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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

国宝展

2017-10-17 11:19:32 | 美術館・博物館など

京都博物館国宝展。

午前淀屋橋にて用事。友達とランチ後大急ぎで京都まで。京都博物館へ。

混んではいたが待つことなく全館見まわることができた。

今回は入れ替えが多いので、気を付けないと見たいものの展示が終了している羽目に・・・

関西という立地条件の良い地に住んでいるため、国宝展と言われてもほとんどのものは見ていると思う!!

で、お目あては10月22日で展示が終わる雪舟。中でも四季山水図巻が圧巻。

山水画の中国的なとんがった山々反った屋根の東屋などの特徴が薄まっているように見えて、見ていて素直な気分になれる・・

それにしても、素晴らしい展観とは思うが,総花的で(当たり前だが)歴史の・・美術の・・教科書みたいなもんですね~とはtesyukeの感想。


源信展

2017-08-09 12:38:37 | 美術館・博物館など

8月8日、暑くなる前に奈良へ

久し振りの奈良博物館。源信展ー地獄極楽への扉。丁度ころあいの人出でゆっくり見ることができた。

今年は源信1000年忌。アラビア数字で書くと、遥か彼方のかたですね~~。

源信と言えば往生要集と過去の受験生は条件反射。しかしこんなに地獄絵の元祖の方であったとは思っていなかった・・

六道の中で地獄・極楽がフォーカスされて,1000年の時をきざんできたんだ。

見どころ満載の中に、宇治の平等院・鳳凰堂の扉絵の模写の展示があった。その模写は、ありのまま・現状のままを写し取るというもの。

tesyukeは、思わず手を打った。模写された当時の、おぼろになりかけている絵画の中に、あるはあるは墨で書かれた落書き!!

にやりと思い出したのはーー以下のようなこと。

平等院も今では整備されて、鳳凰堂見学は別料金で、見学者が集まって案内という形になっている。

が、昔は自由に鳳凰堂へ行けて,堂前に腰かけて池をずーーっつと眺めていたりとのんびりしたものだった。そんな昔には、寺の方の案内も

江戸時代はこの寺も随分荒れていて垣根もない状態でしてん。ちょっとこれ見てください・・江戸から来た人が記念に住所氏名を書いて帰った落書きですわ。江戸・どこそこ・なんのなにがし・・

墨で書かれた人名に昔も今もすることは一緒やなと思ったものだが、その時かぎりで以後、案内人に墨の落書きの話を聞くことはなくなった・・

が、今回びっくりしたのは、濃淡さまざま実に沢山の落書きが筆致もそのまま模写されていたことだった!


東京国立博物館*台北故宮博物院展

2014-09-13 14:51:13 | 美術館・博物館など

九月のはじめは所用で小田急沿線に滞在。このところ関東へ行くことが多く、教えてもらったPASMOが楽で乗換えナビとダブルでどこでも行ける!!と、シニアも意気軒昂。

京都国立博物館と奈良国立博物館は私にとって庭みたいなものだが、いまだ東京国立博物館は行ったことがない。で、9月5日に、特別展・台北故宮博物院・神品至宝を見に出かけた。

JR鶯谷駅で降りて、ふーーん、こんな位置関係だったのなどと思いつつ歩く。さすがに首都の文教地区かと、感心することしきり。博物館の敷地が広いのに(塀が長い・・)二度びっくり。敷地中にこんなにたくさんの建物があったのかと、三度目のびっくり。ここだけで何日間も過ごせる…と、興奮!

しかし、時間がないので今日はメイン会場のみ。台北で故宮に実際に行ったことがあるので、リアルさで有名な白菜だとか肉片はすでに鑑賞済み。《翠玉白菜》は展示終了との表示にも動じず。どんなものを特化して持ってきているのだろうかと興味しんしん。高校時代に東洋史をとっていたので長々と主に中国の歴史を習っている。清朝時代まではクリア。以後のややこしい時代はカットだったか?

で、康熙帝とか乾隆帝とか名君だったなどの記憶がある。今回は、それらの皇帝と係る品々も多いが、割りに地味な展観内容のように思った(念のため、白磁・青磁素晴らしかった)。実際の故宮博物館では足を止めてゆっくり見ないだろうといった品々が、キュレーターの方の思い入れを受けて、わかりやすく展示され、よい勉強になった。

 展示は平成館と言う建物だったが、内部は最新の設備完備・見やすい設計の最高のものなんだろうな・・と思いつつ、京都国立博物館の今日がスタートの平成知新館を思い出していた。なんだか似た感じ。無味無臭な建物と言ったらいいのだろうか。まあ・・これが平成の特徴なのかも・・

特に、京都の知新館の建物は(みんながほめているので、とっても言いにくいけれど)私は好きにはなれない。もっとも、見る角度と位置でイメージが変わるので、素敵に見える場所もあるが・・・。それだけ見たらスマートでよいのだろうけれど、旧館に比べると夢もロマンもない建物で・・・。スミマセン

 


奈良国立博物館・特別展みほとけのかたち

2013-09-04 10:19:07 | 美術館・博物館など

2日。奈良国立博物館へ。 特別展 みほとけのかたち・仏像に会う

夏場の事とてあまり期待していなかったのだが・・・これがヒット!夏休みが終わってしまったのが残念だが『学生諸君!見に行きたまえ』と声を大にしたい様な企画(中学生以下無料)。

一言でいえば≪仏像に関するABC展≫。目から鱗が落ちる位勉強になった。長年仏像が好きでよく見てはいるけれど、当たり前すぎたことや、言葉にしてかくかくしかじかと言えるほど理解してなかったことなどを、やさしく解説してもらった感じ。あまりに感激してtesyukeにしては珍しく解説書を購入したほど(写真左)!

