goo blog サービス終了のお知らせ 

Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

ボストンの思い出①ノーマン=ロックウエル美術館・世界は狭い。

2012-07-28 15:55:44 | ボストン

とりとめなくボストンの話が出てきてもよい様に《ボストンの思い出》と言うトピックを立てることにした。

で、今回。2006年のタングルウッドからの帰途。師匠たちはボストン在20年近いとかで何でも御存知。師匠妻が、独断と偏見でどうしても連れて行きたいところがある!と、のたまう。私大好きなんです・・・と、行き先は《ノーマン=ロックウエル美術館》。す・すみません、誰ですって?と、tesyuke。アンディ・ウォーホルとグランマ・モーゼスしか知りませんって。

タングルウッドからは、ボストンフィルの演奏も終わり・ランチも食べ終わり・お土産も買って・と言った時点で、まだまだチケットの時間の許す限り楽しむと言う人たちをおいて引き上げる。もちろんそのまま夜の演奏会を聞く人たちもいるのだろう。往路は特急で飛ばしてきたので、帰路はあちこちの名のある町に寄ってくれたり、名物と言うものを食べたり・・・・、持つべきものは名ガイド!

ノーマン=ロックウエル美術館は、ご多分にもれず(アメリカなので)広大な敷地の中のしゃれた建物(写真)。離れのようなかんじで古い彼の画室が移築されていた。現代の絵画に関しては語るすべを持たないtesyukeだが、ロックウエルの絵には、アメリカの、とやっぱり冠をつけたくなる。しかし一時代を築いた人だけに、見ればひきつけられるものがあって、寄ってくれてありがとう、だった。tesyukeが知らないだけでアメリカでは人口に膾炙している美術館なのだろう・・・・結構たくさんの入場者がいてびっくりだった。

そんな中、もっとびっくりしたことが・・・・。Musumeが、こんなふらっとはいった美術館で見知らぬ男性と談笑しているではないか!!紹介するわ・・・とて、大学の同級生の***君です、と。**(旧姓)さんと違いますか?と声をかけられたのだとか。ヒエーーーィ、何で又こんな場所で・・・はじめまして・・・なんやねんと思いつつ、聞けば、これこれしかじかと。

彼は秋からMITで研究生活を送ることになり、先日ボストンに到着。今日はタングルウッドの小澤の演奏会に連れて行ってもらうところで、時間が早いので、途中この美術館に立ち寄ったのだとか。行きと帰りが丁度ここで交錯。人ごみ?の中、昔なじみに似た女性が・・・・。声をかけた彼もかけられたMusumeもびっくり。まさかこんなところで旧知に出会うとは・・・・世界は狭い。


タングルウッドの思い出:小沢征爾さんのこと

2012-07-16 10:05:22 | ボストン

小沢征爾さんがタングルウッド音楽賞受賞のニュース。思い起こせば2006年2007年と2回タングルウッドに行った。タングルウッドは、 ボストン交響楽団の夏の練習場のあるところで、マサチューセッツ州のレノックスと言う町にある。レノックスは避暑地として有名で、同じマサチューセッツ州でもボストンは東の端、こちらは西の端の州境にあり、ニューヨークからとボストンからは、同じ位の距離だとか。

そこで毎夏行われるのがタングルウッド音楽祭。2006年は娘達のボストン暮らしの指南役、師匠(と、彼らは呼んでいる)カップルが予定を組んでくれ、音楽祭に出かけることになった。すでに帰国しているクラシックファンのhus.が聞いたらきっとくやしがることだろう!とにかくここだけよ・・演奏をピクニック気分で楽しめるのも・・・お酒を飲みながら聞けるのも・・と聞かされる。アメリカでは屋外でお酒は飲めないので(家の庭は別)タングルウッドはとにかく特別な場所らしい。

夏の間いろんな演奏会が催されるが、今回はボストンフィルを聞くため。とにかく師匠達が今日を選んでくれた理由・・・・小澤征爾復帰後の初タクト・・・・・と言うことだったのだ。病気で長く休養なさっていたのが、今日から復帰!(もっともすでに何回かタクト振られたらしいが・・)。そして昼間は練習風景・夜間は正式な演奏会。それぞれに違うチケットが発売される。

師匠いわく《なんたって、タングルウッドの醍醐味は、「芝生の上で音楽を聴く」こと!》。芝生の上で自然を満喫しながら、ワイン片手に演奏を楽しみましょうと、師匠のチョイスは昼間の練習風景を見る(聞く)日帰りバージョン。ボストンからは車で片道3時間強ということで早朝出発。ピクニック用品一式・ランチ・ワイン・スイート等々遊ぶものから食べるものなんでも車に積み込んでレッツゴー。

タングルッドに着いてチケットを提示し敷地内に入る。まるで森の中!緑あふるる広々とした場所でお好きにお過ごしください・・・・と、言うコンセプト。広大な芝生にはピクニック気分の大勢の人々がすでに来ている。シートを敷いたりパラソルを立てたり、パイプ椅子をすえたり、思い思いに場所取り。子供もたくさん来ていて、おもちゃも持参。この広大な芝生の前にコンサート会場がある。

演奏はまだ始まっておらず女性陣は探検に出発。幾棟もの建物があり、中の一つが 《Seiji Ozawa Hall 》 (ソニーの)大賀さんが命名した旨のプレートがはめられている。・・・一番寄付のの多い人が命名できる決まり・・・だとか。うろうろした後、芝生に戻る。すでに、男性陣が会場内に席を確保してくれている。もちろん中で聞いても外で聞いてもOK、出入り自由。が、スタート前はほとんどの席は人でうまっている。(多分夜間は指定席になるのだろう。)

