と術科学校に行こうと向ったが着いてみると昔の面影は無く建て変わっていた。




術科学校は見学者もいたが寒いので「写真写させてね」とお願いして中を覗いたが「厳戒体制」と、大きな看板を掲げ物々しい雰囲気だった。


何度か見学したが近くに学生さんが憩いの場にしていたと言う家があり今は休憩所になっていた。


温かいお茶を出してもらって説明を聞かせてもらった。


結局楽しみにしていた海の幸の買い物をする所は無くてそのまま帰宅・・・と言う事は無いでしょう。


安芸区坂町のギガモールでお茶をして店内を散策。


この店は開店当時は当時シャレていて雨が降ったりすると店内で家具や雑貨を見て歩き運動したり、子供も預かってくれるので安心して買い物が出来るので娘ともよく行っていた。


今日はセールの文字があちこちにあり、まるで「閉店準備」の様相。


10年も経つともう呆れられるのでしょうか。


立地はとてもいいけど高い家具は今時いただけませんね。


我が家と同じソファーがあったけどお値段が2倍もしていた。


と言いつつもセールの文字に釣られ何点かお買い上げしましたが。


帰りは一路海の上を通りあっという間に宇品まで。


夫は宇品、私は皆実町。若い頃に住んでいた町並みを探しつつ話が盛り上がった。


昔の古臭い町並みはすっかり変わり、おおきな道路と大型ショッピングモールの乱立で軒並みマンションで埋め尽くされている。


これからも新しく道路が接続されてショッピングモール目掛けて客足が延びそうです。


今夜の夕食はヘルシーに野菜尽くし。


欲張ってお代わりしたせいで二人ともあっという間に終わりました。


お天気に恵まれたドライブは大満足でした。


明日は朗読ボランティア。今夜は真面目に練習です。




人の噂も・・・

2009-01-24 | 未分類

「人の噂も75日」と言うけれど今や75日などと言う長きに渡って噂が広まる事は無い。


つい2~3日前の出来事でも随分前に起こったような感じを受ける時もある。


昨年暮れ、と言ってもまだ1ヶ月前なのに「派遣切り」の話題は少しづつ終息へ向って収まりつつある。


今日の新聞記事で昨年の特集記事のその後が掲載されていた。


特集は「子供と貧困」についてだった。


私も読んだ記事で「足が不自由で働けず生活保護で子供を育てている」と言う内容だった。


その記事に対して年金生活者から「生活保護の方が支給が多い。国に保護してもらっているのだから感謝すべき」と言う投書があったという。


生活保護所帯に対する風あたりが強くなっていると言う現実に何か寒々としたものを感じた。


どうしてそういう風になるの?弱い立場の人が更に弱い立場の人を攻撃する。


言うべき事は上に向けて。攻撃すべきは弱者じゃなくて強者じゃないのかなあ。


年金生活者が苦しいのは福祉が充実していない政治の為。


生活保護は最低限の生活を保障してお互いを守る制度。それも現実は決して十分な額では無い。


今の時代、いつ誰がこの制度を利用するようになるかわからない。


守りつつ、もっと充実させなければいけないのに暴力団の利用を許したり、制度を後退させるような事があってはならないと思う。


年金生活者が苦しいと不満を言うのは生活保護所帯じゃなくきちんと納めた年金の管理や使い方を誤った厚生省であって本末転倒の話だと思う。


ここ数年暴露された「開いた口が塞がらないような事実」をもう忘れたのだろうか。


我々の生活を守ってもらう為に選出した政治家の人は本当に私達の生活を守る為に日夜奮闘してくれてるだろうか。


所属政党や自分の事ばかりに明け暮れてはいないだろうか。


企業の責任や国の支援も適正だろうか?


