goo blog サービス終了のお知らせ 

Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

北海道旅行⑧帯広百年記念館

2009-10-16 09:56:48 | 北海道
阿寒湖からは十勝川温泉!へまっしぐら。北海道のドライブは渋滞知らず!
途中、ちょっと道をそれて池田のワイン城へ。屋上から広々とした景色を眺める。ブドウ畑が広がってそろそろ摘み取りの季節のようだ。
道すがら(季節外れの)ひまわり畑がいくつもあって、陳腐な言い草ながら黄色い絨毯のよう・・(写真)。これらは小麦などの刈り入れ後に植えられ、そのまますき込んで肥料にすると言う(緑肥と言う)。

根室から長距離を走ってきて、長い一日が終わる。十勝平野の真ん中十勝川温泉に来て正解だった。
ここは珍しいモール温泉。曰く、遥か太古の時代より、葦などの自生植物が長い時間をかけて堆積した亜炭層から湧出する温泉で、植物性(モール)の有機物を多く含み、肌への刺激が少なく、一般の温泉にくらべ天然保湿成分を多く含むため、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯として知られている、ですと。

9月3日最終日。後は千歳空港へ行くだけののんびりした朝。
まずは帯広へ。帯広百年記念館がお目当て。何度も来ているhus.のおすすめ。十勝開拓に尽力して人たちの資料が展示されている。もちろん晩成温泉で立ち寄った依田勉三のものも・・
この依田勉三の開拓団体・晩成社が現在の帯広に始めて開拓の鍬を下ろしたのが明治16年。それから丁度100年目の昭和57年にこの記念館は建設されている。開拓の歴史も分かり、見がいがあった。

展示の中でもっとも感銘を受けたのは、晩成社の一員だった渡辺勝とその妻カネの話。A・S・ランドーと言うイギリス青年が、北海道一周の冒険旅行中に出会ったこの夫婦のことを描いた一節が、展示されていた。1893年ロンドンで出版された本、≪エゾ地一周ひとり旅("Alone with the hairy Ainu. Or, 3,800 miles on a pack saddle in Yezo and a cruise to the Kurile Islands")≫の中の一節。

ランドーが帯広に着いた時、帯広には7軒の家があった。そのなかの1軒に入って彼は驚く。
外観はみすぼらしい住居だが、中は清潔。出てきた美しい婦人の容貌といい立ち居振る舞いといい、日本の内地の上流階級と同じように洗練されていたから・・・・。
ランドーも驚いたが渡辺夫妻も驚いた。ランドーは彼らがここに住み着いて以来9年目にして初めて会う文明人。渡辺夫妻は高等教育を受けた人たちで、英語をしゃべった。

ランドー曰く、私の人生において渡辺夫妻ほど文明的で親切で、思慮深く寛大な人々に出会ったことがない。あえて言えば、文明は未開人を悪に導き、未開の生活は文明人を善に導くのではないだろうか。その親切によって、私の良い友人となったこれらの優しい人たちのことは、別れた後も深い親愛の情を持って忘れることはないだろう・・
渡辺カネは、開拓地で先ず(寺子屋のようなものをつくり)子ども達に勉強を教えはじめたと言う。十勝開拓の母と呼ばれている。
100年以上も前にこんな人たちがいて、こんなエピソードが残っていることに、不思議な感慨を覚えた・・・

この記念館のあるのは緑ヶ丘公園と言う大きな複合公園で、素晴らしいところだった。木々の間を散歩しているとリスが出てきたりして、ちょっとアメリカのボストンの公園を思い出した。市街は散策してはいないが、帯広って不思議な町だなーーと思う。都会なのに、都会らしからぬ空と空気がある。関西にいてずっしり水分過剰的生活をしていると、ここがやけにからっと日本らしからぬように思える。

とにかくここは帯広、「六花亭」に立ち寄る。マル製バターサンドの包装のことも理解が深まった。お菓子を詰め込んだ「十勝日誌」。松浦武四郎の本を模していること,取り出したお菓子のいくつかが十勝開拓に由来するネーミングと言うことも知った。
どうやらtesyukeも(hus.の策略に引っ掛かったか),明治初期の北海道に興味がわいてきた・・
来るたびに北海道の違った側面が見える。北海道はやっぱり大きい!

北海道旅行⑦根室の朝は早い

2009-10-11 01:25:38 | 北海道
一緒に日の出を見ていた青年が・・彼は落石岬近辺に泊まっていて・・そこと納沙布岬との丁度半ばのところに‘花咲灯台車石’というのがある。これはすごいよ、是非見ると良い・・と教えてくれた。
で、朝一番に車石へ。名前からして想像がつくが、車輪のような大岩が!直径6mの巨大さ。まさに奇岩!この岩、放射状節理とかで世界的にも珍しく国の天然記念物に指定されている。
ここは花咲灯台下の岩場で、整備された木道を浜まで下りていける。規模の小さな車石も何カ所かあり、ごつごつした岩ばっかりの世界に白い波が寄せては返すのは時間が止まった世界のよう。
飽きもせずそんな太平洋を眺めていたが、小さな島影が二つ見えるのに気がついた。歯舞群島の島影ではないか?と思われ、あまりの近さに驚いた。

さて、これからどうする?岬つながりで知床岬!それはちょっと無理やな・・・との問答の後、まあ、摩周湖・硫黄山・阿寒湖と行きましょうかと言うことに。
根室のガイドブックに≪腕時計はカバンの中へ ・・・。好奇心を連れて、さあ、出かけよう。Wake up! 根室の朝は早い。≫と、あったが、確かに根室の朝は早かった。
なにしろ車石を出たのが8時。風連湖を過ぎると、根室海峡を右手に海岸線に沿って国道244号を北上。
野付湾にいたると≪トドワラ≫の表示。それは、立ち枯れたトドマツ林の跡。立ち枯れたトドマツの残骸が湿原上に立ち残った荒涼とした風景が見える。ここまで野付風蓮道立自然公園を走ってきたと言うわけ。
標津町で海岸線を離れ、内陸に入っていく。中標津町に着いたのが10時。一路摩周湖へ。

摩周湖自体は15年前とまったく同じで、山に囲まれ静もっているのには感激した!摩周湖に水が流れ込む周囲の山々が変わらずにあるので水質も変わらず保たれていると、ガイドさん。摩周湖が本州にあれば、とっくに水質低下・・・と、言うことになっていたかもしれない。

