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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

秋の古本市 in 百万辺・知恩寺

2012-11-05 14:25:50 | Weblog

11月3日。文化の日。何年ぶりかで知恩寺の古本市へ。これは知恩寺の年中行事の一つになっている青空古本市で、境内に所狭しと古本の出店が並んで壮観。今日は肌寒いぐらいのどんよりした天気に加え、最終日に近く、人出はまあまあ、か。お寺の境内で開催されるだけあって、初日には大殿で古本供養をしてからのオープンとか。

鐘楼前にはオークション用の本が積んであり、吟味している人もちらほら。今日はなんにも買わなーーいと決めてうろうろしていると、阿弥陀堂前のポスターが目に入る。《九相図~死体の美術と文学》。中に入ってみると丁度講演の終りがけ。本尊前に展示の九相図を鑑賞。昔は(江戸時代??)・・・・ こんな絵巻を庶民が見て・・・あるいは見せられて・・いたのかと・・。これぞある種の日本版 memento mori メメント・モリ (死を思え)。

*九相図 屋外に打ち捨てられた死体が朽ちて行く過程を9段階に分けて描いた仏教絵画

村上春樹の翻訳でトルーマン・カポーテイの《おじいさんの思いで》ーーーー山本容子さんの銅版画の挿絵がついた絵本のような小ぶりのものーーーを購入、300円。結局なんだかんだと計6冊も買ってしまった。ブックオフなんかと違って素のままの古本の存在感が見事。本っていいなーーー。

 

 


iPhone5 ゲット、しかし・・・

2012-10-26 00:07:46 | Weblog

三週間持って、やっと iPhone5が手元に・・・ 。auショップではあまりの込みように待ってられないと帰宅。その後は、わくわくどきどき電気店めぐり。取り扱ってないところ、手にとって使い勝手を調べられ無いところと、いろいろ。流れ流れて結局京都駅前のヨドハシカメラへ。

今まで、スマホに興味は無かったのだが、手に入れてみれば違う世界が見えてきて・・・。たとえば、ケース。(今まで目にとまりもしなかったのに)スマホ用のケース売り場のにぎわっていること。若い子がたむろして!・・それよりびっくりはたかがケースがこんなお値段!ヒエ一ィ。

 iPhone5 ビギナ用読本880円なり。まあ、ぼちぼちと、出発進行。それにつけても、友達の誰一人にうらやましがられるわけでもなく、それ何と聞かれることも無い。おばちゃん世界ではまだまだ非主流、さびしい限り。

まだ二歳になる前から、twins なんかは iPadをスイスイ操作。外出時とか機嫌が悪くなったときの最後の手段にとってあるとの事。 iPadをわたすと、好きなものをとっかえひっかえ引っ張り出してご機嫌とか! 負けてられないというのが iPhone5購入の決めてなのだが・・。tesyukeのほうが幼児の如くよちよち・・ですわ。

 

 


世界は狭い。べとちゃんドクちゃん。

2012-08-01 10:43:09 | Weblog

先日のNHKの取材を受けたS先生の教室。台風接近で1回休講があり最終回は飛んで飛んで7月31日。サボりたいような日にちなのだが、何せグループワーク後のプレゼンテーションがある・・・・

ところで、何をしていたかと言うと、グループごとにテーマに沿って作った調査用紙を携え、京都の街へ外国人にインタビューしに行くというもの。ほんまに中学生やがな・・と思いつつ、世慣れた大人はすべて省エネ。教室の近くの京都駅で教室の終了後に他のチームとニアミス・ニアミス。みんな考えることは一緒・・・・いかに効率よく済ませるか!

