このところ、やっと日本仕様になってきたのに・・・・あと数日で又シンシナテイ行き。
忙中閑ありとて、このところは友達とうろうろ。
昨日は京都へ。南座前で待ち合わせて、初詣行ってないし・・・と、八坂神社へ。
南座前は着物姿の開演待ちの人であふれ、まだお正月気分ぬけずと言った感じ。招きを見れば、前進座の公演だった。前進座にもこんなファンがいはるんや!
柴漬け作りすぎました、半額で買って下さいすと手書きのチラシの下がった漬物屋さんに吸い込まれて、友達と試食し放題。おいしいねーー、京都のお漬物!と、言いつつ買ったのは柴漬け。
前も同じパターンで柴漬け買った記憶が・・。故意の作りすぎか・・・・。ふふーーん。
八坂神社に行くと、本殿前にロープが張ってあり、ロープの外に人だかりが。なんやろか?とて、友達が子供づれの女性に声を掛けると、サンガの選手が必勝祈願に来るんです。サポーター?白峰神社へは行かないのね。
本殿前で拝んで、振り返ると選手がやってきている。結局一番いい場所で昇殿前の選手を見ることになった。写真撮り放題。
サンガも一応地元という事で、応援しているんだけど・・・低迷中。あんまり選手の顔を知らないんだが。
でも、あの韓国代表の朴 智星がいてたんやで・・・とは、今は昔。
当時二人いた韓国選手の住んでいたマンションの1階にはレストラン(今はつぶれた)があって、ハングルの辞書がおいてあった。
市内には《京都パープルサンガ選手寮 RYOUMA》もあるし、もうちょっと応援してあげないとだめかな。今まで1回しか試合を見に行ってない・・・
今年は、どうか?
後は、お決まりランチ&おしゃべり。
一人暮らしも気楽なものです。
日本に帰ってきて丁度1週間たった。超多忙で時差ぼけしている暇もなく・・・
とにかく家(使ってない部屋)は寒いんだけれど・・天気予報が伝える各地の気温に、外界はそんなに寒くないんだなーーと、思ったり。気温に対する感じ方が変わってしまった。
シンシナティでは、家の中は(日本人家庭はそんなに高温にはしないけれど)暖かで、外出しない限り冬という事を忘れてしまう・・。でも、外の気温は零度前後を上がったり下がったり。
シンシナティは乾燥していたからか、体もドライ気味・・体重減った!・・と大喜びしていたのに、日本の湿度で体もジューシーになったか、あれよあれよと帰国時から3kgもふえてしまった。
向こうで会った女性が、乾燥で髪の毛がごわごわしたけど、6ヶ月立つとなじむのか髪質も変化したと言っていた。
tesyukeもむこうでは《静電気で髪が逆立つ》のに良く似た状態だった。現地になじむまでには時間不足でどうしょうもなかったけれど、なんだか今は落ち着いた・・。
6日夕刻に関空に付いたが、今回麻薬探知犬の多さにびっくりした!
手荷物引渡し所ではアトランダムに犬が旅客の間をうろうろ。税関では意識的に一人一人の横を犬を歩かせ、失礼しましたといって去っていく。あんまり気分のいいものではないけれど・・・。友達に話せば、麻薬で日本はすごいことになっているんやで!と、のたもうた。水際で食い止めてくれているんだ!ありがと。
思えば長旅。時計の時間をシンシナティ時間のままにしていたので、アーー今むこうでは何しているとか双子に思いをはせながらの旅だった。今まで家を空けた最長は1ヶ月。3ヶ月近くなるとかなり浦島太郎ぎみ、世の中変わって見える。それに、誰もいない家に帰るのは今回が初めて。(hus.とシンシナティでスイッチ)
後で(旅行社の人に)聞けば、天候が雪で荒れぎみ、飛行機運行がかなり乱れていたらしい。ほんとに飛行機が遅れて遅れて・・大変だった。
朝の6時ジャストにシンシナテイ空港離陸が、30分近く送れて。シカゴで乗り継ぎに55分しかないのに・・といらいら。シカゴでよそみの余裕もなく(なんだか長い寿司カウンターが目に入ったが・・)国際便発着エリアまで大忙し。無事全員、搭乗を終えて、いざサンフランシスコまで・・・・と、それがぜんぜん動きもせずに1時間待ち!
最初のアナウンスは、遅延でシスコで乗り継ぎが出来なくなった人への案内。tesyukeはサンフランシスコでは乗り継ぎに余裕の2時間。いやーー・・よかった!とは言え、食事する暇があるのやらと、機内ランチを。国内線は有料。
シスコー関空間は正式のチケットはまだ貰っていないので、ゲートがわからない。ボードで立ち止まってチェック。KANSAIが見当たらない。えーー、アルファベットで
Kはどこ?H・I・J・K・L・・ないない見当たらない。もちろんOSAKAでも。最終目的地が違うのかもと航空会社機種ナンバーをざーーーつと、見るが、ない・ない・ない・・。
あわててカウンターに聞きに行く。まーー無事にゲートもわかり、チケットも手にはいり、やれやれ。ジャスト時間内にすべて済み、後は一路日本へ。と、ここでも出発は1時間送れ。まあこんなものか。
とにかく家(使ってない部屋)は寒いんだけれど・・天気予報が伝える各地の気温に、外界はそんなに寒くないんだなーーと、思ったり。気温に対する感じ方が変わってしまった。
シンシナティでは、家の中は(日本人家庭はそんなに高温にはしないけれど)暖かで、外出しない限り冬という事を忘れてしまう・・。でも、外の気温は零度前後を上がったり下がったり。
シンシナティは乾燥していたからか、体もドライ気味・・体重減った!・・と大喜びしていたのに、日本の湿度で体もジューシーになったか、あれよあれよと帰国時から3kgもふえてしまった。
向こうで会った女性が、乾燥で髪の毛がごわごわしたけど、6ヶ月立つとなじむのか髪質も変化したと言っていた。
tesyukeもむこうでは《静電気で髪が逆立つ》のに良く似た状態だった。現地になじむまでには時間不足でどうしょうもなかったけれど、なんだか今は落ち着いた・・。
6日夕刻に関空に付いたが、今回麻薬探知犬の多さにびっくりした!
手荷物引渡し所ではアトランダムに犬が旅客の間をうろうろ。税関では意識的に一人一人の横を犬を歩かせ、失礼しましたといって去っていく。あんまり気分のいいものではないけれど・・・。友達に話せば、麻薬で日本はすごいことになっているんやで!と、のたもうた。水際で食い止めてくれているんだ!ありがと。
思えば長旅。時計の時間をシンシナティ時間のままにしていたので、アーー今むこうでは何しているとか双子に思いをはせながらの旅だった。今まで家を空けた最長は1ヶ月。3ヶ月近くなるとかなり浦島太郎ぎみ、世の中変わって見える。それに、誰もいない家に帰るのは今回が初めて。(hus.とシンシナティでスイッチ)
後で(旅行社の人に)聞けば、天候が雪で荒れぎみ、飛行機運行がかなり乱れていたらしい。ほんとに飛行機が遅れて遅れて・・大変だった。
朝の6時ジャストにシンシナテイ空港離陸が、30分近く送れて。シカゴで乗り継ぎに55分しかないのに・・といらいら。シカゴでよそみの余裕もなく(なんだか長い寿司カウンターが目に入ったが・・)国際便発着エリアまで大忙し。無事全員、搭乗を終えて、いざサンフランシスコまで・・・・と、それがぜんぜん動きもせずに1時間待ち!
