ほんとうにひさしぶりです。
ブログを書いていたことさえ忘れていました。
ブログ界はどうなっているんでしょうね。
でも、何とかかつようしたいと、思いますね・・
ほんとうにひさしぶりです。
ブログを書いていたことさえ忘れていました。
ブログ界はどうなっているんでしょうね。
でも、何とかかつようしたいと、思いますね・・
砥ぎに出していたぺティナイフをもらいに錦の有次さんへ行ってきた。
大丸を通り抜けて、薄暗い錦市場を西から東へ通り抜けていく。
コロナの影響はいかんともしがたく、通行人もまばら・・
閉店したところもあって、錦市場も随分かわってしまって・・さびしい。
外国人であふれかえっていたころは論外として、これからどうなっていくのかと心配だ。
錦天満宮さんにお参りして、はいおしまい・・
平安神宮の茅の輪を潜ったのは6月27日‥もう10日も立って、7月7日七夕。
雨の七夕 ぼんやりしている間にお、恐ろしいことに俳句の世界は晩夏に突入。
《七夕》は夏を飛び越して秋の季語
こんな句が在りました《七夕や漢に生れ妻に会う 福永鳴風》
これから半年どんなことが待っているのか?
初体験の伊勢神宮参拝をしてきた。お伊勢さんは車でたびたび訪れていて、取り立てて今年行きたい!と、思っていたわけではないのだが・・。七草粥を食べに御香宮に行った時、御香宮主催・バスで行く伊勢神宮参拝のちらしが張ってあるのに目がとまった。個人でふらっと行くのでなく何やら違った体験ができるのでは??と、好奇心がむくり。
結局、元御香宮さんの氏子だった友達と行くことに…決定。1月24日、御香宮7時30分出発、早い!眠い!
毎月第3水曜日は淀屋橋・フェスティバルタワーまで・・・。京阪を利用するのだが、淀屋橋で降りるのが決まりで、そんなに行動半径の拡がらないtesyuke! 23日は何を思ったか初めて北浜で降りてみた。あー、これがいわゆるライオン橋ね、ガッテン。まっすぐ歩けば、中央公会堂の正面に、なるほど。いつも淀屋橋からバックしてくるので、正面からしっかり見るのがはじめてとは、お恥ずかしい限り。で、お目当ては中之島図書館、新聞を読みに・・・。
大阪のこの界隈の、なんと魅力的なこと!! ボストンをすこーーーし思い出した。この図書館は、ほぼ100年前の建築!ルネッサンス様式の名建築として国の重要文化財!規模は違うがボストン公共図書館と同じような雰囲気を醸し出していると感じた。
蛇足ながら、ボストン公共図書館はアメリカ合衆国のボストンにある市立の公共図書館で1848年創設のアメリカ最古の公立図書館。巨大な大理石の建物(旧館)の入り口前面にヨーロッパの文化人の名前がぎっしり掘り込まれている。ギリシャから始まって、科学者・文人・音楽家・画家と多彩。
中之島図書館も中央ホールにある円形ホールに世界の聖人8人の名前を記したプレートがはめ込まれている。孔子・ソクラテス・アリストテレス・シュークスピア・カント・ゲーテ・ダーウインの名がある。
久しぶりの東寺、初弘法!