さすが奈良博、(ちょっと失礼な言い方だが)そうそうたる顔ぶれの仏像たちが駆り出されて、解説にはもったいないようなラインアップ。また説明がシンプルで、壁面に大きな写真・布帛等を利用した解説を貼付し、より理解が深まるように配慮してある。

全体を7章に分けてあって、まず《第1章*みほとけのすがた》初めに、どーんと目に飛び込んでくるのが元興寺の薬師如来像(国宝) ポスターの写真がこの仏様。立派な体躯に小さな顔がめり込んでいるように見えて異次元の雰囲気。如来さんなので衣服はこれこれ。なるほど!今まで衣の襞がどうのとかこの時代はこの形とかの解説はいろいろ見たり聞いたりしているが、今回初めて如来さんはボトム1枚トップス2枚のただの布で衣類が成り立っていることを知った!(恥ずかし・・)菩薩さんは、ボトムはいっしょだが短い腰布が加わり、上体には条帛という帯状のものを巻き付け、天衣というショール状のものを垂らすと、ある。ふむふむ。考えたらこの設定をすでに知っていての、時代ごとの特徴解説だったと、思い至った。いろいろ書けばきりがないが、順次、服・髪・顔・姿勢・形(太さや大きさ)と分けての説明が続く。浄瑠璃寺の馬頭観音(鎌倉期・重文)も顔の部に展示されていて、憤怒の顔四面(普段見られない後ろも)しっかり見ることができた。

《第二章*みほとけのしるし》 釈迦・手(印相)・持物・色・光・座の6パートに分かれている。お釈迦さんは生身の人間から如来となるわけで誕生仏からやせ細った修行時代そして入滅までの道のりが素晴らしい仏像や涅槃図などでたどれるようになっている。色の部には海住山寺の四天王像が出品されていて四天の四色の顔の色と方位等の関連が解説されていた。それにつけてもこの四体の陶製かと見まがうばかりの滑らかさ、美しさには驚嘆した。

第二展示室に入って一番に目に飛び込んできた、真正面にすくっとたっている大きな仏像に目が釘づけ。敗残のギリシャの武将か?と、思わず思ったほど・・。平安時代の如来像だとか。焼けてはいないのだが、どこかに打ち捨てられていたようで、虫食い削れと本来の姿は失われている。大きな胴の部分が残って、別材で補った手の部分はなくなっている。ので、仏の面影を宿した木とも見える。虚飾がはがれた分すごく厳しい顔立ちに見えて、近寄り難い威厳を醸し出している。この像の周りをくるくる回って見続けた。

というわけで、ここは《第三章*みほとけのからだ》の展示室。仏像を何で作ったか?どういうやり方でか?木・玉眼・石・銅・金・土・乾漆に分けられている。ちなみに先程の如来像はカヤの一木造。寄木造りの大津皇子像(鎌倉時代・薬師寺蔵)も展示してあって、なぜ薬師寺にあるのか、なぜ大津皇子か不思議で仕方がなかった。

《第四章*みほとけのなかに・納入品》これはそのまま仏像の内部にいろんなものがおさめられていたという展示。《第五章*みほとけの霊験》霊験あらたかと信仰を集める仏像の、霊験にあやかるために作られた模造仏。もしくは画像に写し取ったもの。時代が下がるとずいぶん世俗的になってくる。《第六章*みほとけのすみか》仏はどのようなところを住みかとしているか?コピーではあるが当麻寺の大曼荼羅図が掲げられ、ビデオで細部を説明していた。国宝の中宮寺の天寿国繍帳(飛鳥時代)も出品されていた。

最後に《第七章*みほとけの宇宙》説明すれば長くなるというわけでもないだろうが、国宝の両界曼荼羅二幅(平安時代・子嶋寺)が壁面に。紺地に金銀泥で描かれた素晴らしいものだった。そして、これはと目を引いたのが東大寺大仏の蓮弁にほどこされた線刻の描き起こし図。何度も大仏殿は訪れているのに、こんなにしっかりした宇宙観のあらわされた図を心に留めもしなかった。

と、長々書いてしまったが・・・途中でコーヒーを飲んで…仏像館のほうも寄ることに。すこし展示仏に模様替えがあったようだが…いつ来ても、いい!ぜいたくな空間!手の届くところに遮るものもなく仏像が立っている・座っている。これらを見るだけに奈良に来る価値はあると思う。建物の端の展示部分へは通行止めの表示。いぶかって、警備員さんに聞くと、大雨で建物の四隅が雨漏りしたのだとか。あの端っこに国宝の仏様が置かれているんだ。いつも思わず笑ってしまう、こんな端っこに国宝を置くほど層が厚いんだ!それにしても被害はなかったのか・・・


