初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

アサギマダラ

2015-07-31 | 写真

今年は一日しか撮影に行く機会が無く、夫が機嫌よく連れて行ってくれたが台風並みに大荒れの天気だった。

ちょっと私には無理かな?と自信なく撮った枚数は少ないが今年もも会えた、という感動の記念にUPします。

風が強いためか吸蜜に来ていた蝶は数が少なかったが私も同じように風に翻弄され立っているのがやっと。

蝶と一緒に揺れながら撮るのがやっとでした。

もう、北を目指して旅立ったかもしれないね。

 

 

 


初めての猛暑

2015-07-31 | 思うこと

「初めての」などと書くと何かの特権のようですが本当に昨日の朝までは早朝に戸を閉めないと寒くてくしゃみが出るほどでした。

一戸建て、またはマンションの下の階の方は今までも熱帯夜あり、クーラーもかけずにいられなかったはず。

でも、今朝はちょっと暑いな~とトイレに行き、暫くまどろんで起きました。

最近はすっきりと起きられなくて、朝食に果物とヨーグルト、小さいパンを食べてニュース・朝ドラを見たら又ベッドに横になりました。

それから何時間か眠ったようですが喉が渇き起きようとしたら手が滑ってベッド脇に手が落ちてはまり、頭を壁にゴンッと打ち、身体をねじった状態で動けなくなりました。

病気をしてからこういう事は何度もありましたが大抵一人の時なので時間をかけて何とかするしかありません。

情けないやらはがゆいやらですが、今回は夫がいたので助けて貰いました。

でも、やはり肩の付け根を痛めたらしく、午後からの市民劇場は行かないことにしました。

午後、生協から荷物が届き、夏休みの子供たちのお昼ご飯にと注文したものが一箱あり、夕方部活から子供たちが帰ってきたら届けてそのまま田舎へゴーです。

お世話になっている夫の親戚へお中元を配ります。

本当に皆さんに親切にしていただいています。

でも、心の中では「私が元気だったらな」と、つい思ってしまいます。

口に出して言うと夫は怒ります。

今回は夫の実家について相談したいなと思っていたのでお昼がいいのですがこんなに暑くてはいくら田舎でも暑くて落ち着かないと思い夕方にしました。

いつも、帰宅すると家の周りのボウボウの草は綺麗に刈ってあり、田んぼもお世話を全部して下さいます。

一度改まって「少しでもお金を出させてください」と言っても「ついでだからおかねはいらん。俺が出来る間だ」の一点張りで甘えています。

それでも私は義父から色々と風習について聞いていましたので何とかお付き合い出来ますが生前義父のいう事を全く聞かなかった夫はこれからどうするのでしょう。

義父はお庭の手入れから田舎のお付き合いにまで私に託して逝きました。

私の実家は兄が全部母から受け継ぎ、家も大分前に壊して平地にしています。

同級生の不動産屋に頼んでいるとはいえ多分うれないであろうと思います。

我が家も草ぬきをしていた時、聞きに来られた方もいましたがお断りし、アメリカから来られる英語教師の方が日本家屋に住みたいと聞いてこられたこともありましたが屋根だけは全部やり治したのですが何分にも寒冷地、毎年、水道管が破裂してお風呂のみならず水洗トイレも家の中の管が破裂し、お断りしました。

まだ働いていた頃なら治せたかもしれませんが今は老後の守りに入っているのでお金は使いたくないし、夫が悩むのも無理はありません。

という事で一応宝くじを買ってみました。

当たればすぐに小さなログハウスに建て替えます。しかも、もう建築士は決まってるんですよ。

我が家の一部屋をログ調にして貰った1級建築士の方です。

当たると良いね。

こんな暑い日、こういう事考えてると涼しくなるから素敵~。

 