最初のアナウンスは、遅延でシスコで乗り継ぎが出来なくなった人への案内。tesyukeはサンフランシスコでは乗り継ぎに余裕の2時間。いやーー・・よかった!とは言え、食事する暇があるのやらと、機内ランチを。国内線は有料。
シスコー関空間は正式のチケットはまだ貰っていないので、ゲートがわからない。ボードで立ち止まってチェック。KANSAIが見当たらない。えーー、アルファベットで
Kはどこ?H・I・J・K・L・・ないない見当たらない。もちろんOSAKAでも。最終目的地が違うのかもと航空会社機種ナンバーをざーーーつと、見るが、ない・ない・ない・・。
あわててカウンターに聞きに行く。まーー無事にゲートもわかり、チケットも手にはいり、やれやれ。ジャスト時間内にすべて済み、後は一路日本へ。と、ここでも出発は1時間送れ。まあこんなものか。
あと2時間ほどでMKスカイゲイトシャトルが・・
夕刻出発便で、シンシナテイへ。
で、ナーーンもすることがないので
先週末参加した京都橘大学女性史文化研究所のシンポジウムの話など。
今年のテーマは《幕末・明治の京都と女性》
講演①幕末維新の朝・幕の女性 講師辻ミチ子さん
②明治の京都を訪れた外国人皇族たち 高久嶺之介
まず辻さん! 師範学校(ふ、ふるい!)を出て教師をしながら大学・院を出られたとか・・・で、御年80歳。仕事をリタイアされた今も学究の徒。前宇治市歴史資料館館長
内容は、和宮と九条夙子(孝明天皇妃)をめぐって
京女の語り口で、②の講師が、関東の出身者が40年京都に住んでも、和宮‘さん’といって話しは出来ませんわと嘆いていた。
辻さんが最後に熱弁をふるわれたのは、和宮は決して弱い女性ではなかったという点。いったん納得したら身を犠牲にすることをいとわない強さ。文書に残る彼女の意思として《孝 貞操 悌 女の一分》を上げ、《虫のような女でも一分あり》と彼女は記していると・・
あとのパネルデイスッカションの中で辻さんの語り。
幕末の京女には情報は沢山はいっており、それをよく書き留めたりしている。で、《女も政治に関心を持ち・・よくうわさをし・・好き嫌いが激しかった・・》のだとか。とにかくうわさによる偏見がきつかったようだ。そして。本音としては、いずれ帰らはる人には良く尽くすが、長くいられるのは嫌い・・なんだとか。
逆に言えば、外から入ってきた人には住みにくいところ。
辻さんがこんな話もありますよと・・tesyuke近所の話しなので・・ちょっとうれしい。
禁門の変に敗れた長州兵が逃げていくとき新田(宇治市)近くの女の人がおにぎりをこしらえて彼らに食べさせた。早く逃げて言って頂戴という親切心ですわ・・
②の高久先生。このテーマでの研究は皆無に近かったらしく、残された資料から彼らの足跡を解説。イギリスヴィクトリア女王の孫2人。あの大津事件のロシア皇太子。おまけにあのサラエヴォで暗殺されたオーストリア皇太子。各人の若き日の来日。
卑近な話題でびっくりしたのは、彼らすべてが,刺青をしたがったということ。日本ではその当時禁止の法律が出来ていたが、何とか実現させたとか。日本の刺青の技術が西洋では有名であったらしい。
とにかく最近《観光立国》等という言葉が脚光を浴びてきているが、明治期前半の京都には
観光などという言葉はなく琵琶湖疏水も工業化を目指してのものであったし、職人の町の側面が強かったと、先生。
観光の側面が強く出てくるのは、大正期から。
京都イコール観光のイメージが強いが・・
《京都の基本は物作り》そして《多面的に面白さを持った都市像を作ったほうが良いかな?》と高久先生。
確かに・確かに・芯となるものを失って、観光に逃げ込む町の多いこと。
夕刻出発便で、シンシナテイへ。
で、ナーーンもすることがないので
先週末参加した京都橘大学女性史文化研究所のシンポジウムの話など。
今年のテーマは《幕末・明治の京都と女性》
講演①幕末維新の朝・幕の女性 講師辻ミチ子さん
②明治の京都を訪れた外国人皇族たち 高久嶺之介
まず辻さん! 師範学校(ふ、ふるい!)を出て教師をしながら大学・院を出られたとか・・・で、御年80歳。仕事をリタイアされた今も学究の徒。前宇治市歴史資料館館長
内容は、和宮と九条夙子(孝明天皇妃)をめぐって
京女の語り口で、②の講師が、関東の出身者が40年京都に住んでも、和宮‘さん’といって話しは出来ませんわと嘆いていた。
辻さんが最後に熱弁をふるわれたのは、和宮は決して弱い女性ではなかったという点。いったん納得したら身を犠牲にすることをいとわない強さ。文書に残る彼女の意思として《孝 貞操 悌 女の一分》を上げ、《虫のような女でも一分あり》と彼女は記していると・・
あとのパネルデイスッカションの中で辻さんの語り。
幕末の京女には情報は沢山はいっており、それをよく書き留めたりしている。で、《女も政治に関心を持ち・・よくうわさをし・・好き嫌いが激しかった・・》のだとか。とにかくうわさによる偏見がきつかったようだ。そして。本音としては、いずれ帰らはる人には良く尽くすが、長くいられるのは嫌い・・なんだとか。
逆に言えば、外から入ってきた人には住みにくいところ。
辻さんがこんな話もありますよと・・tesyuke近所の話しなので・・ちょっとうれしい。
禁門の変に敗れた長州兵が逃げていくとき新田(宇治市)近くの女の人がおにぎりをこしらえて彼らに食べさせた。早く逃げて言って頂戴という親切心ですわ・・
②の高久先生。このテーマでの研究は皆無に近かったらしく、残された資料から彼らの足跡を解説。イギリスヴィクトリア女王の孫2人。あの大津事件のロシア皇太子。おまけにあのサラエヴォで暗殺されたオーストリア皇太子。各人の若き日の来日。
卑近な話題でびっくりしたのは、彼らすべてが,刺青をしたがったということ。日本ではその当時禁止の法律が出来ていたが、何とか実現させたとか。日本の刺青の技術が西洋では有名であったらしい。
とにかく最近《観光立国》等という言葉が脚光を浴びてきているが、明治期前半の京都には
観光などという言葉はなく琵琶湖疏水も工業化を目指してのものであったし、職人の町の側面が強かったと、先生。
観光の側面が強く出てくるのは、大正期から。
京都イコール観光のイメージが強いが・・
《京都の基本は物作り》そして《多面的に面白さを持った都市像を作ったほうが良いかな?》と高久先生。
確かに・確かに・芯となるものを失って、観光に逃げ込む町の多いこと。
梅棹忠夫さんがなくなられた。
まさに巨星落つ。
梅棹さんの全仕事を知っているわけでないけれど、あの国立民俗学博物館を作られた!と、言うだけで十分・・・
子供が小学生の頃には、車を飛ばして吹田の万博跡地にある同博物館によく行ったものだ。
今までにない博物館で足を一歩踏み入れたときのわくわく感が忘れられない。世界中の未知の品々・情報に囲まれて・・それも手の届く至近距離に・・あれは至福のひと時だった。
(今でこそどこにでもあるが、当時は最新の)ビデオブースで貴重な映像を見て、レストランで食事をして帰る。懐かしい時間が梅棹さんの博物館とともにあった。
ご冥福をお祈りします。
まさに巨星落つ。
梅棹さんの全仕事を知っているわけでないけれど、あの国立民俗学博物館を作られた!と、言うだけで十分・・・
子供が小学生の頃には、車を飛ばして吹田の万博跡地にある同博物館によく行ったものだ。
今までにない博物館で足を一歩踏み入れたときのわくわく感が忘れられない。世界中の未知の品々・情報に囲まれて・・それも手の届く至近距離に・・あれは至福のひと時だった。
(今でこそどこにでもあるが、当時は最新の)ビデオブースで貴重な映像を見て、レストランで食事をして帰る。懐かしい時間が梅棹さんの博物館とともにあった。
ご冥福をお祈りします。
来週は日本脱出というこの忙しいときに・・・忙しいときに限って・・なんだかだと出かける予定がはいっている。
6月26日と7月3日の二日間、大学コンソーシアム京都の教養講座「生物進化とヒトの本質」を受講してきた。最近京都産業大学に来られた八杉貞雄先生の講義。
とは言え、朝の9時半から12時半まで、・・アーーア土曜日のリラックスタイムに何で教室に座っているんだろうと・・半分後悔。
《ヒトは裸のサルか》という、フレーズにたぶらかされて申し込んだのだが・・。
加えて娘のフィールドが分子生物学、だのに母親はメンデルの法則あたりで思考停止。こりゃいかん、というわけで。
計4こまの授業で、多分学生の1学期分ぐらいの内容だろう。
プロンプターの原稿がそのままレジメになっていて、先生はあふれる知識でそれを補完し語られる。受講生は社会人25人弱。女性は5人。みんなまじめ、15分前には着席!している。(お、おそるべし)
あはっ、これはこれは! レジメの最初と最後のページにゴーギャンの絵がプリントされている。《われわれはどこから来たのか われわれはなにものか われわれはどこに行くのか》
生命誕生から40億年・・まさに今日の講義は《われわれはどこから来たのか われわれはなにものか》について。
生物は約40億年かけて、微小な細菌類から大型の哺乳類や巨大な樹木を進化させてきた。この驚くべき現象はどのような機構で生じたのか。そして、進化のほとんど最終段階でヒトを誕生させた。その環境や仕組みはどのようなものであったか、と。
まとめとして・・《われわれはどこに行くのか》
これについてはそれぞれの立場で考えて・・・だなんて!
が、先生のシナリオとしては
①地球上の偶発的な事件ですべての生物が滅亡する。
②地球の物理的条件の変化により生物生存の可能性がなくなる。その前に知的生命体が他の惑星に移住しているかもしれない。
③太陽系の崩壊により地球そのものが滅亡する。50億年後位?その前に知的生命体が他の惑星に移住しているかもしれない。
④宇宙の縮小と崩壊。
な・に・も・わ・か・ら・な・い・!・ ですと。
昔、私淑した教授が言った言葉を思い出した。世界は女性でもっていますナーー。何があっても楽天的に乗り切っていきますナーー。それが母性かもしれない。それに比べて男は・・・・
《われわれはどこに行くのか》と、そんな先の話を心配しても仕方がないと、いかなる時も女性はでんと構えて・・地球を救う??(笑)
まずは、進化論の歴史から。古代から始まってダーウインまでそして現代の進化学説まで。先生曰く、『広く人間のものの考え方全般に大きな影響を与えた、その意味でダーウインは人間の思想史の中で重要である。』
次は、現代生物学から見た生物の進化。出ました分子生物学(遺伝子の科学)。
なかなかついて行きづらい分野ながら、昔の生物の授業で習った、遺伝子とか染色体のなんと古色蒼然としていることか!
そして、生命(生物)とは何か。45.5億年分の流れをざーーーーっと。生物の分類体系は、分子的研究の結果、大幅に変化している、と。娘達はこのあたりで多少の貢献をしているのだなと、ニッコリ。
最後は、サルからヒトへ。メデイアをにぎわした、発見などもあり、一番身近な話だった。最近では、エチオピアで発見された初期人類の少女の化石(ディキカ・ベビー)がある。アフリカのイブ仮説というのも人口に膾炙している。(人類はアフリカにいたたった一人の女性に行き着く)と。これは母親由来のミトコンドリアがDNAの中に残るからということらしい。
で、《ヒトは裸のサルか》という、フレーズ。行動学者モリスの著書『裸のサル』から。
ヒトは毛のはえてないサルだ、それほど似ているという事。DNAレベルではまったく同じだとか。
そして新しい現代の(if)としては、《直立二足歩行ーー> 母親が子を抱けるーー> 新生児の期間が延びるーー> 脳の継続的発達が可能になったーー> 教育・社会性の獲得などが促され》 ヒトとなったのだと。
生物学の分野の進歩は目を見張るものがある。古い学説が否定され、新しい発見があり、右脳だか左脳だか刺激されっぱなしのtesyuke。カロリーをかなり消費したのか終了時には、あーお腹すいた状態。
写真:ダーウイン生誕200年(2009年)記念のTシャツのロゴ
ダーウインが進化論を発表た頃に描かれた風刺漫画から。
6月26日と7月3日の二日間、大学コンソーシアム京都の教養講座「生物進化とヒトの本質」を受講してきた。最近京都産業大学に来られた八杉貞雄先生の講義。
とは言え、朝の9時半から12時半まで、・・アーーア土曜日のリラックスタイムに何で教室に座っているんだろうと・・半分後悔。
《ヒトは裸のサルか》という、フレーズにたぶらかされて申し込んだのだが・・。
加えて娘のフィールドが分子生物学、だのに母親はメンデルの法則あたりで思考停止。こりゃいかん、というわけで。
計4こまの授業で、多分学生の1学期分ぐらいの内容だろう。
プロンプターの原稿がそのままレジメになっていて、先生はあふれる知識でそれを補完し語られる。受講生は社会人25人弱。女性は5人。みんなまじめ、15分前には着席!している。(お、おそるべし)
あはっ、これはこれは! レジメの最初と最後のページにゴーギャンの絵がプリントされている。《われわれはどこから来たのか われわれはなにものか われわれはどこに行くのか》
生命誕生から40億年・・まさに今日の講義は《われわれはどこから来たのか われわれはなにものか》について。
生物は約40億年かけて、微小な細菌類から大型の哺乳類や巨大な樹木を進化させてきた。この驚くべき現象はどのような機構で生じたのか。そして、進化のほとんど最終段階でヒトを誕生させた。その環境や仕組みはどのようなものであったか、と。
まとめとして・・《われわれはどこに行くのか》
これについてはそれぞれの立場で考えて・・・だなんて!