1ヶ月やそこらでうやむやに終わらせずにこれからも国の舵取りをしっかり見つめていつまでも噂に上らせていましょうよ。


辛く悲しい事件もあまりにも多くて早く忘れ去りたいと思うかもしれない。


でも、それも原因を見極め出来うる対策をしつつ前進しなければ「臭いものに蓋」では同じ事件を繰り返すことになりかねない。


この「人の噂も75日」と言う言い伝えをネットで検索したら「江戸時代から言われていたことわざで75日は野菜の種を播いて収穫までの平均的な日数の意」もあるそうで今や噂はネットを通じ一瞬のうちに伝わり、一瞬のうちに終わる。


今回の世界的不況はまだまだ長引きそうだ。自分だけは何とか抜けがけしようなんて考えずに弱者同士支えあって頑張りましょうよ。


最近、友人と楽しんでいるのは「プチ幸せ」


自分だけの時もあるし、家族や友人間でもチョコットした幸せを楽しんでいます。


時折「幸せのおすそ分け」もして二人で週に一度「こんな事した」と報告しあいます。


不況下のプチ幸せ、探せばあるものですよ。


 




「私は貝になりたい」

2009-01-22 | 未分類

やっと見たいと思っていた映画に行く事ができた。


今日こそ行こう!と思ってから30分。


最近は毎日自分用のお弁当を作っているので早弁を済ますとタクシーで映画館に向った。


昔フランキー堺さんの主演で白黒の映画を見たことがあるが何処で見たのか思い出せない。


ただ、最後の死刑のシーンで涙をぽろぽろとこぼすシーンが目に焼きついていて暗いイメージであったことだけがフラッシュバックしてくる。


中居、仲間という明るくて現代的なコンビがどんな風に演じるのか見て見たい気持ちで行きたいと思うようになった。


私が見たのは多分映画センターでフィルムを借りて映画会をしていたその内の一本であったのかもしれない。


観客の殆んどが少し高齢の女性ばかりと言うのがちょっと以外だったけれど「昔を懐かしむ」人が殆んどだったのかもしれない。


映画は四国高知が舞台だったけど舞台になった町の風景の美しさはこれも古い映画「夢千代日記」に出てきた隠岐の島の風景とよく似ていた。


いつもテレビで見る元気いっぱいの中居君の印象が強すぎ仲間由紀恵さんは上品過ぎてちょっとイメージが違うと思ったけれどリメーク版なので仕方ないと思った。


暗く切ないテーマではあるけれど音楽は久石譲、脚本はあの橋本忍、回りを取り囲む俳優陣の豪華な事。


上川隆也は好きな俳優だけど「教戒師」は似合わない。やめてくれる~と突っ込みたい気分。


しかし、石坂浩二、笑福亭鶴瓶、泉ピン子などベテランは上手いなあ。


所々に映し出される風景の美しさ、こだわりがあるなあと感心した。


特に海に現れた「天使のはしご」は随分時間をかけてこの風景を待ったのだろうなあと拍手。


などなど映画はそんなに暗いイメージは無くさすがリメーク版だと思いました。


テーマとなる戦争の及ぼす理不尽さ、若い世代に感じてもらえればいいのだが・・・そういう私も戦後世代。


楽しむばかりでなくこの映画の言わんとすることもきちんと受け取っていこうと思った次第です。


映画を見始めると次々に見たくなり後2本、予定に入れました。




優しさとは

2009-01-19 | 未分類

優しさとはどういうことだろう。


自分には優しさがあるだろうか?