航空機事故

2015-07-27 | 思うこと

昨日の航空機事故。

お気の毒ですね。

私はニュースを聞いてから、ずっと昔、日航機が羽田沖で着陸に失敗して沢山の犠牲者を出したことを思い出しました。

私はその事故に巻き込まれ、重傷を負った人の介護をされた方の手記を読んで涙が止まりませんでした。

もし、私ならこんな辛い治療は受けたくないと思うような、その方の叫び声が聞こえてきそうな辛い治療を1年続けた挙句に亡くなったんです。

身体の6割以上でしたか、人間がやけどを負った場合は生きられないそうです。

私はその時の記述を忘れることが出来ません。

今回、生き残った方はそんなことにならないようにと祈らずにいられません。

勿論、色んな火災現場ではやけどの患者が同じ思いをしていると思います。

自分の身内でもないのに本当に背中がぞくぞくとして眠られない日でした。

ご冥福をお祈りします。


8.6

2015-07-24 | 思うこと

最近「8.6」と言ってもピンとこない人もいるらしい。

戦後70年も経ったなんて、ほんの数年の違いで「被爆者」「戦争を知らない世代」とか言われてきたが「戦争を知らない」なんてありえない。

でも、直接むごい生き方を強いられた人と私の父のように銃後に徹した運のいい人は紙一重ではある。

私の父は呉の海軍工廠に就職して戦艦を作り、攻撃が酷くなったので光市の日立造船に変わり、そこも攻撃が激しくなりやむなく実家に帰り、招集されたが終戦になり結局直接戦地に行くことなくそのまま穏やかに暮らした。

私には何も言わなかったが私は「山代巴」さんの本で父がいた呉海軍工廠の攻撃の凄さ、光の造船所の攻撃の様子が判った。

父からは具体的なことは聞いても何も語られることが無かったが「反戦」の意志は感じ取ることが出来たので私も兄も労働運動に没頭するようになった。

私が赴任した職場ではその頃、白血病で亡くなって行く同僚の方の噂を聞いていた。

私がたまたま仲良くしていた方と毎日ご飯やお茶に行っていた。

ある日、突然休まれて姿を見なくなった。

女性の多い職場だが急にいなくなると不審に思った。

口に出したことは無かったが様子を見ていた先輩から「彼女がどうしたのか心配してるんでしょ」と言われた。

「彼女はね実は白血病なの。だから治ることは無いけど今回はもう最後の入院で戻ってくることは無いわ」

それまでも先輩が白血病で亡くなったと言う話は聞いていたが、昨日まで一緒に並んで仕事をしていた人が、しかも、私より1歳違いの彼女が命を奪われるなんて私にはどうすることもできなかった。

数日後、彼女の訃報を聞いた。

私が広島に来て初めての衝撃だった。

それからは沢山の先輩の死や被爆者の運動にも参加してきた。

でも、結局日本はアメリカの核の傘から出てくる気は無いようだ。

私を含めて、日本中がこの国を変えようと思っていないのかな?と思う。

今年も例年と同じような、いや少しづつ状況は悪くなる一方の日本。

最近は知っている方が主催する集会に参加して話を聞くのみの参加になるが一体日本丸は何処へ行こうとしているのか。

我々は再び若者を戦場に送り出そうとしているのではないかと思う。

昨夜、時間を見つけつつ読んだ山崎豊子さんの「約束の海」

絶筆になってしまったが海上自衛隊の事がとても詳しく書いてある。

私の知り得ないことばかりだったけど「国防」とは?

戦時になると死も覚悟して任務に当たらなければならない自衛隊の事も、山崎さんは含めて危惧をされていた。

まるで、今の日本の状況を予言しているようだった。

全体の構成はすでにスタッフと打ち合わせてあったと書いてあったが日本人初のアメリカ軍の捕虜になった男性のことについて2巻で書く予定だったそうだ。

小説なので考え方は違う、と思う事もあったがテーマは壮大であった。

自衛隊=反対と若い頃は考えていたが、今回の安保法案は今までとは違う後方支援という事になる。

先日、ドイツが同じような法案を作った後の兵隊(自衛隊)が「後方支援なら戦争に巻き込まれない、死ぬことは無いと国は言ったが戦争状態で誰が当事国で誰が後方支援何てありえない。