賑やかな日本人観光客に混じって、若い黒人男性3人が、写真を撮りあっていた。 多分日本の観光地なんて唯一無二な機会でしょうに皆が揃っての集合写真は無いだろうな・・と思って、撮りましょうか?と、声をかけた。ぱっとうれしげな笑顔とともにカメラが2台手渡された。
hus.と手分けして撮ってあげる。どちらから? タンザニア・・キリマンジャロのあるところ・・。ワーオ、ここはお国より涼しいでしょう?・・いえいえ、もっと涼しい所ありますよ・・。(そりゃそうだわ、キリマンジャロのてっぺん!なーんて。) 名刺をもらう。仕事はタンザニアの国立公園の監視人(Park Warden)。なるほど、彼ら一行は仕事がらみの来日だったんだ。多分この後、釧路湿原へも行くのだろう。日本の自然に対する取り組みが、遠いアフリカの国土の保守・保全の何かの参考になればうれしい・・と、思う。

彼が、メンバーに女性も一人いるんです。彼女はジンバブエからと、先行していた女性に手で合図をする。はちきれんばかり元気な若い彼女が戻ってきて、もう一度みんな揃って写真を撮る。
私達は京都から・・・京都に行ったことありますか?・・・キョウトに行ったことは無いけれど、キョウトプロトコルは良く知っています!・・ こんなところで京都議定書が飛び出すなんて!尊敬されるべき日本の行く道はこの辺にあるのかも。温室ガス削減もその線上。うーーん協力しなくっちゃ、家に帰ったらコンポスト容器を買おうか知らんと、tesyukeの頭は支離滅裂、とんでもない方向に!
握手をして彼らと別れ、一路硫黄山へ。

hus.は来たことを覚えてないと言う。が、tesyukeは硫黄山の記憶が鮮明で湖よりもこちらにはもう一度来たいと思っていた。ぶすぶすと水蒸気が噴出し硫黄のにおいが立ち込める静の空間。木々の生えてない岩肌が薄緑や黄色く彩られて不気味。おばあさんがただ一人山すそで(吹き出す湯で作った)ゆで卵を売っている。北海道なればこそこんな風景もあるのかしら・・と、思う。(写真)

次は定番コースで、阿寒湖へ。ここも昔と変わってない!でも世の中のほうが変わったんだろう・・・どうも古いタイプの温泉地に見えてしまう・・
前回はアイヌコタンへ行って、アイヌの踊りを見たのだが、今回はアイヌ料理を食べようと言うことで、コタンへ。平日の正午だからか、歩いている人もまばらで、店を探しているのが目立って恥ずかしくなるほど。アイヌ雑貨を売る店の奥がレストランだった。

ひげの濃い店主がメニューの説明をしてくれる。我々の口に合うように少しはアレンジしてあるのだろうが、鮭や鹿肉、野草と趣の変わった料理だった。
覚えているのは・・・腐らせて(発酵させて)何年も保存したというイモのデンプンでおやきのようにしたもの(ポッチェイモ)がおいしかった。鮭の背わたを塩漬けにしたもの(メフン)を絡ませたメフンスパゲテイー。≪チェップオハウ≫と言うスープ。チェップは鮭、オハウは汁を意味し、鮭や根菜類を薄い塩味で煮込んでいる。石狩鍋や三平汁のルーツらしい。鮭の代わりに鹿肉を入れたのもある。

お昼がすむと阿寒に用はないと、湖も見ないで出発。

北海道旅行⑥北海道で一番早い日の出

2009-10-01 17:39:15 | 北海道
雨はやんだが、気温がぐっと下がったようだ。根室の町は広々としているが、さびしい感じ・・
宿の食堂にカラフルで大きな大漁旗のようなモノがはってある。そして、大きな文字が躍っている。
≪島を返せ!四島の家≫びっくりしてご主人に聞く。
‘どなたかゆかりの方が向こうに住んでおられたのですか?’‘私が向こうの生まれです。’
‘孫爺さんが北方領土に渡った初代。ここ根室の灯台の灯りがちらちら光るのを海の向こうに見て育ったんです。戦後3年間戻れず、最後は樺太に集まりそこから帰還したのが15歳’と。
生まれて初めてこういう経歴の方に会った!北方領土が急に身近に感じられる。

ビザなし渡航で何度かお墓参りに言った話などを聞く。
中央から送られて来るロシアの若い軍人などは東端の島に島流しになった気分ですよ、などとおっしゃる。ロシア人が根室に来た時は世話人として(商売抜きで)泊めてあげていると言う。それで、ドアにロシア語の表示などがあるんだ。と合点。
この方も若く見えるが70代。どんな気持ちで今まで過ごしてこられたのだろうか・・。北方領土を我が身を通じて知っている方がなくなっていく前に、しっかりその心情を引き継がなくてはならないなどとちょっと神妙に。

いい感じのご夫婦で、屈託のない奥さんは花咲蟹の食べ方を伝授してくれる。鋏でちょきちょきぶつ切りにして、身を押出すのよ・・・。蟹が(蟹は好きだが食べるのが)嫌いなhus.も、ちょきちょきちょき、うまい!
台風も去り三日目にしてやっと日の出が見られそう。それも最高の場所で。日本の本土最東端・根室半島の先端の納沙布岬(のさっぷみさき)で海から上がる日の出!!明日は早い・・

9月2日午前4時。寒いのでありったけのものを着こみ真っ暗な中、宿を出て納沙布岬へ。
30分ほどで到着。人影がちらほら。納沙布岬灯台の傍に陣取る。どこから湧いてくるのか人がだんだん集まりだす。朝日を待つ人の群れが、何故か皆笑顔。顔を見合わせては幸せそうにニコッ・・・・
4時50分水平線の一点が濃い橙色に。朝日だ!シャッター音が途切れない。我々日出ずる国の民ですもん。それにつけても、毎朝毎朝カメラに収まって、お日様の一日がスタート。
この岬一体は、望郷の岬公園として整備されていて、四島のかけはし、北方館、望郷の家、平和の塔などのモニュメント・建物がある。店の壁に納沙布岬到達証明書なるものが描かれていた。

帰路、明治公園による。明治8年に2番目の国立牧畜場となった場所を公園に整備したとかで古いサイロ3基が残っている。大きなサイロに朝日がまぶしい。ジョギングしている人もいて,目覚めかけた町を宿に戻る。

北海道旅行⑤ 釧路から根室へ

2009-09-30 11:54:49 | 北海道
9月1日。湿原の展望台へ朝日を見に行くつもりで早く起きる。が、台風が道東へやってきたため雨。
二日続けて朝日は見られず・・残念!
釧路湿原の東側を回ってきて、今北東の地点にいる。朝食後、湿原を一周するつもりで雨の中を出発。北側は‘鶴居どさんこ牧場’と言う北海道の馬「どさんこ」に触れ合える観光牧場になっている。西側に回りこんで、温根内ビジターセンターへ。ここで湿原内に整備されている木道を散策するつもりでいたが無理・・・
あきらめて、丹頂鶴の頃に又来たいね・・などと言いつつ湿原を後にする。