中学生といえば、こんなことが。6月の始めにボストンから娘たち友達が京都にきたのでhus.と観光案内を。東京であった幹細胞の国際学会にミセスの方が出席。ミスターの方も彼女一人が日本を楽しむなんてそれは無いんじゃないと、幼児を預けて二人で来日。二人のことはよく話しに聞いていて・・・アメリカ人には珍しい味の分かる料理好きで、娘達とよく集まっては料理を作って食べたとか。それで、忙しい中、京料理!!と、三日ほどを割いて京都まで。東京に戻ったら築地へ行くのが楽しみ・・と、そんな人たち。

それで、東山に宿を取った彼ら、西の方は行きづらいかもと、金閣寺・仁和寺近辺を車でガイドしてあげることに。金閣寺は京都観光の王道ですかね・・・うじゃうじゃ修学旅行生が。あっという間に修学旅行生に取り囲まれた二人。何のことは無い中学生にインタビューされている。関東のほうの学校で、京都で外国人に話しかけ聞き取りをすると言うミッションつきの修学旅行。二人はニコニコ応対して、写真にサインに握手まで。ほんとに嫌な顔一つせず、いい人達。

しかし、tesyukeは先をこされたな・・・・と、心の中で思う。あの英語の調査用紙持参、二人分ゲットとほくそえんでいたので。もっとも二人は親切にtesyukeの分にも応じてくた。hus.がにやにやと中学生とかわらんな・・・と。

ところでこのインタビュー、旅行者と同じぐらい居住者の分も欲しいねと、友達と京都国際交流会館へも足を伸ばした。ここでいろんな人にあったけど、び・びっくりした!こんなところでこんな名前を聞くとは・・・。ベトナムの50代の女性。故国でリハビリテーションの仕事をしていたとかで、ベトナム戦争の被害者の結合双生児のドクちゃんのリハビリを手伝っていたと言う。おもむろに写真を取り出して、これがドク、これが私と見せてくれる。(写真)

世界は新たな戦争・紛争を積み上げて、ベトナム戦争もすでに過去そのもの。1980~90年代にはべトちゃんドクちゃんのニュースは幾度となく目にしてきた。分離手術を日本人医師団が協力した話など一喜一憂したものだった。しかし直接それらにかかわって現実を見てきた人が目の前にいるというのは驚きだった。世界は狭い! と実感。ちなみにべトチャンは不幸にも亡くなったが、ドクちゃんは元気で、結婚もしており、双子の子供もいるとか。日本との絆に感謝して子供の名前は富士山(フー・シー)と桜(アイン・ダオ)というのだそうだ。

 

 

 

 


テレビの威力

2012-07-18 15:37:08 | Weblog

17日。あ・あつーーい一日だった。祇園祭の山鉾巡行も無事終わらはってと思いつつ夕食の準備中。携帯電話が鳴る。この忙しいときに・・誰や・・もう?

《tesyukeさーん、貴女の顔がテレビに大写しよ!》友達が叫んでいる。《はぁ?なにごと?テレビ?NHKのきょういちにち?英語の教室?祇園祭?》よく分からないままに、言われたチャンネルをつけると英語教室のS先生が船鉾を引いている姿。ひやー、似あってる!! 番組お・わり。残念ながら、自分には会えなかったがこれでい~い~の~だ~・・・

結局合点したことは、先日の英語の授業を取材に来ていたNHkが、写した映像をローカル番組に転用したと言うこと!!今期tesyukeがとっていた英語クラスは《英語で京都案内》と言うのだが、先生が祇園祭りフリーク。とにかく祇園祭が大好きな外人さんたちのボスとして彼らを束ねているとか!で、毎年各山鉾に外国人を振りあてて、助っ人として山鉾を曳いているのだ。先生は今年は船鉾に当たったとかで大喜び・・・

そんなこんなで、知るところでは有名人のS先生、海外向けのNHK番組に祇園祭と絡めて登場することに。特集を組むにあたって、1ヶ月間の取材。それで、本業は英語の先生ですと言うことで授業風景を写しに来たと・・・。気にしないでくださいね・・・と、カメラマン達。なになに海外向け?日本では見られないんですか?なーんや・・・・。クラスが終わって、ついでに先生について感想聞いていきましょうかね。思わずカメラがtesyukeにふられたと、言うわけ。