同僚が巻き込まれて沢山死んだ。

本当にそうだと思った。

自衛隊は国を守るべきだがアメリカの核の傘にいる限り「日本は戦争を放棄したことにならない」と、世界中から見られているんだと思う。

何だか府抜けたような今年の8.6。

どうすればいいのかな~。


嬉しい話

2015-07-17 | 家族

先日、久しぶりに娘が我が家に来てPCで資料を作っていました。

コーヒーを飲みながらポツリポツリと色々話します。

下の二人の子は大分慣れたのか最近は来ることが少なくなってちょっと寂しい時期だったので黙って聞いていました。

すると、上の孫がやっと奨学金が借りられるようになり、それも無利子のが借りられるようになったとのこと。

その上に授業料も免除になったそうです。

「私は最近忙しく、連絡取っていなかったけど頑張っていたんだよね」

私も夫もそれを聞いてホッとしました。

「あの子はやはり家から出して正解だった。学生生活を楽しんでいるんだねえ」と娘も嬉しそうです。

暫くして今度は自分の事。

昨年、契約社員になり、今年はいよいよ正社員の試験に臨むのだそうです。

試験の内容を聞いて驚きました。

色々な事案に対する処理の仕方ですがこれが全部できるとバリバリの管理者です(昔なら)

派遣法も変わり、今回沢山の人が辞めて行くそうです。

私たちは需要が多い時代で合理化が道半ば、働く側が企業を選べましたが大変な時代になったものです。

娘と孫の頑張りに私も刺激を受けて頑張らなくてはと思いを新たにしました。


ICT講習

2015-07-17 | 勉強

2輪目のレンゲショウマ

昨日撮った2輪目のレンゲショウマ。可愛いですね。

一昨日袋町で広島市ICTの講習会がありました。

今回は他の仲間と連絡を取り合う時間がなく自分の都合のいい日に申し込みました。

以前は毎月でしたが今年度1回目。

市長が代わるとICに興味が無いみたいで講習会は激減です。

今回は「GIMP]と言う画像加工ソフトの講習です。

所属する教室の先生もこのソフトが好きで、私は英語バージョンの頃からいじっていましたので内心「ラッキー」と思っていましたがもう一人の先生は本格的な写真をされますのでフォトショップが好きです。

私もフォトショップを買って一緒にに勉強会に参加していました。

フォトショップの方が私には判りやすくてそのおかげで「GIMP」も呑み込みが早くできるようになりました。

無料のソフトで皆さんに負担にならないようにと気を使っておられるのでしょうね。

二人の先生がいると私はどちらも学べるのでラッキーです。

もう一人のアシスタントさんはスマホやIpadも使い方を良く知ってて私はすべて無料で教えて貰えます。

私はさしあたって笑わせ係のようなものでしょうか?みんながゲラゲラ笑います。

時おり夜10時過ぎると電話がかかります。

最初は教室の日はいつも誰かがかけてきましたが今は時おりになりました。

「先生」には敷居が高くてかけにくいのでしょうかね。

私もそれで皆さんのお役に立てるのなら本望です。

12:30分終了。

お昼はいつものアンデルセンに行きました。

一人でパスタランチ。

おひとりさまが多くて気が楽です。

病気をしてから歩く時間も遅くなり、食べ物も食べたくない日があったりと一人の方が気が楽です。

最初は何も考えずに皆さんに着いて行っていましたが最近は若い方も入られたので少々きつくなりました。でも、あと二年、70歳まではボランティアしたいなと思っています。

そして、ICTボランティアの権利を譲って次の若い方に引き継いで行ければいいかなと思っています。

第3の人生はゆっくりとこれまでの経験を生かし、絵手紙や押し花をし乍ら友人に手紙を描いたり、写真を写しに行ったりじっくりと本を読んだり・・・贅沢な夢を持っています。