今読んでいる本「悼む人」を読みつつ考えてみた。


この本は天童荒太さんの本です。


この作家さんは「永遠の仔」と言う題の本を出されていて、これと似た様な内容の本なのかな?と、思っていたら先ほど直木賞を受賞されたのですね。


多くの作品を出されていないのに色んな賞を頂いている、映画化された作品も何本かあり、いつも心引かれる作家さんだったけれどやっと手に取って読むことが出来た。


まだ読みはじめだけど、不思議な事に日本中を旅しながら「悼む」青年は、現実の天童さんその方のような印象を受ける。


見ず知らずの人の「死」を悼み続ける。それも「死」を差別する事無く悼む、と言うのがコンセプトなのだ。


その事が彼を取り巻く人々に影響を及ぼしていくストーリーだけど、私も常日頃「優しさ」について一人思い悩む事などがあり考えてみた。


私はちょっと変わり者だけど、大きくくくると「普通」だと思う。


喜怒哀楽も普通に持ち合わせ、喧嘩もしてきた。


だけど、折に触れてとある友人から「優しい」とか、「人間が出来ている」とか言われ私は戸惑う事がある。


そういう風に言われると自分が「猫を被っている」ようでとても切なくなる。


私の年上の友人が「天衣無縫」だと私を評した。天真爛漫と言う事である。


それは自分でもその通りだと思う。結婚までは。


こんな私でも親になるとそれなりに苦労らしきものはして来た積もり。


ただ、違うのは自分の考えは誰にでもきちんと言えること。


だから姑や他人には嫌われたかもしれない。でも、自分を殺してまでは従わない。


しかし、自分より弱者には自分を曲げてでも尽くしたい、そんな気持ちも持っている。


だから心に一物持つと言う事は殆んど無い。そうしているといつも心が明るくポジテブでいられる。


そんな私だから、複雑な悩みを持った人の気持ちを思いやるのが下手だ。


周囲には私の心の構造が判らないから悩みを持った人から見れば奇異に感じることだろう。


思いやりが無いと思われるだろう。


深刻に思い悩んでる人にはとても冷たく感じられるに違いない。


特に病気をしてからは自分で自分を励ましてきた事からそれまで以上に明るくしてきた。


とは言っても何度か泣くことはある。「わぁ~」と大泣きをして誰かに慰めてもらうと元に戻るのも早い。


その癖私は慰めるのも励ますのも下手。「優しそう」でいて冷たいのかも知れない。


そんなこんなを密かに悩んでいる私。


「優しい」と言われるより「冷たいね」と言われるほうがどんなにか心が楽だろうか。


本物の「優しさ」を探して今夜も本を読んでみます。




勿論、男子駅伝

2009-01-18 | 未分類

私の1月最後の楽しみ「男子駅伝」長野が2連覇通算5度目と言う偉業を成し遂げて終わりました。


前予想どうりでしたが粒揃い、佐藤雄基、上野裕一郎の「ゆうちゃんコンビ」も絶妙でしたね。


どちらも箱根でも大活躍なだけに、最後の上野選手の苦しそうな表情は意外でした。


二人ともいつも目がね、最後に苦しくて取った上野選手のサングラスの中の目はまだ大学生のような可愛らしい目をしていて思わず微笑んでしまいました。


最近は中、高校生の情報をみていないので良く判りませんがこの子達がいつか箱根で活躍するんだなあと思いつつ声援しました。


今年は広島も中、高校生も頑張りました。


私の注目は福島、兵庫、福岡。


福島は思ったとおり3区で「新・山の神」柏原選手(東洋大)が大活躍。アンカーは我らが佐藤敦之。


惚れ惚れとするような走りに大満足です。


さらに、兵庫の北村選手の粘りには脱帽です。とても安心感のある走りはこれからも活躍する選手だと思います。


昨年の箱根で「山ノ神」の名前をつけられた元祖山ノ神、福岡の今井選手は最後は4位で順当な所でした。


本当はもっと活躍して欲しかったなあと残念です。


今日は自宅でずっと見ているわけでなく、途中駅伝で人が少ない間に買い物をしようと出たので車に乗ってはナビでテレビ観戦。


最後の7区だけ見ることが出来ました。


私は全くの運動オンチ。でも、観戦は大好きです。


入賞は出来なかった広島も7区の岡本選手が区間賞に輝いたみたいです。


楽しませてくださった選手の皆さんお疲れ様。感動をありがとう!




コーヒーの好み

2009-01-15 | 未分類

私がコーヒーに興味を抱くようになったのは以外にも結婚式のお祝い返しに貰ったドリップ式のドリッパーからです。


それまではコーヒーは喫茶で飲むものだと決めていたのです。


今は亡き同僚が大学の論文を出すたびに応援を頼まれ、泊り込みで彼女の家に行くと必ずコーヒーが出てくるけど彼女の寮は古く、家中がカビとゴキブリ取りの臭いで夜中になると二階でネズミの運動会が始まり、折角のコーヒーの香りも消し飛んでしまうのです。


