阿寒湖からは十勝川温泉!へまっしぐら。北海道のドライブは渋滞知らず!
途中、ちょっと道をそれて池田のワイン城へ。屋上から広々とした景色を眺める。ブドウ畑が広がってそろそろ摘み取りの季節のようだ。
道すがら(季節外れの)ひまわり畑がいくつもあって、陳腐な言い草ながら黄色い絨毯のよう・・(写真)。これらは小麦などの刈り入れ後に植えられ、そのまますき込んで肥料にすると言う(緑肥と言う)。
根室から長距離を走ってきて、長い一日が終わる。十勝平野の真ん中十勝川温泉に来て正解だった。
ここは珍しいモール温泉。曰く、遥か太古の時代より、葦などの自生植物が長い時間をかけて堆積した亜炭層から湧出する温泉で、植物性(モール)の有機物を多く含み、肌への刺激が少なく、一般の温泉にくらべ天然保湿成分を多く含むため、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯として知られている、ですと。
9月3日最終日。後は千歳空港へ行くだけののんびりした朝。
まずは帯広へ。帯広百年記念館がお目当て。何度も来ているhus.のおすすめ。十勝開拓に尽力して人たちの資料が展示されている。もちろん晩成温泉で立ち寄った依田勉三のものも・・
この依田勉三の開拓団体・晩成社が現在の帯広に始めて開拓の鍬を下ろしたのが明治16年。それから丁度100年目の昭和57年にこの記念館は建設されている。開拓の歴史も分かり、見がいがあった。
展示の中でもっとも感銘を受けたのは、晩成社の一員だった渡辺勝とその妻カネの話。A・S・ランドーと言うイギリス青年が、北海道一周の冒険旅行中に出会ったこの夫婦のことを描いた一節が、展示されていた。1893年ロンドンで出版された本、≪エゾ地一周ひとり旅("Alone with the hairy Ainu. Or, 3,800 miles on a pack saddle in Yezo and a cruise to the Kurile Islands")≫の中の一節。
ランドーが帯広に着いた時、帯広には7軒の家があった。そのなかの1軒に入って彼は驚く。
外観はみすぼらしい住居だが、中は清潔。出てきた美しい婦人の容貌といい立ち居振る舞いといい、日本の内地の上流階級と同じように洗練されていたから・・・・。
ランドーも驚いたが渡辺夫妻も驚いた。ランドーは彼らがここに住み着いて以来9年目にして初めて会う文明人。渡辺夫妻は高等教育を受けた人たちで、英語をしゃべった。
ランドー曰く、私の人生において渡辺夫妻ほど文明的で親切で、思慮深く寛大な人々に出会ったことがない。あえて言えば、文明は未開人を悪に導き、未開の生活は文明人を善に導くのではないだろうか。その親切によって、私の良い友人となったこれらの優しい人たちのことは、別れた後も深い親愛の情を持って忘れることはないだろう・・
渡辺カネは、開拓地で先ず(寺子屋のようなものをつくり)子ども達に勉強を教えはじめたと言う。十勝開拓の母と呼ばれている。
100年以上も前にこんな人たちがいて、こんなエピソードが残っていることに、不思議な感慨を覚えた・・・
この記念館のあるのは緑ヶ丘公園と言う大きな複合公園で、素晴らしいところだった。木々の間を散歩しているとリスが出てきたりして、ちょっとアメリカのボストンの公園を思い出した。市街は散策してはいないが、帯広って不思議な町だなーーと思う。都会なのに、都会らしからぬ空と空気がある。関西にいてずっしり水分過剰的生活をしていると、ここがやけにからっと日本らしからぬように思える。
とにかくここは帯広、「六花亭」に立ち寄る。マル製バターサンドの包装のことも理解が深まった。お菓子を詰め込んだ「十勝日誌」。松浦武四郎の本を模していること,取り出したお菓子のいくつかが十勝開拓に由来するネーミングと言うことも知った。
どうやらtesyukeも(hus.の策略に引っ掛かったか),明治初期の北海道に興味がわいてきた・・
来るたびに北海道の違った側面が見える。北海道はやっぱり大きい!
