初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

河井寛次郎展

2010-09-29 | 未分類

 日曜日、松江市の島根県立美術館で開かれている「河井寛次郎展」に行ってきた。


河井寛次郎は柳宗悦が提唱した「民芸運動」に深くかかわり沢山の作品を残されているにも関わらず殆ど作品を見ることがなかった。


大正~昭和の美術界で活躍された作品の数々を実際に見ることが出来て二人で大感動だった。


先日まで放送されていたゲゲゲの女房と同じ安来市の出身。


開場の島根県立美術館には弟子の森山雅夫さんの作品も売られていたが民芸運動が深く根付いたのは柳宗悦、濱田庄司、棟方志功などのリーダーが全国各地を指導して歩いたからに他ならない。


島根、鳥取にもその痕跡は今も脈々と受け継がれ陶芸や染色など引き継がれている。


 「用の美」と言うには繊細な絵付けもあるが河井寛次郎さんは外見に似合わず後期になるほど豪放な作品が多く、釉薬による色の変化や模様で楽しませてくれた。


京都にいる友人が「京都の河井寛次郎記念館にいらっしゃい。寛次郎が住んでいた家そのものが作品にピッタリとあって又いいのよ」と言っていたので会場に貼ってあった大きな記念館の写真を見て何だか行った気分にもなった。


陶芸家と言うより学者タイプ、木彫り、書、どれをとっても破格の作品に遠くまで行った甲斐があった。


会場を出て「俺は方向が全くわからん。どこを走っているのかもわからん」と夫。


そう言えば松江はいつも私の運転が多かった。


「まっすぐ行くと松江大橋・・・その先が県庁、右折したらおみやげやさん、大きな通りを左折したら島根大学方面、その近くにいつも行ってた喫茶がある」


と言っても全く思い出せない様子。


こうなると地理的に判りやすい場所のほうをを案内するしかない。


行かなくなってもう何年にもなるが駐車場の場所など瞬時に思い出した。


駐車場が見えて来たころ「あ!思い出した」・・・もう遅いって。


 



お店の中はお客さんでほぼ満員だったが男性客が「もう出ますよ、どうぞ」と席を譲ってもらった。


次のお客さんは私達と同席。こんな優しさも松江らしいね、と顔を見合わせる。


丁度展示していた京古布を一巻き買って美味しいコーヒーを味わった。


松江は不昧公(ふまいこう)と言う茶好みのお殿様のおかげで抹茶をはじめコーヒーや紅茶も美味しい所が多く、お菓子も新作が出ていてお土産に買ったら大人気だった。


夕日の宍道湖を撮ろうと思ったけど運転に不案内の夫はイライラと走り続けるので殆ど写真を撮ることはできなかった。



上の写真は多伎の道の駅の風力発電。


松江→出雲(山陰道)→江津(9号線)→浜田(山陰道)→広島(浜田道)


道の駅に寄ること8箇所。


若くないんだからこんな強行軍はもうやめにしたいんだけどなあ。


でも、涼しくなったのでしっとり落ち着いた松江の秋と寛次郎の豪快な用の美、見に行くのもいいですよ!


 




ウン年ぶりの歯科

2010-09-28 | 未分類

数日前から喉に違和感があり取りあえず今日は歯科に行った。


60歳の検診も行かなかったので少々敷居が高いけど思い切って行った。


歯科は生まれてこの方数度しか行ったことが無くちょっと緊張気味。


まず、口の中を見て痛いところを言うとそのまま座ってレントゲン。


その結果を見ながら説明を聞くと、どうやら若い頃に抜歯した親不知の下の歯が伸びてそこに炎症が起きているそう。


下の歯も大きな親知らずだが噛み合う歯が無いと伸びることもあるそうで抜歯してもいいけどあまりに良い歯なので勿体ないと言われる。


大きな口をあけたままで次々に質問させるのでしゃべりにくい。


「それにしても、綺麗に手入れをされてますね。一日何回歯磨きされますか?他になにか手入れをされてますか?」などなど・・・。


全部の検査をしたけれど今腫れている歯茎以外の治療は無いとのことで歯垢を取って痛み止めと化のう止めの薬を処方された。


今度は技工士さんが歯垢を取り始めたがこちらは痛みは無いけど超しゃべりにくい。


先生と同じ質問が終わると普段の生活や家族のことなど「歯」に関することを聞きまくるので閉口した。


仰向けに寝ているのでうんとううんしか言えない。


最後まで、虫歯が無いこと、歯がきちんと磨かれていること、どうしたらこの年(!?)まで良い歯を保つことが出来るかを聞かれたけれどそんなに歯の病気を持った人が多いのかとこちらのほうが驚いた。