9時半近鉄東寺駅集合、九条通を東寺に向けて出発。総勢14人の吟行。駅のプラットホームからは西山の山襞もくっきり見える、晴天。時間が早いからか・・今日はなんだかそんなに込み合ってない。むかーーしむかーーし駅のプラットホームが狭いころ、電車から吐き出された人の波が線路に落ちそうなぐらいの人出だった・・思い出がある。
東寺境内も、(消防法とかで)露店の間も広くなり、人とぶつかることもなくのんびり歩けるようになった。お祭りに出る露店と違って、定期的に出る店が多いからか、吟行仲間(大阪・奈良・等々・・初めての人も)は、良心的と言うか安いやんと大いに気に入った様子。14人が自由に散らばって2時間強境内をうろうろしたわけだが、午後の句会に出た句から類推するに、tesyukeが見てないものも多々あって、やっぱり広い東寺境内。
たとえば、シルクハット!箱入りだったよ・・買おうかとふらっと心が傾いた人が約1人(納得の趣味人)。植木市の方には蕗のとうの鉢植え!風信香に心惹かれた人。tesyukeと言えば、南門を入ってすぐのところで、句作りより先に買おうか買おまいか迷った春物コート。半額!にすると言われて、思案中の人とtesyukeと、いい勝負だったが、何しにきたんと言われそうでその場を離れた・・。ま、ちょいちょい買った後で後悔することもあるので、まっ、いいか。さすがに、男性陣は何にも買ってなかったが、女性陣はふっふっふっと、戦利品を見せ合う感じ。いやーー、買っとけばよかったかも・・
食べ物は心置きなく買い込んで、バスで四条高倉まで出て句会場へ。この路線のバスに乗るのは初めて。梅小路の水族館横を通る。京都の新しいスポットが賑わっていて、喜ばしいかぎり。
13日は、第二日曜定例吟行。北野天満宮行き。新年二回目は、もういいわーーーと、思いながらも9時30分四条烏丸集合、バスで。大鳥居前から各自自由吟行、12時集合、句会場へタクシーでという行程。初詣の時にあった臨時のお札販売所などは撤去され、少しはひろびろ。連休とあって、学生のお参りが多い。梅もかなり咲き出していた。娘が高校三年の初神籤、ここで、凶が出た話などしていると、うんうんうちも・・という人がいて、引き直したらまた凶で連続七回凶だった話。
いつもいえることなのだが、普通にお参りに来る時と,吟行で来るのでは、全然目に入るものは違うのだ!!今日は、大鳥居横に、茶室があるのを発見。太閤の北野大茶会のとき、細川三斎(忠興)が使った釣瓶がある茶室!御土居は竹で結界がしてあって川辺等にはおりられず、梅園もまだ閉じていたが、社家の前の道を通り、梅苑勤番所なる建物も見つけたのは収穫だった。
上七軒の方へ行く人もいたが、長五郎餅のお茶屋へ入る。お正月ほどこんでなくて、友達の目線を追って色々観察。手あぶりに炭火がいこっているのだが、友達は良い句を詠んでいた。手あぶり・炭は季語。
手帳を手に、うろうろノロノロしているのは、吟行中の御一行様です。
毎日忙しいこと。奈良の旅館で、新年句会。吟行はなしで、作った句を持参。女性ばかりの集まりで、先生もお見えになるという句会が午前中。
興福寺の落慶なった中金堂の近くを通って行くのだが、随分建物のある景色も見慣れて来た。何より人の流れが変わった。近鉄奈良駅を出てすぐからアミューズメントパークだ。観光に寄与している。なんだか冷たい言い方だが、tesyukeは半世紀も前の緑の芝生の時代が大好きだったので・・。でも、去年日経の『私の履歴書』に、興福寺貫主が書かれているのを、読んでいて、興福寺さんごめんなさいと、神妙な気持ちになった。
興福寺さんの悲願は昔の姿にお寺を戻すこと。現貫主の父上の悲願を引き継いで、中金堂の復元に奔走された話。多くの伽藍のあった土地が、観光客の跋扈する庭になっているのを見るつらさを書かれているのを読んで、違う立場に思いをはせなかったな・・と反省。明治維新の時、衰退した興福寺が五重の塔をアメリカ人に5円で売ったが、運搬できないことがわかって、現状維持で残ったという話など、もうしなくなった昨今。緑の芝生で、鹿に煎餅をやった思い出も、長い興福寺の歴史のほんの一瞬。次々御堂の復元がなって、次の世紀はまた違う景色の・・伽藍の整った・・興福寺が出現。まずは、めでたしめでたし・・・
で、句会が終わって、お食事・・・。また、1ねんがはじまるーーー
京都のゑべっさんに行くのは初めて。1月10日はゑべっさんの誕生日なんだって!