先日、本屋で山崎豊子さんの「約束の海」を見つけ今読んでいます。

彼女に関しては色々と言われていますが小説としては面白いのです。

彼女自身が言っているように事実をそのまま書いても面白くは無い。

事実を脚色しながら書くのが小説家なのだ、と公言されていますが今回は海上自衛隊の話。

今回の安保の強行採決の怒りがまだ脳裏にあるだけに早く読みたい。

まだ読み始めたばかりですがこれが絶筆の本じゃあないのでしょうか。

家事も放りっぱなしで読みたいけど当分お預け。

今夜は孫ちゃんが食事に来ます。

さて、準備に取り掛かるとしましょう。

今日は炊き込みご飯と天ぷら。

昨日野菜市でニンジンの葉、さつまいも、ごぼうを買ったらニンジンをおまけして貰ったのでそれに冷凍の鶏肉(唐揚げ用)を解凍して友人に貰った塩レモンに漬けてから揚げ。

いかが?


写真教室で

2015-07-06 | 写真

 

 

 

先月の写真講座は雨で中止になった。

それで講義が中心だったが先生が師事された有名な先生のDVDを見たり、理論などの勉強をしたが余り判らず今回も自分流で写してきた。

風景写真の構図は特に難しくて今まで写したものを持って行って指導して貰う事にした。

そう言えば・・・とPCの中を探すと先日田舎に行った時スマホで撮った写真があったと思いだした。

昨年から手つかずの庭の隅で一輪レンゲショウマが咲いていた。

その日も10分くらいで帰ったので雑草も抜けず、今年花を付けなかったのもあり友人に引き取って貰うようにお願いした。

夫には言うと不愉快な顔をされるので黙っていたが田舎の家に行くのが負担なのかもしれないので町に勤めていた親戚に相談に行こうと言った。

しぶしぶだが一応了解してくれた。

田舎には古民家の登録制度があり貸したり売りに出したりしていて我が家の近所はもう売れた所もある。

娘も息子も家の処分をしてくれと言っている。

私も自力で行くことはできないので大事に育てた山野草は早く誰かに譲ろうと思っている。

でも、市内は暑いので育たないかもしれない。

今年はシラネアオイが大きく育ち、花芽もたくさんついた。

キレンゲショウマも今年は勢いがいい。

レンゲショウマもつぼみを沢山つけている。

少し寂しい家の断捨離である。


マルモッタンへの旅(モネの庭)

2015-07-05 | 写真

7月2日、以前から行きたいと思っていた北川村のモネの庭に行ってきました。

以前、高知までは日帰りしたので頑張れば行けるかな?と思っていたのですが高速道を降りてからが時間がかかり、着いたのは午後1時。

前日から用意していたので朝は7時過ぎに出発。

これが誤算で平日だったので高速入口まで30分かかり、小谷サービスエリアでの朝食も10分位で済ませ、ひたすら走りましたが途中昼ご飯を食べて一般道を走りました。

山の中、小さな町の一般道は時間がかかります。

青いスイレンは午後になると花が閉じるので頑張って池まで歩きました。

昨日は大雨だったそうで道が濡れていたけど私が写真を撮る間は大丈夫でした。

レストランに降りたら小さい雨が降り始めみんなアイスクリームを食べているので私たちも食べて、自家製のパンを買いました。

ベランダから花の庭が見えますが花の好きな方は5月くらいがバラが咲いて奇麗でしょうね。

写真を見たら紅葉もなかなか風情があって良かったです。

モネの庭の周りは山野草も咲いていて緑がいっぱい。

モネは殆どの人が知る画家ですが随分前に山口美術館に来て見に行った時、美術館の学芸員の方にいろいろ教えて貰って二階から眺めたり、方向を変えて眺めたりしてその魅力にはまってしまいフランスには行けないけど高知までなら行きたいねと毎年言ってるのですがスイレンはちょうど梅雨の時期。

しかも、青いスイレンが見たいので今回はまあまあのチャンスでした。

その代りお土産も買えず、美味しいものも食べずとても忙しい旅でした。

四国はまだ高知の朝市、大塚美術館、そして、もう一度岳人の森、これだけは行きたいのです。

しかし、高速代、凄いかかりますね。そして、疲れます。

頑張ってくれた夫に感謝です。