シンシナテイで海外向けのNHKの番組を見ていたけれど、日本語に英語のテロップが流されるんだろうなーーー。


早いもんで・・・ひとりごと

2012-07-03 00:47:25 | Weblog

早いもんで・・・・もう7月。なんだか書きたいことが一杯あるのに、時間がな・い・。どんどんどんどん流れさっていって、賞味期限が切れてしまう。

でも、後になってみると、こんなことしてたのか・・とか、こんなこと考えてたのか・・とか、びっくりしたり楽しんだり、メモしとくということは大事だ!と、思える。やっぱりブログから足を洗えそうに無い。

まあ、ぼちぼち・・・・・・。


ふくろう

2012-05-05 01:08:23 | Weblog

久しぶりに近くの神社に・・・。大きなカメラを持って梢を見上げる人で一杯だ。ヤーー、一年たちましたか、と思い出す。フクロウの雛がかえったのだ。裸眼ではなかなか難しいが、昨年はファインダーを覗かせてもらって、ふわふわの白い雛を見た。別に新聞に載るわけでも無いのに、年々集まる人が多くなっている。さすがに神社にも参拝者からの苦情がくるのか、カメラマンへの注意書きがはられていた。tesyuke、フクロウの雛の代わりに張り紙をパチリ。


東日本大震災から1年

2012-03-11 23:11:22 | Weblog

3月11日、黙祷。

瀬戸内寂聴さんが青空説法で、《みなさん東北に行ってください。温泉もあるし目的は旅行でいいんです。行くということが大事なんです。》と・・・おっしゃった。確かに、通りすがるだけでよいから、東北に行くということは、復興支援の気持ちを持続させるよすがになるだろうなと思う。しかし、なかなか《旅行で行く》などとは、とっても失礼な感じで二の足を踏む。旅行会社も復興支援ツアーなどと言ったものは企画していないようだし・・。機能しだしている旅館や旅行関連施設をバックアップする意味もこめて、そんなツアーができたら参加するんだが・・

去年はアメリカにいて、日本中の驚きと恐怖をともに味わっていない。朝、目がさめて一番に立ち上げたPCのhus.からのメールでこの大災害を知ったのだった。(関西在なのに)日本にとんで帰らないといけないか?災害にあうなら一緒に遭わないと離れ離れでは・・・と思ったことを思い出す。

毎日毎日NHKの海外向け放送をPCの小さい画面で見ていた。日本中の喧騒が画面いっぱいに広がって・・・しかし、違う空間にいるということは、第三者の目をも近くに感じることであり、普通の日本人のすばらしさに涙とともに誇らしさを感じた。が、原発の事故からは報道の主役がこちらに移り、日本国内よりきびしい指摘や現実認識があったように思う。

若者の行動力に感激、チャリティーの手伝い(お菓子を焼いたり)ができたのはよかったと思っている。(日本におれば多分そういう機会は無かったことだろう。)しかし、4月末に日本に帰って来て以来、二転三転もたもたした震災復興・東北支援の有様に世界に誇れる日本人だなんておこがまし、と思っている。京都の大文字に東北の罹災松をと言う話も、失礼な結末で恥ずかしくてしかたがない。(京都ではほとんどの人があのばたばたぶりを憤っているのに、何故?誰が?原因なの)

tesyuke世代のノンポリおばちゃんでさえ、会えば政治家の矜持のなさを嘆いている今日ここの頃。彼らはこの国難になにを考えているのやら、国会中継を見ると気分が悪くなるな・・・・と。今日は一日震災関連のテレビを見ていたが、がれきの山をどうして手分けして引き受けないんだろうか?福島のがれきのことは置いておいても、岩手県宮城県のものを拒否することはないと思うのだが。

見守ることしかできないが、今後も《被災者に心を寄せて》いたいと思っている。

 

 