が、先生のシナリオとしては
①地球上の偶発的な事件ですべての生物が滅亡する。
②地球の物理的条件の変化により生物生存の可能性がなくなる。その前に知的生命体が他の惑星に移住しているかもしれない。
③太陽系の崩壊により地球そのものが滅亡する。50億年後位?その前に知的生命体が他の惑星に移住しているかもしれない。
④宇宙の縮小と崩壊。
な・に・も・わ・か・ら・な・い・!・ ですと。
昔、私淑した教授が言った言葉を思い出した。世界は女性でもっていますナーー。何があっても楽天的に乗り切っていきますナーー。それが母性かもしれない。それに比べて男は・・・・
《われわれはどこに行くのか》と、そんな先の話を心配しても仕方がないと、いかなる時も女性はでんと構えて・・地球を救う??(笑)
まずは、進化論の歴史から。古代から始まってダーウインまでそして現代の進化学説まで。先生曰く、『広く人間のものの考え方全般に大きな影響を与えた、その意味でダーウインは人間の思想史の中で重要である。』
次は、現代生物学から見た生物の進化。出ました分子生物学(遺伝子の科学)。
なかなかついて行きづらい分野ながら、昔の生物の授業で習った、遺伝子とか染色体のなんと古色蒼然としていることか!
そして、生命(生物)とは何か。45.5億年分の流れをざーーーーっと。生物の分類体系は、分子的研究の結果、大幅に変化している、と。娘達はこのあたりで多少の貢献をしているのだなと、ニッコリ。
最後は、サルからヒトへ。メデイアをにぎわした、発見などもあり、一番身近な話だった。最近では、エチオピアで発見された初期人類の少女の化石(ディキカ・ベビー)がある。アフリカのイブ仮説というのも人口に膾炙している。(人類はアフリカにいたたった一人の女性に行き着く)と。これは母親由来のミトコンドリアがDNAの中に残るからということらしい。
で、《ヒトは裸のサルか》という、フレーズ。行動学者モリスの著書『裸のサル』から。
ヒトは毛のはえてないサルだ、それほど似ているという事。DNAレベルではまったく同じだとか。
そして新しい現代の(if)としては、《直立二足歩行ーー> 母親が子を抱けるーー> 新生児の期間が延びるーー> 脳の継続的発達が可能になったーー> 教育・社会性の獲得などが促され》 ヒトとなったのだと。
生物学の分野の進歩は目を見張るものがある。古い学説が否定され、新しい発見があり、右脳だか左脳だか刺激されっぱなしのtesyuke。カロリーをかなり消費したのか終了時には、あーお腹すいた状態。
写真:ダーウイン生誕200年(2009年)記念のTシャツのロゴ
ダーウインが進化論を発表た頃に描かれた風刺漫画から。
京阪の中之島線なかなかクール(車体も駅もいい感じ)!
でも当初の予定より利用者が少ないらしい。で、利用してあげねば・・と、いうわけでもないが・・・・
中之島の国立国際美術館へ・・ルノワール展!
以前に息子の映画監督ジャン・ルノワールとのコラボで《ルノワール×ルノワール展》というのがあって、かなり面白い企画だった。
今回はルノワールの絵画のみを素直に鑑賞しに・・
でも、画家の長い人生の紆余曲折、絵画の変化していくさまがよくわかった。
大きなものではボストン美術館から《ブージヴァルのダンス》が出品されていた。これといったものは外国の美術館蔵が多かったが、展示の多くが日本国内の美術館の所蔵品であるのに驚いた!
ルノワールの信条は「人生には不愉快なことがたくさんある。だからこれ以上、不愉快なものをつくる必要なんかない」というもので、家に飾る絵はそれにふさわしくあるべきと考えていたとか。
実際日本の多くの美術館が購入するのにルノワールの作品は無難でお手ごろだったんだろう・・(私見です)。
中でもポーラ美術館が多くを蔵しており、ここの協力でルノワールの絵画の調査がなされ、結果が展示してあった。赤外線とX線で彼の絵画を調べると、初期のものには何度も描きかえたあとがあるのに、最晩年のものは一発で決めていると。
リューマチで不自由な体となりながらも、進化していくとは、すごいなーーと、これには感動した。
美術館内では、《荒川修作初期作品展》も開催されていたが、友達と一緒だったので寄らなかった。が、とっても気になった!
荒川修作さん最近亡くなられたので、これが企画されたのかどうかは知らないが、あの《養老天命反転地》の荒川さんの・・どんなんだろう・・と・・・。
《養老天命反転地》は、ネーミングから刺激的で、行きたい!行きたい!と思っていた。行った時にはかなり使い込んだ状態になっていたが、上ったり下りたり、翌日は筋肉痛だった。
《養老天命反転地》・・・荒川修作+マドリン・ギンズが30年間の構想の果てにいきついた、"肉体を再認知させる"ための場で、作品が公園として存在しその中に入ってその作品を体験するモダンアート
でも当初の予定より利用者が少ないらしい。で、利用してあげねば・・と、いうわけでもないが・・・・
中之島の国立国際美術館へ・・ルノワール展!
以前に息子の映画監督ジャン・ルノワールとのコラボで《ルノワール×ルノワール展》というのがあって、かなり面白い企画だった。
今回はルノワールの絵画のみを素直に鑑賞しに・・
でも、画家の長い人生の紆余曲折、絵画の変化していくさまがよくわかった。
大きなものではボストン美術館から《ブージヴァルのダンス》が出品されていた。これといったものは外国の美術館蔵が多かったが、展示の多くが日本国内の美術館の所蔵品であるのに驚いた!
ルノワールの信条は「人生には不愉快なことがたくさんある。だからこれ以上、不愉快なものをつくる必要なんかない」というもので、家に飾る絵はそれにふさわしくあるべきと考えていたとか。
実際日本の多くの美術館が購入するのにルノワールの作品は無難でお手ごろだったんだろう・・(私見です)。
中でもポーラ美術館が多くを蔵しており、ここの協力でルノワールの絵画の調査がなされ、結果が展示してあった。赤外線とX線で彼の絵画を調べると、初期のものには何度も描きかえたあとがあるのに、最晩年のものは一発で決めていると。
リューマチで不自由な体となりながらも、進化していくとは、すごいなーーと、これには感動した。
美術館内では、《荒川修作初期作品展》も開催されていたが、友達と一緒だったので寄らなかった。が、とっても気になった!
荒川修作さん最近亡くなられたので、これが企画されたのかどうかは知らないが、あの《養老天命反転地》の荒川さんの・・どんなんだろう・・と・・・。
《養老天命反転地》は、ネーミングから刺激的で、行きたい!行きたい!と思っていた。行った時にはかなり使い込んだ状態になっていたが、上ったり下りたり、翌日は筋肉痛だった。
《養老天命反転地》・・・荒川修作+マドリン・ギンズが30年間の構想の果てにいきついた、"肉体を再認知させる"ための場で、作品が公園として存在しその中に入ってその作品を体験するモダンアート
7月29日。なんということ雨!それも本降り。
港へ。大型客船が二艘停泊しているが、これらはストックホルム行。
ヴァイキングライン乗船所でタリン行きに乗り込む。雨にも負けず大勢の人が乗船!
天気が良ければ対岸は見えるかもしれないが・・やはりそれほど近くはない距離・・・
船の周りはすべてにび色。海は荒れて波高く、船は揺れる揺れる。水面を見ていると怖くなる・・・何事もなく着いてくれ・・と、祈る心境。
しかしこんなことは日常茶飯事なのか、船のスタッフはぺちゃんこの靴。それが床に吸い付いているのかと思うほど安定した立ち方で、上半身は揺れながらもすいすいと歩いている。
デッキには出られないので、屋根の下の席にぎっしりと客は座って、談笑したり、食べ物を注文したり、雨など気にかけていない様子。
しかし灰色でぬり込められた船内で、だんだんと退屈し始めた人々の目がかわいい子供に注がれてなんだか楽しい雰囲気が生まれている。あちこち移動しては乗客と笑いあっているのは遠めに見やると黒髪の活発そうな男の子。幼稚園児位。
タリンに着き下船。イミグレーションのため並んでいる時にその子の身元が判明!なんと日本の子供だった。日本の子があんなにフレンドリーに陽気にふるまって、みんなを和ませていたなんて!
びっくり、びっくり。いやいや、ちょっとうれしい!