ところで、演奏会場と言うのがユニーク。屋根だけで正面を除いて三方に壁が無い!クーセヴィツキー・ミュージック・シェッド:5100席。後方に広がっているのが、席取りをしたあの芝生。演奏はシェッドから流れ出て、どこででも聞ける。椅子に飽きたら芝生でワイン。寝転びながらもOK。tesyuke達も出たりはいったり、日本では絶対味わえない雰囲気を楽しんだ。マネの草上の昼食を思い出す。日本にも野外能とかあるけれど、飲食可というのは・・・。いやしかし、劇場(歌舞伎)では観劇しながら飲食もOK・・・うーーん・・・??

程なく、ボストンフィルの練習開始。小澤征爾さんが真っ白いシャツでタクトを振る。通によると、練習風景の方が面白いんだ・・とか。行きつ戻りつの演奏。曲目は忘れてしまったが、小澤さんのシャツの汗が忘れられない。少しぬれてきた・・・だんだん広がって・・・終了時には真っ白なシャツの背中一面が汗でびっしょり。これには感激した!!

付け加えれば、2007年はクラシックファンのhus.のためにもう一度タングルウッド音楽祭に出かけた。二回も楽しんだtesyukeはもうけもの!!

写真:シェッド内は写真撮影禁止。師匠が最後尾の外側から超望遠レンズで撮影。ガードマンに見咎められたが、まあいいかと・・。練習終了時の小澤さん。

 


アメリカの詩人ロングフェローの家

2012-02-05 21:46:32 | ボストン
シンシナティを西部の女王都市とたたえた詩人のロングフェロー。
えっ、ロングフェローだってと、tesyukeはびっくり。こんなところで彼の名を聞くとは!
アメリカの詩人なんて・・知っている名前と言えばホイットマン位。
かすかに耳をかすっていたのがロングフェロー。アメリカの独立戦争時の英雄《ポール・リビア》の勇敢な行動を詩にあらわした人として。でも、ただそれだけ。

「ポール・リビアの騎行(Paul Revere's Ride)」
この詩はアメリカ中で最もよく知られている。
・・冒頭部分・・
Listen, my children, and you shall hear   お聞きよ子供達。これは聞いとくべきだよ
Of the midnight ride of Paul Revere,     ポール・リビアの真夜中の騎行の話だ
On the eighteenth of April, in Seventy-Five; 時は1775年、4月18日の夜
Hardly a man is now alive           今はもうだれも生きてはいないよ
Who remembers that famous day and year    その有名な日と年のことを憶えている人は
On the midnight ride of Paul Revere     ポール・リビアの真夜中の騎行

2006年の夏を、ボストンのケンブリッジ地区(ハーバード大学の近く)で過ごしていた・・
始めてのボストンで、一人で歩いて遠出はちょと・・・・状態のころ。いつもハーバードの構内を横切って、地下鉄の駅まで歩いて行き、ボストン側の観光地へといっていた。で、毎日ケンブリッジの地図をながめては、一人で動けるように土地勘を養っていた。そんな折地図上の住宅の一角に印が!おっ、国家史跡だって。何々、ロングフェローの旧居?
ハーバード大学と平行して幹線道路(その下が地下鉄?)があり、その道路の反対側に大きな公園(ケンブリッジ・コモン)がある。たまには歩いているその公園とチャールズ川の間が住宅地となっている。そこにロングフェロー邸がある。

ボストンといえばボストン・コモンが有名だが、ケンブリッジ側にも同じような公園でケンブリッジ・コモンがある。聞けば1631年に家畜を放牧したり、市民軍を訓練したり、集会を開いたりするための場所として設けられたものだとか。ボストン・コモンと前後して作られたようだ。ケンブリッジ・コモンで驚くのは、ワシントンの銅像と記念碑があること! 
最初、ワシントン! 何故? ボストンと何か関係が?と、思ったのだが・・・・
ここは独立戦争のさなかにワシントンが宿営し、指揮をとったところだとか。これだけでもかなりわくわく。
***ボストンはアメリカの歴史のゆりかご。いずれいろんな見聞を書きたと思っている***

ケンブリッジ・コモンを横切り住宅地の通りを確認しながらロングフェロー邸へ。
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローはアメリカの国民的詩人。(1807年2月27日 - 1882年3月24日)
優秀な学生だった彼は言語学の研究のためヨーロッパへ何度か出向いており、最終的に1836年にアメリカに戻り、ハーバードの教授となる。1837年この家に間借り。1843年に二度目の妻と結婚したとき、妻の父が結婚祝いにこの家を買い取ってロングフェロー夫妻にプレゼント。以来40年をここで過ごす。

人っ子一人もいない静かな住宅地を、地図を片手に・・歩いていると、静かな公園にたどり着いた。あとでその名もロングフェロー公園と知ったのだが・・。その公園の中にはメモリアルスペイスといた場所があり、壁面には人物のレリーフがあり、中心に男の胸像。ははー、この人がロングフェローさんか・・と、いった感じ。この時点で、tesyukeは彼をアメリカの誇る大詩人と思ってもいない。そこから目を転じれば広々した公園のかなた道を隔てて立派なお屋敷が見える。あれが目的地か・・と、急ぎ門前へ。

ロングフェロー国立歴史地区 Longfellow National Historic Site

1759 House Built By Major John Vassal  1759年に建てられ
Headquorters of General George Washington 1775-1776  ワシントン将軍の指令本部
Home of Henry Wadsworth Longfellow 1837-1882  ロングフェローの住居

この家の前で又びっくり。独立戦争中にジョージ・ワシントン将軍が住んでいたのだ!