マンマ・ミーア

2012-02-12 17:38:18 | Weblog
11日・・《マンマ・ミーア!》を観に行ってきた。
京都駅に京都シアターが出来て劇団四季が常設的に利用している。友達がチケットを取ってくれて最近では《オペラ座の怪人》をこれが最終公演やて・・と、出かけた。
今回はhus.と二人。何年も前から長期にわたって《マンマ・ミーア!》していたけれど、ちょっと食指が動かないなと電車の中釣り広告(ドナとバンド仲間三人の)を見ていたものだ。ブロードウエイと日本とどんなに違うんだろうという楽しみで今回は出かけた。

2009年にブロードウエイのウィンター・ガーデン劇場で、そしてメリル・ストリープ主演の映画。今回で三回目のマンマ・ミーア!ブロードウエイの《マンマ・ミーア!》。今思い出してもわくわく、楽しさがあふれ出す感じだったなぁ。日本版は、どうなんだろう? おっとっとっと、うるさいな。隣の女性達の井戸端会議のひどさ。人のことは言えないけど・・あそこまでぺチャぺチャ、幕が開きかけてもぺチャクチャ。

舞台装置も似たような感じ。何もさして違わないんだけれど・・・やっぱり違う。
何でだろうと考えていたら・・はたと・・舞台も客も優等生なんだと、思い当たった。静かでおとなしい日本の観客に対しウィンターガーデンの客席は、舞台に反応して大いに笑い陽気な雰囲気だった。劇場の空間を客パワーと舞台パワーが一緒に渦巻いていた!
ABBAの同じ曲なのに、歌詞が日本語のせいなのか、普通の日本語と異なるイントネーションのため、直ぐに意味が聴きとれない、そんなところに違和感を感じるのかもしれない。(オペラ座の怪人のときも一緒)

幕間にコーヒーを飲みながら、ニューヨークへ又行きたいね・・と、hus.に一応言ってみる(笑)。
それにしてもABBAのすべての曲がストーリーと見事にシンクロしているのは驚き。初めからこのミュージカルのために書かれたのでは?と思ってしまう。
それでも、最後に全員総出でドナとターニャとロージー三人のショー再現となると客席も揺れ動いて、おお盛り上がり。よかった。

金子みすずについての講演会

2012-02-11 22:47:15 | Weblog
二月四日
龍谷大学エクステンションセンター(REC)設立20周年の記念講演会。於龍谷大学 アバンティ 響都ホール
前学長・上山大峻氏の講演 《金子みすゞに見る仏教のこころ》

みすゞ人気で会場は満員。
上山先生は、20年前に出版された全集で彼女を知ったとか。くしくも学区(出身地)はたまた出身高校(みすゞ時は女学校)も一緒という事でいっそうの親近感を覚えたそうだ。

講演は、彼女の詩14編を選んで、仏教的な見地からの解説を通じ彼女の生を語るといったところ。よほど思い入れが強いのか感極まっての涙声・・・でのスタート。しかし涙には流されずにしっかりと分かりやすい話で、会場はざわめきも無く、ハンカチを使う人もいるほど。みすゞの生地(山口県・長門市仙崎)は篤信の地であり幼い時からの仏教の教えが彼女の詩の中に垣間見えると。

列挙すれば
あの有名な詩《大漁》は仏の目・仏の心で人間と鰯を見ている。他の詩からも、いつも仏さんと一緒だよと、ほとけに寄り添うという意識があり、信仰が倫理となって生きていると。
《さびしい時》という詩。最後の一行“私がさびしい時に、仏さまはさびしいの。”これは、仏様が私と同じところに立って相手の痛みをとってくれるということ。すなわち同体の慈悲と仏教では言います。
《日の光》おてんとさまのお使いが4人。3人までが明るく楽しい使命を、最後の1人は負の使命・影を作ると語る詩で・・“残った一人は寂しそう。「私は影をつくるため、やっぱり一しょにまいります。」”
先生の解釈は仏教の根本・苦しみ(=影)は付きまとう。むしろ影と仲良く・・。みすゞはこういった負の部分までわかっている人。