親は?と見れば、バックパッカー風の個人旅行者。夫婦が幼い子供二人を連れての夏休み旅行のようだ。現地の人と触れ合いながらチープな家族旅行・・・大賛成。イフはないけど学齢以下の子供をつれて外国をうろうろする選択はtesyukeの時代にはなかった・・・
行列の果てに、エストニア入国。雨のせいもあるが、全体に薄暗い感じで、旧共産圏の匂いがふんぷん。多分、実用的な建物や無機質な色合いから感じのかもしれない。(2010年、きっと変化していると思うが・・)
通貨はまだユーロでないので、両替をしなければならない。ここまでにかなりの時間がかかったので、往復7時間20分のタリン行きで、タリンで過ごせるのは4時間をきっている。いったいどんな展開になるのやら。(高速船は片道1時間半。3時間は海の上)
tesyukeはまったく知らなかったのだが、タリンの旧市街地は世界文化遺産に指定されている。まずは、タリン歴史地区の散策。
写真:両替時に貰ったペーパー。右上にレートが印刷されている。100EEK=$8.33 (2004年当時)その横は緊急時電話番号
港へ。大型客船が二艘停泊しているが、これらはストックホルム行。
ヴァイキングライン乗船所でタリン行きに乗り込む。雨にも負けず大勢の人が乗船!
天気が良ければ対岸は見えるかもしれないが・・やはりそれほど近くはない距離・・・
船の周りはすべてにび色。海は荒れて波高く、船は揺れる揺れる。水面を見ていると怖くなる・・・何事もなく着いてくれ・・と、祈る心境。
しかしこんなことは日常茶飯事なのか、船のスタッフはぺちゃんこの靴。それが床に吸い付いているのかと思うほど安定した立ち方で、上半身は揺れながらもすいすいと歩いている。
デッキには出られないので、屋根の下の席にぎっしりと客は座って、談笑したり、食べ物を注文したり、雨など気にかけていない様子。
しかし灰色でぬり込められた船内で、だんだんと退屈し始めた人々の目がかわいい子供に注がれてなんだか楽しい雰囲気が生まれている。あちこち移動しては乗客と笑いあっているのは遠めに見やると黒髪の活発そうな男の子。幼稚園児位。
タリンに着き下船。イミグレーションのため並んでいる時にその子の身元が判明!なんと日本の子供だった。日本の子があんなにフレンドリーに陽気にふるまって、みんなを和ませていたなんて!
びっくり、びっくり。いやいや、ちょっとうれしい!
親は?と見れば、バックパッカー風の個人旅行者。夫婦が幼い子供二人を連れての夏休み旅行のようだ。現地の人と触れ合いながらチープな家族旅行・・・大賛成。イフはないけど学齢以下の子供をつれて外国をうろうろする選択はtesyukeの時代にはなかった・・・
行列の果てに、エストニア入国。雨のせいもあるが、全体に薄暗い感じで、旧共産圏の匂いがふんぷん。多分、実用的な建物や無機質な色合いから感じのかもしれない。(2010年、きっと変化していると思うが・・)
通貨はまだユーロでないので、両替をしなければならない。ここまでにかなりの時間がかかったので、往復7時間20分のタリン行きで、タリンで過ごせるのは4時間をきっている。いったいどんな展開になるのやら。(高速船は片道1時間半。3時間は海の上)
tesyukeはまったく知らなかったのだが、タリンの旧市街地は世界文化遺産に指定されている。まずは、タリン歴史地区の散策。
写真:両替時に貰ったペーパー。右上にレートが印刷されている。100EEK=$8.33 (2004年当時)その横は緊急時電話番号
大関の把瑠都、今日は残念一敗!
入門してからぱっとしなかったので、消えいく運命か?などと思っていた、が・・大関になってよかった・よかった。エストニアから・・えっ、エストニア? うんっ? と言った会話の後、遠いところからようやって来はったこと・・、応援してあげようよとなった。それも、すーごく単純な理由で・・・たまたまエストニアに行ったことがあるという、ただそれだけで!!(笑)
2004年にアイルランドを旅した時、フィン航空を利用し、フィンランドのヘルシンキでトランジットした。
7月28日にヘルシンキに着いて早速町をうろうろ。まずはインフォメーションへ、情報を仕入れに・・。(このスタイルが、tesyukeとhus.の定番。)
インフォメーションで、目にはいったのが・・フェリーで行くツアー。
一つはロシアのサンクトペテルブルグへ、これは一泊二日。
もう一つは、エストニアのタリンへ、これは日帰り。
小躍りして、サンクトペテルブルグへ!と叫んだが、こちらはすでに満席、残念!
じゃー、エストニアの方でということに。まあ、まあ、こちらもすでに売り切れ!あーーぁ。予約可能な日まで、何日も待つことは出来ない。あきらめるか・・
と、ツアーではないけれど、クルーズだったらいけるわよと、スタッフ。
行く?じゃあ、とインフォメーションから、クルーズの予約をしてくれる。
要は、勝手にフェリーに乗って、行って帰ってくるだけのことなのだが・・・・しかし、tesyukeにとってはかなりのハプニング。よっしゃ!
世界地図を眺めても、スカンジナビア三国・・バルト海・・ふむふむ。・・で、東側に目をやったことはなかった・・。長ーーい間、そこに何があるのかくわしく知らずにいたような・・。だって、べったり赤くソ連が存在していたのだから・・。
エストニアは1991年にソ連から離れて独立している(もちろんバルト三国すべて)。tesyuke達が訪問した2004年には、丁度3月にEUに加盟している。そして、杉原千畝さんの話でリトアニアが注目を浴びて、バルト三国も人口に膾炙し始めた。
しみじみ地図を眺める。バルト海。北ヨーロッパに位置する地中海で、ヨーロッパ大陸本土とスカンジナビア半島に囲まれた海洋である、と。たしかに!
そのバルト海の最北がボスニア湾となっていて、スエーデンとフィンランドが対面している。
フィンランドはボスニア湾とほぼ直角に東に入りこんだフィンランド湾にも面している。そのフィンランド湾の東端にあるのがサンクトペテルブルグ。フィンランドとエストニアは湾を挟んで向き合っており、ヘルシンキとタリン(エストニアの首都)は、ほぼ対面の位置にある。
発行してもらったチケットは
NORDIC JET LINE
DAY CRUISE ONLINE
Helsinki---Tallin 2004.7.29. 10:05
Tallin---Helsinki 2004.7.29. 17:25
ヴァイキングライン発着所から乗船ですよ。良い旅を!と、スタッフ。
入門してからぱっとしなかったので、消えいく運命か?などと思っていた、が・・大関になってよかった・よかった。エストニアから・・えっ、エストニア? うんっ? と言った会話の後、遠いところからようやって来はったこと・・、応援してあげようよとなった。それも、すーごく単純な理由で・・・たまたまエストニアに行ったことがあるという、ただそれだけで!!(笑)
2004年にアイルランドを旅した時、フィン航空を利用し、フィンランドのヘルシンキでトランジットした。
7月28日にヘルシンキに着いて早速町をうろうろ。まずはインフォメーションへ、情報を仕入れに・・。(このスタイルが、tesyukeとhus.の定番。)
インフォメーションで、目にはいったのが・・フェリーで行くツアー。
一つはロシアのサンクトペテルブルグへ、これは一泊二日。
もう一つは、エストニアのタリンへ、これは日帰り。
小躍りして、サンクトペテルブルグへ!と叫んだが、こちらはすでに満席、残念!
じゃー、エストニアの方でということに。まあ、まあ、こちらもすでに売り切れ!あーーぁ。予約可能な日まで、何日も待つことは出来ない。あきらめるか・・
と、ツアーではないけれど、クルーズだったらいけるわよと、スタッフ。
行く?じゃあ、とインフォメーションから、クルーズの予約をしてくれる。
要は、勝手にフェリーに乗って、行って帰ってくるだけのことなのだが・・・・しかし、tesyukeにとってはかなりのハプニング。よっしゃ!
世界地図を眺めても、スカンジナビア三国・・バルト海・・ふむふむ。・・で、東側に目をやったことはなかった・・。長ーーい間、そこに何があるのかくわしく知らずにいたような・・。だって、べったり赤くソ連が存在していたのだから・・。
エストニアは1991年にソ連から離れて独立している(もちろんバルト三国すべて)。tesyuke達が訪問した2004年には、丁度3月にEUに加盟している。そして、杉原千畝さんの話でリトアニアが注目を浴びて、バルト三国も人口に膾炙し始めた。
しみじみ地図を眺める。バルト海。北ヨーロッパに位置する地中海で、ヨーロッパ大陸本土とスカンジナビア半島に囲まれた海洋である、と。たしかに!
そのバルト海の最北がボスニア湾となっていて、スエーデンとフィンランドが対面している。
フィンランドはボスニア湾とほぼ直角に東に入りこんだフィンランド湾にも面している。そのフィンランド湾の東端にあるのがサンクトペテルブルグ。フィンランドとエストニアは湾を挟んで向き合っており、ヘルシンキとタリン(エストニアの首都)は、ほぼ対面の位置にある。
発行してもらったチケットは
NORDIC JET LINE
DAY CRUISE ONLINE
Helsinki---Tallin 2004.7.29. 10:05
Tallin---Helsinki 2004.7.29. 17:25
ヴァイキングライン発着所から乗船ですよ。良い旅を!と、スタッフ。
高野山へ行く時、和歌山へ行く時、奈良の五条から国道24号をたらたらと・・、今まで何度橋本を通っただろうか?
通過するだけで足を止めたことがない。それが今回、子安地蔵寺へ。
グループを組んで売り出す!って言うのもなかなか有効な手段・・・。‘関西花の寺’の案内を見なかったら、多分まだまだこの寺のことは知らなかったと思う。
しかし、来てみて、近在に名をとどろかせているお寺らしいと・・知った。
行基の開基と歴史も古く、紀州徳川家の安産祈願寺だったとかで、ご祈祷をお願いして、腹帯を買っている母娘二人を見かけた。
お寺の正式名は 易産山子安地蔵寺。なるほど、なるほど、ありがたーい名前。
アルバイトが出て駐車場の車の切符きり。連休最終日、小さなお寺は大勢の人であふれかえっている。お寺の門を入る前から、濃厚な藤の香が漂って来て、期待に胸が躍る。
中にはいるやいなや、ぱっとピンクの世界出現。まずは、ピンクの藤の花・・初めて。あでやかで・あたたかくて、それが100%咲ききっているが、まだ散るには間があると言う最高の瞬間。藤棚の下から日に透かした藤の花を見上げながら、どの人もニコニコ。紫がすました美人なら、ピンクはファニーフェイスの妖精。それが見る人に魔法をかける。人でいっぱいなのに、それさえ許してきれいねーーーーの、共振の波が人から人へ伝わっていく!
