意思による楽観のための読書日記

未来を開く歴史 東アジア3国の近現代史 ***

「親日派のための弁明」は文字通り、日本びいきの目から見た近代日朝史であった。これは、中国、韓国、特に現代の韓国人から見た東アジアの日本で言う江戸末期から明治、大正、昭和時代の歴史である。歴史教科書問題で日本でも議論にはなっているが、中国や韓国で現代史がどのように教えられているのか、日本に詳しく伝えられることは稀である。日清戦争から太平洋戦争終了まで、中国の本土、特に満州の地は日本と日本陸軍に蹂躙されてきた。途中、清王朝の滅亡と辛亥革命、国民政府設立などがあり、国民政府側でも日本の力を利用するという場面もあったが、概ね日本が武力で中国国土からでる資源を収奪、人民を支配してきたことは事実である。さらに、満州事変以降は多くの中国人、一般人を殺戮してきたことも事実。中国人から見れば、遠くは稲作や青銅器技術を伝え、遣唐使や遣隋使の昔から道教、儒教、仏教を初めとした学問、宗教、などを伝えることで文明の共有と伝導をしてきた国から、近代になってたまたま先に国民国家を成立させた日本から一方的に収奪された1994-1945年の50年というのは屈辱の期間であった。

朝鮮からみると、同じように高句麗、百済、新羅の昔から百村江の戦いに勝ち、倭寇に悩まされながらも秀吉による侵略も含めて、日本とは戦って何度も日本からの侵攻を防いできた。それが李王朝の滅亡時期に日本が先に開国し、文明開化とともに先に近代化、日清日露の戦争では朝鮮半島が戦場となり、戦争の結果として、1911年には日本に併合されることになってしまう。ここでも1890年台から1945年までのほぼ50年、日本に支配されていた、という父祖の怨念ともいうべき感情を歴史に刻み込んでいる。それがサンフランシスコ条約で戦勝国として扱われず、国家賠償は戦後長い時間かかった日本との二国間交渉で、韓国にとっては不満な内容で決着した。クーデターで政権を取った李承晩がこうした交渉を司り、竹島問題もここに発生原因があるのだが、当時は戦敗国だった日本は、李承晩が一方的に線引きした国境線についてクレームできていなかったことにも問題がある。

しかし、こうした歴史観は、戦争、抑圧、虐殺、日本語強制、などの歴史の記憶が語り継がれた恨みと重なって現代の若者達にも引き継がれている。これを前向きな国同士の関係にプラスにしていかなければならない。お互いに異なる歴史観を持ちながらの共通会話はなかなか難しい。これがこの本が書かれた意図である。自虐的歴史観とこれを呼ぶ人たちもいる、しかし、こうした歴史観を中国、韓国、北朝鮮の人たちは持っていると言うことを知ることは重要である。人は歴史に学ぶ必要があるのだが、それがなかなかできないのは、自分が間違ったわけではない、という考えからではないか。自分は確かにその時には存在しなかった、しかし間違った歴史観を肯定するとしたら、その間違った歴史観に荷担することになる。主張すべきは言う一方で、相手の主張を聞き、物別れに終わることなく未来志向の関係を築く、そのための努力を惜しんではいけない。素直な心で歴史に学びたい。
未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史

読書日記 ブログランキングへ

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事