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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

ちゃちゃ王国のおうじちゃま

2013-10-28 10:44:20 | 関西

最近宇治で耳にするご当地キャラクター。それは、《チャチャ王国のおうじちゃま》で結構かわいらしい。只今ゆるキャラグランプリに初エントリー中でエントリーナンバーは2!だとか。

27日に宇治市の(源氏物語)宇治十帖スタンプラリーに参加していて、平等院門前で遭遇。ラリーのスタンプ帳には番外にゆるキャラのスタンプを押す欄もあって、おうじちゃまの付添いさんが大忙し。子供が一緒に写真を撮ってもらって大喜び。さすがにtesyukeは遠慮したが、振り返ると大人も一緒に写真を撮っていたので・・・ちょっと後ろ髪をひ・か・れ・た・・

おうじちゃまプロフィール: チャチャ王国の88代目王子様。茶筅をイメージした冠をのせ、ハイハイを覚えた時から茶道をたしなみ、いつも抹茶味のおしゃぶりをくわえている。


座禅草 in 近江今津

2013-03-17 00:47:41 | 関西

座禅草が結構有名になって久しい。京都植物園で数株を見たのが唯一で、遠めにちらっという感じで、記憶にはあまり残っていない。

それで、時季をはずさないように見に行こう!と言うことになり・・・昨日、有名な近江今津の座禅草群生地に・・・・。奥深い山の中と思いきや、住宅地に隣接するような場所でびっくり。座禅草の生える一帯だけが湿地で、宅地開発を免れたとか。よかった。よかった。のぼりもたって、駐車場もあって、土・日は休憩所も開いていて、地元の人が観光客招来に力を入れているようだ。

ほんとに、群生! ぽこ・ぽこ・ぽこと茶色い塊が林間に出ている。説明によれば3000株以上が顔を出しているらしい。チョコレート色の苞に包まれて、中に花がある。芯のように見えるそれが、達磨が座禅を組んでいるように見えるところからの命名とか。花も咲きはじめのものはくっきり姿を保って美しいが、だんだん花粉が飛び散って苞の中が黄色くなっきている。そうなると苞も筋が目立ってしわっという感じ。なんだかいずこも同じ老化現象?

ボランティアガイドさんによれば、花自身が根の部分に熱を持っていて雪が積もっても、この草の周りはとけるのだとか。匂いもあり毒もありとかで、いったいこの花は何のためにあるのだろうと、思ってしまう。大きさでは比べ物にならないが、あのラフレシアを思いだした。

深山の半日陰の湿地に群生しているのは、不気味なものかもしれない。が、太陽さんさんの住宅地の一画にあっては、座禅草の毒気も飛んでしまっている。チョコレート色の珍しい花、そんなところ。それでも、これだけの群生を見られて大満足だった。

 


芋の子を洗う? 琵琶湖一周

2013-02-09 23:23:15 | 関西

JRで琵琶湖大廻りはみんなが知っている。一度行きたいねーーーと、おばちゃんたちのささやかな夢。行くんやたら雪の頃!と、友達。

で、いよいよその時が。7日に京都駅に集まったのが、物好きな5人。まずは京都から大津までの切符を買う。190円なり。琵琶湖線で二駅の距離。それを、京都の次の駅山科から湖西線で琵琶湖の西側を湖北まで。近江塩津で乗り換えて北陸本線で長浜・米原・彦根と通って大津までの3時間の旅。

とにかく改札から外へは出られないと言うのがお約束事項。近江塩津で直ぐに乗り換える?1時間後の列車にして駅にいてる?な・に・な・に・駅に一軒うどん屋さんがある? へーー、そんなさびしい駅でうどん屋さんもうかるの? 外からも入れるみたいよ。まあまあよその商売の心配したげんでも・・・・と、おばちゃんはかまびすしい。

まずは、京都駅10時45分発の新快速敦賀行き。またまたJR事故で、15分延着。このごろ延着多いね・・・・・・。これで、否応無く近江塩津で、一本電車を遅らせることに決まり。tesyuke達の平日・昼間の湖西線のイメージは、のんびり・閑散。座って、しゃべり放題・食べ放題・飲み放題の琵琶湖周遊、のつもりで、あった。

網干からの新快速、それなりの込み具合で、かろうじて席を確保。通路を***歩こう会の旗を持った団体が通る。フーーン、歩こう会じゃなくて座ろう会かぁ・・・。またまた***健康友の会と言う旗を持った団体が通る。何じゃこれは?もう座る余地の無い込みよう。この人たちは・・も・し・や?うーーん。横に立っているグループにどこにいかはるんですか?と聞く。苦笑して・・それが・・どことも・・実は琵琶湖ぐるっと廻るというのでついてきたんです。ふむふむ、一緒ですやん!