門はあいているので中に入っていく。が、今日は休館日・・建物の中には入れない・・残念!
家の周りを一周。庭園は自由に散策できる。綺麗に手入れされていて花が色々咲いている。裏庭へ回ると、リンゴの木もあって、小さな実がたくさんなっている。
あらあら、その木に若い女性の顔がのぞいている。こんにちは・・・
ロングフェロー邸の庭の手入れに来ている庭師さんだとかで、この女性も国立公園のレインジャーさんなのかもしれない。
この木は林檎ですか?と聞けば、サワー・アップルですっぱいので食用にはなりません。ジャムなんかにしますとのこと。

日がかげって、あっという間に夕暮れ。早く帰らなくてはとロングフェロー邸をあとに。
往路に輪をかけての恐ろしさ。だーーれも歩いてない。長い塀が続く。日は落ちてうす暗くなってきた。musumeが朝に言っていたことを思い出す。大学の管理部から連絡メールが来てたわ。最近このあたりで事件がおきたので、全学教職員・学生気をつけて下さい、だって。とにかく、地元民には見えないんだから十分気をつけてね!

コツ・コツ・コツ・コツ。あーー、後ろから靴音が。だれやーー。こわーー。
恐る恐る振り返ると、それは仕事を終えて家に帰るあの庭師さん。あーよかった。ハイ!又会いましたね。ちょっと写真取らしてもらってもいいですか?
素朴な感じの良い女性だった。(というより少女のような感じ)

ケネデイのバースプレイス(ケネディ巡礼2)

2011-08-08 12:12:53 | ボストン
地下鉄グリーンライン。これは何本かに枝分かれしているので乗り換えにとっても気を使う。Coolidge Corner駅下車・・・・・向かった先はケネディのバースプレイス。2006年8月のこと。メモを片手にHarvard St.を北へ、Beals St.を右折。初めての道は長く感じられ、午前中とて、すれ違う人もいない。結構緊張する! Beals St.を曲がって、ここでいいんやろな・・と思いつつきょろきょろ右側の家をチェックしながら歩く。

tesyukeが居たハーバード大学近辺の住宅地に良く似ていて、木々に囲まれた閑静な住宅地。木々のせいで道は薄暗く、その両側にこざっぱりした家々が並んでいる。全体にフロントヤードが狭く、道から奥まったところに家があるのではなく、歩いていれば家の玄関が自然と目に入る。それでも木々に加減良く隠されあらわに見えるというわけではない。とってもイギリス風の感じ。

tesyukeはまだかまだかと随分歩いた。うんっ?、待てよ。確か星条旗を見かけなかったか? ひょっとして・・・と、引き返す。そこが生家!日本のように道に大きく案内板がでていたりしないので、気付かず通りすぎてしまったのだ。それにしても普通の家。ほんと、町並みに溶け込んでしまって・・・。
よく見れば、モスグリーンの家の植え込みの中の表示板にJohn Fitzgerald Kennedy National Historic Siteの文字。そしてケネデイの胸部がレリーフされた銅版。(写真・右下部)
しかし、玄関は閉まっている。何々、裏へまわれ・・と。

ひっそりとした裏側の見学者用入り口から入る。tesyuke 一人。チケットを買って一人で見学するつもりが、定時の館内ツアーを待つようにいわれる。(欧米は大体この形式が多い)
世界各国からの見学者が多いのか、英語だけでなく多言語でパンフレットがつくられている。
tesyukeも日本語版をもらう。表紙にこうある。
《ジョンF.ケネデイ 国家史跡》
ローズ・ケネディ夫人が語る思い出話・・・
ジョンF.ケネデイ 国家史跡は、米国35代大統領の生誕地を保存し皆様にご紹介するものです。
そして内容は、ローズ夫人が思いで話を交えながら各部屋を紹介するという趣向。

又、パンフによればこの家はケネディ大統領の死後、1966年にケネディ家によって買い戻され、母親のローズ夫人の細かな監督の下に1917年当時の姿に復元された後、国に寄贈されたのだとか。で、現在の管理者は内務省国立公園管理部。それで、納得。ここの職員(?)さんはパークレインジャーと呼ばれている。
tesyukeが静かに座って待っていると・・レインジャーさんがやって来て、今日たまたま日本語のできる者が来ているので、もし良ければ彼がご案内します・・
渡りに船・・ラッキー。

若い男性がやってきた。数年前まで日本の英会話スクールで英語を教えていました・・
流暢に日本語を話す。各部屋の説明。ダイニングでは窓際に置かれた小さな四角テーブル。子供用に特別に作られたもので、幼児のジョンとお兄さんが向かい合って食事をしたとか。食器・カラトリーは当時のもの。(幼児にもきっちりとした食事マナーをしつけたと言うこと)
二回の踊り場にはケネデイ大統領の両親の結婚式の写真等・・多々。彼がにやっと笑って曰く。ローズ夫人(花嫁)とお父さんのツーショットが多いだろう? お婿さんの陰が薄い。
花嫁の父は当時のボストン市長。おおもの。主役です、と。(花婿・ケネディ大統領の父に取ってはステップアップの強力なコネクションを得たということか?)