詩を通じて、みすゞの一生、そして彼女の娘(ふうちゃん)にも言及。みすゞが弟に残した詩集が出版された後、ほかに遺稿はないかと探したところ、もう一冊でてきた。それは幼い娘がたどたどしく発した言葉を書きとめたもので、それを一冊の詩集にしたとか。
そして、その詩集を見たふうちゃんはすでに70才。

何故私を一人残していったのか、何故連れて行ってくれなかったのかと今まで母をうらんでつらい人生を生きてきた。が、幼い自分の言葉を逐一記録してくれた母が、どれだけ自分に向き合ってくれていたのか・・母のほんとうの愛情に思い当たりました。上山先生が会ったふうちゃんは髪の真っ白な80代のおばあちゃん。晩年にいたって知った母の愛。母への感謝の言葉を上記のように先生に語られた。

みすゞの生地といえば山口県長門市。昨年の9月10日に京大総合博物館へ「鯨のお弔い」というレクチャーを聴きにいった。江戸時代人と仏教の係わりについて研究している若い学究の発表で、江戸期の長門国大津郡(山口県長門市)で行なわれていた鯨回向(現在も行われている)の話。現地調査と通浦の向岸寺に残る鯨墓・鯨位牌の銘文と過去帖の調査報告だった。

その折に、講師が金子みすゞの詩《鯨法会》にも触れた。
            鯨法会
          鯨法会は春のくれ、
          海に飛魚とれるころ。
          浜のお寺で鳴る鐘が、
          ゆれて水面をわたるとき、
          村の漁師が羽織り着て、
          浜のお寺へいそぐとき、
          沖で鯨の子がひとり、
          その鳴る鐘をききながら、
          死んだ父さま、母さまを、
          こいし、こいしと泣いてます。
          海のおもてを、鐘の音は、
          海のどこまで、ひびくやら。


もっとも、講師の言いたかったのは、彼女の詩『鯨法会』では彼女の鯨(ないしは生き物全般)へのやさしい眼差しが指摘されるが、「一般に浄土宗の鯨回向と浄土真宗の鯨法会とを混同して論じられるのは注意を要す」と。 tesyukeにとってはどちらでもよいのだが・・

そういえば・・tesyukeも何故だか20年前にはみすゞを知っていて、1996年には仙崎を訪ねている。長門の知り合いが《みすゞ記念館(?)》に連れて行ってくれたが、そ・れ・が・・スーパーマーケットの二階だったのだ!! びっくり・・

もちろ通浦の向岸寺に残る鯨墓・鯨位牌も見た。

《a living god》 by 小泉八雲

2012-01-18 23:59:57 | Weblog
和歌山県有田郡広川町の濱口梧稜記念館に行ったとき、稲村の火の主人公と目される濱口梧稜が国内外に知られるきっかけの一つは小泉八雲の短文であるということを知った。
種本は1897年(明治30年)著わされた “a living god”(生ける神)という八雲のエッセイで、記念館で売っていたのを購入。

このエッセイは前半は日本の神社と神いうものについて語り、その神の成り立ちとしてこういうパターンもある・・生きながら崇められることもあるとて・・後段の濱口梧稜の話へと繋がっていく。
村民を救った濱口梧稜がみなの尊崇の対象となり生きている間にもう神として祭られたというのがメインの物語。で、津波というヨーロッパ文学では珍しいテーマを真正面から描いた、優れた「天災文学」のひとつである等とも言われている。

しかし、tesyukeは前段の方に非常な感銘を受けた。日本の神社の描写からこのエッセイは始まるのだが、100年以上前に日本語に熟達しない外国人が、これだけのことを書いたというより・・理解したということに・・驚き、それだからこそ八雲の名前は不朽なのかと思って見たり・・
21世紀の若者は、こんなふうに感じるだろうか?明治の異邦人・八雲以上に日本文化に対して異邦人・・そしてもっと悪いことに興味はない・・なのでは?と思ったり・・
八雲は松江に住んだことにより、連綿と繋がっている日本の神の系図を肌で感じたのかもしれない。松江が八雲を生んだのだ・・(だから、八雲と名乗った? ⇒ 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を)