私の家族は殆ど歯が良くなくて唯一私の母だけが歯丈夫で93歳で亡くなるまで自分の歯で持ちこたえた。


私はどうも母のDNAを受け継いだのと小さい頃から辛党、間食が嫌いだということが原因だと判った。


でも、最近は甘いものも食べられるようになったし、時折間食もするようになった。


間食について更に述べると、実は間食をすると後で胸焼けや膨満感が起こり体質的に向いていないのだ。


それなのに子供のころから太っている。


若い頃は茶碗一杯のご飯を食べられないくらい小食だった、が太っている。


今はそれに比べご飯もぺろりと食べるから痩せられない。


夫の実家で同居していた頃、姑がそのことがひどく不思議だったらしく子供たちは随分聞かれたそうだ。


太っているのは間食や甘いものを陰でこっそり食べているからに違いないと思われていたらしくそれは認知症を発症するまで子供たちに聞いていたそうだ。


おもちやお菓子が大好きな姑から見ると「こんなに美味しいものを何故嫌いなのか」は不思議で不思議でたまらない存在だったのだろう。


「食べると後でしんどくなるから」と言っても決して信用してもらえなかった。


そんな体質のせいで歯科に行くといつもこんな調子で質問攻めにあう。


聞いてみると前回は5年前に受診してその時も歯垢を取っただけで終わった。


私の身体の中で医師に褒められたのは「歯」と「腸」だけだ。


まあせいぜい大事にしておこう。




秋の山野草

2010-09-24 | 未分類

八幡湿原の山野草を写しに行きました。


カメラの調子が悪くイマイチでしたが可愛い「シラヒゲソウ」に出会えて嬉しかったです。


いつも行く高原のカフェのママが「お店のに植えていた山野草を根っこごと盗んでいく人がいて悲しい」とおっしゃっていました。


あの山野草を切ってもいいかと問う人もいて今やマナーを通り越して犯罪行為をしてる人がいるんですね。


昨年湿原を巡れるようにと木道を作ったのに散策の途中長靴で入って写真を撮っている人がいました。


湿原がやっと回復の一歩を歩き始めたのに台無しです。


私は木道に座り込んでゆっくりと写すことが出来ました。


 







年寄り笑うな・・・

2010-09-19 | 未分類

誰から聞いたのか「年寄り笑うな行く道じゃ、子供叱るな来た道じゃ」と言う言葉が以前から私の頭に刷り込まれています。


お年寄り、子供に接するときはいつも念頭に置いているのですが、最近この言葉の意味する出来事があり「なるほど、先人は上手い事言うもんだなあと思いました。


私は市民劇場のグループは安芸区の友人のグループに属しています。


二か月に一度なので会費はまとめて払うのでいいのですが席次券の授受にちょっと困っています。


時々中区の例会に行くので逢える時はいいのですがお互い忙しくて逢えない時が多く彼女は最近券を取りに行ったついでに夫の会社に届けてくれるようになりました。


ですが今年から木曜日を休むようにしてるので木曜日は会社にいません。


先日電話があり「木曜日はいないのよね」と彼女が言うので私は安心しきっていました。


所が数日後の夕方夫の会社用の携帯に会社から電話があり夫がしきりにあやまっています。


「もう~」と言いながら「Kちゃん、あんなに言っても今日会社に来たらしいよ」と困ったように言います。


「この間電話があって向こうのほうから木曜日はいないと言ってたのを聞いたので安心してたのにやっぱりこう来たか」と二人で苦笑です。


最近は面会も厳しくなって受付に降りていかなくちゃいけないので突然のおばちゃん来訪に若い方も驚かれたことでしょう。


しかも、夫の友人でなく私の友人。


彼女は若い頃から人見知りしない人だったので年とともにその傾向は酷くなっています。


OBだという思いもあり夫の会社に堂々と出向くのだと思うのですがもうこれで何度目かの驚きの行動です。


夕食を食べながら夫が「Kさん、80歳くらいか?」と言うので「いやいや60歳後半か70歳過ぎぐらい。そんな年じゃないと思うよ」と話しているうち又もや私がボケた噂が広まった時の話が思い浮かびその時の話になった。