雨で湿原内の道路は薄暗く、林の中に鹿がかたまっているのが見えたりする。そういえば昨日、運転中はくれぐれも鹿に注意しなさいよ・・と、言われた・・。横断中の鹿にぶつかると車は大破するそうだ。
釧路の街へ・・いい感じのところだ。釧路川にかかる幣舞橋を渡る。橋には現代作家による裸婦像が4体立っていてここが日本とは思えない!
橋近く、釧路川の河口に立つ港文館へ。館前に、幣前橋を後に、若き石川啄木像が立っている。雨に濡れそぼった啄木が悲しげに見える。

港文館。(たった半年ほどだけど)啄木が新聞記者として勤務した釧路新聞社を再現したもの。かわいいレンガの建物。開館前だったのにドウゾと入れてもらう。薄ら寒い外気の中からほっこりした館内へ。
二階に啄木関連の資料。知られざる啄木の一面が見られてよかった。一階がコーヒーショップ。
コーヒーを飲みながら釧路の話を聞く。この河口も、やっぱり夕日が美しくカメラマンが集まるそうだ。
でも、昔はもっときれいだった、と。(大気が汚れてきているとか)

一路、東へ。国道ではなく海岸沿いを行くが、思ったほどの海辺ではなく、嵐の中タイヤを波が洗うなどは妄想に終わった。ちょっと残念。
厚岸に。テレビでいつも見ている牡蠣・牡蠣。時間も丁度昼。厚岸湖が厚岸湾に繋がっている部分に厚岸大橋が架かっている。その根っこに味覚ターミナルコンキリエと言うのがあって、レストランが中に入っている。そのなかでも皆がめざすのが選んだ食材を炭火で焼いて食べられる店。初物の鰯や厚岸の大きな牡蠣・生簀の中から好きな魚・・を選ぶ。

厚岸大橋を渡って、雨の中林の道へ。途中から海岸へ出るが,目線の先には台風の波。間近に荒々しい海が見える。霧多布市へ。もちろん道を外れて岬へ。
霧多布岬だ! 風も出てきて、岬ヘ向かうのはたった一台。き・り・た・っ・ぷ・・・名前を聞くだけで心が引き寄せられていく心地のする場所で・・まさか来ることができるとは思っていなかった。
車外に出ると、小雨なのだが風が強く吹き飛ばされそう。岬の傾斜地に風を避けて海鳥がびっしりとかたまっている(写真)。霧多布岬の強風と波浪!荒れ狂う太平洋を眼下にたった一人(失礼、二人です)足を踏ん張って立つ。鉛色の空と海の中に岬がすっぽりと異次元。なんと言う感激!うゎーーーい・うゎーーい、叫んで飛び跳ねる。誰もいない岬でこの世を独り占めした気分で伸びをする。最高の瞬間。
岬を去るときに一台の車とすれ違う。‘あほが又一人きたわ’とhus.がにやりとこちらを見る。

あえて海岸沿いの道を。北太平洋シーサイドライン。荒波が打ち寄せる光景を見つつ(途中から海岸を離れるが)進む。夕刻、暴風雨圏を脱した根室に着。

北海道旅④ 釧路湿原

2009-09-27 14:11:07 | 北海道
釧路市に入って、釧路駅のインフォメーションへ。
この地が好きで好きでと言う笑顔の男性が応対してくれた。
湿原内に泊まるなら、そこへ着くまでにこことここを見て行きなさい・・
観光列車「ノロッコ号」に乗りたいんですが・・時間かかるし車なら乗る必要ないですよ・・
明日は根室まで海岸線を行くと良いですよ。北太平洋シーサイドラインいいですよ~~~と相好を崩してマーカーで目印をしてくれる。会話だけで十分旅が楽しいものに!ありがとう。

釧路湿原は一度は来たかった。が、これだけ大きいものだとは思ってもいなかった。
過去にサロベツ湿原内を歩いたりしているので、似たようなものを想像していた。
が、とんでもない・とんでもない。規模はどうやら琵琶湖(まで大きくは無いが)に土を入れてどろどろ状態とすればよいのではと、思いつく。ふふ、関西人やね!この巨大な湿原を利用したいと人間が境界から侵食していったが、中心部まで届かず!湿原周辺は生活空間と湿原自体が入り混じっている感じ。生活空間が突出して汚いものでなく、調和して見えるので、良かったなーーと、思う。ラムサール条約登録地となり開発は厳しく規制されているからなのか。良かった、間に合ったね!と、しみじみ思った。

観光列車「ノロッコ号」を、遊園地にあるようなものと想像していたら、本物のJR釧網本線を区間を切って走っていると言う。良くまあ湿原内に鉄道を敷いたものだと思う。もっともど真ん中ではなく東よりだが。
そして湿原内だけで5・6ヶ所の駅がある。ほぼ北辺の茅沼駅前のペンションが今夜の宿。釧路駅から国道391号を北へ・・

*岩保木水門 屈斜路湖を源流とする釧路川と1931年に新たに本流となった新釧路川との分岐点に設けられた水門。 新旧あるが古いほうは文化財的に貴重な建造物と言うことで保存されている。ここの景色は、18世紀のイギリスの風景画を見ているような感じだった。

*細岡展望台 湿原が180度見渡せる。釧路川が蛇行して、遠くに岩保木水門も見える。遠くの浮島のようなところに止まっている白い鳥・・鶴だよと教えてもらう。釧路湿原駅を降りて歩いてきた若い子達が写真を撮り合っている。一人旅の若い女性は、朝からカヌーで釧路川を上流から下って着たとか。1週間前の予約とかで、うらやましいけど行き当たりばったりのtesyuke達はあきらめるしかない・・

*サルボ展望台 小高い丘の上まで登っていく。アイヌのチャシ(砦)跡の表示もある。塘路湖(たろこ)が見える(写真)。

はや、夕刻。もう一件のおすすめスポットはパスして宿へ。茅沼駅前。しゃれた建物なのに、温泉付き。部屋に入ってカーテンを開けると、夕焼け。真っ赤。最高の夕日。
カメラをつかみ、飛び出す。暗い道をまっすぐ西へ・・茅沼駅だ。出入り自由の構内に青年が一人。
三人並んで神々しい夕日を眺め、写真を撮る。『どちらから?』『大阪の高槻!』『やーー、関西やん・・懐かしいわ』 K大学の4回生とかで、夕日のあまりの美しさに途中下車。『次の電車までの待ち時間は1時間・・惜しくない・・それだけの値打ちある夕日だと思った』と。

