終戦の知らせ
長引く戦争に竹槍や防火のバケツリレーなどの教練や動員も頻繁になり
表向きは勝利を疑わないものの「この戦争はどうなるのか」といった不安が
ささやかれていた時でした。 もし万が一、日本が負けるようなことにでもなったら
「殺される前に唐笠のダムへ飛び込まねばならない・・・」と半ば本気で話していた。
20年の8月、その日もお勝手で昼の支度をしながら、といってもご飯が食べられる
わけでもなく毎度毎度のサツマイモでも蒸かしながら、ラジオを聞いていたのだろうと
思います。 いよいよ正午になり、天皇の声に接したのは初めてでした。
ラジオの状態も良好とは言えず何を言っているのか判然とせず、かろうじて「どうやら
戦争は終ったらしい」負けたようだと解った時、無いよりもこれでお産の時電灯が
気兼ねなく使えると思った、うれしいというものでした。
周囲に支えられて
当時の家庭分娩と産婆としての私の行動を大まかに記します。
お産に頼まれると、前もって産家を訪ねてボロの煮沸や、下準備の指導を家族と一緒に
準備して、これこれの状態になったら呼びに来てくれるよう言い置いて戻る。
お産が迫ると家の人が呼びに来たり、電話をくれるので出かけます、中には着いたら
生まれて居たり、ぎゃくになかなかうまれず、遠方の方などはとまりがけになることも
少なくありません。
ある日曜日、朝から産後訪問で何軒もまわって、夕方帰宅すると、長女が綿入れの着物を
血だらけにして遊んでいます、水を飲みに行って転んだ拍子に、割れた茶碗のかけらで
口元を怪我したらしい、父親もたまたま休みで畑仕事、子守りは長男に委ねられていた。
S.医者に連れて行き縫ってもらって事なきを得ましたが、男の子3人の次にやっと生まれた
女の子だったので、長女の事をことのほかかわいがっていた父親に長男がこっぴどく怒られ
私が帰った時、長男はいたたまれず、本家に逃げ込んでいたということもありました。
留守番がいると思って、出歩いていた時に起きたことなので、長男にも、長女にも気の毒な思いをさせたと今でも心に残っています。
長引く戦争に竹槍や防火のバケツリレーなどの教練や動員も頻繁になり
表向きは勝利を疑わないものの「この戦争はどうなるのか」といった不安が
ささやかれていた時でした。 もし万が一、日本が負けるようなことにでもなったら
「殺される前に唐笠のダムへ飛び込まねばならない・・・」と半ば本気で話していた。
20年の8月、その日もお勝手で昼の支度をしながら、といってもご飯が食べられる
わけでもなく毎度毎度のサツマイモでも蒸かしながら、ラジオを聞いていたのだろうと
思います。 いよいよ正午になり、天皇の声に接したのは初めてでした。
ラジオの状態も良好とは言えず何を言っているのか判然とせず、かろうじて「どうやら
戦争は終ったらしい」負けたようだと解った時、無いよりもこれでお産の時電灯が
気兼ねなく使えると思った、うれしいというものでした。
周囲に支えられて
当時の家庭分娩と産婆としての私の行動を大まかに記します。
お産に頼まれると、前もって産家を訪ねてボロの煮沸や、下準備の指導を家族と一緒に
準備して、これこれの状態になったら呼びに来てくれるよう言い置いて戻る。
お産が迫ると家の人が呼びに来たり、電話をくれるので出かけます、中には着いたら
生まれて居たり、ぎゃくになかなかうまれず、遠方の方などはとまりがけになることも
少なくありません。
ある日曜日、朝から産後訪問で何軒もまわって、夕方帰宅すると、長女が綿入れの着物を
血だらけにして遊んでいます、水を飲みに行って転んだ拍子に、割れた茶碗のかけらで
口元を怪我したらしい、父親もたまたま休みで畑仕事、子守りは長男に委ねられていた。
S.医者に連れて行き縫ってもらって事なきを得ましたが、男の子3人の次にやっと生まれた
女の子だったので、長女の事をことのほかかわいがっていた父親に長男がこっぴどく怒られ
私が帰った時、長男はいたたまれず、本家に逃げ込んでいたということもありました。
留守番がいると思って、出歩いていた時に起きたことなので、長男にも、長女にも気の毒な思いをさせたと今でも心に残っています。