入り口の池に面した一角でなく、奥の本堂前にも藤棚があり、紫の藤や白いのが・・。
これで終わりか、と思えば一段低くなった庭の部分にも・・・中には花をつけてない木もありそれには《休花届提出中》の札がぶら下げられている。
さして大きくないお寺全体が花で覆い尽くされた感あり! 上を見れば藤の花だが、足元にもいろんな花が咲いている。
平等院や春日大社にない藤の花の違った一面を見た思い。
又いつか見に来ますよ・・・さようなら・・・とて、帰宅。
通過するだけで足を止めたことがない。それが今回、子安地蔵寺へ。
グループを組んで売り出す!って言うのもなかなか有効な手段・・・。‘関西花の寺’の案内を見なかったら、多分まだまだこの寺のことは知らなかったと思う。
しかし、来てみて、近在に名をとどろかせているお寺らしいと・・知った。
行基の開基と歴史も古く、紀州徳川家の安産祈願寺だったとかで、ご祈祷をお願いして、腹帯を買っている母娘二人を見かけた。
お寺の正式名は 易産山子安地蔵寺。なるほど、なるほど、ありがたーい名前。
アルバイトが出て駐車場の車の切符きり。連休最終日、小さなお寺は大勢の人であふれかえっている。お寺の門を入る前から、濃厚な藤の香が漂って来て、期待に胸が躍る。
中にはいるやいなや、ぱっとピンクの世界出現。まずは、ピンクの藤の花・・初めて。あでやかで・あたたかくて、それが100%咲ききっているが、まだ散るには間があると言う最高の瞬間。藤棚の下から日に透かした藤の花を見上げながら、どの人もニコニコ。紫がすました美人なら、ピンクはファニーフェイスの妖精。それが見る人に魔法をかける。人でいっぱいなのに、それさえ許してきれいねーーーーの、共振の波が人から人へ伝わっていく!
入り口の池に面した一角でなく、奥の本堂前にも藤棚があり、紫の藤や白いのが・・。
これで終わりか、と思えば一段低くなった庭の部分にも・・・中には花をつけてない木もありそれには《休花届提出中》の札がぶら下げられている。
さして大きくないお寺全体が花で覆い尽くされた感あり! 上を見れば藤の花だが、足元にもいろんな花が咲いている。
平等院や春日大社にない藤の花の違った一面を見た思い。
又いつか見に来ますよ・・・さようなら・・・とて、帰宅。
GW最終日は良い天気!
4月に一泊で和歌山を訪れるる機会があって、第二京阪開通で、な・なんと楽に行けるるじゃないか!と感激。で、出かけるなら和歌山で・・・・いかがと、相成った。
おまけに最近転がり出た朱印帳。《関西花の寺》用のもので、平成6年に購入して一ヶ寺朱印を貰ってそれっきり。眺めれば、この時期和歌山・橋本の24番子安地蔵院・藤の花がおすすめと。きまり!
ついでにと言うには格が違うが、和歌山市の北隣・岩出市の根来寺からまわっていくことに・・
根来寺?来たことなかったっけ?などといいつつやってきました。京都から一っ飛び。
根来衆などという言葉とともに漠然としたイメージで、秀吉に侵攻されて逼塞したお寺を勝手に想像していた。が、なかなかどうして。江戸時代に藩主の庇護を受け復興している。第二次大戦後、寺領を失って貧乏になりましたとのことだがそれでもたいしたお寺。広い!
なんというか・・この心が広がるような開放感!良いチョイスだった。来てよかった。
京都のお寺のようにちまちましていない。
奈良の東大寺に似たイメージ。もちろん東大寺の境内ほどは広くもなく洗練されてもいないが、自由に歩ける広い山内、点在する主要な建物のみ拝観料(まとめて)が必要。
まずは、大師堂 ・大塔(多宝塔)・大伝法堂の並んで立っている寺域に。
これは・これは・これは!!! すばらしい。
ぱっと開けた一角に大きな建物がひっそりと・・。若葉がそれらを取り巻いて、今まで見たことのないような不思議な空間。ダイナミックで素朴な建物の雰囲気が独特。
大師堂と大塔(多宝塔)は秀吉の焼き討ちを免れた建物で国の重要文化財と国宝。大塔(多宝塔)は日本最大で500年の歴史を持つ(写真)。大伝法堂は県指定文化財で江戸期の再建。
チケット売り場の女性に建物の内部に入っても良いかどうか聞くと、こともなげに、靴を脱いでおあがりくださいと、おおらか。
大伝法堂というものは多分はじめてみたと思う。巨大な本尊三体が壁にぴったり張り付くように鎮座し、2メートル位の高さの須弥壇の上に居られる。それがビラビラと飾られて、夜目遠目笠の内状態でなく、しっかり顔が見えるので、なんだか日本の仏様と言う感じがしない。で、その前は僧侶の大きな修行用(?)のスペースになっている。
チケット売り場の女性と、四方山話。役得で、大伝法堂の須弥壇を拭き掃除させてもらいます・・・いえ、いえ、恐れ多くて仏様にはようさわりません!
この寺の人間みんな若葉の頃が一番いいと言ってますよ。いいでしょう・・
ほんとに、この方からはお寺に対する愛惜の念がひしひし感じられて、こちらの心があったかくなった。又、知識も深い方でこの寺のことは何でも(歴史・宗旨等々)打てば響くような答え。
一隅の人が、ただ座っているだけ、切符売ってるだけ、でないすばらしさに、お寺さえもよりすばらしく思えた。
もと来た道に戻って、そこから奥の院へ。
根来寺を開かれた、 興教大師覚鑁上人(こうぎょうだいしかくばんしょうにん)のお墓。平安時代後期に活躍した真言宗の高僧で、弘法大師に次いで偉い方だとか!
高野山真言宗中興の祖ながら、対立した僧侶達(腐敗した方)に追われ野に下り、根来寺を開かれたと。で、この寺は、高野山(古義真言宗)に対し新義真言宗を標榜している。
参道から薄暗いお墓まで、鳥の声が絶えず、ひょっとしてテープ?と疑うほど・・・
お墓は芝に覆われた大きな土饅頭。49歳でなくなっておられるから、一直線に信じる道を駆けぬけた人だったのかもしれない。土饅頭に日が射しそこだけぽっこりと緑色に。すがすがしい若草色がこの方には似つかわしい等と思いつつ手を合わす。
神妙な気分で戻ってくると、道の端に手水場があるのに気づく。今年はトラ年!水の出口に大きなトラの頭がつけてあって、口から水が出ている。干支にあわせて毎年取り替えているのだろうか?(子年・巳年などこの大きさですえつけられたら、恐ろしい・・)
とらの首に木札が・・
曰く:善いと思うことはトラいして・・小さな流れもやがてタイガーに!・・トラわれない・・トラわれない・・天上天下唯*我王*・・
4月に一泊で和歌山を訪れるる機会があって、第二京阪開通で、な・なんと楽に行けるるじゃないか!と感激。で、出かけるなら和歌山で・・・・いかがと、相成った。
おまけに最近転がり出た朱印帳。《関西花の寺》用のもので、平成6年に購入して一ヶ寺朱印を貰ってそれっきり。眺めれば、この時期和歌山・橋本の24番子安地蔵院・藤の花がおすすめと。きまり!
ついでにと言うには格が違うが、和歌山市の北隣・岩出市の根来寺からまわっていくことに・・
根来寺?来たことなかったっけ?などといいつつやってきました。京都から一っ飛び。
根来衆などという言葉とともに漠然としたイメージで、秀吉に侵攻されて逼塞したお寺を勝手に想像していた。が、なかなかどうして。江戸時代に藩主の庇護を受け復興している。第二次大戦後、寺領を失って貧乏になりましたとのことだがそれでもたいしたお寺。広い!
なんというか・・この心が広がるような開放感!良いチョイスだった。来てよかった。
京都のお寺のようにちまちましていない。
奈良の東大寺に似たイメージ。もちろん東大寺の境内ほどは広くもなく洗練されてもいないが、自由に歩ける広い山内、点在する主要な建物のみ拝観料(まとめて)が必要。
まずは、大師堂 ・大塔(多宝塔)・大伝法堂の並んで立っている寺域に。
これは・これは・これは!!! すばらしい。
ぱっと開けた一角に大きな建物がひっそりと・・。若葉がそれらを取り巻いて、今まで見たことのないような不思議な空間。ダイナミックで素朴な建物の雰囲気が独特。
大師堂と大塔(多宝塔)は秀吉の焼き討ちを免れた建物で国の重要文化財と国宝。大塔(多宝塔)は日本最大で500年の歴史を持つ(写真)。大伝法堂は県指定文化財で江戸期の再建。
チケット売り場の女性に建物の内部に入っても良いかどうか聞くと、こともなげに、靴を脱いでおあがりくださいと、おおらか。
大伝法堂というものは多分はじめてみたと思う。巨大な本尊三体が壁にぴったり張り付くように鎮座し、2メートル位の高さの須弥壇の上に居られる。それがビラビラと飾られて、夜目遠目笠の内状態でなく、しっかり顔が見えるので、なんだか日本の仏様と言う感じがしない。で、その前は僧侶の大きな修行用(?)のスペースになっている。
チケット売り場の女性と、四方山話。役得で、大伝法堂の須弥壇を拭き掃除させてもらいます・・・いえ、いえ、恐れ多くて仏様にはようさわりません!