途中で12両中8両を切り離し、身軽くなって列車は湖西をひた走り。湖を見たり冠雪の山を見たりと1時間強。あっという間だった(11時に京都発、12時16分近江塩津着)。近江塩津駅、予想は的中。降りる降りる、歩こう会も健康友の会もみーーんな降りた。予想より暖かい日でプラットホームにいても吹き飛ばされることも無く・・残念ながら雪は見当たらない・・。

大集団が改札付近へ大移動。うどん屋さんがごった返している。友達の一人が早くに駆け込んで席を確保してくれていた。それでも6番札。1番さ--んできました!なんと16人分?1時1分発の電車に間に合うか心配になる。猫の手も借りたいような込み具合、誰が商売の心配してあげてたん??と、大笑い。きつねうどんに分厚い蓬餅まで入って良心的な美味しいおうどん、500円。お餅をフライパンでゆっくり焼いてはったわ・・と、誰かが言う。主婦やね。

ぎりぎりに食べ終わって、ホームに上ったときには列車はもう待機中。ほぼ満席で空席を探して先頭車両まで。あと、2時間やね。常は湖南をうろうろすることが多いので、琵琶湖も北となると不案内。余呉湖を過ぎて雪の伊吹が見えるはずが、あいにくの曇り空。この辺り車で個別に尋ねることは多い。木ノ本しかり。高月しかり。長浜しかり。でも、JRで北から南に移動したことがないので、滋賀県の市町村はこの順番に並んでるんだ!などと興味しんしんん。

米原を過ぎると、おなじみの駅が並んで・・・・、ついに大津駅。ハイハイ、ここでも民族の大移動。改札を出るときに乗車記念のはんこを押してもらって、切符を持ち帰り(写真)。コーヒー飲みながら、また行く?

乞う、次回。

 


粥占い

2013-01-18 09:40:01 | 関西

知らないでいてもそれなり・・・・。しかし知るということは、又楽し、と思うこのごろ。

と言うのもふらっと立ち寄った近くの神社で《粥占》が拝殿に供えてあるのを見たのだ!何か儀式があったなら見たかったと、境内を掃除しているおばさんに聞くと、何にも戸外ではしてはりません。屋内で占って、結果を氏子に知らせるため拝殿前に供えてはるんです、との事。

tesyukeも、音に聞く《粥占》とは、このようなものかと写真をパチリ。どこの神社でもしてるのかどうか知らないが、地元でまだ残っていたことに驚き。昔は真剣に農作物の一年の作柄をこの占いにこめたんだろうな・・・。ここでは早稲・中稲・晩稲・大豆・芋・黍・棉の七点が占われていた。棉(綿)なんか見渡しても植えているところなんか無いのにと、思いつつ・・・

*粥占の神事・・・・神社で正月15日に小豆粥を作るとき、細い青丈または茅を入れて炊き、その管の中に入った粥または小豆の数によってその年の五穀の豊凶などを占う神事。

 


おーー!猪と鹿だ

2013-01-10 09:30:09 | 関西

6日・日曜日。吟行で京都は山城の田舎へ。JR山城多賀駅9時30分集合。なーーんにも無い田舎の田圃を歩いて俳句を作る・ん・で・す・・・

のはずが、今年最初のショッキングな場面に出くわす。駅から住宅地を抜けて畑地へと言う辺りで、犬が盛んに吼えている。皆の集まっているところに行くと、わーー、水槽に猪と鹿が漬けてある。tesyukeにとっては人生初体験。吟行で来ていなかったら、キャーといって素通りするところ。なにぶん俳人ともなると観察・観察。

ここは、多分猟師さんの家。檻の中のうるさい犬は猟犬。道理であの吼えようも納得がいく。獲物は川の水につけて臭みを抜くと聞いていたので、多分手ごろな川が無かったもので家の水槽につけて一晩水を出しっぱなしにしていたと見える。(あたり一面霜が降りて氷が張っているのに水槽に氷は張ってない)内臓を取り出した猪はなんだか細く見える。鹿二頭は交互に折り重ねて水槽に漬けてある。 家の表に回ると、猪肉ラーメン(肉のあるとき)なんて看板があった。おや、ここは飲食店? 仕留めたものを見た後は、ちょっと食欲わきませんが・・・・

蛇足ながら英国人の先生との会話。・・・わが国で肉の最上位に来るのはゲームミート(狩猟によって得た動物の肉)です・・・あーー、牛肉じゃないんだ!・・・・えっ、水につけて臭みを抜く?そんなことしませんよ、臭みがいいんじゃありませんか・・・・ふーん、そんなものですかね。そういえば、1998年にアメリカのデンバーにかってhus.の許にいた、リンダさんを尋ねた時、どうしてもと招待してくれたのが・・デンバーサミット時に各国首脳が食事をしたレストラン。店の名前は忘れたが、椅子に、座った有名人の名前が貼り付けてあって、おっ、**大統領のシートかみたいな感じ。やっぱりおすすめはゲームミートだった!!

 


秋川雅史コンサート

2012-06-03 00:04:51 | 関西

昨日会った神戸の友達がいわゆる秋川雅史の熱狂的ファン。今日は彼女と、秋川雅史コンサートへ。たまたまtesyukeのホームグラウンドで開催されるので、是非一緒にと声がかかりもう一人の友達と三人で・・・

かれこれ十年はたったか?・・・初めて彼女がコンサートに行ってから、だんだんとのめりこんでいくのを見聞きしてきたが、今では会員番号**番の立派な追っかけ。会えば必ず写真を見せてくれる。サインは持ってる。おまけにお父さんのサインも持ってる。秋川さんの投げたハンカチもゲット。四国・西条市へも祭りを見に(秋川さんが必ず参加するので)というより秋川さんに会いに行く。もちろん西条祭りのカレンダーは毎年注文。

今回は三人連番なので後ろの方になったが、なにやら隣の人に声をかけられている。いつも前の方にいはるのに・・何故?これこれしかじか・・私も・・と分かってみれば友の会員同士。顔が売れてるんだ!地方公演とは言え友の会の追っかけさんが結構来ていて、落ち着いた雰囲気の中でちょっと異彩を放っていた。友達に言わせたら、大体の流れは分かってるとか。・・アンコールはこの歌よ・・、終わるとおばちゃんたちがステージまで駆け出し・・、ハンカチが投げられ・・etc.etc.