その時の話はこちらこちらから


思い出して二人でゲラゲラ大笑いをした。


「もしかしたら彼女のほうがボケてるんじゃないか?やっぱりちょっとおかしいよ」と言うので「あの後もずっとおんなじこと言ってるからどうしたものかしらねえ。年寄り笑うなと言うけどやっぱり笑うしかないんじゃない?」と又もや二人で大笑い。


年寄り行動学というものがあればこれは典型的な年寄り行動ですよね。


その夜、私がお風呂上りに声が聞こえるので覗くと夫が私の携帯で話しています。


「あのね、俺は木曜日は休みなの。会社の人が驚くから一報して貰えると嬉しいんだけど」と何度も繰り返しているが全く取り合わなかったらしく両手を挙げてギブアップしています。


「年寄り笑うなというけど今回は大いに笑いましょ。だって行く道でしょ。今度はどんな行動をするのか楽しみにしてるぐらいじゃないとこちらがもたない・・・・」


「こりゃ次回も同じ展開になるかもしれんから若いもんにお金も立て替えといてと言うとこ」


いつか私も同じ行動パターンになるのでしょうか。


そんな時は私も大いに笑ってもらいましょう。




ボランティアとは

2010-09-14 | 未分類

昨日、ボランティアについて書いていた金ちゃんのブログを読んでいつも心の片隅に置いていた思いがあることに改めて気づきました。


ボランティアをしている人は判るかもしれませんが色んな人に「よく無償でそんなことをするね」と言われます。


ボランティア=無償だと思いますが私の経験から無償だから「する」と言うこともアリです。


私はいくつか「ボランティア」と呼ばれていることに首を突っ込んでいますが中には少額とはいえお金を貰っているものもあります。


その一つがPC教室のお手伝い。


最初は交通費の足しになり嬉しいなと思って参加していたのですがそのうちに500円UPされたのです。


途端に私は楽しい思いは半減して責任感が重くのしかかりちょっと嫌になった時期がありました。


私はアシスタントだからと軽く引き受けただけで好きなことを一緒に学べる楽しさを味わっていたのです。


かと言って責任を回避した訳じゃなく、自分でもスキルアップのために通信教育(ネット)や本を買ってコツコツ勉強したりの努力はするようになりました。


人に聞かれたり、自分で躓いいても大抵は自分で解決できるようになり、教え方も人によって随分違うし、生徒さんのレベルによって操作も違うことも知りました。


むしろ今では私の知らないことを聞かれると「これで私も一つ知ることが出来スキルアップできる」と嬉しくなります。


私達のグループは基本ボランティアだというコンセプトで、安い月謝、間にレクレーション(食事会)を挟む、勉強は繰り返し何度も丁寧にゆっくりと中高年の方のニーズに沿った学習なので私は知っていることを伝え、生徒さんからは「生涯学ぶ楽しさや学ぶ心意気や努力の素晴らしさ」などを受け取ることが出来ます。


暑くても寒くても重いPCを持って少々重い気持ちも持って通って来られる生徒さんが殆どできっかけは町内会などの役員になったからと言う理由が少なからずあります。


特にそんな目的を持っておられると意気込みが違い、学習の間に会計報告や資料つくりの事も聞いて帰られて一年間文書に取り組まれた汗と結晶の「作品集」を数十枚見せられた時は思わず涙が溢れました。


そんな感動を味わえるのはいつも心が通じ合っているからこそだと思うのです。


殆ど辞められる方がいないのですが数年前一人の男性が辞められました。


その時の理由は「パソコンが重くて通うのが大変になったから」でした。


クラスの役員もきちんと勤められていたし大抵の事はゆっくりだけど着いてこられいたので惜しいなぁと思ったのですがお年を聞いてびっくりです。


80歳を超えておられたのです。


向学心はいくつになってもあるものなんですね。


日野原重明さんだけが特別じゃないんだとその時も感動しました。


PC教室に関して言えばどちらかと言えば私のほうが沢山のものを頂いていると言っても過言では無いと思います。


誘ってもらったネット友の先生にも最近背中を押され「広島市ICTボランテァ」に仲間と二人で登録させてもらい毎月「公民館PC相談」やマイクロソフト社の講習会などに参加できこれもまた楽しからずや…です。