小さい無人の茅沼駅。掃除が行き届いていてこぎれい。電灯がポット灯って、ふんわりまわりが闇。
懐かしい・なつかしい光景。待ち人の無聊を慰めるように、ノートが置かれている。パラパラとめくると・・・丹頂鶴を見に来た人たちの書き込みに混じって・・・・私の祖父はこの駅の最後の駅長でした。当時駅の傍には官舎や神社があったのを覚えています。・・・・などと思い出が記してある。何才ぐらいの人だろうかと思いつつ、小さな美しく整った文字を見つめた。

北海道旅行③ 黄金道路から釧路へ

2009-09-27 00:41:14 | 北海道
≪襟裳岬では、海から太陽が上り、海へ太陽が沈んでいく・・≫
と言うのに、曇り空に夕日は望めない。明日の日の出に期待。
8月31日。襟裳の朝は相変わらず曇りで、朝早く起きたのに朝日は拝めなかった。
台風が道東へ接近するかもしれないというので針路変更しようかとも思う。が、小康を保っている空に、やっぱり行こう東へ!と、決める。

東への幹線道路(R336)のうち襟裳―広尾間は人呼んで黄金道路。≪まるで金を敷き詰めたように工事費が費やされた道路≫と言うのがネーミングの由来。
確かにこの間のドライブは最高だった。くねくねと太平洋の間近を走るのだが、トンネルと覆道の連続で、その間あいだに岩場・岬・空・海・波・緑の木々と言ったものが織り成す美しい景色が見える。今見えたその岬の下のトンネルを抜けて次の青と白と緑のアンサンブルへ・・普段にも増して荒々しい波の白さが美しい。

黄金道路の最終地点近く‘フンベの滝’に車を止める。進行方向の右が海。左手に崖が続いていて、そこに滝がある。1ヶ所だけでなく広範囲にわたっている。崖から水が染み出すように何本も何本も水が落下していて、それらは海へと流れ込んでいる。この道路横のちょっとした空き地には、又海難事故の慰霊碑が2基そしてお地蔵さんが立っていた。海は与えてくれるものでありながら、時々は大変な対価を要求するものだなーーと、悲しい気持ちで手を合わせた・・

次に休憩したのが大樹町。
道路標識に≪晩成温泉≫の表示が。hus.が、晩成の字に反応、寄ることに。聞けば、晩成社という開拓結社が明治期にあったのだと言う。何か関連があるのかもと・・・。
町営の大きな温泉に、年配人たちが入りにきている。平日の朝から・・!いい町やね・・!
温泉の受付の女性に近辺の地図を貰い話を聞く。hus.が≪おっ、よだべんぞう≫と叫ぶ。この近くに彼の開拓の史跡があるのを見つけたのだ。≪よだべんぞう≫に興味を示す人なんて少ないでしょうと言うと、結構良く知ってて、来られる方が多いですよと、女性。そして、匂いません?と聞く。はっ?日高山脈から西側は馬ばっかり、東側のこのあたりは牛の牧場ばっかりなんです。牛の方が人口より多いんですよ、と。

依田勉三と言うのは、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広市を開拓した、十勝開拓の祖といわれている人なのだ。hus.は、その遺蹟がこの海岸よりにあるとは思ってもいなかったらしい。
実は、hus.は北海道開拓に興味を持っている。で,いつもああだこうだと話を聞かされる。が、悲しいかなそれらはtesyukeの頭をほぼ素通り。以前も、北海道開拓の雄の一人である関寛斎の事跡を尋ねてわざわざ陸別に寄ったこともある。もっともそこで食べた≪そば≫がおいしかった!ので、覚えているのだが・・
その時も、十勝で熱気球に乗せるし・・陸別に寄ってと・・ギブアンドテーク。フェアな取引を・・したもんだ。

教えられた道を一路・・・。開拓時代の面影などまったく無く農場・牧場が広がっている。
≪晩成社史跡・・・依田勉三率いる晩成社は、明治19年に大樹町生花晩成地区で晩成社当縁牧場を開設し、牧畜業を始めました。 晩成社は原生林を切り開き、不毛と思われた土地に鍬を下ろし、畑作と酪農を試みたのです。また、半地下式のサイロを作り、バターの製造やチーズの試作など時代を先取りした酪農経営を展開し、今日の大樹農業の基礎を築き上げました。≫

と言うことで、復元された住居やサイロ跡などを見学。
復元住居(小屋)や事故で無くなった同志を痛む碑・墓もあり、往時をしのぶと敬虔な気持ちになる。
住居の小さな模型の中にノートが入っていて来訪者が真摯なコメントを書いている(写真)。
六花亭のマルセイバターサンド(大好き!)の包装紙は、晩成社が1905年(明治38年)に北海道で初めて商品化したマルセイバターのラベルを復刻・再デザインしたんやで・・・と、hus.の薀蓄を聞きながら釧路へ。

北海道旅行② 襟裳岬

2009-09-16 10:47:45 | 北海道
幹線道路を右折、襟裳岬の方に続く道に入っていく。
牧場も馬から牛に変わっている。ほんとに何も無いところ。≪えりも国有林≫の看板に、大きな木が何にもなくて林に見えないけどーー、国有林?と、半信半疑。道筋に時々かわいいおもちゃの家が建っている。とんがり屋根の白いそれは、バス停!
そう言えば、北海道で道筋に必ずあるのはトイレ。積丹半島を神威崎のほうまで行った時に一定の間隔を置いて設置されている小さな建物をいぶっかったものだ。ひっそりとした道路・人が住んでいるのかどうかさえ分からないところ・波風に洗われるような場所に、いつ来るか分からない人を沢山のトイレは待っている。

北海道主部・最南端の襟裳岬に到着。‘風極の地・襟裳岬’の碑。風の強いこと!強いこと!襟裳岬は風速10メートル以上の風の吹く日が、年間290日以上もある、日本屈指の強風地帯です、と。
その名も≪風の館≫へ入る。私の仕事館と並んでテレビで取り上げられていた建物では?地下に埋もれるような形で、設計されているすばらしい建物なのだが、あちこちの不具合を直しきれずにいる様子・・・・赤字なのだろう。そもそも・・なんで・・これを・・誰が・・建てようと・・言ったか・・まで戻っていく悲しい建物の一つ、かな。
目玉はゼニガタアザラシの観察ができること。ガラス張りの階段状の部屋で設置の望遠鏡をのぞく。低めの岩礁に寝そべっているのが見える。*時*分***頭観測できましたと、ボードに数字が書いてある。これがメインの仕事かな・・ごくろうさま!