終了後、珈琲を飲んでたら知り合いに声を掛けられた。彼女はハイレベルのアマチュア合唱団所属。秋川さんが先月出たテレビ番組でバックコーラスをあいつとめたんだとか。入院してはったから1ヶ月ぐらいのブランクありで、私的には・・今日は???やな・・・、と辛口コメントを残し去っていった。

 


筑前琵琶・上原まりコンサート

2012-05-16 10:13:11 | 関西

15日は朝早くから奈良県の吉野郡東吉野村へ!近鉄榛原駅より車で30分の山の中にある《天好園》へ。 tesyukeも今まで何度か行っているが、天好園は1万坪の敷地に川が流れ、多種多様な木々が植えられ自然を満喫できる・・・ふるさとの宿。

榛原駅には《天好園》の送迎マイクロバスが二台待機。万葉の昔から歌に詠まれた土地柄で、道々の景色も見飽きる事がない。到着後大広間に。前夜から宿泊の人(もちろん上原まりさんも)をあわせて100人位が集まった。上原まりさんとじっこんの俳人茨木和生先生のマネージとてまりさん自身もリラックスムード。肉声で十分の空間なので、昔の琵琶奏者もかくありなんと言う感じで、まりさんは筑前琵琶一面を抱えるのみのシンプルさ。

まりさんは平清盛が大好きだとかで、まずはNHKの大河ドラマに言級。後白河法皇の今様の《遊びをせんとて生まれけん》がテーマのように出てくるが、《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり》を、オープニングに使って欲しかったーーーーと。で、今回は平家物語をテーマに語ります・・・。

演題は*祇園精舎 *壇ノ浦  *耳なし芳一

コンサートのあとは、猪鍋!ここの主が山で仕留めたものらしい。


春のたより

2012-03-09 00:33:10 | 関西

お水取りが終わればいよいよ春だ・・・と言うのが今まで! 最近は天候不順で、暖かいのやら寒いのやら・・・・まったく当てにならない。

そんな中、友達から春の便りが届いた!正真正銘の春のたより・いかなごの釘煮。昨日電話があって、在宅を確かめての宅急便。炊きたての釘煮は本当に美味しくて(市販のもののように味が濃くない)・・・・それが日を追うごとの味が変わってくる。それで、まず炊き立てを食べてもらいたいという心使い。半分ほどは小分けにして冷凍庫へ入れてっと、毎日ぼちぼち頂きますぅぅぅぅ・・・

友達は神戸市のとは言え明石近くに引っ越してより、毎年毎年港の方へ獲れたてのいかなごを買いに行っての年行事。さすが10年目ともなると味のほうも堂に入って、さすが・です。そして、宅配業者が《いかなご用》のダンボールを用意しており、無料で提供して呉れるという話には驚いた。さすが。ニュースで流れるだけの事はあり、地域上げてのいかなごの釘煮。友達も春になると炊かずにはおられないと言っている。


国民文化祭2011 in 京都  日本鬼文化交流祭典

2011-11-03 23:24:08 | 関西
国民文化祭!なーーんてもの、今まで知らなかった。
それが《第26回国民文化祭・京都2011》なんて、かまびすしく、さわがれだして・・
京都府でやるの? えっ、すでに26回もしてるの? とびっくり。あまりの知らなさすぎにおもわず府民として申し訳ございません状態(ぺこり)。

で、2011年文化の日を中心に10月末から京都府・府下各市町村が何らかの文化的催し!をするとて、案内のちらしがわんさと手元に山積み。あまたの中からtesyuke & hus.は一路大江町へ!
福知山市の国民文化祭参加イベント『日本鬼文化交流祭典~鬼伝説のまちで鬼と出会う~』に参加。
もっとも、金剛 永謹の能・大江山 と 世界の鬼の交流博物館・特別展示「水木しげるの描く鬼たち」に引かれて。

鬼といえば大江山の酒呑童子。大江町が合併で福知山市となったので、今回は鬼が福知山の顔となったらしい。主役を張れてまずはめでたいと、応援の意味を込めての参加。というのも、もともと大江町には世界の鬼の交流博物館があり、ここを根城に大江町がバックアップして世界鬼学会なる組織が生まれ、鬼好きの交流の場ができた。tesyuke & hus.はその発足時からの会員。
ところで、鬼学会の高邁なる理想は《「鬼と遊び、鬼について学びあう」をテーマに、全世界の鬼に興味を持つものが広く集い、古来、人類が鬼に託してきたユーモアとペーソスにふれながら、文化の深層を考え、国際的な連帯を深めると同時に、豊かな未来を築くことを目指す。》なのだ。

今回は、年1回の鬼学会総会が国民文化祭in福知山とコラボしたというわけ。大江山ー大江町ー鬼と濃密なものが、福知山市へと拡散したので、今ひとつ求心力の不足が否めなかった鬼学会も、今年は市が力を入れたとて、盛況。なんたって金剛 永謹の能・大江山!だ。

今年は日帰りでとて、10月29日早朝に家を出る。
午前中に大江山麓の世界の鬼の交流博物館で特別展示「水木しげるの描く鬼たち」を見て下界へ。
福知山市厚生会館のシンポジウムに。
会館前には、妖怪や鬼がたむろして、けっこう良い雰囲気。
で、シンポジウムの方は

*講演「酒呑童子伝説とは何か」
    小松和彦(国際日本文化祭研究センター教授・副所長)

*パネルトーク「鬼の囁き」
    パネリスト    小松和彦(国際日本文化研究センター教授・副所長)
             山田脩二(写真家・日本鬼師の会名誉会長)
             夢枕獏(作家)

*金剛流による能「大江山」
     シテ 金剛 永謹  ワキ 福王 茂十郎

小松和彦さんは、プロジェクターで逸翁美術館所蔵の「大江山絵詞」や曼殊院所蔵の「酒天童子絵巻」を写しながら、酒呑童子のあらすじ紹介し、比較からみえてくる物語の背景や意図の変化を解説。 《鬼に横道無し》とて、鬼より恐いのは人間!