知っていることは惜しげもなく教えあい、いつも笑っていられるので私のココロは充実感でいっぱいです。


そんな人間関係の構築が出来たのもボランティアのおかげかな?と思っています。


もう一つの音訳ボランテァは人数も少なく日々努力がかかせませんのでこちらは楽しいばかりではありません。


技術を磨き言葉とPCの操作をしっかり身に着ける為には今の私にはとても厳しく、とうとう今夏は孫守りとの両立は出来なくなり仲間に多大な迷惑をかけてしまいました。


自分の勝手な思い込みで足を突っ込んでしまい人に迷惑をかけるのはどうかなあと思いつつ在籍だけはしていますがもう一つ身体があればじっくりと取り組んでみたいと「思っている」のが現実です。


中途半端に足を突っ込まずにきちんと時間が確保できるようにして仲間になること、ボランテァだからこそこれは大切なことだと痛感しています。


人生いろいろ、孫守りをする羽目になったり、病気をしたり、思うようにはいかないのですが外に向かって扉を開くと新鮮な空気と共にいろんな出会いも待っています。


私は身体のリハビリも兼ねて今の所は「ありがたい」ことばかりです。




計画性のなさ

2010-09-13 | 未分類

日曜日、相変わらずムシムシと暑くなってきて夫が突如「どこか涼しい所へ行こう」と言い始めました。



いつもの事ながら突如として言い始めるので慣れてはいるものの「何処へ?」と言うことはイマイチ判らないままに車に乗り込みます。


最近は聞くと教えてくれるようになり「匹見」に行くといいます。


私の思考回路は未だに職業柄「電話局」単位で脳に蘇ります。


匹見と聞いたらまず「益田」の外集局だと思いました。


だから、まず益田市を思い出しそれから匹見を思い出します。



こういう時、脳の中では仕事用に使っていた略語「マ」が浮かび「ヒキミ」になります。


余談ですが未だに東京は「ト」であり大阪は「オ」なのです。


若い頃にインプットした情報は脳の奥にあるのでしょうが一瞬にして蘇るので不思議です。


ついでに言うとそれに付随するものとして電話番号もついて回ります。


たとえば、電話に着信があった場合は瞬時にどこからの電話か一応判断できます。


「011・・・・」北海道方面知り合いいない…こりゃ何かの勧誘電話だ。でないようにしようとかね。



話がそれましたがそんなこんな事を思っている間に夫は井仁の棚田を通り戸河内、深入山を抜けてあっという間に匹見に着きました。


道の駅がありお昼ご飯を食べようと思ったのに食事処は無く匹見を少し散策することに。


もう10年くらい前に一度「匹見」に行ったことがありその時の険しい道もなく、着いた所は夏でも涼しい渓谷で温泉もあり、食事も津和野のうずめめしやアユなどを食べた記憶があり内心「今日は鮎にありつけるかも」と思っていたのに残念無念。


ぐるぐる探していると温泉がありちょっとした施設があるので降りてみようかとおもったのですが夫も少しづつ思い出して「こんな所じゃなかったよな」と、違う道を行くことに。


暫く走ると大きな看板がありそこには私達が行きたいと思っていていた渓谷が描かれていて「よーし道なりでいいね」とすでに頭には鮎が・・・。


所が当時狭い道だったのに走るほどに整備された広い道に・・。


「あのね、さっきの看板こちら方面に行くと書いてあった?最近動体視力が落ちて私は1か所見るのが精いっぱいなんよ。分かれ道は一度止まって確認したいんだけど」


「お前がこっちって言うたじゃろ?」


「はい・・・」


これ以上言うと車を下ろされそうなのでだんまり。


ひたすら走ると道は広くなる一方でようやく夫も間違いに築いた模様。


カーナビを見て「俺はどこを走っているかわからん」と言うので私が眼鏡を出して


「あ~、もうすぐ津和野外集の日原に抜けるので日原の道の駅で鮎でも食べましょうかね・・・」


「いいや、津和野方面に走ると帰りが困るので益田に行く」


いつの間にか中国山地を走り抜け山陰まで行ってしまったのに二人ともこういう時に限ってカーナビを見ません。


でも、一年赴任していた益田なら私が案内できると思っていたのにやっぱりああだこうだと言いながら町はずれに行ったので


「この先はもう広島に行く山道だけど食事するところはないよ」とさらりと言いましたが心の中は「もう~ええかげんにせんと又食いはぐれるのに」とちょっと怒りがこみあげつつあります。