行く前に高島屋に寄ったら、天皇皇后両陛下の写真展『国民と歩まれた平成の30年』をやっていた。入場無料。七階の催事場が狭まるほどの大がかりな展示で、まずは見て行くことにする。御即位の時の装束の本物。写真その他いろいろありました、が、よくがんばってこられたな・・と、思いました。本当にお疲れ様でした・・と、申しあげたいです。出口のところはいろいろな記念品売り場となっていた。そして、さりげなく文庫本が置いてあるのに目が行って、思わず笑ってしまった。記者会見で、皇后さまが、暇になったら探偵ものなど、読みたいですね・・・ジーヴズが控えております。と、おっしゃった。ジーヴズの本。皇后さまは原書で読まれるのでしょうが、tesyukeはいち早くどんなんかな――(仁鶴風に)と、すでに読んでおります。あんまり世評に上がらずブームにならなかったけど、ジーヴズは執事・・地味な本です・・
四条通を人波についていくと、建仁寺の傍に恵美須神社がありました。普段近くを通っていても気がつかないんだ!露店をうろうろ見ながら歩いていて、なぜか酸茎を買ってしまった。ほんとは嫌いなんだけれど、少しは食べられる年齢になったかと・・・。若い女性の二人づれが大袋入りでお買い得の酸茎の品定め。ひえー、あなたたち、すぐきが、すきなん!?大好きでーーす。と、食べ方のレクチャーをしてくれた。どうやらtesyukeは、塩抜きがたらなかったようだ。高菜みたいんチャーハンに入れてもいいし・・・と、ほんに京都の子おやなーー。
10日の昼過ぎで、脅かされていたほどには混んでいなかった。福笹の基本形が3000円。それに縁起物が大体一つ1000円。今年は二つ増やそうかなどと言う会話も聞こえて、商売する人にとっては年々縁起物を増やすのが楽しみなんでしょうね。福笹を渡してくれる巫女さんが、一番笑顔よしの可愛さだった。そして、これがしたかったんだと、社の後ろの羽目板の行列に並んだ。こんこんとノックして、えべっさんに、こんにちわ来ましたよと気が付いてもらうというわけ。・・福が来ますように・・
宮川町から、川端通りに出て、京阪五条まで歩く。鴨川も五条あたりになると眺める人も少なく、鴨ものんびりと見えるからふしぎ。
9日は、初吟行。西大寺駅集合、秋篠寺へ。冬の季節は初めてかな? いつも変わらず、掃除の行き届いたうつくしいところ。来ればやはり本堂で、伎芸天女にまみえるのが、おきまり。
本堂内は、燈明一つ。曇天と言うこともあり、少し開けた格子障子から差し込む光も少なく、ほんとにいつも以上にうす暗い。びっくりしたのは伎芸天の御顔が黒々としていて、身体の部分と色が違っていたこと。そのせいか歌に詠まれてきた優美さがあまり感じられなくて・・
寺の方に聞くと、火事で焼けたのだそうで天平時代のものは頭部のみ、顔から下は鎌倉時代の後補ですとのこと。いつもは伎芸天にライトがあたるようにしてあるのか、顔も黒くはなく、一体の像として違和感なく、有名な俳句そのままの感慨をもって見ていた・・女身仏に春剥落のつづきをり・・細見綾子。
とにかく今日は、伎芸天に気を取られることなくご本尊の薬師如来・脇侍の日光月光菩薩・十二神将などゆっくり見ることができた。梅も少し花が付き,馬酔木も咲いていた。冬の苔も美しい。寺を出て、秋篠窯を見てバス停までだらだら坂を下りてくると・・こんな所に競輪場が。今日は競輪の開催日だったんだ。
今年は行事に敏感になろうと思っている。なーーんて、いつも歳時記を繰っているのにね! 七日は、ラッキー、暇だった。で、伏見の御香宮さの七草粥へ・・城南宮でもよかったのだが・・境内が小さいからなんとなく温かみがあると思って車を走らせた。
開始には間があったが、すでに行列。テントの前に七草を植えこんだ盆栽風のものが置かれていた。白粥に刻んだ七草を載せてくれて、よろしければとお昆布も貰い、これで塩味を足していただく。地元のテレビ・新聞社が来ていた。
帰途、乃木神社に寄る。何となくこの頃ここへ来るようになったが、昔は(いつごろやねん?)桃山御陵の参道に何やらうす暗い神社があるわと言った感じだった。来るたびに、発見があって、今回は日露戦争時・日本海海戦に活躍した軍艦吾妻の主錨が奉納されてゐるのに気が付いた。京都府知事が林田悠紀夫さんのころで林田さんも知事の肩書に加えて元海軍少佐と書いてあったので、この奉納に肩入れされたのだろう。
1月5日 7時に家を出て東吉野へ。一万坪の庭園を誇る天好園で、tesyuke所属の俳句結社・主宰の傘寿の宴があるのだ。
近鉄榛原駅下車、2台のバスに分譲して40数名がgo! もちろん初句会もあるので、吟行を兼ねている。雨が上がり、山地にしては暖かい。外気温2度の山道。山靄が立ち込めていい感じ。山中へはいっていく・・・。投石の滝で下車。凍滝を期待していたが、しっかり水は落下している。1000年の衣かけ杉が立ち不動堂・水分社等々。
出句の後祝宴。雉鍋と猪鍋に分かれて会食。いわゆる薬喰。tesyukeは、今回は雉。去年は薬喰しまくっていたのに、今冬は今日が初めての薬喰だ。雉肉で鋤焼風にして食べる。鶏肉に比べ、野趣があるかな?