京都国立博物館・遊び展

2013-08-25 16:52:58 | 美術館・博物館など

暑さに負けていられないと、よっこらしょと行った先は京都博物館。いつのまにか駐車場が有料になっている。 

特別展観 遊び》 中学小学生向けワークシートが置いてあったので、夏休みのファミリー向けの企画だったのかもしれない。(中学小学生は無料)。外国の博物館等では子供向けのプラスアルファをよくみるので(ワークシート・低位置に子供向けの説明・踏み台など)京博の取り組みはとっても良いと思う。tesyukeも1枚もらったが、今回の展観のヒットはこのワークシートだった!

 「神仏に捧げた音楽や踊りに始まり、酒宴、月見、花見、船遊び、演劇の鑑賞、囲碁や双六、歌合わせ、貝合わせ、香合わせ、子どもの乗り物や人形遊びまで、京都国立博物館が収蔵する多彩な美術品のなかに「遊び」の姿を追いかけます。」ということで、展示品は自前のものが多く、割と気楽な企画だったのでは、と思われる。

ワークシート1ページ目(写真)。踊りの絵の余白に『・・何で踊っているのかって?それは・・神様を楽しませるためじゃよ。もともとは、神様に捧げる歌や踊りを≪神遊び≫と言ってたんじゃ。ワシらは何に描かれているのかな?会場で見つけてくれ。』子供じゃなくても、神遊び?おっそうなんだ!で、この絵が描かれていたのは旭焼の鹿島踊図皿。展示品の中では珍しく明治時代のもの。何がびっくりと言って製作者はゴットフリート・ワグネルというドイツ人!もうひとつびっくりしたのは、京都・岡崎公園にある記念碑のレリーフがこの人だったこと!この外人は何者?と碑の横をいつも通っていたが・・・・。明治期日本で活躍、旭焼を創設した方なのだ。

ワークシート2ページ目。貝合わせに描かれた、遊びの場面に使われている道具を見つけましょうというもの。展観には江戸時代のものではあるが貝合わせ一対三百組が展示され、これは壮観だった。

ワークシート3ページ目。≪絵巻の中の物語を楽しもう≫と、福富草紙(室町時代・重文)を取り上げている。福富草紙は、おならにまつわる愉快な話。当時の人には漫画みたいなもの・・見ながらゲラゲラわらったんだろう。そんな楽しい絵を見ながら、セリフを考えて書き込んでみようというのが子供への課題。草紙と対話してみるという発想はすばらしい。大人はいつも見るだけの一方通行。うーんこんな楽しみ方を大人にも広げよう!

《絵巻を繰り広げると、絵や言葉で描かれた物語が現れます。お話は右から左へ進んでいくよ。会場で実際に見てみよう》とキャプション。おなら芸を身につけた秀武さん。おならで音楽を奏でては、ごほうびをもらう。羨ましがった福富さんが真似をして大失敗。そんな解説が・・

ワークシート4ページ目。会場の出口にある模型を動かしてみよう。と、豊臣秀吉がわが子にこしらえた玩具船が展示。最近の新聞に、ちょっとした仕掛けが解明されて、船が波に揺られているように動くことが分かったとのっていたが・・・。

会場をくまなく見なくても、このワークシートで親子の会話が弾んだら・・・楽しく時間をすごせたら・・よい企画ということで・・・。


ボストン美術館・日本美術の至宝

2013-06-13 21:51:17 | 美術館・博物館など

13日・金曜日の予定がキャンセルになって、急きょ友達と大阪へ。もちろんボストン美術館展。

明治期に流出した日本美術の里帰り展。日本にあれば国宝といわれるもの多数。国でも家でもその盛衰によってお宝は違う持ち主に移って行くのは世の習い。それも価値のわかった人の手に渡れば幸せというもの。とにかくボストン美術館は三回訪れたが、日本の美術品にとってはこれ以上ない幸せな環境と思われた。今回の目玉は修復なった曽我蕭白の雲龍図だとか・・・

いやーー、満腹満腹。タップリ堪能、と言ったところ。五つのセクションに分けられていて、そのシンプルな枠組みに合致したボストン在の美術が展示されているということ(逆か?)。

第一章は≪仏のかたち神のすがた≫平安・鎌倉時代の神仏画。展示にボストン風味のスパイスが効いているというのか、初めてこんなシャキッとしたものを見た思い。というのも本来なら吊り下げって見せるものが、しっかりと絵の部分だけ貼り付け固定されて薄いガラスケースにおおわれ壁に取り付けられていた。まるで昆虫展示ケースを立てた感じだが、素晴らしく見やすい。もっとも平安時代位の古いものだけだが、これで風化は免れるという思いと共にアメリカ的発想かなとも思った。日本で今まで見たことのない展示(保存術)だ。とはいえこうなると、完全に絵画で宗教的な見方の入る余地はない。信仰の対象としての形をとると(釣り下げられている)古いものはそれだけで痛んでいくように思われるのだが、ここまで日本人は割り切れるか?うーーん。全館ほとんどが絵画の中で、快慶等の四体の大きな仏像が目を引いた。

第二章

 


ユトリロ展

2013-05-03 12:50:56 | 美術館・博物館など

はや五月。高島屋京都店のユトリロ展へ。ついでみたいな感じで行ったのだが、これがなかなか侮れない・・・・・良い展観だった! 