とりあえず、エッセイの一節を
神社の建物の話から続いて
・・・彩色されていない木材はやがて雨や太陽にさらされて、白樺の樹皮のような銀色から、玄武岩のようなくすんだ灰色へと変化しながら、自然な灰色になっていく。美しい形でよい色合いになった片田舎の社は、建造物というよりむしろ景色の一部、ーー岩や木と同じくらい密接に自然と一体化した田舎の風景ーー略ーーなぜ確かな建造物が、この世の物でない奇妙な霊気を感じさせるのかは、私がいつか理論化してみたい疑問点である。今はただ、神道の神社がそのような感情を呼び起こすことだけを言っておこう。・・略・・これらの奇妙なものを充分言い表せる言葉は、英語にはない。
ーーーすなわち、神道における日本人の観念は、翻訳によって伝えることは出来ないということだ。
白木の神社の色の変遷をかくも美しく描写できる人!この人は何者?と、思ってしまう。

そして彼はいう。神道のお宮や社は・・その永遠の暗闇の中には、神の象徴となるものや、多分紙で出来ている神の権威をあらわすもの以外、何も実態は存在しない。そして、それは“shrine(神社)”や“temple(神殿)”というよりも“spirit chamber(霊魂の部屋)”という方が西洋人には理解できると・・

そして彼は、・・もし私が神、ーー鎮守の森の木陰で、石の獅子に守られながら、丘の上のとある古い出雲の神社に住んでいるーーであればどのように感じるかを空想する。 中略
私はエメラルドの毛皮のようなすばらしい苔が、ゆっくりゆっくり唐獅子の背にはびこっていくのを見るだろう。いぶし銀の斑点やいぶし金のつぎはぎができ、いくつもの世代が過ぎて、霜や雨で土台が削り取られ、徐々に台の縁が下がっていって、ついには唐獅子が傾いて倒れ、その苔のはえた頭が落ちるまで、私はずっと見守っていくだろう。
昨秋、日吉大社に紅葉を見に行ったとき会った、おしゃべりな禰宜さんを思い出した。禰宜さんが、神道・・それは《教》では無く《道》なんです。社の中にかたちがあるわけでなく・・
八雲の理解とまったく同じ事を言ってはったな・・

日本の神を理解して、かくも麗しく描ける人!この人はなに者?
この人は、ラフカディオ・ハーン。ギリシャ生まれのアイルランド人。(母はギリシャ人)
アイルランド人だったから、このような感性を持って日本を理解できたのではと、tesyukeは思っている。小さな国でありながらアイルランドは確か3人ほどノーベル文学賞を受けた人がいる。詩人の国なんだ。アイルランドをぐるっと一周したことがあったが、いたるところに日本のお地蔵さんのようにマリア像があって、キリスト教も土のにおいがするアイルランド風という感じだった(ケルトの宗教の名残?)。妖精の物語が語り継がれて、山河にも命を感じる人々の国という雰囲気だった。八雲は明治期の日本の風土に祖国の風土を重ねて見ていたのかもしれない・・などと思う。

それにしても、八雲のことは《怪談!》といって終わるぐらいの知識しかない。図書館に行ってラフカディオ・ハーンの著作がドンと並んでいるのを見てびっくり。(写真)
この“a living god”は作品集『仏の畑の落穂』(Gleanings in Buddha-Fields)のなかの1章だった。

しまじろう・アメリカ・デビュー

2011-09-12 14:31:24 | Weblog
しまの・しまじろう。
こんなキャラクターが人気なんですね! 今まで縁もゆかりもなくすごしてきましたが、気がつけばあちこちと子供向けのものに、このキャラクターが付いているのに気がつきました。

アメリカのtwinsにしまじろうも双子バージョンで! やっと手に入れました。
‘しまたろう’と‘しまじろう’?? しまらないからしまじろう一号・二号??