風の館ではぬくぬくとアザラシを観察できるとは言え、それだけ。外に出て岬先端まで遊歩道を行く。
強風に耐えてて野の花々が咲いている。この道は風の館に付属しているスペシャル道かと思えば、外から小道が通じていて誰でも歩ける道・・・うーーん。
岬の先へさきへと。北海道の背骨・日高山脈が、海へとその姿を沈めているところ・・なのだ!
岬に連なる岩礁は、日高山脈のしっぽ見たいなもの?裸眼では、ゼニガタアザラシを見るのは難しいが、断崖絶壁・岩礁・白い波しぶきとそろった絶景を楽しむ(写真)。
それをバックに海難事故の殉難者の碑が・・・かなしい。振り返れば灯台も見える。
≪襟裳岬では、海から太陽が上り、海へ太陽が沈んでいく・・≫と言うのに、曇り空に夕日は望めない。明日の日の出に期待。

自然の美しさもさることながら、人智の努力に頭が下がったのが≪百人浜緑化事業≫。
・・・かって襟裳の百人浜は、開拓期の伐採で草木がなくなり、表土が風で海に流れ込み魚が採れなくなりました。そこで昭和28年より、強風と戦いながら緑化事業が進められ、いまはクロマツの緑の林が蘇り、海も豊かさをとりもどしました・・・・
半世紀以上の努力がなされていたのだ。日本人、捨てたものじゃないな・・と、思う。

北海道旅行① 襟裳岬まで

2009-09-14 23:31:14 | 北海道
北海道をこんなに何回も(二桁にのった)旅するとは思ってもみなかったが・・・・
フィン・エアのマイレージがたまって国内線ならどこでもOKですーーーとのこと。気がつけば、7月中に申し込まないと消滅と言う事態に。
慌てて石垣島(ガイドブックまで買いこんである)でお願いしますと言えば、空きがありません!
では、千歳でお願いします。
ばたばたと、8月30日から4泊5日の北海道行きと相成った。
贅沢な話しながら、北海道でまだ未踏地は松前と道東の海岸線のみ。
地図を見ながら、道東の長――い海岸線に、≪な・ん・に・も・な・い・なーー・・・歌のとおりや≫とhus.。
≪く・くしろしつげん! あ・あっけし! か・かきたべたい!≫と、tesyukeは叫ぶ。

そんな会話から1ヶ月後。8月初旬の四国遍路から帰宅して、いまいち旅心が湧いてこない状態で何のプランも無いままの旅立ち。
千歳でレンタカーを借りて、襟裳・釧路・根室・・・そこから先は?行ってから考えよ・・・と、≪ふーてんのとらふぁん(虎ファン)≫。
せめて初日の宿だけ決めとこうよと、インターネットでサーチ。何・何・襟裳岬の一番先っぽ・・・いいんじゃない・・・よっしゃ・決まり、と、安易そのもの。

千歳空港から南東へ・・苫小牧からは初めてのルート。
北海道のドライブは、いつもながらなんて気持ちがいいんだろう!広告物が乱立してないせいだろうか。長距離なので、大体見かけた道の駅に止まっていくといい塩梅。
お昼を食べなくちゃと止まったのが、道の駅・鵡川(むかわ)
建物の回りの花壇が良く手入れされて、美しく気持ちよい・・ 
このあたりの道の駅って、地域の中心の役目を担っているようで、関西の道の駅と性格が違うようだ。
ここも、むかわ温泉四季の館と言って天然温泉施設やホテル・道の駅など観光客用に加えて、 トレーニング施設やプール・貸しホールや図書館など町民用施設の同居した大きな複合施設。
町の人がここへ着たら用事がみんなすんでしまう感じ。この日は投票所も設営されていてびっくり。レストランには‘ホッキ丼がおすすめ’と、大書されていて、もちろん素直に注文。

鵡川から襟裳へと、だんだん競走馬の牧場が多くなってくる。
丁度中間地点が静内。JR静内駅のインフォメーションにいく。駅前はロータリーになっていて中心に馬の像が。見上げる位置に後ろ足で立った素晴らしい馬がいる。
駅前も花壇で花が咲き乱れている。北海道は気温が低いので花の持ちが良いのだと思う。花が暑さにあえいでへばってないので、涼しげな印象を受ける。ヨーロッパや北米に似た感じがそんなところにもあるのかもしれない。
駅の中で見つけた、お土産のバームクーヘン。名づけて≪馬夢喰片≫思わず拍手。

二十軒道路桜並木がやっぱりおすすめとのこと。桜ねぇーー?コスモスが咲いていますよ。
いやいや、ほんとに素晴らしい道でした。桜の頃は更なりと、思えど・・まっすぐな緑の道を貸切でドライブ・・・これで十分です!こんな贅沢な道は北海道ならでは・・・というより、かっての御料牧場の名残なのかもしれない。
道の最奥に位置している明治末年の建物・龍雲閣を見る。皇族・政府高官用の貴賓宿舎だったとか。
庭も無くただそれだけがぽつねんと立っている。不思議な感じだ。
船山馨の‘お登勢’や映画‘北の零年’もこのあたりが物語の舞台。近年建てられた‘船山馨・お登勢の碑’に往時をしのぶ。

静内近辺の道には、馬が横切りますので気をつけてくださいとの注意書きがあって、徐行して、馬を見送ることもしばしば(写真)。
道に立つ街灯は馬がデザインされていてとってもすてき。
一路襟裳へと海岸沿いの道路を行く。次々と漁港が現われる。台風が接近のニュースに昆布舟が何艘も港の中の浜に引き上げられしっかりつながれていた。
アーーそうか、何気なく日高昆布と言って買っていたのはこのあたりのものなのだと、合点する。
浜に昆布を干している人がいる。曇りがちの日はあまり良い品質にはあがらないとか。長い昆布を引きずるようにして浜から道路を横切って、家の倉庫に運んでいる。
海にちぎれて漂っている昆布を拾っている人もいる。これは拾った人のものになるのだとか。

道路標識に襟裳岬の文字が現われだす。いよいよ。

札幌は花ざかり④ライラック

2008-06-14 00:35:37 | 北海道
ライラック祭は、大通り公園で5月21日から25日まで。すでに終わってしまっていて街の雰囲気はYOSAKOIソーラン祭りに向けて小休止中といったところ。しかし、アジアからの観光客が、多い・・・