ユトリロといえば白っぽいパリの街角(ほとんど人影の無い)、と条件反射してしまう。それぐらいのことしか知らなかった。が、彼の生い立ちや、絵画がアルコール依存症のリハビリとして描かされたのが始まりだとか、いろいろ知ることができた。それで、無機質な白い建物を好む偏屈な人?みたいなユトリロに対する先入観が払拭され・・・なにか・・物悲しくもやさしい眼で彼の絵を眺めるようになった。

今年はユトリロ生誕130年だとか(1883年12月26日 - 1955年11月5日)。70点余りの作品(うち40点が初出品)が展示されていて、絶筆の一点もふくまれている(彼は死の二日前まで描き続けていたとか)。ユトリロの作品のほとんどは身近なパリの風景。小路、教会、運河などなど。同じ場所が繰り返し描かれているのだが、ユトリロイコールの白い印象のもの(白の時代)色彩のあるもの(色彩の時代)等を見比べることができる。色彩の時代の作品を見るのがはじめてのtesyuke・・・うーーん、こちらの方が好みかも。

そしてこれもはじめてみる、グワッシュの作品群。グワッシュとは、“水・アラビアゴム・蜜などで溶解した濃厚で不透明な水彩絵具” のこと。これで描かれた作品は軽やかで、素敵だった。ユトリロの精神の少しは明るいときであったのか・・・それは知らない。でも、tesyukeにとっては、グワッシュの作品群を見ることができただけで大満足!!


さぬき市 平賀源内記念館

2013-04-09 20:34:23 | 美術館・博物館など

四月六日・七日はとあるグループと四国は高知県の本山町まで。天空米と名づけたお米を売り出しているほどの・・・・空に近い山の中の町だ。しかし不便なところとて前日は瀬戸内の香川県・観音寺市にて一泊。

観音寺といえば、銭形が有名。しかしそれには見向きもしないで、行った先はさぬき市志度寺。遍路で二度来ているのだが、前とは、かなり様子が違ってきていてびっくり。境内美化に目覚めたというか、庭に土を入れたり植木を植えたり・・・なんだか随分こぎれいになったような感じ。そして境内の海女の墓に来てぎょっぎょぎょっ!!なんと太い丸太、それも見上げる高さのもので柵が作られている。いやーーこれは・・・絶句?

藤原不比等と契ったこの地の海女が二人の間の子供の将来のために身を犠牲にして宝物を取り戻し、壮絶に死んでいく伝説・・・・その海女の墓。以前は薄暗い樹間に苔むした大きな墓と経塚がたくさん並んでいるのを、その雰囲気のままに見ることができた。中に入って、何か不都合なことをした人が出たとすれば残念なことだ。柵の前に花を持ったおばあさんがいて、話を聞けば毎日お掃除に来ているのだとか。八十歳をとうに超えておられるとか・・・・・。

だんだん雨が降ってきて・・・。近くにある平賀源内のお墓はパスして、平賀源内記念館に移動。初めての場所でわくわく。たとえば源内11歳のときの作・からくり掛軸「おみき天神(複製)」の紐を引っ張る。すると描かれた天神さんの顔が赤くなる、ふむふむ(写真)。源内は日本人の枠からはみ出した人と思っているので、もっとじっくり展示品・・・油絵やエレキテル等々・・・・を見たかった。団体となるとちょっと駆け足気味で残念だ。しかし、圧巻は、案内の方が、源内の子孫がここに勤めているんですといった時。《ひらがさーーーん》と呼んで現れた男性。一同 《似てる!さすが子孫!》 ガラスケースの中の平賀源内の肖像画にそっくりの細面の紳士がひらがさん。

本草学者・地質学者・蘭学者・医者・殖産事業家・戯作者・浄瑠璃作家・俳人・欄画家・発明家として多方面に大活躍した平賀源内。時代に先駆けすぎて不幸な最後となるのだが・・・。杉田玄白が源内の墓碑を記している。「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや〔貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。〕)とある。

ともあれ、ひらがさんの案内で記念館別館となっている旧邸へ。銅像・薬草園なども。


京都国立博物館・・・密教法会の世界展

2013-02-13 09:42:18 | 美術館・博物館など

11日、京都国立博物館へ。《国宝十二天像と密教の世界》展。東寺の最重要儀式である後七日御修法(ごしにちのみしほ)で使う絵画等の美術品が展観されている。初日に見にきたhus.が、地味やで・・といっていたが、それでも最終日とあって人出はそこそこ。展観の初日が、この儀式の日にちとぶつかるので、東寺さんでは何を飾りはるんだろうと心配していたが・・・