主寝室の窓際の方のベッドを指して、あそこで大統領は生まれました。お兄さんを除いて3人までこのベッドで生まれています。大統領の兄弟姉妹は本人を入れて9人です。
ひえーーー! ローズさんそんなに沢山生まはったんや! 
無痛分娩ですよって(楽と言いたいのだ)。
tesyuke再び、ひえーーー!・・・日本で言えば大正時代。無痛分娩で子供を生んだと言う話を今だって日本ではあまり聞きません・・がな・・。

子供部屋には、大統領をはじめ子供達が順番に使ったと言うゆりかごが置いてある。子供が沢山いたのでローズ夫人は一人ずつ子供用の《健康管理カード》を作っていたとか。そのカードを入れるボックスがこれ・・9人の子の過去と現在の健康状態について、予防接種や病歴等々細やかに書き込んであり、一番書き込みの多かったのが大統領です。と、彼。(すばらしい)
三階には、お手伝いさんの部屋も。キッチンには、例の懐かしい料理用ストーブ。チラッと見かけた、冷蔵庫(もちろん氷)の大きさにはびっくり!

ツアーも終わり、レインジャーさんが良かったらこれも書いてくださいと机の上のノートを指し示す。見学者の割にはノートの記入者が少ないのでは? なんと、大統領の暗殺された日のことを書くノート。そりゃ、少なくとも当時10歳以上位でないと思い出の中に定着はしてないだろう。書ける人は少数。こんなところで英作文か?と思いつつ、ぺらぺらめくると日本語のものが結構あってtesyukeも日本語でむにゃむにゃ・・と。

ちょっと余談・・ボストンの地下鉄

2011-08-07 14:04:55 | ボストン
ボストンはアメリカで一番歩いて楽しい街と呼ばれている。("America's Walking City")
歩いて十分回れる所に歴史的な建物が目白押し。おまけに地下鉄を利用すれば楽にあちこちと出歩けられる。で、方向感覚まるでなしのtesyukeでも、毎日毎日地図と地下鉄の路線図を眺め暮らし、一人であっちこっちとう・ろ・う・ろできるまでに!(もっとも安全なところだけ)

地下鉄路線は四つで、ブルー、オレンジ、レッド、グリーンと色分けされている。2006年はケンブリッジ地区のハーバード駅が最寄駅だったのでダウンタウンへ出るまではMITとか大学エリアを通り抜けていったん地下から出てチャールズ川を渡る。これがなんたって待ち遠しい瞬間。鉄橋をわたる間、川を挟んでボストンとケンブリッジの緑あふれる景観やビル群・川に浮かぶヨットや船が眺められる。この路線がレッドラインで、一番良く利用したものだ。
2007年はダウンタウンの中心と言える場所が拠点だったので、なんたって地下鉄の基点パークストリート駅から乗り降りでき、どこへ行くのも近くて便利・・だった。

パークストリート駅から一定距離までは駅もトンネルも、なんだか古さを感じさせる。中心部から路線がだんだん延長されていったのだろう、遠くへ行くほど駅が新しいし、とんでもなく長いエスカレーターがあったりする。聞けばここの地下鉄はアメリカで最も歴史あるもので1897年開業。100年以上もたった場所を乗り降りしていたのだと思えば、感激もひとしお。たしかパークストリート駅には歴史を語る壁画のようなものがあった。

ハーバード大学からダウンタウンまでのレッドラインは確実に100歳の路線。ハーバード駅を地上から薄暗い地下へ階段を降りていけば、そこは21世紀とは思えない。改札は鉄の回転式の棒。(出入り口に外国でよくあるやつ)自動改札に慣れた身には、時間がかかる・・。もちろん先にトークンと言う切符がわりのコインを購入、それを入れての話。当時で地下鉄の運賃はどこへ行くにも1ドル25セント。距離に関係ないアバウトぶりにびっくりしたものだ。
しかし、レッドラインを郊外の住宅地でもあるクインシー・ アダムズ(Quincy Adams)駅まで乗ったときは、一律料金んのトークンでなく距離に応じた別料金のカードを購入して日本と同じような自動改札で外へ出た。おやおや!

2006年夏はトークンで乗る地下鉄最後の時期だったようで、つぎの夏(2007年)には、えっカード?と、全線クインシー・ アダムズ駅状態になっていてびっくり。2006年12月まではトークン、2007年からはチャーリー・カードと言う名前のプリペイド・カードに変更。地下鉄も進化していく・・。チャーリーカードはプラスチック製でチャージして使う。ほかに紙製のチャーリーチケット。これは旅行者用かな・・
あのトークンが懐かしい・・アバウトさがなくなって実質値上がりじゃないのかな? 

アバウトと言えば時刻表があるのやらないのやら。電車は時間通りにはこないもののようで、ようするに来る時に来る。だれもイライラしないしゆっくりと気長に待っている。電車も終点に着いたら一度清掃されて戻ってくると言うことはないので、忘れ物もそのままでいったりきたり。
ボストンコモンのインフォメーションのガイドさん・・・彼ら(男性も女性も)はビクトリア朝のドレスを着込んでいる・・・が、そのままの服装で地下鉄に乗っていることがあるんだって、と娘が言う。ふーーん、ほんまかいな・・。
夕方に乗ったレッドラインで一度遭遇・・やったー!彼女はいったい何の役回りをしていたのか、手錠をはずしていた!