やっと素直に聞く耳を持ったのか今度は私の言うとおりに走り何とか回るお寿司屋さんに入りました。


夫は相変わらず「どこにいるかわからん」と言ってますが久しぶりの益田、昔寮があった所、賑やかだった裏道り等散策したかったけど夫は全く興味なし、「山陰道を浜田まで帰る」と言い張ります。


案内指示に従って新しい道を行くと曲がり角に来て私は浜田方向は右だと思ったら夫は左折を選んだので「間違ってない?」とまだ口げんか。


「あのね、曲がり角に来たら案内板をちゃんと読みたいからスピード落としてゆっくりにして」


まあ何度もこれでもめてしまいます。


以前は動体視力もばっちりで瞬時に情報を読めていたのにちょぴり悲しくなります。


又引き返してぐるぐると指示道りに行ったら同じ道に出て山陰道とはいえ一部開通しただけで我々は同じところをぐるぐる回っただけでした。


三隅の道の駅に着いた頃はすっかり機嫌が直り、昨年から始めた道の駅スタンプラリーのハンコを押すとご満悦です。


暫く走ると今度は浜田の道の駅、涼を求めて来たはずが暑い。


アイスを食べたり鉛色の海を眺めながらやっと一息。


無料になった浜田道を一目散に走って帰りました。


我々夫婦、どうしてこうも意見が食い違い計画的なドライブが出来ないんでしょう。


 



私は過ぎたことをあまり思わない性格、夫は夕食後にドライブ地図を見て「行きたかったのは裏匹見で吉和方面から行くらしい」と言っていましたが、それでも次に順調に行けるかどうかは怪しいもんです。


心が安心しますね。


鮎、今年も又食べ損なってしまいそうです。あ~あ。




ちょっと悲しい出来事

2010-09-08 | 未分類

9月4日でしたかニュージーランドで大地震があったのをご存知でしょうか。


夫のリタイアと同時に行った初めての海外旅行先。


もう二年も経つのに未だに美しかった風景と共に思い起こすのがオーナー夫妻と過ごした楽しい日々です。


日本のTVではほんの少しのニュースで終わったのですが我々夫婦は毎日やきもきしながらニュースを注視していました。


死者はいないという報道なのでちょっとは安心したのですが昨日彼女のブログを読むと何と全壊して友人宅に避難していると書いてありびっくりです。


彼女は関西出身で神戸の震災も経験済みだから大丈夫と書いてはありますが私たちが帰ってから昨年男の子が生まれ子育てと旅行業をこなされているようです。


ジャパニーズゲストハウスは主に障碍者やシニアの人を中心に営まれており殆どがリピーターで4回も行かれた方がいるほど年間予約でいっぱいだったのでこれから春を迎え賑わう時期になるのに本当にお気の毒です。


かと言って心配しかできないのですが、もしもう一度旅行するなら彼女の所にしようと思っていたので二人ともショックです。


私の旅行の場合もそうですが行く前にメールでみっちり「見たいこと」「したいこと」「たべたいこと」「しんぱいなこと」など出発の前日まで細かい打ち合わせをして、心に何の心配もなく飛び立てるようにフォローされるのが基本なので何回行かれても満足して帰られるのでリピーターが多いのだと思います。


ニュージーランドは人口も少ないので平屋の大きな家が多く日本に比べ地震には強いと思っていたのですがブログの写真をみると芝生の庭は大きな亀裂が入り、家も天井までズタズタになっているので当分住めないのではと思います。