金剛流の能「大江山」は、地元で演じるということが、何よりのメリット。
ステージ上に能舞台が設置され、橋掛かりもばっちり。能舞台の前面の柱が、1メートルほどの細い棒で代用されて、上部がよく見えるという利点も。こじんまりした会場なのですごく見やすかった。

あらすじは《丹波国大江山の鬼退治の勅命を受けた源頼光の一行は、山伏に扮して酒呑童子の隠れ家に一夜の宿を求める。「私が酒呑童子と呼ばれるのは酒が好きなためで、酒ほど好いものはない」と言っては上機嫌で一行に酒を勧め、重代の住家としていた比叡山を追われて、国々山々を転々とめぐり、この地に隠れ住むようになった次第を語る。やがてこの隠れ家を他言してくださるなと固く約束し、酒に酔い伏しそのまま寝床へ行ってしまった。
頃を見計らい、頼光がその閨の中をうかがうと、酒呑童子は恐ろしい鬼神の正体を露呈しながら眠っていた。頼光は独武者とともに鬼神に斬りかかり、ついには首を打ち落とし、都へ帰るのである》

酒呑童子は、もともと比叡山に住んでいたとは知らなかった。追い出されて東北・九州と住まいを転々とし、やはり都が恋しいと都近くの大江山を終の住処かにしたとか。麗しい童子姿が寝入ると鬼神の姿の戻る。ここでも、酒呑童子が 「鬼神に横道なきものを」と叫び、討ち取られる。
酒呑童子あわれ・・

熊野古道・バスツアー

2011-10-10 19:34:15 | 関西
四国お遍路とか熊野古道のバスツアーの文字が躍っている昨今。イヤーー、なんでこんなに安いの?
1回目はすごーく安くしてお客を釣るんだよ・・との話も。
tesyuke & hus.は自分勝手に行くのが好きで、この手のツアーは、まあ関係ない事と思っていた。
ところが、ある日、
友達がtesyukeの目の前で、チラシを振ったのだ。一緒に行こうよ。とにかく1回だけ・・
“平成23年秋スタート第二回語り部と行く熊野古道ウオーク中辺路・小辺路編”
日帰り6回一泊二日3回の9回シリーズ。
熊野古道ね!うーーん、安さに負けるわ。よっしゃ、のった。
彼女はすでに、伊勢神宮からのルートを一人で行って来たのだとか。笑いながら、だんだん人数が減っていって・・最後は**人よ。

かねがね歩きに行きたいと思っていたが、古道を歩いた後乗ってきた車にどうやって戻る?(電車で行くのが面倒くさいtesyuke & hus.)もう少し状況を調べないと前へ進めないね、と足踏み状態だった。
hus.には申し訳ないが、ちょっと古道ウオークがどんなものか様子見に、お先・・。
和歌山へはたびたび出かけているし、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へはすでに行っている。国道や市街地のルートと重複あるいは交差する道々で見たり聞いたり《**王子》とかの地名には親しんでいる。

しかし、9月の台風12号・15号で紀伊半島山間部は甚大な被害をこうむっている。熊野古道も歩けるのかどうか、ちょっと気の進まなくなっているところへ、決行ですとの連絡が来る。しかし、立ち寄り先の梅干の会社へは道路が土砂で埋まり行けませんのでご了承ください、とも。
台風12号ーー白浜行きーー台風15号ーー熊野古道行き
なんだか間の悪い選択だ。

ともあれ、10月8日8時30分京都・竹田駅出発。
この日は、この企画ツアー第一回目の最終決行日で、大阪・京都合わせて6台のバスが出ているという。トータル250人近い人間が移動するんだ!ひえーーぃ・・
各バス連絡を取りつつ、間隔をあけ順次出発するらしい。前後のバスの人が歩いている間に入り混じらないようにとっても気を使っているようだ。添乗員さんが、このバスは最後尾なのでその点楽です。でも、帰りがおそなるなーー、と。

友達は、熊野古道に関する講義を取っていて、どうしても行きたくなったのだとか。そして、熊野古道は5つの道があるの知ってた?と教えてくれる。
紀伊路(渡辺津-田辺)中辺路・大辺地に続く。
小辺路(高野山-熊野三山)
中辺路(田辺-熊野三山)
大辺路(田辺-串本-熊野三山)
伊勢路(伊勢神宮-熊野三山)・・・すでに、彼女は踏破済み。

今回は中辺路コース。スタート地点は滝尻王子。バスなので直接ここまで来たが、個人ならJR紀伊田辺駅からバスで来ることに。田辺・闘鶏神社で熊野古道中辺路・大辺地ルートの起点ですと聞いたが・・・なーーるほど、と合点。滝尻王子には熊野古道館(休憩所)があって、案内をしてくれる語り部さんが地図を指しながら簡単なレクチャーを。皆さん京都から?城南宮ご存知ですか?ハイ・ハイ・ハイ・・・。