この寺の人間みんな若葉の頃が一番いいと言ってますよ。いいでしょう・・
ほんとに、この方からはお寺に対する愛惜の念がひしひし感じられて、こちらの心があったかくなった。又、知識も深い方でこの寺のことは何でも(歴史・宗旨等々)打てば響くような答え。
一隅の人が、ただ座っているだけ、切符売ってるだけ、でないすばらしさに、お寺さえもよりすばらしく思えた。
もと来た道に戻って、そこから奥の院へ。
根来寺を開かれた、 興教大師覚鑁上人(こうぎょうだいしかくばんしょうにん)のお墓。平安時代後期に活躍した真言宗の高僧で、弘法大師に次いで偉い方だとか!
高野山真言宗中興の祖ながら、対立した僧侶達(腐敗した方)に追われ野に下り、根来寺を開かれたと。で、この寺は、高野山(古義真言宗)に対し新義真言宗を標榜している。
参道から薄暗いお墓まで、鳥の声が絶えず、ひょっとしてテープ?と疑うほど・・・
お墓は芝に覆われた大きな土饅頭。49歳でなくなっておられるから、一直線に信じる道を駆けぬけた人だったのかもしれない。土饅頭に日が射しそこだけぽっこりと緑色に。すがすがしい若草色がこの方には似つかわしい等と思いつつ手を合わす。
神妙な気分で戻ってくると、道の端に手水場があるのに気づく。今年はトラ年!水の出口に大きなトラの頭がつけてあって、口から水が出ている。干支にあわせて毎年取り替えているのだろうか?(子年・巳年などこの大きさですえつけられたら、恐ろしい・・)
とらの首に木札が・・
曰く:善いと思うことはトラいして・・小さな流れもやがてタイガーに!・・トラわれない・・トラわれない・・天上天下唯*我王*・・
今日、近くの神社に行った。後ろに小山を控えた小高いところにあるので、二の鳥居からゆるい勾配の参道(石段)を上っていくことになる。もちろん両側はうっそうとした杜。
上りきって、社殿の地面が見えるぐらいのところに着くと、なんだか大きなカメラをセットした人が2・3人。何だろうと思いつつ、携帯で写真を撮っている女性に、声をかけた。
すると、高い木の枝を指差して、あそこ・・あそこ・・。
フクロウの子供!!
初めはよくわからなかったが、目がなれると白っぽいむくむくしたものが、ちょんと木の枝についている。ふくろうの巣は近くにあるらしいが、先ほど茂みから出てきて、木の上に登っていったんだとか。ずーーっつと登るところから見ていたとか。
動物園以外でフクロウを見るの初めて!! うれしい!! すっかり、フクロウ観察団の一員に・・・
その女性の話によれば、毎年この時期にフクロウの子を見かけるらしい。今年は、昨日初めて人目につく所に現れた由。
あっ、羽動かした! 後ろ向いた! 落ちそうううう! パシャ・パシャ・パシャ・・
と、そんな感じ。
tesyukeもカメラ持って来てたらなーーと、思いながら無理でもともとと、携帯をむける。
日がかげると、親がえさを運んでくるよと、プロ級のカメラのおっちゃんが言う。
見てみーとカメラを覗かしてくれる。ふかふか真っ白のフクロウの子供がばっちり!アップにするとさすがくちばしが鋭く猛禽の片鱗が。
『こんな人目につくところで大丈夫ですかねーー』と、言うと『このごろは人間は悪いことせんし(昔はしたの?)、怖いと言えばカラスぐらいかな』とのこと。
tesyuke 『ここへはめったに来ないのに、今日は来てよかった! 得した感じやわ』
おっちゃん 『このあたり、場所から言えば山門のあるところやな・・』
tesyuke 『・・?・・』 30秒経過・・ 『ふ・ふ・ふ・ふ・ふ・・確かに』
tesyukeの感度が悪いのか? イヤーちょっと無理のあるギャグ。
上りきって、社殿の地面が見えるぐらいのところに着くと、なんだか大きなカメラをセットした人が2・3人。何だろうと思いつつ、携帯で写真を撮っている女性に、声をかけた。
すると、高い木の枝を指差して、あそこ・・あそこ・・。
フクロウの子供!!
初めはよくわからなかったが、目がなれると白っぽいむくむくしたものが、ちょんと木の枝についている。ふくろうの巣は近くにあるらしいが、先ほど茂みから出てきて、木の上に登っていったんだとか。ずーーっつと登るところから見ていたとか。
動物園以外でフクロウを見るの初めて!! うれしい!! すっかり、フクロウ観察団の一員に・・・
その女性の話によれば、毎年この時期にフクロウの子を見かけるらしい。今年は、昨日初めて人目につく所に現れた由。
あっ、羽動かした! 後ろ向いた! 落ちそうううう! パシャ・パシャ・パシャ・・
と、そんな感じ。
tesyukeもカメラ持って来てたらなーーと、思いながら無理でもともとと、携帯をむける。
日がかげると、親がえさを運んでくるよと、プロ級のカメラのおっちゃんが言う。
見てみーとカメラを覗かしてくれる。ふかふか真っ白のフクロウの子供がばっちり!アップにするとさすがくちばしが鋭く猛禽の片鱗が。
『こんな人目につくところで大丈夫ですかねーー』と、言うと『このごろは人間は悪いことせんし(昔はしたの?)、怖いと言えばカラスぐらいかな』とのこと。
tesyuke 『ここへはめったに来ないのに、今日は来てよかった! 得した感じやわ』
おっちゃん 『このあたり、場所から言えば山門のあるところやな・・』
tesyuke 『・・?・・』 30秒経過・・ 『ふ・ふ・ふ・ふ・ふ・・確かに』
tesyukeの感度が悪いのか? イヤーちょっと無理のあるギャグ。
GWと言うのに・・風邪を引いて・・
ぐずぐず家に引きこもって3日。何とか持ち直して、今日は天気もよさそうだし、ちょっくら出かけましょうかねーー。
なーーんて時に、はめたつもりのコンタクトをふんずけてしまった。ぎゃーーー。最悪!!
急きょ、京都へ。四条川原町の眼鏡店まで。
外国人が四条大橋の上から鴨川をのぞいて写真を撮っている。オー、今日はよく魚が見える、見える。鴨川に納涼床(のうりょうゆか)も設置されて、夏やなーー。
橋の中ほどには托鉢僧が二人。一人は小柄な尼僧でスニーカー履きで、お経の本を持ちながら読経。大柄な僧は欄干にナップザックをぶら下げている。
最近、松村栄子(芥川賞受賞作家)の《雨にもまけず粗茶一服》を読んだが、主人公遊馬(あすま)が四条大橋で托鉢の真似事をして大騒動を起こしたのを思い出した。
地図を広げている外国人もいるが、最近は日本人の観光客にまぎれて自然に存在。特別な寺社仏閣だけでなく、京都市内のいたるところにアメーバのごとく増殖。
そういえば、スタバでコーヒー飲んでいた熟年オーストラリア女性二人に、ジェネラル・ヤマガタのガーデンを見に行ってきたといわれたことがあった。えっ、ジェネラル? どこですって? 山県有朋の無鄰菴やわ? ふーーーん、あたしらまだ行ってないやん!
用事を済ませて、いい天気、一人吟行でもと思ったけれど、あまりの人出にやめて帰宅。のところ、桃山駅で途中下車。
大手筋商店街に足を踏み入れると、《只今落語家の桂きん枝が歩いて挨拶しております》と聞こえる。見ればきん枝さんが店のおばちゃんと握手したり、携帯にピースサインを・・(一応撮った)
その後行った先で会った連中4・5人が、みーんなそろって、参議院議員候補に選んだ政党に失望やと言った。今現在の彼の真実を知っているわけではないが、tesyukeも立候補する気になるほうと認める方の両方になんでやねん・・と思ってしまう。
*《雨にもまけず粗茶一服》
京都を舞台の抱腹絶倒青春物語。極上のエンターティンメント本!あははははぁぁーー。
あっという間に読みきれます。
ぐずぐず家に引きこもって3日。何とか持ち直して、今日は天気もよさそうだし、ちょっくら出かけましょうかねーー。
なーーんて時に、はめたつもりのコンタクトをふんずけてしまった。ぎゃーーー。最悪!!
急きょ、京都へ。四条川原町の眼鏡店まで。
外国人が四条大橋の上から鴨川をのぞいて写真を撮っている。オー、今日はよく魚が見える、見える。鴨川に納涼床(のうりょうゆか)も設置されて、夏やなーー。
橋の中ほどには托鉢僧が二人。一人は小柄な尼僧でスニーカー履きで、お経の本を持ちながら読経。大柄な僧は欄干にナップザックをぶら下げている。
最近、松村栄子(芥川賞受賞作家)の《雨にもまけず粗茶一服》を読んだが、主人公遊馬(あすま)が四条大橋で托鉢の真似事をして大騒動を起こしたのを思い出した。
地図を広げている外国人もいるが、最近は日本人の観光客にまぎれて自然に存在。特別な寺社仏閣だけでなく、京都市内のいたるところにアメーバのごとく増殖。
そういえば、スタバでコーヒー飲んでいた熟年オーストラリア女性二人に、ジェネラル・ヤマガタのガーデンを見に行ってきたといわれたことがあった。えっ、ジェネラル? どこですって? 山県有朋の無鄰菴やわ? ふーーーん、あたしらまだ行ってないやん!