写真:地下鉄パークストリート駅出入り口の中の一つ

I.M.ペイ氏そしてケネディ・ライブラリー(ケネディ巡礼1)

2011-08-04 15:50:23 | ボストン
アメリカのボストンのとある喫茶店。
アメリカ人の友達と会ったとき『ケネディ・ライブラリーへ行ってきましたよ。』と、tesyuke。
すると彼女は紙ナプキンに《I.M.PEI》と書き、おもむろにこう言った。『この人があの建物の設計者。ボストンにケネディ大統領記念ライブラリーを建設する時にコンペが行なわれ有名建築家が参加した。大物を抑えて選ばれたのが彼。ミセス・ケネディが彼を選んだ。それで無名の彼は一躍有名になったのだ。』と。そして彼はミホ・ミュージアムを始めルーブルのガラスのピラミッド等を設計する事となる・・・

で、件のケネディ・ライブラリー(John F Kennedy Library and Museum)。行ったのは2006年8月。
tesyukeは一応《ケネディ暗殺と日米初のテレビ衛星中継》がコインの裏表のように記憶の中にある世代。
ケネディ大統領の地元ボストンに来たからには、ケネディゆかりの地には行ってみたいものと思っていた。いつも利用している地下鉄レッドラインのハーバード駅と同じレッドラインのJFK/Umass 駅がケネディライブラリーの最寄り駅。とは言え、ケンブリッジ地区にあるハーバード駅からはダウンタウンに出るまでが一仕事。まずはチャールズ川を渡って地下鉄路線の起点のようなパーク・ストリート駅へ。そこからJFK/Umass駅へは同じぐらいの距離があるので30~40分の行程だ。

JFK/Umass駅を出ると、同じ方向に向かう人・人。若い世代も多い。ケネディ・ライブラリー行きのシャトルバスが待っている。これが無料! 着いた先は海沿いにそびえたっているガラス張りのパビリオン。
大きい・・(写真;全景はとても入りません)真夏と言うのに天上の高い建物はひんやりとして靴音が響きそう!! 入場料10ドル。(当時・レートは多分120円弱位か? 隔世の感あり)

最初のブースは企画展で、このときはケネディのアイルランド訪問を取り上げていた。アイルランドの国の色緑色に埋もれて、ビデオの中で彼がスピーチしている。湧き上がる歓声!幸せな一瞬。
そして、ニクソンとの大統領選の展示に続く。4年ごとにテレビでおなじみの派手な選挙戦の原型か? 副大統領候補のジョンソンとのポスター・・有名なテレビ討論も・・にぎやかでまさしくおまつり!!

1960年代の選挙戦を長々・・嫌というほど見ていて・・気がついた。(低次元の関心事ながら)1960年代のアメリカ人はなんてスマートなんだろう。太った人がい・な・い。爾来半世紀、コーラの缶もバーガーも大きく、大きくなり、過摂取で脂肪の塊がいたるところについた感ありのアメリカン!(もちろん一部のかたです)

再現された大統領執務室(Oval Office)・・
ジャクリーン・ケネディにまつわる品々(ドレスとか)・・
ロバート・ケネディのブースも・・
ケネディ大統領の足跡すべてを展示して、その資料を通して、アメリカ国民が彼をいかに敬愛しているかが分かるしくみ。
tesyukeも3時間以上うろうろ、時間を忘れて見入ってしまった。

疲れた目を窓の外に向けると、海が・・そして芝生に設置された彼のヨットが見える。

ボストン美術館②

2010-07-04 10:35:08 | ボストン
tesyukeとhus.がボストン美術館へ行ったのは2006年の夏。
地下鉄グリーンライン(E)Ruggles St./Museum駅下車で降りて歩いていくと、ギリシャ神殿風の大きな建物が現れる。
国立の美術館でないという一点だけでもたいしたもの!1870年地元の有志によって設立され、アメリカ独立百周年にあたる1876年に開館した。民間の組織として運営されて、寄付でこれだけのものが成り立ってきたとはうらやましい限り・・。というより、文化に財を費やそうとする市民の成熟度に尊敬の念を抱く。

入館料20ドルだったか・・・。
広い!ので、館内地図を片手にハイライト部分を駆け足見学。
まずは、日本セクション。このときは大阪浮世絵の特集を組んでいた。(大阪で浮世絵が描かれていたとは知らなかった!)
エジプト美術セクション。ミイラ等も大英博物館のように量で頬を打つというのでなく、非常に美しい質の良い展示で、暗くした室内で輝いて見えた品々を今も思い出す。
そしてフランス印象派絵画の数々。日本人としては、日本趣味満載の絵“ラ・ジャポネーズ”(1875年、クロード・モネ)は見落とせない。

膨大な展示品に、・・雰囲気だけ味わったということにして・・と、最後はレストランに腰をすえることに。ミュージアムショップも大きく、ビジターがいろいろ買ってる買ってる(tesyukeも)。美術館も商業ベースで儲けるところでは儲けて、一大文化産業かもしれないと思ったりもした。
しかし、チケットを見ていて気がついた。10日以内だとリピートで入館できるとある。
数日後にはhus.が帰国するので、2枚のチケットを利用して、tesyukeはあと2回ボストン美術館に・・入館することが出来る。ラッキー。

というわけで、数日後に再び出かけた。
自分の思うままに広い館内を隅から隅まで(一応)見て回ったがボストン美術館での二日間だった。
厚みのある年代・国とそうでもない部分の違いを感じた。しかし今新設中の所もあり、まだまだ膨張増殖中のすごさ!
19・20世紀のアメリカ人が札束を切っても手に入れられなかった部分が弱点か?と思ったり。
不謹慎な話だが、19世紀にギリシャが財政危機に陥ったとしたら、各国美術館のギリシャセクションが充実したのでは------なーんて。(笑・スミマセン)