日本中で、最高の通りの一つ。大通公園っていいですね!
丁度、春花壇から夏花壇に模様替えしているところのよう。どこを切り取っても素敵。噴水と・・花壇。テレビ塔と・・花壇。銅像と・・花壇、エトセトラ・エトセトラ。
見るほうはいいけど手入れが大変だなと思う。
≪大通り公園ブログ≫によれば、大通り公園管理ボランティアというのがあるみたいで、花殻摘みをしている写真が載っていた。
小学生ボランティアによる植え込み花壇というのもあった。大通り公園の美しさは市民の協力のたまものなんですね・・。

ライラックは約400本(白30本、紫系370本)あるとか。まあ花の咲きように変わりはないので、人が少ないほうが却ってゆっくりできた。とはいえ、今年は早く咲き出したとかで滑り込みで見た感じ・・・
ライラックは明治22年(1889年)にアメリカからもたらされて以来、かれこれ120年。最初の木は北大付属植物園に現存しているとか。

そんなこんなで、ターゲットは、6月1日がライラック祭という白石区にある川下公園(なんという、即物的な名前なんだろう・・)へ。
31日に行ったが、明日の祭りを待たず見に来てる人が結構多かった。
札幌市とはいえ郊外。tesyukeも、どうして行ったらいいのかなという感じ・・・で、まずは地図を眺める。JR札幌駅から3駅目の平和駅で降り、見知らぬ街を歩いて行った。

北米やね!北米。
札幌の中心部はビルの立ち並んだ都市の顔をしているのでさほど感じなくなったが、一歩外へでると、雰囲気がやっぱりアメリカの北部・カナダ。空気が?植生が?ナンだろうね・・家の建ちようかしら?サイズ?とにかく道幅にしろ何にしろ、のびのびとしていることは確か。

駅前で、自転車を押しているおばさんに道を聞くが、≪遠いよ・・遠いよ!≫と、あきれられる。
北海道の人はとっても親切で、人懐っこい感じ。バスが確か通っているからと教えてもらったが、丁度出たあと。
とにかく、歩いていけば着くだろうと、のんきにぶらぶら。
正解だった。家々に咲いている花を見るだけで、楽しい。楽しい。

もちろん3・4・5・6月に順次咲き出す花の数々が同時に咲いているのは、周知のこと。でもなんだか花自体の雰囲気が違って感じられる。外国からもたらされた花木も多く、それらが今では土着のものの様な顔をしていると知り合いが言っていた。が、そのせいだろうか?
いやいや、冷蔵庫の中のものの持ちがいいのと同じなのでは・・? 気温が低いので、長く花が持つし、色もクリア。空き地の雑草さえ柔らかい緑でタンポポ(多分)がぽっぽっと可愛いい。

写真を撮りながら歩いていると、公園に。
随分大きな公園。門を入ると、見知らぬ人から、まっすぐ進んで行くとライラック園だよ!と・・声がかかった。
世界のライラック200種1700本が植わっているとか! 壮観。
ぐるりぐるりと見て回る。白・ピンクそしていろんな種類の紫色。
一房が長くて花がふわふわと見えるぐらいについている八重のもの。
花弁は4枚がくっきり見えてシンプルな感じの一重。シンプルな白のライラックが好きだ。

見ているうちに、木の根元のプレートに気がついた。生み出された年がかいてある。たとえばこんなプレート。フレンチライラック/(花の名前)ミス・エレン・ウイルモット/1903年/ビクトール・ルモアン(フランス)/白 八重
生み出されて100年。美しい花に名前を残した人は100年前の人。
どうやら新しく生まれたもののほうが花のつきが多く豪華みたい。

1916年アメリカで作りだされたのには、プレジデント・リンカーンの名前が。
一番古いのは?と、ちょっと探してみる。1820年スージアナ。やはり素朴な感じの花だった。
時間帯のせいか匂いがあまりしなかったのが残念だった。
が、ライラックにどっぷり浸かりきって、満足の一言。


札幌は花ざかり③番外・アイヌ語

2008-06-09 01:28:44 | 北海道
ガイドさんが、支笏湖を取り巻く山の名前を教えてくれた。
樽前山・ふっぷし岳・紋別岳・恵庭岳・・・

樽前山。山頂やや右寄りに帽子をかぶったような溶岩ドームが見えかわいい。ここからは見えないけれど、中にもう一つ溶岩ドームがあるんですと・・・。そして今も現役の活火山。外輪山の内側へは立ち入り禁止です、と。
恵庭岳、知っています知っています・・札幌オリンピックの滑降コースになりましたね。

しかし、ふっぷし岳は、いくら聞いても、音だけが不思議な響きで耳に入るが、漢字にどうしても置き換わらない!
これは完全にアイヌ語だ。
なんと風不死岳。美しい文字をもらったこの山はアイヌ語のフップ ウシ(トドマツの多い山)という言葉に由来するとか。
ところが、恵庭岳もアイヌ語のエ・エン・イワ(頭の尖った岩山の意)に由来すると聞いてびっくりした。アイヌ語からと、思ってもみなかった・・・

そして知ってみれば何のことはない、当然のことながら北海道の地名のほとんどがアイヌ語由来。中には良くこんな漢字を当てはめたなと、感心するものも。
地名を音だけで聞くと、この響きが共鳴しあっていた世界が過去に確かにあったんだなと思う。
と言うのも、たまたま読んでいた民俗学者の谷川健一さんの文章を思い出したから。

≪地名は単なる記号ではない。日本人の情緒を誘発する媒体である。・・中略・・地名はまた『大地に刻まれた百科事典の索引』である。地名は更に『時間の化石』である。『魏志倭人伝』に記された壱岐・対馬の地名が21世紀の今でも毎日使用されている・・・≫

そうであるならば、地名がある限り、アイヌの人たちの歴史は消えない。
時を同じくして、こんなニュースが・・
超党派の「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」は「政府はアイヌの人々を独自性を有する先住民族として認めること」などを求める国会決議の文案をまとめたた。今国会での採択を目指している。
遅きに失した感もあるが、成立を願っている。

記憶と言うものは不思議なものだ。今も忘れずに覚えているのが、小学校高学年の国語の教科書にのっていた文章。
言語学者の金田一京助先生が樺太へアイヌ語の調査におもむかれたときの話。
アイヌ語の「これは何?」と言う言葉さえ分らない。そこで訳の分からない絵を描いた紙をアイヌ人に見せ、その反応から「何?」という言葉を知る。この単語一つから面白いよう次々新しい単語を知って行くというストーリーだった・・・(ような)
そして最後に大部≪ユーカラの研究:アイヌ叙事詩≫となっていく。

