意思による楽観のための読書日記

日本幻論 五木寛之 ****

五木寛之の講演録集である。

隠岐島が江戸末期から明治にかけて一時的に農民によるコミューンのような疑似独立が成立したときがあったという話。180にもなる島からなる隠岐は島前と島後と大きく二つに分けられて文化的にも人々の暮らしも大きく異なるという。島前には畑はなく海運と漁業で成り立ち人々は明るく社交的、島後ろには畑も田んぼもあり漁業も盛んだが気候は厳しく、人々は島前に比べると融通が利かず向学心が強い。1868年に島後の農民たちが一致団結、松江藩から派遣されている代官を追放してしまったという隠岐騒動が起こり、そのときの廃仏毀釈運動が激しく、殆どの寺と仏像が打ち壊されたという。50日ちょっとの間の独立は松江藩の軍隊に鎮圧され、さらに明治政府の管理の元におかれたという。

九州は熊本などには「カヤカベ」という隠れ念仏信仰があるという。神棚をお祀りしてあるのだがその裏には仏像があり、実は一向宗、浄土真宗を信仰しているのだといい、時の権力者に見つからないように隠れて信仰しているために隠れ念仏というのだという。体制側としては一向宗徒が一揆を起こし騒乱を招くことをおそれているために弾圧をする、それから逃れるためにはしっかり年貢は納め、表面上は神への祈りを捧げるように隠れているのだ。一向宗の教えは仏の前での平等、一向宗の特徴は団結、一向宗の思想は徳川幕府体制とは相容れないものだった。蓮如は北陸から九州にかけての信者獲得で、表面上の振る舞いと信仰を実際的に分けて生き残ることを信者に教えたという。隠れながら念仏を唱え、信仰は内心に隠せ、とうい隠れ、隠し念仏だというのだ。

蓮如の教えは民衆の目線にたったものだったという。親鸞は聖人だったが、蓮如はいまでも蓮如さんと北陸でも近畿でも呼ばれているという。教えは弥陀如来を信じること、仏の前では男女も四民も平等であるという。一時廃れていた本願寺は蓮如の時代に復活、500万人の信者を獲得したという。親鸞が生まれたといわれる日野の法界時、蓮如の墓がある山科、その地を訪れた筆者は二人の聖人を身近に感じた、教えが人々に近いものだったことを実感したという。

セイタカアワダチソウという外来種が戦後日本に持ち込まれ九州から北陸にかけてススキなどの日本種を一時は駆逐したように見えたが、最近古来種の草が盛り返しているという。文明文化でも同様のことがいえないか。欧米文化が明治維新後から太平洋戦争以降も日本を接見したが、今日本古来の生活や文化の良さが見直されている。神仏習合があり、廃仏毀釈を経ても仏教の教え、儒教の考え方はしっかりと日本人の心に根付き、仏教が日本と同じように伝わっていた韓国には1000万人近くのキリスト教徒がいるのに、日本ではキリスト教徒は100万人もいない。韓国では人口の25%がキリスト教徒になったのは受け入れる土壌があり、日本にはなかったのだろうか。日本は古来より複数の文化が複数の経路で流入してきていたため、複数の考え方を受容し消化するという文化が成立していたが、韓国では中国からの流入に絞られていた。これが日本ではこれほどにも仏教が広まった理由だという。仏教伝来は552年といわれるが、それ以前にも様々な形で仏教や道教、儒教の教えは入ってきていた。仏教は「宅配便」で日本に届けられたのではなく、人々ともに入ってきた。そうした下地がああったので、空海が仏教を日本の天皇と政治統治の仕組みとして取り入れることができた。

筆者は日本におけるジプシーのような人々の存在にもふれているが、これは興味深い。くぐつ師や博打打ち、白拍子、鋳物師、などであり、統治者からすれば税金や兵役を逃れる人間たち。こうした非・常民が日本にも沢山いたことを示唆している。差別と統治、非常民についても調べてみたい。
日本幻論 (新潮文庫)

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