最後に、ボストン美術館といえば・・・何を思い出すか・・・と問われたら・・
展示品があまりにも膨大なため、とっても難しい。が、身近に感じられると言う点で印象派の絵画だろうか。
そして、一つだけとなると“ゴーギャン!”
美術館で視覚でなく《文字》に感銘を受けたと言えばしかられそうだが・・・・
あの有名な、タヒチの人々の群像《われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか》が、思い出される。
画家が事細かに絵の説明をしたとは思えないが、人間の生から死までが絵の中に凝縮されているとか。
これが単に《タヒチの人々》ぐらいの題名ならこれほどの感銘を人に与えただろうか・・
と言うことで、ボストン美術館といえば文字としての《われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか》が、思い出される!!

ボストン美術館 ①

2010-07-01 14:18:20 | ボストン

このところボストン美術館蔵のものを日本で見る機会が多い。ルノアール展でもそうだったし、大遣唐使展でも《吉備大臣入唐絵巻》が里帰りしてきていた。
tesyukeがボストン美術館に行ったときはこの絵巻は展示されておらず見ることは出来なかった。多分美術館の奥深く大事に保管されているのだろう・・・
ボストン美術館といえば日本の浮世絵等のコレクションなどで有名だし日本の美術品保存の一翼を担ってくれている存在!(微妙)

日本のものが外国の博物館・美術館の所有になっている場合・・・
時々『こんなところにおかれて・・・・(涙)』とか、『手入れ法わかってはるんかしら?』とか、悲しい思いになることが多々ある。
しかし、ボストン美術館に行ったときは、思わず『ありがとう』と、叫んだ。日本の美術品が非常に丁寧に最高の取り扱いを受けているのが感じ取れた・・・・

たとえば、仏像を展示してある部屋。たんなる彫像という存在がポンと置かれているのではない。一部屋が小さなお堂の内部のようにしつらえられていて、仏像も、旧居よりはこちらの方がのびのびですわと、そんな具合に祀られている。(後日、滋賀県・湖東三山の内・金剛輪寺に行った時、仏像の写真が貼られボストンでお暮らしですとあった。)

明治初年の日本に来た(大森貝塚発見の)モースがここへ日本での全蒐集品を寄贈している。岡倉天心もここに在籍して日本美術の収得維持に非常に寄与している。ボストン美術館での日本美術品の位置はひとえに岡倉天心の存在があったからだろうと思う。
それを顕彰して、小さな日本庭園「天心園」が作られている。
天心園は木の門から入っていく。(写真:男性は警備員)なかなか立派な枯山水の庭なのだが、見たときは何の感興もわかなかった(空気感が余りにドライなので、湿り気がほしい・・)、今から思えばあの地にあるという、その意義を感じなければ、と・・・
丁度夏休みの子供達が先生に連れられてやってきていた。誰かの胸に、ぽっと興味の種が根付くかも知れず・・それが大きな夢に成長するかもしれず・・天心の心意気はこうして生き続けるのかも・・


なれないところでパン作り ③

2010-02-01 22:33:05 | ボストン
tesyukeは2007年夏もボストンにいた。
ボストンのケンブリッゲ地区にいた娘が、むちゃくちゃダウンタウンのボストンの中心部に引っ越したので、様子を見に・・。tesyukeはケンブリッジ地区の方が、静かで大好きなのだが、新しいところは地名を聞けば誰もが、オー・ナイスと言うほど便利なところ。直近の地下鉄駅が、すべての路線の中心で、便利度ーーー全開!

ところで、この家から(郊外のほうに向けて)コインランドリーに行って、ちょっと足を延ばしたところに・・・
発見・とってもおいしいパン屋さん! ほんとにおいしくて、食べに行ったり買ってきたり、よく利用した。
娘にも、わーいいパン屋さん見つけてくれてーーと、感謝された。いつ行ってもはやっていて、テイクアウトと同じぐらいお店で食べている人も多い。

で、話は戻って、この年は、行く前からパン教室のオファー(た・たいそうな)が娘からあった。たくさん買い込んだタピオカ粉をボストンで消費しようとの魂胆でメニューのひとつはポンデケージョのバリエーション。もうひとつは、少し手のこんだもの・・しかし思い通りにいかないもので・・

パン教室の当日、奥さんと一緒にやってきた男性、≪僕、カレーパン食べたいんです≫と、ポーンと置いたのがレトルトのカレーパック。これで作ってほしいんだとか! カレーパンに飢えているんだとか!
おいおい、それはカレーといってもタイカレーですぞ・・・
つぼ焼きスープを作るのではあるまいし・・そのカレーは、ほぼ液体。どうせよと?

しかーーし、遠く日本を離れて幾星霜?? 彼の願いを聞きとげてあげましょうと、やさしいtesyukeはメニューの一つを変更。イヤー、ちょっといいとこ見せたかっただけ・・
もちろん、生地はできる。パン粉も作れる。包み込むカレー種が問題。冷蔵庫の中からありとあらゆる放り込めるものを見つけ出して、しゃぶしゃぶのカレー液に入れていく。調味料を加え、味を見る。攪拌・追加・味見・・・マイルドな味のおいしいフィリングが出来上がり。これはできすぎ!