用事を済ませて、いい天気、一人吟行でもと思ったけれど、あまりの人出にやめて帰宅。のところ、桃山駅で途中下車。
大手筋商店街に足を踏み入れると、《只今落語家の桂きん枝が歩いて挨拶しております》と聞こえる。見ればきん枝さんが店のおばちゃんと握手したり、携帯にピースサインを・・(一応撮った)
その後行った先で会った連中4・5人が、みーんなそろって、参議院議員候補に選んだ政党に失望やと言った。今現在の彼の真実を知っているわけではないが、tesyukeも立候補する気になるほうと認める方の両方になんでやねん・・と思ってしまう。
*《雨にもまけず粗茶一服》
京都を舞台の抱腹絶倒青春物語。極上のエンターティンメント本!あははははぁぁーー。
あっという間に読みきれます。
知り合いのお勧め・・・
奈良の山の中だよーーーん、昔はプレハブ小屋で営業してはったのが、おいしいと評判で、大きくなったんよ・・との、話。で、お蕎麦を食べに片道2時間強。
もちろんGW直前の話。
ネットで調べると、そこは《荒神の里・笠そば処》
『挽きたて』 『打ちたて』 『茹でたて』3たての美味しいお蕎麦をぜひご賞味下さい。そば作りに最適の気候・風土、さらに寒暖の差が風味あるそばを生み出す荒神の里。
笠の地域の住民一人一人が資金を出し合って、会社を作ってみんなで協力してやっています。と、あった。
すごーい、すごーい。行政の補助金で作った眠ったような施設が多い中、住民ががんばってやっていると言うのがなんたってすごーーい。とて、れっつごー。
奈良県桜井市笠まで。標高400~500mの中山間地域で、車は結構細い山道を登っていく。(対向時が大変)
昔は人里はなれた田舎だっただろうと思われる場所を開いて、瀟洒な建物が。のんびりした景色がうれしい。
オーー、車のナンバーがいろいろ。結構遠いところから来てはりますわ!
しかし食べるものが‘お蕎麦’。回転は速い。
おいしかったです、はい! いろんな色紙に混じって、渡辺文雄のが!(写真)
笠蕎麦もよかったけれど、一番好きなのはやっぱり京都の鰊蕎麦か?鰊蕎麦を出してはいないが、お気に入りは御所の前の蕎麦屋《敦盛そば》。ここは蒸篭で蒸したお蕎麦をあったかいつゆで食べる。食べ方に薀蓄あり。(昔は葱の量が多かった! 1斤と1.5斤の値段が一緒だったのに別々になった!あー、年々歳々人でなく店同じからずやわ。)
でも、友達はたいていこの店を知っていて、おいしいお蕎麦屋さんと言えば・・・あそこあそこ・・・御所のとこ・・・で、話は通じる。と言うのも、お店の本名を誰も覚えきれないので!
正式名・・竹邑庵太郎敦盛 ははーーーっと、言いたくなるような名前!
笠そば処を出れば向かい側に《笠山荒神社》の社殿。
腹ごなしに皆さん参拝に・・・店前から通じる道は裏参道のよう。うっそうとした杜の中を徐々に徐々に登っていく。近年整備されたのか、すっきりとしたお社。荒神さんと言えば、清荒神しか思い浮かばないのだが、ここの社頭の縁起には、日本最古と書いてあった!
参道には絶えることなく石灯籠が並び、それに豆電球がセットされていて、昼間だと言うのに灯してある。夜はどうする?消すのかな、なーーんてあほなことを考える。
本殿から逆方向に下りていくと、こちらの参道の方がより長く、立派な鳥居が連なっいる正面にでた。
正面横には閼伽井(あかい)不動明王と言う霊場があった。日章の滝と呼ばれる小さな滝から池に水がちょろちょろと落ちていて、昔行をしたような摩訶不思議な雰囲気。本尊の石のお不動さんは角がとれ目鼻立ちもおぼつかない感じ。ピンクのゴージャスな石楠花が供えられているのが眼を引く!
食べて・拝んで・半日トリップ終了。
奈良の山の中だよーーーん、昔はプレハブ小屋で営業してはったのが、おいしいと評判で、大きくなったんよ・・との、話。で、お蕎麦を食べに片道2時間強。
もちろんGW直前の話。
ネットで調べると、そこは《荒神の里・笠そば処》
『挽きたて』 『打ちたて』 『茹でたて』3たての美味しいお蕎麦をぜひご賞味下さい。そば作りに最適の気候・風土、さらに寒暖の差が風味あるそばを生み出す荒神の里。
笠の地域の住民一人一人が資金を出し合って、会社を作ってみんなで協力してやっています。と、あった。
すごーい、すごーい。行政の補助金で作った眠ったような施設が多い中、住民ががんばってやっていると言うのがなんたってすごーーい。とて、れっつごー。
奈良県桜井市笠まで。標高400~500mの中山間地域で、車は結構細い山道を登っていく。(対向時が大変)
昔は人里はなれた田舎だっただろうと思われる場所を開いて、瀟洒な建物が。のんびりした景色がうれしい。
オーー、車のナンバーがいろいろ。結構遠いところから来てはりますわ!
しかし食べるものが‘お蕎麦’。回転は速い。
おいしかったです、はい! いろんな色紙に混じって、渡辺文雄のが!(写真)
笠蕎麦もよかったけれど、一番好きなのはやっぱり京都の鰊蕎麦か?鰊蕎麦を出してはいないが、お気に入りは御所の前の蕎麦屋《敦盛そば》。ここは蒸篭で蒸したお蕎麦をあったかいつゆで食べる。食べ方に薀蓄あり。(昔は葱の量が多かった! 1斤と1.5斤の値段が一緒だったのに別々になった!あー、年々歳々人でなく店同じからずやわ。)
でも、友達はたいていこの店を知っていて、おいしいお蕎麦屋さんと言えば・・・あそこあそこ・・・御所のとこ・・・で、話は通じる。と言うのも、お店の本名を誰も覚えきれないので!
正式名・・竹邑庵太郎敦盛 ははーーーっと、言いたくなるような名前!
笠そば処を出れば向かい側に《笠山荒神社》の社殿。
腹ごなしに皆さん参拝に・・・店前から通じる道は裏参道のよう。うっそうとした杜の中を徐々に徐々に登っていく。近年整備されたのか、すっきりとしたお社。荒神さんと言えば、清荒神しか思い浮かばないのだが、ここの社頭の縁起には、日本最古と書いてあった!
参道には絶えることなく石灯籠が並び、それに豆電球がセットされていて、昼間だと言うのに灯してある。夜はどうする?消すのかな、なーーんてあほなことを考える。
本殿から逆方向に下りていくと、こちらの参道の方がより長く、立派な鳥居が連なっいる正面にでた。
正面横には閼伽井(あかい)不動明王と言う霊場があった。日章の滝と呼ばれる小さな滝から池に水がちょろちょろと落ちていて、昔行をしたような摩訶不思議な雰囲気。本尊の石のお不動さんは角がとれ目鼻立ちもおぼつかない感じ。ピンクのゴージャスな石楠花が供えられているのが眼を引く!
食べて・拝んで・半日トリップ終了。
年上の友達が言った。
私、八幡市に住んで30年。京阪電車にいつも乗ってるねん。で、淀競馬場のそばをいつも通っているのに、行ったことないねん。何でも一度は経験したいやん!なーー、淀へ行かへん?
何で又こんなことを言い出したかというと・・・
英語の授業で、《男性御用達と思われていたところに最近は女性が進出》と居酒屋をとりあげた英字新聞の記事を先生(女)が持参。ほかにどんなところがある?
ほらほら、競馬!競艇!などとたきつけたのだ。先生は、競輪?んっ?と、これには顔をしかめたけれど、阪神競馬場はすばらしい!大きいしきれいとさかんに言う。
えっ、行ったことありはるんやわ・・ふーん、すみにおけへん。
そんなこんなで、おっちょこちょいのtesyuke、友達に同行することに。決行日は24日・土曜日。
大阪行き方向のホームに降り立つと、やけにきれいになっていて、改札口から屋根の下を道なりに競馬場まで直行。(道に迷うこともなく)とは言え、エスコートなしはなんとなく落ち着かず、どうすんの?どうすんの?状態。
まずは、入場チケット200円なり。窓口の女性がにっこり笑ってくれた。
社会見学です、はい。と。照れ笑い全開で入場。
大きな建物にびっくり。その前にパドックが。子供連れなどが取り囲み、いい雰囲気。
次に出走するお馬ちゃんがぐるぐるまわって顔見せ。きれいですなーーー!
小さい子供が、カタカナで書かれた馬の名前をたどたどしく読んでいる。
騎手が出てきて騎乗、先導に続いて馬場へ。用務員が出てきて、芝生を棒のようなものでぼこぼこたたきだした。
知りたがりのおばちゃん達、警備員にあれは何してはりますのん?
騎手が馬に乗るとき負荷がかかって、蹄で芝生に穴が開くので、それをならしていますねん。
問わず語りにしゃべるしゃべる!このパドック世界一です。ふーん、何で?
円形と言うのはとっても珍しいんです。真ん中に植わっているクロガネモチノキは金持ちに引っ掛けて植えられたんです。接木して全方向に枝を出し、360度同じに見えるようにしてあるんです。
一番に来はったら、ここで馬にさわれれまっせ・・、9時半・9時半ですよ。
4番レースが始まるというアナウンス。建物の中へ。結構人が入っているが建物が大きいのでのんびりした感じ。うろうろしながら、なるほどなるほど、こうなっているのね・・
馬券を買わなくちゃ。まさしくどうすんの?
周りを観察して見るが、それでも??。 近くにいた女性を捕まえてやり方を聞く。
ふーーん、わからへんねーー。まあ、なんでもいいやん適当に適当に。窓口にいい加減ですけどと持っていくと、消しゴムで消しながら、質疑応答、かいてくれた。そして笑いながら、又来てくださいねと、にっこりプロモート。
こんなことに精通するのも怖い話だが、ビギナーズラックを期待して馬場へ。
青空・緑の芝・池の水・・きれいです!!
スタンドの前面に大きなモニターがあって、それで仔細はわかるが・・コースが大きいので今馬がどこにいるのか眼を凝らさないと判らない。平地の一番前で見ていたのだが、馬が目の前を走りすぎるときの迫力だけはすごかった。ごぉーーっと地鳴りがして地面の振動を体感する感じ。テレビで見ていてはわからないすばらしさ! は・や・い・・
ゴール直前の一部観客の異常な声援には、ギャンブル臭芬々。
その後、レストランで食事をし、場内を探検。スタンドの切れるあたりからは、芝生地帯。ここには子供づれが座ってピクニック。(パパは馬券を買いにかな?)子供用のプレイグラウンドもあり、普段の土日は安上がりな家族空間ですな。イメージ大いに変化しました。
いままで、淀付近を車で通ると、ちっ、競馬の日や・・と、顔をしかめていたのだが・・。黒っぽい男性集団が黒雲が湧き出るように道にあふれてきて、迷惑やな・・状態、だった。
それでも3時間位いて、なかなかいいとこやんと言う結論に。緑とお馬ちゃん、広々空間。
帰路は、シンザンゲートと言う出口から。おやおや、馬の銅像(小さい)がありますよ!