熊野古道・中辺地の起点は京都の城南宮。 京都を出発し、船に乗って淀川を下り、現在の大阪市天満橋の辺りで上陸。海岸筋を熊野の玄関口、田辺まで南下。田辺からは山中の道(中辺路)を熊野本宮へ向かう。なるほど。田辺から滝尻王子までは古道と呼べるものはすでになく、滝尻王子から山の中を分け入る。一行は20数名ずつに別れ、各々に語り部さんがつき先導してくれる。まずは準備体操を入念に!杖(竹の棒)をどうぞ。この時点で正午を少しまわっている。

滝尻王子宮十郷神社(滝尻王子社の正式名)に参拝。この裏山を登っていく。ここは熊野の神域への入り口として古くから重んじられてきた所とか。それにしても先が思いやられる険しい木の根道を小学1年生から84歳の方までが続く。語り部さんが一回目が一番んきついんですわ・・と、言う。とにかく今回は(低い)山を二つ越えるかたちになります!

滝尻王子社・・・胎内くぐり(巨大な岩の穴)・・・乳岩・・・不寝(ねず)王子(これは社はなく石碑だけ)・・・剣ノ山経塚跡・・・そして、飯盛山展望台に到着。標高341mの三角点もある。木々の中を歩いてきて頭上の青空・360度の景観・北方には果無山脈のきれいな稜線が見え・・疲れも吹っ飛ぶ。紀伊山中に来ている、と実感!(写真)

ここからは階段や石畳の下り坂。そして車道を横断して、もう一度上りにかかるのだが・・
ガイドさんが、もう歩けないと思ったら、早めに申し出てください。携帯電話でタクシーを呼びますが、古道が一般道と交差している場所までとにかく出ないと乗れません。と言っていたのがここ。タイミングを逃がすとタクシーも拾えません、というわけで84歳の方を含め4人がリタイヤ。申し出てからもう一踏ん張り歩くのは、気の毒だった。

一山越えて、次の上りは、さすが口数も少なく・・・。語り部さんが皆さん復唱してね・・と、《六根清浄》《ざあーーんげ、ざんげ》とキレイな声で唱える。それに励まされて、木の根道を行く。テレビ塔が見えたら頂上ですよ!
針地蔵尊・・・NHKテレビ塔・・・下りにはいって古道が一般道と重なり民家が見えてくる――下地集落。そしてその下り坂の途中に高原熊野神社。

境内にそびえる樹齢1000年ほどの楠に注連縄がはられ小さいながらなかなか奥ゆかしい神社。熊野古道では最も古い神社建造物だとか。山道は終わり民家を過ぎて・・やれやれ、ゴールは近い。高原霧の里休憩所到着、ここからも果無山脈が一望できる! 名前が、いいね・・なんだかロード・オブ・ザ・リング にでもでてきそうな名前!そして、栗栖川バス停付近まで歩き・・ジ・エンド!
たいした距離(5キロ弱)ではなかったがアップダウンが激しく皆さんお疲れ気味。

バスに乗り込んで中辺路のハブでもある観光拠点《古道歩きの里・ちかつゆ》に寄りお土産などを買い込んで帰路に。
行きは台風の被害で高速道路(湯浅御坊道路)が通行不能で、日高川沿いの地道を行った。日高川の土手を越して水があふれた痕跡の激しさを、バスの中から息をのむ思いで見た。木々は折れ、丸太が川を覆って・・
帰途は高速が使えて思ったより早く帰還。それでも竹田駅八時半。

嵐の合間の*南紀*稲村の火の館

2011-09-28 22:45:59 | 関西
南紀白浜最終日。一日たっぷりうろうろするつもりが、台風15号接近で雲行きがあやしくなってきた。
で、さっさと引き上げようということに。とは言え、雨風が激しいわけでもないのでなんだか後ろ髪を惹かれる思い。そんな道すがらに《稲むらの火の館》の看板が。
ここなんや・・稲むらの火の話のもととなった村は・・

稲むらの火の話は結構人口に膾炙している・・・《江戸時代・和歌山県の太平洋に面した村・地震が起きたとき海を見ていた村長さんが津波の来るのを見て高台の稲むらに火を放った・それを見た村人は火元へ駆けのぼり・全村の人命が津波から助かった》
昔は教科書に載っていたんだってと聞いたこともあるし、何時どこでとは思い出さないが読んだ記憶のある話だ。もちろん3・11後はよく取上げられている・・

着いた所は、濱口梧稜記念館&津波防災教育センター。和歌山県有田郡広川町、昔は広村といったとか。村の景観にそぐわない高層ビルの防災センターはパスして隣接のよく手入れされた日本家屋濱口梧稜記念館に。
話の中で村人を救ったのは五兵衛さんと言う老人だが、そのモデルとなった実在の人物が濱口儀兵衛(梧稜)さん。家の中に入っていろいろ話を聞くが、この家は実際の彼の家でなく(それはすでになくなっている)親戚の濱口某氏が近年寄付なさったものだとか。

家の中には梧稜の遺品を展示し彼の一生が分かるようになっている。
それにつけても、こんなにびっくりしたことはあ・り・ま・せ・ん!!
村を救ったのは年寄りの村長さん?いえいえそうではありません。
梧稜さんは当時34歳のパリパリのビジネスマン!
和歌山がルーツで房総半島に進出した醤油屋さん。梧稜さんは今で言えば大手醤油醸造会社の7代目社長さん。と言ったことをボランティアガイドさんが話してくれる。