みんなで包み込んで・・発酵させて・・揚げる、揚げる。
彼の前に、どーーーーんと、カレーパンの山築きました!
自画自賛・手前味噌(カレー)・何とでもおっしゃいと、言いたくなるほど、お・い・し・い・カレーパンだった。しかし二度とは作れない幻のカレーパン。
どうして写真を撮らなかったんだろうと悔やむ・・形も色もパーフェクトだったのに・・
思えば、あれ以来、カレーパン食べてないな・・・

なれないところでパン作り②

2010-01-31 13:54:08 | ボストン
ところで・なれないところでパン作り・tesyukeの場合。・・・一挙に2006年のボストンへ・・ワープ。

2006年の夏は1ヶ月ボストンにいたのだった。娘の家がボストンのハーバード大学のそばだったのでいつも出かけては地下鉄の‘ハーバード駅’で降りて大学構内を横切って帰ったものだ。が、もう一駅先まで乗って‘ポーター駅' で降りると、ビルの一角に小さなスーパーマーケットがあった。そこがむちゃくちゃ和風な名前の≪寿屋≫。そこへ行けば日本のものはたいてい手に入る。(まーーすべて高いけれど・・)食材もお菓子も雑誌もなんでも。

寿屋が入っているビルには、日本料理屋さんも何軒かあって、その一画はミニ・ジャパンエリア。
で、そこにはパン屋さんもあった!! あんパンが輝いていた! そこにはやわらかい日本のパンがそろっていた!(値段高いけれど・・日本の1.5倍位強。)
そのパンを見て・食べて・感激・・という事は、こちらでは(日本人的に)あんまりおいしいパンにはお目にかかれない・・という事。

そんなことがベースにあるからか・・
娘が‘パンを自分で焼きたいという友達’ がいるから教えてあげて!とtesyukeniに言う。
で、い・い・よ・い・い・よ・と即席パン教室。
tesyukeにとってはまさになれないところでパン作り・・・実践編。
メニューは初心者むけで≪あんパンとテーブルロール≫。
21世紀は何かにつけ便利。インターネットから自分のレシピを引き出しプリントすればOK。華氏とセ氏だって変換数式をネットで引き出せばばOK。(さっさと自力で換算した彼には負けた!)

次は材料調達。小麦粉が問題。
日本のように薄力粉・中力粉・強力粉と別れていない、ほとんどが各社の≪All Purpose Flour≫。
なんにでもむくとは、ラフやなーー! それに、ケーキやマフィン用のミックス粉が棚にズラリ。
とにかく、たんぱく質の含有量をチェックする。オールパーパス粉でたんぱく質含有量10〜11.5%位。菓子パンを作るには大丈夫。そして、なんとかパン用の粉も手に入れたが、よっぽど探し回らないといけない。あんパン用のあんはどこで買ったんだろう?記憶が無いが、多分寿屋?

ある器具を断るのでなく、無いものは無いままに(なんにも無い中)、捏ねて・発酵させて・成形しましたよ(さすがと自画自賛)。しかーーし、ボストンがこんなに乾燥しているとは思わなかった。
生地を作るのに日本より2・3割増しの水分が必要だった。ここがポイントで、とにかく乾燥させないように気を使う。最後はオーブンが問題。何とかクリアして、おいしいパンの焼き上がり!!!
tesyukeもボストンでパン屋さんになろうかしら・・なーーんて!

ボストンのことを思い出すとなつかしいーー
が、悲しいおしらせも。あの寿屋2009年5月閉店!したとか。なぜ???

レッドソックス勝利そしてボストンのフリーぺーパー

2007-10-22 22:49:10 | ボストン
レッドソックス勝ちました!!
阪神がよろけちゃったので残るはレッドソックスのみ・・・の心境だった。
松坂が崩れませんように、打たれませんようにと、祈る思い。
よかった!!フェンウエイ球場がどんなに沸き立っているか・・よかった!
明日の新聞、松坂と岡島のツーショットがフリーパーパーの一面を飾ることだろう。
日本にいるから手に入れることはできないが・・・うっ・・

ボストンにいてびっくりしたのは、いたるところに人が立って、ただで新聞を配っていること。地下鉄の入り口、街角、エトセトラ。そして無料の新聞スタンドも。
毎日毎日こんなに紙くず製造して・・・街中ごみだらけやがな・・・エコ・エコでっせ・・・資源の無駄遣いや・・・と、tesyukeは思った。が、大都市だけのことかもしれない?

沢山あるフリーパーパーにもランクがあるらしくて、metro紙はまあ中身のある方とRは言っていた。
tesyukeは最初、新聞の売り子が多いなーーとぼんやり思っただけで、無料で配っているとは思ってもみなかった。が、ただと分かってから結構もらった。
中でもヒットは、8月15日フェンウエイ球場へ行く道中でもらった“metro game day ”

普段のmetro紙にもスポーツ欄はあるが、metro game dayは一面からびっしり、すべてレッドソックスの記事ばかり!
An official publication of the Boston Red Sox と書いてあるのでレッドソックスの広報みたいなものなのだろう。とにかく前日に9回サヨナラ勝ちして、球場中が沸きに沸いたので、紙面も喜びに満ちあふれた感じ。(掲示の写真が一面)で、ここに松坂と岡島の笑顔が乗るんじゃないかとtesyukeはひそかに期待しているわけ。(やっぱり一面はシャンパンかけでしょうかね・・)

metro紙が、レッドソックスの試合のある日だけに“metro game day”を出しているようだ。と言うのも、真ん中のページが、左側にデビルレイ、右がレッドソックスのスコアカードになっている。メンバー表も載っていて,観戦にとても役立つ。
松坂が投げる予定だからか最後のページは緑地に白抜きで三振と日本語で大きく書いてあった。ボストニアンにはこれは何?と、いう感じかもしれないが、tesyukeは、ここがアメリカと言うことを忘れそうになった。
松坂はと言えば、“Julio, Dice-K, Coco the three stooges”というキャプションで真ん中で手を組んで笑っている写真がのっていた。