ちょっとしたきっかけで関心は培養される。
金田一京助関連の本を良く読んでいた頃があって、その時知った一人のアイヌ女性のことは涙なくしては語れない。
知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年6月8日 - 1922年9月18日)北海道登別市出身。
祖母がユーカラクル(ユーカラを謡う人の意)であったので、アイヌ語に堪能だった。金田一京助に奨められてアイヌの文化を後世に伝えるべく『アイヌ神謡集』を書き上げ、校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げた。が、心臓麻痺により急逝。19歳。命と引き換えに残していかれたような・・・本。

彼女の伝記等から知る当時のアイヌの人々への差別。
関西圏に住んでいると北海道はやはり遠い。距離があるだけ、アイヌの人々のことは知らないことも多く、関心も薄い。
ちょっとラジカルな外国人の友達は、聞いてくる。
≪差別についてどう思う?≫そして必ず言う。≪アイヌに関しては?≫
胸を張って、ないと言える日本になってほしいものだ。

札幌は花ざかり②支笏湖

2008-06-05 22:19:49 | 北海道
新千歳空港に昼過ぎ到着。歓迎・洞爺湖サミットの表示があちこちに。
あー、サミットね。洞爺湖ね・・・・。

北海道の湖の断片的な思いでといえば・・忘れられない名前オンネトー湖。摩周湖は霧なんてとんでもない、幸か不幸かとっても晴れていたっけ。阿寒湖はまだ氷が張っていて、この氷が解けるのはいつでしょうクイズなんかをしていた。
なんといっても、この湖。サロマ湖が好きだ。思い出す夕日のサロマ湖・・・・。ホタテガイ、牡蠣の養殖がされていて一番生活臭のある湖だった。

支笏湖・洞爺湖。どちらの湖も行ったことがある。が、湖畔をちょっと散策したのみで、記憶はうすい。
サミットの行われる洞爺湖はちょっと遠くて、今回行けそうもない。が、支笏湖に寄っていくことにするか。支笏洞爺国立公園。似たようなものだろう?なーーんて・・・
で、中央バスの空港発ツアー≪エアー&支笏湖コース≫を申し込む。
支笏湖を回って中島公園・大通り・時計台・札幌駅へ。出発時間も丁度良く夕刻には札幌だ。

支笏湖へ。
千歳の昔の地名はアイヌ語で「シ・コツ(大きな窪地、又は谷)」だったとか。当時この地に多くいた鶴にちなみ「鶴は千年、亀は万年」から縁起を担いで1805年(文化2年)に「千歳」に改名した。そして「しこつ」の名前を湖にとどめた・・・と、ガイドさんが。・・勉強になります。

しずか。ここが日本の国だなんて・・。スコットランドのロッホと呼ばれる湖達を思い出す。深い緑の山々に囲まれて、シーーンと、静まっている。昔そうであったように・・今そうであるように・・未来もこのままであってほしいものだ。土産物屋がひっそりと、ビジターセンターの近くにある。はやっているのかいないのか・気になるところだが、願わくば色彩なども考慮してこのまま景観の中に納まっていてほしいものだ。

水中観光船に乗る。
船に乗り込んで甲板で写真などを撮っていると、船のガイドさんが下へ!下へ!と言う。あわてて階段を下りて船底?へ。
一瞬、なにっ?水族館? 左右の壁面がガラス窓になっている。その前に座ると、眼の前をコバルトブルーの水がゆれている。湖をのぞくようになっているのだ。
さーーっと、光を伴った泡が立ち上って、スリムな魚の集団が過ぎて行った。
(魚に関してはこのとき見ただけ。ガイドさんは、水温が低いというのが第一の理由で魚はあまりいない・・と。)
支笏湖は深さ・水量・透明度のいずれも日本で第2位。このように水が清く深い湖には、水草などもあまり茂らず、栄養も少ない。貧栄養湖というのだとか!

窓の位置は水深2m。この位置から湖底を見る。
ほこりをかぶったような長方形の石が並んでいる。鉄道の枕木をザーーーッつと並べたような感じ。
≪柱状節理ですよ≫ 火山の爆発時にできたものの名残です。1万4千年位前の出来事です。と、ガイドさん。
皆鼻をつけるようにして見入る。太古の世界が目の前にあるなんて!
あまりにも鮮明な湖底の様子に、感動。誰一人声を発しない。21世紀に生きて居ればこそ、秘密の扉がだんだん開けられていくんだな・・・なんて。ちょっと大げさに考えるtesyuke。

又、甲板に戻る。風がきつく寒い。原生林を有する山々に囲まれて静まっている湖。青と緑のコントラストが美しい。山の一つは活火山であると聞き、カルデラ湖なんだなと実感する。
湖底を見るスポットがあるらしくて、又も呼ばれてガラス窓へ。
≪風紋ですよ≫風が吹いて作ったのだとか。砂地にしっかりした凹凸。洗濯板のように見える。これらを湖の底に見る不思議さ。
普段は見る事のできない自然の造形美に満足の30分だった。

船から上がると、支笏湖ビジターセンター付近は、さつきの花盛り。赤い色にホット暖かさを感じる。

札幌は花ざかり①

2008-06-05 00:36:14 | 北海道
大学コンソーシアム京都に登録して、学生のまね事をしだしたので何故か忙しい昨今。手帳を眺めながら、5月の5週目を逃したら、8月までどこへも行かれへんな・・・と。
そんなこんなでばたばたと、北海道行きのチケットを購入したのが二週間前。

北海道は、松前と釧路を残すのみでほぼ全島回遊した。
が、ゴールデンウイークか夏休みに行くことが多く、まだ枯野のような富良野のラベンダー畑で鐘を鳴らしたり、五稜郭のちょっと色づきかけた桜であったりと、悲しいことにこの時期の盛りの花々にはまだ出会ってない。
もっとも夏のオホーツクの海岸線も忘れがたいし、11月の初雪の降った日の早朝、大通公園のまっさらな雪の上を足跡をつけながら歩いたこととか(お馬鹿な人は一人だけだったが)・・思い出はいろいろ。

とにかく5月29日伊丹発。花の季節の札幌へ!

心残りの富良野へ行こうと、(運転に自信が無いので)日帰りバスツアーにアクセスしてみるが、こちらはすでに売り切れ。数日前に申し込むなんて考えが甘い甘い。もっともまだ花には早いとかで心はすっきり。又の日に・・

花大陸Hokkaido http:www.hanatairiku.jp/で調べると
札幌市だけでも、大通公園・滝上公園・ちざきバラ園・百合が原公園・すずらん丘陵公園・・・・
おおーーーよりどりみどり。花盛りの札幌に心はもうルンルン気分。
しかし、今回は運転手(hus.)がいないので、行動範囲はどうしても狭くなる。
っと、なになに、ライラック祭!だって。
それじゃ、ライラックめぐり・札幌の旅で決まり。

なにしろライラックは好きな花の一つ。以前に植えていたことがある。もっともライラックとの表示を信じて購入したのだが、疑わしいところのある木だった。原種に近いのかすっきりした白い花で(ふさふさしてない)、強い匂いに熊蜂が寄ってきたものだ。
一体あの木はなんだったのか?