和歌山と千葉を行ったり来たりの生活をしていた梧稜さん、たまたま地元に帰っていた時に地震がおきた。安政元年11月5日(1854年12月24日)夜。安政南海地震の津波が広村に襲来した時の実話。
村人の命以外無に帰した村を再建に力を貸した話こそ今に通用するのですと、ボランティアさん。
梧稜さんは、更に莫大な私財を投じ海岸線に堤防を築いたのだ。被災した人々に雇用の道を開き生活の糧を与えた。

濱口梧稜さん!知れば知るほど立派! 江戸・明治時代を生きた政治家・経済人そしてなにより知識人。福沢諭吉を初め明治の政界・財界人に知友ありそして意識は国際人!人生の最後に彼は外遊し(夢をかなえ)アメリカにて客死、64歳。幕末・明治期にこんなすばらしい人物がいたとは、知らなかった。稲むらの火は彼の叡智があればこそかと・・

ボランティアガイドさんの話。なぜ稲むらの火が教科書にのったかといえば・・
1934年(昭和9年)に文部省国定国語教科書の教材公募が行われた時、地元の小学校の先生が小泉八雲の作品(リビング・ゴッド・・・稲むらに火をつけ津波から村人を守った話)にヒントを得て、
「燃ゆる稲むら」として創作・応募。見事入選し1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)間で教科書に載った。

さて、小泉八雲だが1896年(明治29年)英語で "A Living God " を著している。で、八雲はどこからこの話を知ったのか?ボランティアガイドさんはi-padをつるつると触って、これですねん。古い新聞記事を見せてくれる。明治三陸沖地震津波(1896年)の後で書かれた、過去の津波に関する新聞報道の一つがーーー濱口儀兵衛の話。ほんの小さな囲み記事だが八雲は多分この話を誰かから聞いたに違いありません・・
そしてこの話(A Living God)は20世紀初頭外国ででも有名であったとか。
イヤーー、勉強しました。

そして、細い道を海岸へ出て、今も残る堤防を見に行く。
堤防の外の幹線道路に車を止め海のほうを見る。海が埋め立てられていて、立派な建物が建っている。聞けば、町役場だとか。

嵐の合間の*南紀*パンダ・パンダ・パンダ

2011-09-25 11:53:32 | 関西
アドベンチャーワールドのパンダは8頭。スゴーィ。沢山いすぎてありがたみがない感じもするが・・
ここで生まれたパンダにはすべて“浜”の字がついているとかで、昨年生まれの双子ちゃんは、海浜(カイヒンと)陽浜(ヨウヒン)。2010年8月11日生まれなので1歳おめでとうの垂れ幕と写真が入り口に。写真がほんとに可愛くて、アメリカのtwinsがそろってハイハイしているところがオーバーラップ・・・・似ている!

パンダはお風呂に入るわけでもないので、実際は汚れて白い毛の部分は茶色くなっている。成獣は赤ちゃんパンダのかわいらしさの足元にも及ばないが、どれもこれものんびりと寝ているか食事中。各々の組み合わせで部屋(檻)が分けられていたがどうやらお父さんパンダはいつもは一人にしておくみたいだ。

それにしても偉大なお父さん!大家族の白浜パンダ家は表彰ものです!上野動物園はすごーいレンタル料ですよ。
こんなに繁殖しているのは、パンダにとっては環境がよいのかもしれない。和歌山県のしかも田舎の分だけのんびりと、パンダにストレスが、かからないのかも。アドベンチャー・ワールドのパンダ舎、黒山の人だかりでもないし、えっこんなにいるのん・・見飽きるわ状態。

昔のことに、初めて上野動物園にパンダ(ランラン・カンカン)が来た時。ランランが死んでカンカン一匹になった頃だったかに、小さい子供を連れて見にいったものだ。パンダフィーバーのさめやらないときとて、評判の豪邸にパンダは住んでいた。押し合いへし合い状態のパンダ舎の前の通路は暗くて檻に対し傾斜がつけられ前面の低いほうと後側の高いほうの間がロープで区切られていた。子供は前に、大人は後と別れて檻のガラスの前を通っていくという按配。しっかり見いやと子供を前の通路に行かせ後の通路に。そこも背伸びしても見えないぐらいの混雑振り。1頭には広すぎる室内の・・どこにいるんやカンカン!見つからん。

ほんとに隅っこに黒白が見えました。アーーァ、お疲れさん(自分に)。
そんなに長くも見てられません。押し出されて外へ。子供を見つけ、
母 :見えたか?しっかり見たか?
子供:私の顔がガラスに映ってた(おっとり)
母 :もおぉぉぉぉ・・・。もう一回行っといで!(怒)

パンダといえば、中国の桂林へ行った時にも見ている。
桂林のメインは 漓江(りこう)下り。動物園にも行くというので、動物園?別に?と思っていたら、なんとパンダがいたのだ。屋外の土の上で遊んでいる数頭のパンダ。
何におどろいたかというとあまりの普通さに!こんな当たり前の動物舎でいいんですか?お金のかからないこんな普通のところで・・・と、いう驚き。上野動物園のパンダは過保護か、あまりにも人工的な環境過ぎるのか。国賓と庶民の差ですか。でもどっちがいいんだろう。