食後句会。終了して山を下りる・・昏くなるのが早い・・
平成31年!
久しくご無沙汰のblog。昨年は忙しかったのなんの・・・
今年は、例年になく、何を思ったか、除夜の鐘が鳴る前に家を出て近くの神社へ初詣。ワーー、若い子もいっぱい。行列に並んで小一時間。昆布茶を頂いて帰宅。
で、本日1月2日。例年通り北野天満宮初詣。10時ごろ車で家を出たのだが、そんなに待つこともなく駐車場にも入れ、参道も身動きできぬほどの混み具合でなく、おやまあすいてる・・なんて言いながら本殿へ。もちろん真正面から拝むためのながーーい行列は敬遠。サイドからお賽銭を投げて拝礼して終り...
御土居はだーーれも来ておらず、清々しくいい気分。もちろん長五郎餅とお抹茶を頂き帰宅・・・のつもりがーーーー境内にあった灯籠に山国隊の文字を見つけたばっかりに、山国神社へひとっ走り!!
山国神社は、今は、京都市右京区になってしまったが、北桑田郡京北町山国の郷社(今は府社)。何十年か前に、時代まつりの先頭を切る鼓笛隊の行列が田園風景の中を行くのを見に行った。150年以上前のこの地の若者に思いをはせるとなんだか切ない気持ちになる・・
昔と変わらぬ佇まいで神社はあった。風景が損なわれずにあるということは、うれしいことだが・・どんな状態にこの地はなっているのだろうか・・なんて思ってしまう。
平成30年も6月16日!
忙しい忙しいとて半年暮らすだ・・
俳句をひねり出すのに忙しくて、ほかに文字を書きつけることなどできないわ・状態。
月に半分以上を吟行その他もろもろの行事に出かけている。
で、吟行以外のお出かけが面倒くさくなってしまっている。
気持ちに余裕がなくて、逆に楽しみの無い人になってしまいそう!
昨日は久しぶりに用事で京都に行ったけれど、変らないようで変ってきたね。
河原町を歩いていて、ふっと《イレブンビル》どうなったん?と・・・
半世紀前のビル?もうないよね?
年が明けて、はや5日立った。思えば年は移り、若者にとっての昭和は、かってのtesyukeが明治に感じたほどの遠さなのだろう・・
すっかり西暦で年を数えるのに慣れてしまっているが、ここのところ平成を名残り惜しく思っている。平成30年だ!
1日は産土の水度神社初詣。20分ほどの行列に神妙に並ぶ。2日は恒例の北野天満宮へ。車で行かず電車・バスを乗り継いで・・
北野さんは近年ますます受験生に特化して、境内のレイアウトが変わって、なんだかうんざり感も・・・
御神籤も去年今年いまいちい冴えず、努力しましょう、いずれ陽が射すでありましょうと、これにもちとうんざり・・
長五郎餅の茶店によって、上七軒をぶらぶら歩いてからバスで京都駅に出て、うろうろして帰宅!
3日は、何の風の吹きまわしか、映画を見に行った。オリエント急行殺人事件。テレビのポアロにどっぷりで、どっちがよいといわれても・・・
まあ、こんなところでお正月は静かにくれて行きました。