5冠馬・シンザン!ですと。銘に《神賛》と。
パドックで馬を見ていた時の会話。ピカピカつやつやきれいねーー。なぬ三歳馬。さっきにに比べてちょっと色艶落ちません?毛並みもさらさらしてないしーー。四歳以上だって。
サラブレッドも年をとる・・
北海道・静内で見たのは競馬場へ参戦する前のお馬ちゃんたち。
先日、四国の金毘羅さんでは神馬になった競走馬を見た。20歳だった。
何年か前、藤森神社・参道馬場での駈馬神事 のとき、元競走馬が全力疾走後、規定の位置でストップ出来ず、本殿に突っ込みそうになって手綱を引かれてどうっつと前足を折って倒れるという惨事を見た。くず折れた馬の大きな体。観客のいないところへ移動させようとするのだが、びくっとも動かなかった。
競走馬にもいろんな人生(馬生)があるんだ・・・
私、八幡市に住んで30年。京阪電車にいつも乗ってるねん。で、淀競馬場のそばをいつも通っているのに、行ったことないねん。何でも一度は経験したいやん!なーー、淀へ行かへん?
何で又こんなことを言い出したかというと・・・
英語の授業で、《男性御用達と思われていたところに最近は女性が進出》と居酒屋をとりあげた英字新聞の記事を先生(女)が持参。ほかにどんなところがある?
ほらほら、競馬!競艇!などとたきつけたのだ。先生は、競輪?んっ?と、これには顔をしかめたけれど、阪神競馬場はすばらしい!大きいしきれいとさかんに言う。
えっ、行ったことありはるんやわ・・ふーん、すみにおけへん。
そんなこんなで、おっちょこちょいのtesyuke、友達に同行することに。決行日は24日・土曜日。
大阪行き方向のホームに降り立つと、やけにきれいになっていて、改札口から屋根の下を道なりに競馬場まで直行。(道に迷うこともなく)とは言え、エスコートなしはなんとなく落ち着かず、どうすんの?どうすんの?状態。
まずは、入場チケット200円なり。窓口の女性がにっこり笑ってくれた。
社会見学です、はい。と。照れ笑い全開で入場。
大きな建物にびっくり。その前にパドックが。子供連れなどが取り囲み、いい雰囲気。
次に出走するお馬ちゃんがぐるぐるまわって顔見せ。きれいですなーーー!
小さい子供が、カタカナで書かれた馬の名前をたどたどしく読んでいる。
騎手が出てきて騎乗、先導に続いて馬場へ。用務員が出てきて、芝生を棒のようなものでぼこぼこたたきだした。
知りたがりのおばちゃん達、警備員にあれは何してはりますのん?
騎手が馬に乗るとき負荷がかかって、蹄で芝生に穴が開くので、それをならしていますねん。
問わず語りにしゃべるしゃべる!このパドック世界一です。ふーん、何で?
円形と言うのはとっても珍しいんです。真ん中に植わっているクロガネモチノキは金持ちに引っ掛けて植えられたんです。接木して全方向に枝を出し、360度同じに見えるようにしてあるんです。
一番に来はったら、ここで馬にさわれれまっせ・・、9時半・9時半ですよ。
4番レースが始まるというアナウンス。建物の中へ。結構人が入っているが建物が大きいのでのんびりした感じ。うろうろしながら、なるほどなるほど、こうなっているのね・・
馬券を買わなくちゃ。まさしくどうすんの?
周りを観察して見るが、それでも??。 近くにいた女性を捕まえてやり方を聞く。
ふーーん、わからへんねーー。まあ、なんでもいいやん適当に適当に。窓口にいい加減ですけどと持っていくと、消しゴムで消しながら、質疑応答、かいてくれた。そして笑いながら、又来てくださいねと、にっこりプロモート。
こんなことに精通するのも怖い話だが、ビギナーズラックを期待して馬場へ。
青空・緑の芝・池の水・・きれいです!!
スタンドの前面に大きなモニターがあって、それで仔細はわかるが・・コースが大きいので今馬がどこにいるのか眼を凝らさないと判らない。平地の一番前で見ていたのだが、馬が目の前を走りすぎるときの迫力だけはすごかった。ごぉーーっと地鳴りがして地面の振動を体感する感じ。テレビで見ていてはわからないすばらしさ! は・や・い・・
ゴール直前の一部観客の異常な声援には、ギャンブル臭芬々。
その後、レストランで食事をし、場内を探検。スタンドの切れるあたりからは、芝生地帯。ここには子供づれが座ってピクニック。(パパは馬券を買いにかな?)子供用のプレイグラウンドもあり、普段の土日は安上がりな家族空間ですな。イメージ大いに変化しました。
いままで、淀付近を車で通ると、ちっ、競馬の日や・・と、顔をしかめていたのだが・・。黒っぽい男性集団が黒雲が湧き出るように道にあふれてきて、迷惑やな・・状態、だった。
それでも3時間位いて、なかなかいいとこやんと言う結論に。緑とお馬ちゃん、広々空間。
帰路は、シンザンゲートと言う出口から。おやおや、馬の銅像(小さい)がありますよ!
5冠馬・シンザン!ですと。銘に《神賛》と。
パドックで馬を見ていた時の会話。ピカピカつやつやきれいねーー。なぬ三歳馬。さっきにに比べてちょっと色艶落ちません?毛並みもさらさらしてないしーー。四歳以上だって。
サラブレッドも年をとる・・
北海道・静内で見たのは競馬場へ参戦する前のお馬ちゃんたち。
先日、四国の金毘羅さんでは神馬になった競走馬を見た。20歳だった。
何年か前、藤森神社・参道馬場での駈馬神事 のとき、元競走馬が全力疾走後、規定の位置でストップ出来ず、本殿に突っ込みそうになって手綱を引かれてどうっつと前足を折って倒れるという惨事を見た。くず折れた馬の大きな体。観客のいないところへ移動させようとするのだが、びくっとも動かなかった。
競走馬にもいろんな人生(馬生)があるんだ・・・
tesyukeは京都と奈良の丁度中間に住んでいる。日常的に両都のお寺や仏像にどっぷりつかれるというのはとってもラッキー。
それに加えて、滋賀県も近い。滋賀と言うより近江と言ったほうが雰囲気が出るのだが、京都・奈良に肩を並べるのはちょとはばかられますといった感じの滋賀県がなかなか、面白い!と、思う。なんたって国宝の数が全国5位!
そんなこんなで、昔は気がつかなかった、滋賀県(特に湖東)の良さを感じ始めている今日この頃。
琵琶湖を見れば、思わず
近江の海(あふみのみ) 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ (柿本人麻呂)と、口ずさむ。
額田女王と大海人皇子
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
うーーん。いいな・・でも、蒲生野はどこ?
近江の地をうろうろしていれば思わぬことも。普通の水田に《条里制遺構》の立て札が・・・千年以上前の区画割りがそのまま残って、今もそのままの大きさで水田だなんて!
20年位前に探し探して、「鬼室集斯(きしつしゅうし)」の墓にたどり着いたことを思い出す。(写真)
広い田園の中の森ともいえぬ木立の中にぽつねんと鬼室神社があった。その本殿裏の石祠。小さな小さな屋根つきの石の箱のようなもの。良くぞ千年以上の間守られてきたもの!と、百済からこの地まで引かれた一本のレールを見るごとき・・感激が湧き上がったものだ。
(鬼室集斯は7世紀の人。百済からの亡命貴族で近江朝に使えこの地の発展に寄与した。)
今回西明寺の帰途(3月)に立ち寄ると、人っ子一人いない田園になにやらカラフルなものが!
韓国式の東屋!が鬼室神社の前に立っていた。時代は流れると、石祠の主は苦笑しているかも?
渡来人が当時の先進の文化と技術でこの地の発展に寄与したことは、飛鳥がもてはやされるほどには、人口に膾炙していない。
形として残るものがないからだろうが、思いがけないところにちょっとした痕跡を見つけるのは、何よりの楽しみだ。
それに加えて、滋賀県も近い。滋賀と言うより近江と言ったほうが雰囲気が出るのだが、京都・奈良に肩を並べるのはちょとはばかられますといった感じの滋賀県がなかなか、面白い!と、思う。なんたって国宝の数が全国5位!
そんなこんなで、昔は気がつかなかった、滋賀県(特に湖東)の良さを感じ始めている今日この頃。
琵琶湖を見れば、思わず
近江の海(あふみのみ) 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ (柿本人麻呂)と、口ずさむ。
額田女王と大海人皇子
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
うーーん。いいな・・でも、蒲生野はどこ?
近江の地をうろうろしていれば思わぬことも。普通の水田に《条里制遺構》の立て札が・・・千年以上前の区画割りがそのまま残って、今もそのままの大きさで水田だなんて!
20年位前に探し探して、「鬼室集斯(きしつしゅうし)」の墓にたどり着いたことを思い出す。(写真)
広い田園の中の森ともいえぬ木立の中にぽつねんと鬼室神社があった。その本殿裏の石祠。小さな小さな屋根つきの石の箱のようなもの。良くぞ千年以上の間守られてきたもの!と、百済からこの地まで引かれた一本のレールを見るごとき・・感激が湧き上がったものだ。
(鬼室集斯は7世紀の人。百済からの亡命貴族で近江朝に使えこの地の発展に寄与した。)
今回西明寺の帰途(3月)に立ち寄ると、人っ子一人いない田園になにやらカラフルなものが!
韓国式の東屋!が鬼室神社の前に立っていた。時代は流れると、石祠の主は苦笑しているかも?
渡来人が当時の先進の文化と技術でこの地の発展に寄与したことは、飛鳥がもてはやされるほどには、人口に膾炙していない。
形として残るものがないからだろうが、思いがけないところにちょっとした痕跡を見つけるのは、何よりの楽しみだ。