嵐の合間の*南紀*アドベンチャーワールド

2011-09-20 11:56:29 | 関西
近頃の地方の遊園地等の衰退ぶりはひどいものがある。デイズニーランド・USJの外資系が席巻。アドベンチャーワールドなんていっても一昔前の施設、どうなっていることやらと、行く前に一抹の不安がよぎる。が、ここは健闘! なんたってパンダが8頭! 白浜空港だって営業中・・・
台風が近づいてきているせいで、広大な駐車場は半分以上あいている。ラッキー、来場者が少ないってことだ。それでも開園前のゲートは人であふれかえっている。

tesyukeの中では《南紀白浜ワールドサファリ》と言っていた頃のサファリのイメージが強い。それで、パンダより先にサファリへと駆けていった。サファリといえば、日本初の宮崎サファリパーク(1986年廃園)へ子供を連れて行ったことがある。牡のライオンがひっくり返ってお腹出して寝ていた!としか思い出さない子供達(がっかり)・・ サファリとは銘打っても動物達だって日和ってます。檻のない動物園って、とこ。

まずは列車型(牽引)バス・ケニア号で周遊。始発なんで満員。草食動物エリアから肉食動物エリアへは鍵を開けて二重ゲートをくぐって行く。説明を聞きながら・・結構た・の・し・い・や・ん!!
いやー、キリンに餌やってはる!(餌やりたいな・・)
一通り回って、これで結構満足。係りの人を見かけたので、どのオプションに乗ればキリンに餌やれます?と聞く。歩いていきなはれ・・。ヒェー、そ・そんな。ウ​ォ​ー​キ​ン​グ​サ​フ​ァ​リコースの赤い線の上を歩いていけば草食動​物​た​ち​を​間​近​に​見​な​が​ら​自​由​に​散​歩できるよ。
キリンのとこだけ行って戻ってこようか?キリンは丁度中間地点戻るより一周しなはれ。へい。

正解だった。暑かったのでいい加減はしょって歩いたけれど、それでも、かば・さい・ばく等々自然の中に見られてよかった。良い季節ならそれぞれの動物をもっと時間かけて楽しめる。
キリンテラスでは階段を上がればキリンの顔が胸元に来るようにやぐらが組んであって自動販売機でエサを買えばそこからキリンに与えることが出来る。キリンの舌は分厚くてざらざらして濃い灰色。それでねじるようにしてtesyukeの手から餌をとっていく(写真)。
こわないですよ・こわないですよ・・と、係りの人。頭も触ってみてください。かたいですよ。
又、エミュー、カンガルーなどにもエサを与える事ができる。(カンガルーは昼寝中。エミューに餌をやったが、つつかれそうで投げ込んだ)。ライオンテラスでは、指定時間にエサやりイベント(有料)にも参加できる。時間ではなかったが、テラスから近くの木陰でライオンファミリーが寝そべっているのが良く見えた。父ちゃんはしっかり頭を上げて、一応威厳を保っていた!。
肉食動物ゾーンは徒歩では入れないが、キリンテラスの傍にチータ・ビューがあって、運がよければ金網越しにチータがみられる。恐いぐらい近くで寝そべっているチータを見た!!目があった・・こわ。

もちろん白浜!海の近く。マリンワールドも売り。海の動物達のいろんなライブ&パフォーマンス・・良かった。ビッグオーシャンでは、イルカ・ショー。ダ​イ​ナ​ミ​ッ​ク​な​ラ​イ​ブに動物に何かさせるのを動物虐待と嫌がるhus.もさかんに写真を撮っていた(ふ・ふん)。
美しい青空をバックにイルカがいっせいにジャンプするのは見ごたえ十分。毎日の愛情のこもった訓練のたまものか。書けばきりなく、見てないところ行ってないところ多々あて・・結構楽しめます・・アドベンチャーワールド。

嵐の合間の*南紀*南方熊楠

2011-09-18 18:12:50 | 関西
tesyukeはアドベンチャーワールドふっふっふっと思っていたが、hus.は密かに南方熊楠三昧や!ふっふっふっふっと、思っていたらしい。紀伊田辺といえば・・あの・・智の巨人・南方熊楠。
熊楠の娘さんがなくなって、旧居の地に《南方熊楠邸&南方熊楠顕彰館》がオープン。

開館時間まで、熊楠のお墓参りに。山手にある高山寺へ。
墓からは田辺湾が一望。晴れておれば神島が見えるという。若き昭和天皇が老熊楠のご進講に感銘を受けられたことは周知の事実。御製を書いたボードがお墓の後ろに立ててある。
《雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ》
なんだかジンとくる。熊楠さん良かったね、そんな感じ。

顕彰館では、アメリカ滞在時の熊楠の足跡をたどるという企画展をしていた。《南方熊楠のアメリカ時代》
125年前に19歳の熊楠はアメリカへーーーアメリカ大陸を横断しキューバまでーーそして英国へ。
渡米前に熊楠が親友に贈った自分の写真の裏に書いた決意の言葉があった・・・こんな常識的なことを言ったこともあったのかと不思議な気持ち。
《僕もこれから勉強をつんで、洋行すましたそのあとは、降るアメリカをあとに見て、晴るる日本へ立ち帰り、一大事業をなした後、天下の男といわれたい  明治19年12月》
等身大という写真ボードが入り口に立ててあった。並んでみると意外と小柄。それにつけても若き熊楠のすばらしい顔! 物事を見通すような怜悧な目!この顕彰館は(紙の)資料が沢山ある研究機関のような建物で、熊楠にかかわる物は旧宅で見てくださいといったスタンス。