それに、大丈夫といいつつ彼のほうは大怪我をしているのが見えました。


お二人が何故ニュージーランドを永住の地に選んだのかについてもたっぷり聞かされたので多分この位のことでは日本に戻られないでしょうが早く立ち直って平穏な日々を取り戻されることを祈るしかありません。


今日は取りあえずメールだけでもして元気づけてあげたい、そう思っています。


日本から遠いニュージーランドの事は殆どニュースにならないのですが多分日本からの支援もないのでしょうね。


日本人だけでなく向こうで見聞きしたり知り合ったニュージーランドの人たちは皆さんとても優しい人達でした。


一日も早い復興を願わずにいられません。




涼を求めて

2010-09-04 | 未分類

やっと楽しみな土曜日が来たけれど今朝の暑さはなんだろう。


夫は理容院に行きその間私はたまりにたまっているお掃除、片づけと黙々と頑張りました。


この暑さで毎週避暑を兼ねてあちらこちらのショッピングモールを巡ることが多くなり収納用の可愛い折り畳みの箱を数個買っていたので早速種類ごとに入れてしまうと綺麗で出しやすくて満足。


でも、汗はしたたり落ちます。


最近は場所も日時も関係ない気温の上下があり外気温を気にしつつ対処しないと思わぬ所で熱中症にならないとも限りません。


テーブルにはスポーツドリンクに氷を入れてポットに入れたものや麦茶とドクダミ茶をブレンドして煮出し、これも冷たく冷やしてちょこちょこ飲みます。


普通、気温は季節に合わせて上下するものですが今年は朝になってみないと判らないのです。


秋になると先週より今週が過ごしやすくなりますが今年は先週より今週が暑かったり昨日は朝涼しくて窓を閉めて寝ても次の日は熱帯夜になったり・・・。


いつも涼しい我が家、夜はもうクーラーは殆ど使わなくなりましたがまだ寝苦しい夜もあります。


理容院から帰った夫「暑くてかなわん。どこかへ避暑に行こう!」と言う。


が、私は残り物の処分や冷蔵庫の中の掃除を兼ねて佃煮を作りかけていたのでお昼ご飯を食べてから出かけることにした。


昨日のご飯の残りで梅雑炊、ちりめん雑魚が沢山冷凍してあるのでちりめん山椒。


昆布も山椒を入れて佃煮に。


それに昨日作った大豆モヤシのナムル。


まあ変な取り合わせですがこれでも結構いけましたよ。


食べた勢いで大急ぎで支度。


冷凍してある麦茶をタオルにくるんでリュックへ。


車に乗ると強い日差しで目がクラクラ・・・。サングラスをかけて白内障の予防を。


さて、どこ行く?芸北しかないっしょ、と車を走らせる。


まあ行き当たりばったりのp様、途中から向きを変えて恐羅漢山に行こうと言います。


私は数度しか行ったことが無いのですが彼は若い頃スキーや登山で行っているので懐かしいそうです。


さすがにスキー場あたりは涼しいのですが前回行った時より整備されていてキャンプ場は結構若い家族連れがキャンプをしていました。


駐車場、道路、炊事場、トイレ、とてもきれいでした。


後で判ったのですがキャンプ場の人が後ろを追っかけてきたそうです。


黙って入場はいけなかったのかもしれません。


散策すると山野草が咲いているかもしれませんが今は黄色の女郎花が咲き誇っていました。


山の空気をいっぱい吸って北広島の家に行きました。


もう、陽が大分落ちてきて少しの間草抜きをしましたが土がカチカチで乾燥していました。


頑張って咲いているキレンゲショウマにたっぷりと水をあげて裏手に植えていた「ナンバンギセル」を見に行きました。


ススキの根っこに植えていたのですが草ぼうぼうで近寄れません。


昨年もこんな感じで草をかき分けながら根元を覗くと根元のあたりに花が咲いていて嬉しかったのですが今年はどうでしょう。


動くと汗ばむのですがやっぱり我が家は涼しくてしのぎやすいです。


お腹が空きはじめたので帰路について安佐町までは順調に流れていましたが動物園前後反対車線大渋滞です。


どうも今日も夜の動物園が開園しているみたいで延々と渋滞でした。


我々は反対方向でラッキーでしたけどね。


我が家に帰るとさすがに陽が落ちてクーラーなしでもしのげそう。


さて、明日はどこに逃げようか。