とにかく、人口に膾炙しない儀式のこととてどんなもの?と、思っていたら、博物館が《密教の祈りとかたち》と言うパンフレットを作ってくれていて理解が進んだ。この儀式は弘法大師が平安時代に始めたもので、これは国の幸せを祈る正月の大事な宮中行事だった。その後、場所の変遷はあったが今も、東寺でしっかり受け継がれ執り行われているのだ。世に知られようと知られまいと、真言宗の一大イベント!で神秘の世界。その御修法道場を飾るすごーーーぃ美術品。

入り口を入ってほんとにびっくりした。一部屋に十二幅の大きな絵画がずらり! 毘沙門天・水天・風天・・・等々の十二天像。平安時代の作でみんな国宝。これらすべてがこの博物館の所蔵品。やれやれ東寺では新しい十二天像を飾ってはんねんと変に安心する。それにしてもこの作品群を見ただけで来たかいがあったというもの!

分かりづらい宗教儀式ながら、スムーズな展観の仕組みで、さすが京都の博物館・・・自家薬籠中のものだねと感心ひとしお。会場は、第一部・・国宝十二天と後七日御修法  第二部潅頂とその荘厳 成立八百年記念方丈記 の三部構成 国宝・重文のオンパレードのびっくりするぐらいレベルの高い出品物だった。

博物館の新館もほぼ出来上がりつつあって、春が待ち遠しい博物館。梅が咲き出していた。

 


エル・グレコ展

2012-12-01 09:32:21 | 美術館・博物館など

岡山の友達がエル・グレコ展見に行きたーーいという。で、神戸・京都からと5人が大坂の国立国際美術館前に集合。9時50分。すでに長蛇とはいかないがそれなりの列ができている・・・やれやれ。

倉敷の大原美術館で見た受胎告知の印象が強く、思わず見上げてしまう印象的な絵の雰囲気が大好き。こんなに沢山のグレコを見るのは今回が初めてで、わくわく。1600年をまたいでのグレコの画業に、ふーーん、日本は関が原・・・・。あの時代の人なんだなどと思う。良く見れば《没後400年の大回顧展》、世界中から傑作50点以上 奇跡の来日!とある。

出身地のギリシャ・クレタ島からイタリアそしてスペインへ。宗教画家と思っていたら展観の最初は彼の自画像で、つぎつぎ肖像画が並ぶ。《白てんの毛皮をまとう貴婦人》等は写実そのもの。彼の人物を描く目は確かと言う証しに2枚の肖像画が並べられていた。サンチェス・コエーリョと言う画家の描いた人物(もちろんモデルあり)。その人物を四半世紀後にエル・グレコが描いている・・・。モデル無しで描いている同じ人物・・彼の絵の確かさ!

展示は、4つのテーマごとに分けて構成されていて、もちろん最初のテーマは《肖像画家エル・グレコ》。 そこに “見えるものと見えないもの” という言葉が出てくる。“見えている現実でなく、見るべき現実” を描こうと彼はした、と。カトリックの聖人たちの肖像画も多々あり、モデルのいない過去の聖人の魂の中まで描こうとしている、と。過去の人を描く時の想像の余地に、見るべき現実を見て、だんだんいわゆる彼らしい雰囲気が出てくる。

その《見えるものと、見えないものの一体化》 が花開いて、最後が彼の祭壇画!! もちろん今回の目玉・初来日の3メートルを超す“無原罪のお宿り”が真打。縦に伸びた画布に聖母マリアが天上へと舞い上がっていく。一つのドラマを見ているような迫力の夢の世界を見上げる。これは現代人が美術館で鑑賞するための絵なのだろうか?こんな近くで見ることができてうれしいが、美術館ではマリア様も居心地が悪かろう?などと、思ってしまう。荘厳なカトリックの教会のろうそくの炎のゆれる中こそが安息の場所だろう、と。

祭壇場の絵を、ひざまずいて眺める人を想像するとき、その顔の角度があってこその、このデフォルメなんだなーーーと、合点。いつか聖堂の中にあるものを見たいと思う。が、出品リストによると、ほとんどが美術館に寄託されている。残念。それにつけてもユニークな作風のエル・グレコ・・どんな人だったんだろうか?・・・あるメモによると、トレド(スペインの都市)一の流行画家にして殺到する注文をこなす工房の経営者としてビジネスの世界でも成功、優雅な生活を送っていたと!!

見終わって出口で合流した五人。一路、予約のランチへ!みんな花より団子やな・・・。その後は、だれ言うとなく新装開店なった阪急へ・・・・・

 


シャガール展  京都文化博物館

2012-11-22 20:33:44 | 美術館・博物館など

25日が最終日のシャガール展に、駆け込みで行ってきた。前にも見たしもういいかっ・・・・なんて思ってたが、今回は大満足!だった。とっくに見に行ったhus.がよかったよかったと連呼していたのもうべなるかな・・・・だ。

大作ぞろいで、これぞシャガールと言う作品のオンパレード、さりながら多すぎてうんざりと言うことも無く、展観の流れが実にスムーズだった。大きく4つのパートに分けられていて、それぞれ