旭山動物園・サル山などなど

2007-05-27 00:19:23 | 北海道
動物園マップを眺めると、うーーん、まだまだ足を運んでいないところがある!
とにかく敷地が広い!小高い丘の上に広がっているのでアップダウンがある!
いやーー、体力いります!!

何が違うんだろう?とにかく近い位置で動物が見られる、これが一番かな?
動物たちが退屈そうにしてない・・・。で、見てるほうも、幸せな気分になる。
手書きのボードに、いろんな情報が書かれていて、よりいっそう親しみがわく。ワオキツネザルだったか?一匹だけの檻の前に、他と一緒にしておくといじめられるので、分けてます、なんて書いてあった。
白テナガザルが檻から手を出して、芝生をむしって食べていた。
30cm四方(多分)の嵌め殺しのガラス窓いっぱいに、ぬうーっとトラの顔が現れたときも、予期しないことでびっくりした。阪神タイガースのマーク!
真っ白いふくろうはあのハリーポッターのヘドウィグそっくり!

ところで、どこの動物園に行っても、tesyukeが一番気になるのはいわゆるサル山。平凡だけど見飽きない、好きな場所。
(今は、随分良くなっているかもしれないが・・)思い出の中の動物園では、好きなんだけれど・・なぜか見ていて悲しい気分になるのだった。というのも、たいていコンクリートの山にすり鉢状のコンクリートの地面。あまりにも人工的な環境で、暑さ寒さにむき出し状態。逃げ場の無い感じがかわいそうだな・・、と。

旭山のお猿さんたち幸せそうだった。
大きな人工岩・芝生や本物の木・大きな丸太やロープ等の遊具。
屋内の廊下のようなところからはガラス窓越しに彼らを見ることができる。小猿が窓に近寄ってきて座っている。幼児を連れた若いカップルがそれに見入って動かない。ガラス一枚の隔たりだけで同じような子供が向き会っている雰囲気!!かわいい。

がんがん音がする。何かと思えばバケツをたたいて遊んでいるのがいる。その横にはチップを敷き詰めた黒く湿った地面があって、お猿さんたちが座り込んでなにか地面から探しては食べている。
思い思いの時間を過ごしているお猿さんたちを低位置から高位置までの様々な角度で見ることができる。星五つ、です!!

あちらこちらと、走り回った忙しい一日。見れなかった動物もいるけれど、みんなみんなさようなら・・・又いつか会いに来るよ。
旭山動物園の飼育員の皆さん、動物達とのこんなすばらしい出会いをありがとう。

PS もぐもぐテラス(レストラン)もよかったよ!

旭山動物園・チンパンジー

2007-05-26 00:18:13 | 北海道
いまだに、あれがチンパンジー?と、信じられない気分になる。

屋外の施設は、夏期とは言えまだ寒い日のゆえか使われていなかった。で、屋内にいるチンパンジーを見る。チンパンジー館の入り口を入ると左側に大きな空間。それがガラスで囲われている。巨大なガラスの部屋の中が、木組みされ遊具などが置かれてチンパンジーが思い思いのことをしている。頭を上げて、上のほうにいるチンパンジーを眺める。幼稚園の参観日のような気分!

ループ上になった通路を上りながら歩いていくとぐるりと回って、ちょうど今まで眺めていた場所の反対側に出る。チンパンジーの部屋の裏側で、今まで眺めていた場所よりグーーーンと高い、2階の位置にいるということ。
そしてこの通路には大きな窓がいくつも作られている。あたかも隣のおうちの室内をのぞく感じ。失礼します。

わーー、ほんとに、お隣さん。手の届く位置(地面からみたら非常に高い位置)にうずくまっている黒いかたまり。あの、ロダンの考える人のうしろ姿のよう。ちょっと猫背で、黒々と見える。こんなに大きいとは!! 思いもしなかった。
何かを抱えているような。あっ、赤ちゃん。最初はしっかり抱きしめて一体に見えていたのが、赤ちゃんが動くので、逆光の中影のように小さな頭や手の輪郭が見えてくる。入園者がみな顔をガラスにくっつけるばかりにしている。中から見れば、これは又、面白い風景に違いない。

子供を抱いた姿は、人以上に人らしく、心を打つものがあった。
ほんとにチンパンジーなの?と今でも思ってしまう。

旭山動物園・ホッキョクグマ

2007-05-25 00:51:07 | 北海道
しろくま君も見飽きなかった!
昔々に行った動物園では、コンクリートの岩場と気持ち水たまり的プールに退屈そうな白熊がいた、ような・・・おもいでが。

白熊館に入って、思わず水族館みたい、と思った。広い一枚ガラス(ショーウインドウというべきか)が広がっている。前方は人間の胸ぐらいまでの高さに水、水槽になっていて、水中と後方の岩組みが同時に見える。水の飛まつがガラスに飛び散っている。
白熊君たちが岩場に寝転んだり登ったり。毛がほこほことして、白い熊さん達が美しい。大きい。こんな近くで見ることができるなんて!子供で無くったって、感激!!

しみじみ眺めれば・・熊さんの顔がこんなに尖がっているとは思わなかった。なんて厳しい目をしているんだろう・・こちらをにらんでいるのかもしれない・・・
と、熊さんが飛び込んで水中を泳ぐ。目の前を泳いでいる。別の生き物みたい。足の裏が見えて,肉球というのかしら、黒い点々がかわいい。

離れがたい気分。でも、あの有名な「シールズアイ」を体験しなくてはと地下の通路へ。長い列ができていて、その先に丸いブースがある。大人用と子供用一つずつ。それぞれに3人ぐらいが入れる。中に入ると上部が透明ガラス(?)のカプセルになっていて、首から上が地面に出る。同じ目線で熊さんを見ることができる。アザラシの気分を味わってください、と、言う所以。tesyukeは遠くに座っている熊さんしか見なかった。それでもカプセルをぺろぺろなめられたらと、想像するだけでも、わーーお、という気分。

外に出ると、カプセルの出ている地面を、違う角度から見ることができた。顔だけが地面に出ているのってとってもおかしい。見るのに一生懸命な顔つきが、又おかしい。あっ、なんて運のいい人だろう! 熊さんがカプセルに近寄っていった。

熊さんと見つめ合えなかったけれど、ご満悦・ご満悦。