節電!& ジェルマット

2011-06-22 11:39:18 | Weblog
夏場に日本にいないことがしばしばあった。
戻ってきて、《もう暑かったんやからっ!》と、お隣さんん言われて思わず首をすくめ・・
声無き声で、ラッキー。しかし、荒れ果てた庭を見れば暑さの加減もわかろうというもの・・・、そして残暑にぐったり。そんな日々。

ところが、今年は、暑さの夏とまともに向き合って生きねばならない(おおげさ!)。
おまけに、全国規模の節電コール。言われなくても結構節電世代のtesyukeだが、
慣れとは恐ろしい。最近はこらえ性無く、ちょっとの暑さに直ぐ冷房。年々冷房使用時間&期間が長くなってきているのが現実。うーーん、こんなことでいいのかと思っても、昔はこんなに暑くは無かったよねーーーと友達と言い合う位が関の山。

しかし今年は、ちょっとまじめに節電しよう!と、思っている。
もちろん、ゴーヤを植えた。エコカーテン。ほかになにか?
冷房使用を減らすのが一番、ですよね。うーん、暑がりのhus.がのたうちまわりそう。
そんなところに《ジェルマット》のちらしがはいった。
ネットで調べると、リーズナブルなものはすでに売り切れとか、世間は一歩早く進んでいるんだと、感心。

とにかく、良いか悪いかやってみないと(使ってみないと)と思って注文しようと・・。
で、はっと思い出したこと。
何年か前に中国で買ってきた《翡翠パッド》。翡翠の店でこれはいいですよ、枕の上にのせて使えばクールで安眠できます!とすすめられて購入したもの。石独特の自然なヒンヤリ感で、寝入りばなは結構良し。しかし石が熱を持ってしまったらポーンとはずして投げたくなる(で、お蔵いり)。
このジェルパッドも似たものでなかろうか???

しかし・・・・、一応一人分だけ注文。tesyukeの分は様子を見て・・から。
なんだか汗で汚れそうと、敷布の下に敷く。うきうき。何か変わったことある?と期待を持ってhus.に聞くのに、何か?と反応なし。ちっ、鈍感な奴め。
そんなことならtesyukeが使います!結構、シーーンと冷たさを感じるんだけれど・・。
そ・し・て(かわいそうなぐらい)遠慮がちに冷房をつけている・・hus.


写真:ジェルマットと翡翠のパッド。

観世会館への道すがら・・

2011-06-11 23:12:00 | Weblog
朝から雨が降って・・・出かけたくない雰囲気・・
だが、めったにないチャンスなので平安神宮近くの観世会館へ。(能の)鸞ノ会・京都公演。

早く出てきすぎたので、かなり遠いけれど京阪四条からぶらぶら歩いていく。久しぶりに東山通りを歩いていると代わり映えしない地味な通りに変化が。知恩院の入り口の南側が駐車場になって、空がぽっかり見えて明るい感じ。古い家を取り壊したのだろうが・・前の状態を思い出せない。

祇園会館の前を通ると、週末だけ吉本興業のお笑いがはいるみたいで、芸人さんの名前がずらりとポスターに。はやるといいんだが・・祇園会館。閑古鳥が鳴きすぎていたものね。

一澤帆布はどうなったんかいなと、野次馬根性。おや、喜(七が三つ)一澤なる店が出来ていて、すばらい古いミシンがデイスプレイされており思わず立ち止まって眺める。東側の信三郎店のほうは閉めたみたい。(後で聞けば、昔の店舗に戻ったんだとか・・)

古川通り商店街を横切ると、店の人や買い物客が、アーケードの下で水前寺清子の歌に合わせて体操をしていた!それにしても京都の街は道草にぴったり。いつ歩いてもなにか面白いものを見つける。