Ⅰ 故郷ロシア 

Ⅱ 結婚ー幸福な日々 

Ⅲ 悲しみの日々そして追憶・幻想へ

Ⅳ 版画シリーズ『ダフニスとクロエ』

スタートの《Ⅰ故郷ロシア》には、1910年ごろからの初期の作品群。試行錯誤の時代か、これはルオーに似てるとかブラックに似てるとか思いつつ、あっちょっとシャガールらしさの萌芽が・・・とそんな感じ。底辺に故郷の町や肉親への愛が漂い、しかし人はまだ空に浮遊していない。インクで書かれた白黒の数点(負傷した兵士ほか)が気にいった。

日本人tesyukeにはユダヤ人だから何? 別に?と、思うのだが、だんだんとシャガールにユダヤ人画家と言う側面があらわれて来る。1920年33歳のシャガールが依頼されて描いたモスクワのユダヤ劇場の壁画がⅠの最後を飾り圧巻。小劇場内部を模した小部屋に7点の壁画が配置され、観劇に来た人がこのように見たのか・・と、往時をしのぶ。ユダヤの習慣・比喩などがちりばめられた絵画に不思議を見る思い。

Ⅱは特別室で大作4点展示。30代のもの。でました彼と妻が空を浮遊している《街の上で》。そして《散歩》《結婚式》。多作の人の全作品の中で、シャガールの名を決定的にしたということで、これらに如くもの無しと特別扱いなのかも。もう一点は《ヴィテブスクの眺め》で彼の故郷の町を描いたもの。浮遊している恋人の下に描かれている街。

ところで、空に浮いているのが非現実と見る向きも多いが、ユダヤでは、うれしいときには天に昇る心地と言った比喩がある。恋人が浮遊しているのはシャガールには現実なんだという解説があった(うろおぼえだが)。英語にもin the seventh heavenと言う言い方があり何故だか知らないがうれしい時は第七天国にいるそうだ。そして、シャガールも言っている。《私を夢想家と呼ばないで欲しい。反対に私はレアリストなのだ。私は大地を愛している。》

Ⅲは晩年の作品群。ユダヤ人であるがゆえに戦火の中を転々とヨーロッパ・アメリカ・ヨーロッパと住み家を移し、最愛の妻を亡くし、再婚し、と長い98歳の生涯。

Ⅳは1961年制作の版画。多色刷りで画題とシャガールの作風がマッチして素敵だった。42点全てが日本の某会社の所有だ。


《南蛮美術の光と影》展・・神戸市立博物館

2012-06-02 10:06:41 | 美術館・博物館など

神戸市在の友達を誘って、神戸市博物館へ!ポスターの泰西王侯騎馬図屏風の王様の顔が、はよ来てやと言っているようで気にかかっていたのを、あと二日と言うところでやっと駆け込んだ。展示絵画のほとんどが、サントリー美術館と神戸市美術館の所蔵品。16世紀半ばから日本人画家達が描いた南蛮画。バタ臭いけれど知ってみればちょっと醤油が二三滴はいっているかも・・・な感じ。

一番驚いたのが池長孟(いけながはじめ、1891~1955)という人のこと。兵庫の資産家で南蛮美術に魅せられ昭和初期から当時は未知のジャンルであったこれらの美術品を蒐集。南蛮堂と名乗り、日本で製作されたこれら美術品の集大成を目指したのだ。そして・・昭和15年(1940)には、「神戸のような国際大都市にして、美術館の一つも持たないということは、国民教養の程度も察せられて大きな国辱である」と考えて、自分で「池長美術館」を作り、コレクションを一般に公開した。戦後にそれらが神戸市に委託され、神戸市立博物館所蔵となった。

フランシスコ・ザヴィエルはこの人と教科書でも周知の絵、《聖フランシスコ・ザヴィエル像》はおいておいて、《泰西王侯騎馬図屏風》がすごかった。サントリーと神戸に分かれて所蔵されている8枚がどどーんと一同に並んだのだ。南蛮屏風もこんなにあったんだーーーと、びっくり。ほかにもいろいろあるが・・

中でも、福井県の医家の仏壇の中(?)だったからでてきた、マリア図。くるくる巻いた紙を円筒に入れてそのまま忘れられていた16C末~17C前の絵《悲しみの聖母図》にひかれた。禁教令が出た後に隠されたもろもろが日の目を見て・・・こんなに・・・と、思うほど。一方では、踏み絵の実物も展示されていた。

なんといても池永孟にノックアウトされた一日。彼は一枚の紙でしかない南蛮絵に自分好みの豪華な装丁を施して楽しんでいる。幸せな趣味人サン!

 


五浦と岡倉天心の遺産展・・五浦六角堂再建記念

2012-04-26 11:13:09 | 美術館・博物館など

近頃のヒット!なにがと言えば、京都高島屋にたまたま行き合わせて、たまたま見た《岡倉天心の遺産展  4月18日~30日》が、いやーーよかった、よかった、と言うわけで。

岡倉天心・・明治時代・・フェノロサと日本美術の再発見・・日本美術院・・ボストン美術館・・茶の心を出版、等々。これ位のことしか思い浮かばないのだが、あらためて《智の巨人》だったんだと、この展観で知った。ふっと、南方熊楠を思い出したり・・。明治時代にはびっくりするような人物が輩出されていると、感心したり!!