だから、コーヒーはあまり好きではなかったのです。


夫の唯一の親友はジャズとコーヒーを愛すシャレたご夫婦です。勿論今でも。


その新婚の友人夫妻にドリッパーの使い方、コーヒーの美味しい入れ方を教えて貰いそれから嵌る様になりました。


私は癖のない「ブラジル」夫は「モカ」がこのみだったようです。


UCCが主流の時代、濃くて持ちのいいコーヒーで十分満足だった私達。


それが10年位前に駅前福屋が出来て地下に京都の「イノダ」が進出してきて随分通いました。


「イノダ」は京都の老舗、三条の本店を訪ねてその味を味わって以来憧れていました。


その後、転勤で娘達が神戸~芦屋へ居を構えたのでその行き来には「にしむらコーヒー」に必ず寄り、イノダに良く似た濃いコーヒーを飲むのが楽しみでした。


にしむらコーヒーは神戸、芦屋には支店がいくつもあり、神戸は観光客の多い元町や三宮店を避けて地元の人たちが多い「御影、芦屋店」の静かな所を選んで行っていました。


そんな店では地元の人達の好みや習性がわかり、これも興味津々でした。


驚いたのは頭の先から足の先までバーバリーのご夫婦。


小物に至るまで揃えていて、私も夫も驚いたものです。


駐車場は外車ばかり。初めて行った時に「ここは国産車出入り禁止なの?」と、暫くは様子を見ていたほど。


お客さんはシニア世代の人が多くて中には「入院中だけどにしむらのコーヒー飲まんと落ち着かんわ」と、話されていて港町、コーヒーの文化が根付いている町なんだと認識しました。


娘がこちらに帰り、内心「神戸のコーヒーが飲めない」と思っていたある日ネット友のはなまるさんが私に「ニシナ屋珈琲」をプレゼントしてくれました。


彼女は私に勝るコーヒー好きで我が家に来ると3杯は飲んでいました。


聞いて見るとお店もあちこちにあり手軽に買えそうですが我が家は夫が喫茶に出向以来キーコーヒーです。


しかし、長い変遷を得てやっと広島の老舗ニシナ屋珈琲さんのお店「アルテック・ミー」にたどり着きました。


初めての店内、人の良さそうなマスターの案内で「深くて爽やかな」などと注文したら二人分のドリッパーが出てきて自分で淹れる事に。


そこで初めて判りました。お店は販売が主で喫茶では無いのでした。


昨年コーヒー教室に通って習ったとおりにしたのですがマスターの手ほどきを受けて淹れ方の基礎をもう一度復習。


飲んでみるとまあまあのお味です。


「買って帰るのは、ん・ごろごろを飲んでみたいね」と、話していると「今飲んでるのがそうですよ」と声をかけて貰ってそれから色んなお話をした。


夫の目的のすんばらしく大きなスピーカーと、流れてくるジャズの調べが味を増して大満足の日でした。


でも、喫茶でなくてテイスティングの為のお席だったようで勘違い。


手ほどきを受けて得したり、市内でもこうして寛ぐ事の出来る穴場を見つけて今の所広島のコーヒーで満足です。


気さくで楽しいマスターに又会いに行こうと思います。




「チェ・28歳の革命」

2009-01-12 | 未分類

「チェ・28歳の革命」(こちらが公式サイト)を見に行った。


キューバ革命をカストロと共に率いた男だ。


本職は医者。アルゼンチン出身だけどマルクス主義者としてカストロと共にキューバでゲリラ戦をたたかう。


カストロの指示の元、兵士として、時に医者として革命戦線を引っ張っていく。


革命が成功した後、彼は被爆都市ヒロシマを訪れる。


映画は写真で見た姿かたちのままドキュメント風に描かれている。


多少の演出はあると思うが早く死んだがゆえに「英雄視」され人間味のある革命家として描かれている。


キューバ革命の後、家族とカストロに手紙を残し、南米のボリビアで亡くなる。


今回はキューバ革命までの上映。


今月末からボリビアで亡くなるまでの話が第2部として上映される。


演じられたベニチオ・デル・トロさんは風貌もそっくり。


特に国連での演説シーンは本物かと思うくらいでした。


2部作も楽しみです。