途中、ちょっと道をそれて池田のワイン城へ。屋上から広々とした景色を眺める。ブドウ畑が広がってそろそろ摘み取りの季節のようだ。
道すがら(季節外れの)ひまわり畑がいくつもあって、陳腐な言い草ながら黄色い絨毯のよう・・(写真)。これらは小麦などの刈り入れ後に植えられ、そのまますき込んで肥料にすると言う(緑肥と言う)。
根室から長距離を走ってきて、長い一日が終わる。十勝平野の真ん中十勝川温泉に来て正解だった。
ここは珍しいモール温泉。曰く、遥か太古の時代より、葦などの自生植物が長い時間をかけて堆積した亜炭層から湧出する温泉で、植物性(モール)の有機物を多く含み、肌への刺激が少なく、一般の温泉にくらべ天然保湿成分を多く含むため、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯として知られている、ですと。
9月3日最終日。後は千歳空港へ行くだけののんびりした朝。
まずは帯広へ。帯広百年記念館がお目当て。何度も来ているhus.のおすすめ。十勝開拓に尽力して人たちの資料が展示されている。もちろん晩成温泉で立ち寄った依田勉三のものも・・
この依田勉三の開拓団体・晩成社が現在の帯広に始めて開拓の鍬を下ろしたのが明治16年。それから丁度100年目の昭和57年にこの記念館は建設されている。開拓の歴史も分かり、見がいがあった。
展示の中でもっとも感銘を受けたのは、晩成社の一員だった渡辺勝とその妻カネの話。A・S・ランドーと言うイギリス青年が、北海道一周の冒険旅行中に出会ったこの夫婦のことを描いた一節が、展示されていた。1893年ロンドンで出版された本、≪エゾ地一周ひとり旅("Alone with the hairy Ainu. Or, 3,800 miles on a pack saddle in Yezo and a cruise to the Kurile Islands")≫の中の一節。
ランドーが帯広に着いた時、帯広には7軒の家があった。そのなかの1軒に入って彼は驚く。
外観はみすぼらしい住居だが、中は清潔。出てきた美しい婦人の容貌といい立ち居振る舞いといい、日本の内地の上流階級と同じように洗練されていたから・・・・。
ランドーも驚いたが渡辺夫妻も驚いた。ランドーは彼らがここに住み着いて以来9年目にして初めて会う文明人。渡辺夫妻は高等教育を受けた人たちで、英語をしゃべった。
ランドー曰く、私の人生において渡辺夫妻ほど文明的で親切で、思慮深く寛大な人々に出会ったことがない。あえて言えば、文明は未開人を悪に導き、未開の生活は文明人を善に導くのではないだろうか。その親切によって、私の良い友人となったこれらの優しい人たちのことは、別れた後も深い親愛の情を持って忘れることはないだろう・・
渡辺カネは、開拓地で先ず(寺子屋のようなものをつくり)子ども達に勉強を教えはじめたと言う。十勝開拓の母と呼ばれている。
100年以上も前にこんな人たちがいて、こんなエピソードが残っていることに、不思議な感慨を覚えた・・・
この記念館のあるのは緑ヶ丘公園と言う大きな複合公園で、素晴らしいところだった。木々の間を散歩しているとリスが出てきたりして、ちょっとアメリカのボストンの公園を思い出した。市街は散策してはいないが、帯広って不思議な町だなーーと思う。都会なのに、都会らしからぬ空と空気がある。関西にいてずっしり水分過剰的生活をしていると、ここがやけにからっと日本らしからぬように思える。
とにかくここは帯広、「六花亭」に立ち寄る。マル製バターサンドの包装のことも理解が深まった。お菓子を詰め込んだ「十勝日誌」。松浦武四郎の本を模していること,取り出したお菓子のいくつかが十勝開拓に由来するネーミングと言うことも知った。
どうやらtesyukeも(hus.の策略に引っ掛かったか),明治初期の北海道に興味がわいてきた・・
来るたびに北海道の違った側面が見える。北海道はやっぱり大きい!