朝鮮からみると、同じように高句麗、百済、新羅の昔から百村江の戦いに勝ち、倭寇に悩まされながらも秀吉による侵略も含めて、日本とは戦って何度も日本からの侵攻を防いできた。それが李王朝の滅亡時期に日本が先に開国し、文明開化とともに先に近代化、日清日露の戦争では朝鮮半島が戦場となり、戦争の結果として、1911年には日本に併合されることになってしまう。ここでも1890年台から1945年までのほぼ50年、日本に支配されていた、という父祖の怨念ともいうべき感情を歴史に刻み込んでいる。それがサンフランシスコ条約で戦勝国として扱われず、国家賠償は戦後長い時間かかった日本との二国間交渉で、韓国にとっては不満な内容で決着した。クーデターで政権を取った李承晩がこうした交渉を司り、竹島問題もここに発生原因があるのだが、当時は戦敗国だった日本は、李承晩が一方的に線引きした国境線についてクレームできていなかったことにも問題がある。
しかし、こうした歴史観は、戦争、抑圧、虐殺、日本語強制、などの歴史の記憶が語り継がれた恨みと重なって現代の若者達にも引き継がれている。これを前向きな国同士の関係にプラスにしていかなければならない。お互いに異なる歴史観を持ちながらの共通会話はなかなか難しい。これがこの本が書かれた意図である。自虐的歴史観とこれを呼ぶ人たちもいる、しかし、こうした歴史観を中国、韓国、北朝鮮の人たちは持っていると言うことを知ることは重要である。人は歴史に学ぶ必要があるのだが、それがなかなかできないのは、自分が間違ったわけではない、という考えからではないか。自分は確かにその時には存在しなかった、しかし間違った歴史観を肯定するとしたら、その間違った歴史観に荷担することになる。主張すべきは言う一方で、相手の主張を聞き、物別れに終わることなく未来志向の関係を築く、そのための努力を惜しんではいけない。素直な心で歴史に学びたい。
未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史
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