熊楠旧邸。家のお守りをしておられるゆかりの女性が案内をしてくださった。ここで熊楠が晩年の25年を過ごしている。楠の大木(熊楠が大事にしていた)があり植生が足摺岬などとよく似た南国の雰囲気。
案内のこの女性がすばらしい!守備範囲の広いこと・広いこと。おかげで小一時間も楽しくおしゃべり。幼少の熊楠は長くは生きられないかもと周囲が思うほどの虚弱児だった等という話とか・・
熊楠が現代に生を受けていたら、規格教育につぶされるでしょうね・・などとか。
規格の教育には不適合ないしは見切りをつけてドロップアウトしたのは空海さんも一緒ですなんて話も。あげく《弘法大師と熊楠は似ている。天才!》と三人。

田辺を後に白浜へ。やっぱり行きました熊楠記念館。二度目。太平洋に突き出した岬(番所崎)の先端番所山に。・・・長い長い坂を上った記憶があったが・・・やはり坂道はあり、(年には勝てず)こんなひどい坂道だったか状態!
幕末には黒船の監視所があったとかで途中に旧番所跡の大きな記念碑がたっていた(写真)。なるほど。

記念館は《和歌山県が生んだ博物学・民俗学の巨星、日本に「ミナカタ」ありと世界を驚かせた熊楠の、文献・標本類・遺品を保存・展示》してあるところ。山登り可能なうちに一度はお行きあれ。
少年期に、写した『和漢三才図会』から友人の孫文に貰ったパナマ帽・御進講時に来たフロックコートまで展示。そういえば熊楠の東京遊学時(大学予備門)の同期生には、正岡子規、夏目漱石、山田美妙(びみょう)などがいる。彼らの試験結果まで展示してあって、まず子規が成績不振(試験結果悪く)で退学。次の年に熊楠も同じ理由でで退学しているのが分かる。

とにかく、百聞は一見にしかず。熊楠大明神さまとあがめたくなる。


嵐の合間の*南紀*闘鶏神社

2011-09-16 22:07:14 | 関西
連休前に白浜へ行ってきた。
アメリカから帰ってまず温泉に行く!!と決めていたのに、なんだかばたばたと時間が過ぎてしまった。
ちょっと涼しくなって、どこか近場へ行きますかと・・白浜へ。
何回も太平洋を望むこのエリアへは来ているのでさして目新しくはないが・・
むくむくっと《そうだアドベンチャーワールドがある!》っと昔のことを思い出だしたのだ。
思い起こせば*十年前、家族旅行。アドベンチャーワールドへ行こうというtesyuke案は多数決にて却下、tesyukeがっくりの一幕。今回は却下の恐れなしという事で心ひそかに決行を決意。ふっふっふっ・・・。
とて、ネットでとりあえずホテルを予約。

子供からのメール・・白浜といえば和歌山ではないのか?大丈夫か? 気をつけて!  
そうだ、台風12号で山間部に大被害がでているんだ・・・うーん。豚児とばっかり思っていたのに、彼らからみればこの能天気な行き先は《豚母》の強行突破に違いないと足元を見られている。

9月14日。とにかく朝は早い。高速道路を駆け抜けて、紀伊田辺へ着いたのが8時前!とにかくJR紀伊田辺駅前で、今日の予定を考えよう。
田辺にご主人の転勤で住んでいた友達に、闘鶏神社の小さな弁慶のフィギャー付きのストラップを貰ったことがある。弁慶が生まれたとこよ・・・へぇー。ほんと? 
和歌山よく来ているつもりなのに・・うーーん、知らないこと多し、やわ。
とて、闘鶏神社へ。

駅から直ぐ近くでびっくり。なかなかの由緒ありげな雰囲気に、ほぉーっと期待感。
境内にある小さなお社などを見ていると・・なにやら、本殿のほうから祝詞の声が聞こえる。
丁度8時となりまして・・朝のお勤め始まりました・・と、合点。
神社の朝の日課を垣間見るなんてはじめてで、本殿へ飛んでいく。神主さんが拝殿で祝詞をあげ終わり、立ち上がって陪座の人(神社の権禰宜&私服の巫女さん?)をお払いしている。そして、やおら向きを変えtesyukeたちの方へ。外から密かにみているつもりだったのにばればれ! 
《よろしかったらお払いをお受けください》なんという成り行き。ありがとうございます。若くてハンサムな禰宜さんだった!!

これで終わりと、思ってたら、次に禰宜さんは上衣の両肩を脱ぎ白い下衣になって太鼓をたたきつつ祝詞をあげ出した。わぉ、これは力仕事。体育会系でないと神主務まりません。大変やなーーー。
これで終わりと、思っていたら、次に禰宜さん階段を上って本殿の前まで進み又祝詞を揚げる。拝殿の横に回り本殿が良く見える位置まで行く。禰宜さんの祝詞・・・東北大震災被災者を悼み復興を祈るものだった・・・なんだか泣けてくる。

この神社境内には弁慶と父親の像も置かれ(写真)、確かに弁慶のゆかりの地。弁慶が源氏への加勢を頼みに来た時に社前で紅白対抗の闘鶏で源平どちら味方するか占ったとか。(白組の勝ち!)
弁慶の父湛増(たんぞう)で21代熊野別当。この神社びっくりするぐらいの歴史があったのだ。由緒略記によれば,419年まで歴史がさかのぼる。大辺路・中辺路へと熊野古道分岐点の要衝にあり、熊野信仰の一翼をになっていたとある。

禰宜さんが境内のあまたの社を回り終え社務所が開く。お払いまでしてもらったしと、(社の修理のための寄付を募っておられたので)貧者の一灯を。えっ、こんなもの頂くんですか?梅干貰っちゃった。
禰宜さんと話をする。3・11の震災以来東北に思いを馳せて祝詞を上げ復興を祈っていますとのこと。われわれには、祈ることしか出来ません・・・