開場10分位前に観世会館に着くも、すでに行列。
12時半からの公演は
*老松(紅葉殿)
*狂言 鬼瓦
*仕舞 水無月祓
*望月

狂言は(京都は茂山家のおかげで)見る機会も多くtesyukeにとって結構敷居が低いのだが、能の方はいまいち退屈といえば退屈という段階に。でも約束事を知って見ると面白さが分かってくる。今は分かりつつある段階、か。それと、一ヶ所に興味を集めて眺めると面白い。tesyukeは足の運びが分かるような真横から舞台と足が見えるところに座ることにしている。でも、いまだに分からないのが囃し方。どこから出すのかあの声!謡は古代ギリシャ演劇のコロス(合唱隊)に似ているということで、一応合点。

最近は狂言を独立して見ることが多いが、本来は能の間でちょっと笑わせてもらって一息付く感じのもの。今回は、茂山千五郎さんと童司さんでラッキー。鬼瓦を見て故郷の女房を思い出すという話に声を出して観客が笑っていた。《望月》の方には間狂言として茂山あきらさんが出ていて、能と狂言をあわせて一組というのがやっぱり正調だなと思った。

終わって、急ぎ京都府立文化芸術会館へ《晨鳥社展》を見に行く。5時に滑り込む。わーー、久しぶりと日本画家の友達と挨拶。彼女は今回は女性のヌードを出品。仏のイメージをこめたと、男性画家とは一味違う作品だった。

Viva,村上春樹!

2011-06-10 23:37:23 | Weblog
村上春樹再び・・・。
スペイン・カタルーニャ国際賞受賞スピーチで『脱原発』発言。世界に影響力を持つ人の発言を歓迎する。日本人の良心を見る思い。
・・我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。・・

tesyukeは日本人の(現代)作家の本は読まないので、村上春樹についてはあまり知らなかったし、知ろうとも思わなかった。いわんや本を読もうとも思わなかった。80年代に会った外国人は一様に三島!金閣寺!と、叫んでいた。その後は、吉本ばなな・・村上春樹と作家名は推移してきた。が、やっぱりtesyukeは読まなかった。

ともあれ、ニュ-スに飛び上がったのが村上春樹の《イスラエル賞受賞演説!》。すばらしい・・誇らしい・・と、すっかり村上ファンになった。で、『IQ84』1・2・3は購入。ふーーん、こんな作風の作家だったのか・・と。汎世界。

シンシナティでは、娘の本棚から本を拝借して読んでいたが、ラッキーなことに村上春樹を引き続き読むことが出来た。というのも、娘は大の村上ファン。《彼がハーバード大学で講演したときに聞きに行った!握手してサインを貰った!》と嬉々として言う。サインは一応お宝扱い・・だそうな。

で、《ねじ巻き鳥クロニクル》《世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド》を読んだところで帰国。ただいま《羊をめぐる冒険》を読書中。時系列を遡って行くような読み方だが。

写真:アメリカで見つけたレモンドロップス
   ねじまき鳥クロニクルの禁煙中の主人公がレモンドロップスをなめていた・・

京都市地下鉄の階段

2011-06-04 00:11:20 | Weblog
久しぶりに地下鉄で四条烏丸まで。
ワーー、これはこれは。とて、写真をぱちり。
階段のステップの側面に白い文字が書かれている。なに?
読みながら上れば・・・改札まであっという間??

*階段上がるのに勇気はいらない
*少しがんばる気持ちがあればいいんだよ
*上がりはハムストリングスがきたえられます
*筋肉をきたえスリムな足に!
*世界最長の階段は11474段
*by若手職員増客チーム燃え燃えチャレンジ
*燃え燃えプロジェクト始まる
左側には何キロカロリー消費したかもばっちり書かれている。

余計なお世話と言う男の人の声がちらっとした。
まあ、毒々しいコマーシャルの書かれている所(他社にある)よりはましですか、ね。