ボストン美術館では天心を顕彰して日本庭園が作られていた。ボストン美術館の向かいにあるガードナー美術館を訪れたときは、これを建てたガードナー夫人と岡倉天心の交流を知り、天心のアドバイスで収集した日本の襖絵や屏風などの展示を見た。天心の外国での足跡のほうが鮮明で、日本でのことはあまり深く知らない・・・・

展示の初め《岡倉天心の生涯》ということで、一番に目に付くのがほぼ等身の金箔を押した座像。古代の衣服に帽子(冠)をつけて、一見柿本人麻呂風に座っている。これはいったいとびっくり・・何か神像の雰囲気?よく見れば、あの有名な平櫛田中作とある!明治22年天心は27歳で東京美術学校の校長になっているが、開校した東京美術学校の記念写真では学生が制服としてこの古代の格好をしているから多分この姿を残したのだろうと合点

**平櫛田中は・・・平櫛さん、理想ですよ。彫刻で理想をやってくれるのはあんただけです。・・・と、臨終の天心に言われ、それが生涯の目標となったと語っている・・・。**この一行を知って腑に落ちた。彼の彫った天心の胸像はなぜか特別の雰囲気・胸にくるものがあったから。100歳を生きた平櫛田中の天心の弟子としての矜持・思いがこの胸像にこもっているからだろうか・・。

天心の東京美術学校校長時代の卒業生、あの有名な横山大観・下村観山らの卒業制作の絵が展示されていた。これぞ純粋をカタチにしたような、見ていて気持ちが安らぐすばらしいものだった。思いがけずにこんなものを見られて満足・満足。

東京美術学校を反対派による排斥運動のために9年後に追い出さた天心が日本美術院を設立すると言う新たな展開になっていく。が、1906年に活動拠点を茨城県の五浦海岸(いづらかいがん)に移している。この辺りのことはまったく知らなかったが、横山大観・下村観山・菱田春草・木村武山などがこの地に住み一大芸術村の体をなしていた。で、ここに天心が思索の場として建てたのが六角堂。

 ここにきて、どうやらこの展観は、五浦六角堂再建をよく知ってもらいたいと開催されているようだと気づく。一年前の大震災で土台を残して流失したものを茨城大学が中心となり、再建に取り組んだ。それがこの4月に完成した。その奮闘過程が《甦る六角堂》としてビデオで紹介されていた。

それにしても、天心の生涯は常人の1.5倍か2倍の厚みがある。えっ、50歳でなくなっておられる・・?年配の方のように思っていたが・・。略記を見れば、1863年生、幼少時に英語・漢籍を習得。明治6年東京外国語学校に入学、10歳!。同8年には東京開成学校(のちの東京大学)に入学し,政治学,理財学を学び、13年東京大学文学部を卒業、17歳!!。それに16歳で結婚、相手は13歳!!くらくらっ・・・・

20代前半東京美術学校設立準備のための欧米視察。30代後半インド訪遊タゴール等と交流。アメリカでボストン美術館中国・日本美術部長等。と、天心の仕事もワールドワイドに。そんな中で、日本の伝統文化に誇りを持ち、そこに西洋の良い部分を取り入れることで、ますますの発展を期したいという考えがはぐくまれたようだ。

インドでは、アジア初のノーベル文学賞を受賞した詩人ラビンドラナート・タゴールと特に深く交流している。岡倉天心の思いはタゴールなどのインド思想に大きく影響を与えたようだ・・。天心に対して書かれた大きなタゴールの書が展示してあった。

Lead me from the unreal to the real  /  from darkness to light   /  from death to deathlessness    /Rabindranath Tagor(名前)

 


王朝文化の華・・陽明文庫名宝展・・

2012-04-22 10:54:18 | 美術館・博物館など

京都国立博物館へ行ってきた。名にしおう近衛家の陽明文庫からの出展。テレビで盛んに宣伝をしていて・・・見ているととっても華やかな出品物がありそう・・・な気配。が、全体に文書類が多いせいか地味な印象をぬぐいきれない。《王朝文化の華》のキャッチコピーにに華は華でも地味な華と、一応のつっこみを!そはいえ、tesyukeにはとっても興味が引かれる内容で、ゆっくりと見学。

なんといっても国宝・藤原道長の日記《御堂関白日記》の実物を見ることができた!!これだけで、十分じゅうぶん。千年前のこととて巻紙に書いた文字の羅列みたいなものを想像していたが、よくよく見ればまさしくこれは日記帳!当節では本屋に買いに行くが、当時は誰が作ったんだろう?道長の家来が個人的に作る?陰陽師が販売?

長い巻物に一定間隔に日付、その日に関するもろもろの情報がきちんとした楷書で書いてある(もしくは、印刷か?)。一日につき三行の罫線。そこに当日の出来事が記されていくと言う按配。展観されていたのは、道長の娘の彰子の出産の日の段。道長以外人物の日記も多々あって、細かい字で記しても足らないときは、裏側に回って書いたり・・・、はては紙を間に継ぎ足して書いたりと、なんとフレキシブルなこと。 《この巻物は具注暦(ぐちゅうれき)と言うらしい。

しかし、日記の一番の目的は日々の勤めの内容・儀式のためのメモを子孫に残すことにあったようだ。先祖の有職故実に関する記述はその家の財産にも等しかったようで、道長の子孫の日記には、戦乱の世にいかに文書類を避難させるかに苦労しているくだりがあって、それも展観されていた。遠い過去の紙の資料が今あると言うことは、運良く残ったのでなく、義務と意思の力で、伝えてこられたのだと・・・よ・く・ぞ・・・。道長の日記の中に金峰山にのぼり経筒を埋めたの一項もあり、実に近来金峰山から発掘されたその経筒(国宝)を見ることもできた。これには、まったくスゴーーイの一言を。

道長の日記を見ていて思い出した。当時の貴族はのんびり遊んでいたんではありませんと、先生が言っていた。以前源氏物語の講座をとっていた事があって、その時の話。丁度《巻二十一少女・おとめ》の段で、夕霧の教育の話が出てきて、作者の教育論ですなーー、と先生。明治時代には和魂洋才という言葉、しかし平安時代は《和魂漢才》。漢才の方は《才》をざえと読んで=知識のこと。和魂=大和魂の方は知恵のこと。先生曰く、大和魂とは実務を処理する能力、学問の才に対して判断力・機転・良識(生活の知恵)を表す言葉です。道長などもこんな教育をうけて・・・それが御堂関白日記に凝縮?。蛇足ながら、この道長の孫(藤原師実)が当時の大学者・大江匡房に孫が学問しないで困ったもんだと言うと、大江匡房が『摂政関白になられる方は、学問が無くても大和魂さえあれば天下は治められますよ』と答えたとか。

鎌倉時代までは文字に関するものがほとんど。明恵の夢記なども。国宝の大手鑑(おおてかがみ)は聖武天皇を筆頭に歴史上の有名人の筆跡が集められている。めったに見られないと言うことで、専門家らしき人も資料と照らしあわすようにしていたり、書道関連の人は、消息文などに目を凝らしている。桃山時代江戸時代と下がるにつれて絵画や道具・人形なども現われて目を楽しませてくれる。銀細工雛道具が、超のつくミニチュアながら精巧で女性必見。

 おー、これが!と、思ったのが後水尾天皇の指人形。以前テレビにアップで映ったのを見て趣味悪と思ったのだが、実物はあたりまえながら指人形の大きさで、思ったより小ぶり。まあ無聊を慰めるにはこの顔でいいかと寛容に。・・・・世の中をきらくにくらせ何事もおもへばおもふ思はねばこそ・・・・の後水尾天皇の歌から名づけて《気楽坊》が人形の名前。

 


シャガール展

2012-03-30 23:52:20 | 美術館・博物館など

シャガールは好きな画家の一人。で、早々に京都高島屋へ。シャガール「愛をめぐる追想」展は3月27日(火)~4月16日(月)まで。

人物も動物も物体も全てが地球の重力から解放されて宙に浮いている、夢の世界のような混沌としたやさしさ。何となくそんな絵に惹かれている。が、彼については、何も知らない。帝政ロシア(現在のベラルーシ)生まれだったのか・・・ユダヤ人であったのか・・・と、改めて知る。ナチス・ドイツから迫害を受け米国まで生死をかけて亡命した人生。苦難の人だったんだ!

今回のシャガール展は、スイス人の個人所蔵家から借りた日本未公開作品の展観が目玉。それが半分を占め後の半分は岐阜美術館収蔵のリトグラフ・組版画「サーカス」。リトグラフがよかった。美術館の見識として、38点のリトグラフををシリーズとして購入しているのはすばらしいな~と思う。諸般の事情から注文から完成までを長い年月かけているこのリトグラフ。力がみなぎっている。

スイス人個人蔵のほうは、ほぼ1930年以後の画家のパターンが定着してくる辺りからのもの。ほぼ小品で、大作はない。部屋に一点かけるのに、ほしい、そんな感じ。最初の一枚だけが1909年作。『村の通り』と言う作品は1887年生まれ(-1985年没)の画家が22歳の画学生だったころの絵。生まれ故郷の村を描いたとかで、未来の彼をまったく予想できない普通の絵。

中に、時々筆・墨で描いたとか、画布が和紙と言うのが混ざっていて、うん?これは?日本との交流があったのかと驚いた。後で知ったが、ホンダの創業者・本田宗一郎さんがパリで彼に会う時、日本からのお土産に毛筆、墨、硯の一式を持って行ったとか。それを使ったのだろうか・・

若い頃(1909年)の絵が1点あるだけで、シャガールのたどり着いた絵の境地がよく分かる。戦争や人種差別やもろもろの不条理を体験した彼の、求める世界が画布の中に描かれたのだろう・・な。なるほど「愛を描いた色彩の詩人」といわれているのも、なっとく。100歳近くまで生きた彼の多作ぶりは、ピカソと双璧をなすとか。世界中に散らばった彼の作品の真贋を見定め切れないらしい・・・・なんて、話も。