レッドソックス東地区優勝

2007-09-29 23:45:32 | ボストン
朝から、レッドソックス対ツインズの試合を見ていた。
こちらは朝だけど向こうはナイター。一週間前にボストンの気温13度と聞いていたので、夜ともなるとイヤーー寒いでしょうね。防寒具が必要かも?
が、寒さを吹っ飛ばすほどの熱気が画面から伝わってくる。
ウエーブが球場をまわっていくのが見えるし、レッツゴー・レッツゴーと言っているのも聞こえて、臨場感満点。
ちょこちょこヤンキースの試合結果が入る。レッドソックスが勝ってヤンキースが負けたらレッドソックスの地区優勝と知っているので、球場全体湧きに湧いている。

松坂の最終試合。15勝しますようにと思いながら見ていた。あれだけ鳴り物入りで行って、プレッシャーに負けず一応結果を出せて、よかったね・・・ 
今日は、岡島が出なくて残念だったけど。ボストンでは、オカジーと言われ‘岡島ファンやねん’というボストニアンに何人か会った。
tesyukeは松坂と岡島の活躍で優勝できたんとちゃう?なんて厚かましいけど思っている。(加入していなかったら、きっと結果は変わっていたでしょう?)

レッドソックスが勝った後、電光掲示板にヤンキースの試合を流して、結果を待っていた。8回で2点差。ヤンキースが勝っていたが誰も帰らない。しかし、ヤンキースが1点追加したとたん、帰り始める人が増えtesyukeもテレビを消した。
みんなレッドソックスの地区優勝はお預けと、思ったのだ。

夕刊見てびっくり。エッ、ヤンキース延長で負けたん・・
深夜のフェンウエイ・パークにファンが何人残っていただろう?なんて思う。
でも、レッドソックスファンなら結構残っていただろうなとも。
ともあれ、日本からエールを送っておこう。レッドソックスファンにね。
阪神ファンから見ると,他人と思えん贔屓チームへの情の深さ!!

レッドソックス・フェンウェイパークの思い出 ③

2007-09-27 23:30:05 | ボストン
レッドソックス地区優勝近いですね・・・(阪神は失速してしまったが・かなし)
フェンウエイの熱気が、ボストニアンの喜びが想像できる。フリーペーパーの大きな見出しが目に見えるよう・・
ウエーブが何周も何周も球場を回っているだろうな・・

8月15日の試合は、松坂の調子がイマイチで6回降板までに6点取られた。が、7回のホームランを皮切りに、8.9回と追い上げ、一打でれば同点か逆転と言うところまで迫った。そして最後は三振で負け。

点の入らない退屈な前半には、スタンドにビーチボールが飛び出し、観客がそれを順についておくっていく。ハプニングかと思っていたら、レッドソックスの調子が悪い時にはみんな退屈しのぎにビ-チボールで遊ぶんですと、Y君。わざわざビーチボールもって来る人がいるんだ!!

阪神の応援は鳴り物入りだけど、こちらは声だけ。相手の投手が変わって、レッドソックスが、がんがん打ち出すと、球場全体がバッターボックスの選手に“レッツ・ゴー。レッツ・ゴー。(手拍子で)タン・タン・タタタ。レッツ・ゴー。レッツ・ゴー。タン・タン・タタタ。”球場全体が唸り声を上げている。
阪神みたいに選手一人ずつに応援歌はないが、Julio Lugoの時だけは、“レッツ・ゴー。ルーゴー。タン・タン・タタタ。”だった。
ほんとに、一緒に手をたたいていると一体感が湧いてくる。

またまたY君の話。初めてフェンウエイへきた日本人が、味方の選手にブーイングしていたけど何故ときいてきたとか。 Kevin Youkilis 選手にみんなが“YOU“と、いっているんだとか。なるほど、確かに地響きのような“YOU“がブーと、聞こえんことも無い。

言い忘れたが、試合が始まる頃には、球場はびっしりの人で埋まって、赤く色づいて いた。
8・9回、ヒットが出ると、びっしりの人が揺れる。ウエーブが・・・まわってくる。全員立ち上がって応援。甲子園もたじたじ!
追い上げだした選手達、結構ファウル・ファウルで粘っていたが,観客も手を出してボールをつかむ、つかむ。ここでは、ファウルボールはもらってもよいんだとか。
ユニフォームを着たボールガールがフェンスの前にいて、ファウルボールを拾っては、前の席の子供達に手渡しであげていた。おっちゃんたちが、こっちに投げてーーーと、手を振るが無視。投げたボールに途中で手を出して横取する人もいて、トラブルをさけるためでもあるとか(?)

試合は、結果としては負けたが、最後に猛烈な盛り上がりがあって観客も浮世のうさを十分球場に吐き出したもよう。帰路につくボストニアンは皆満足げだった。

野球と言えばホットドッグがつきもの。ここの地下にこれ何と、思ったものが・・。売店で買ったホットドッグに自分でマスタードをつけるためのマスタード自動抽出スタンド。人ごみをかき分けてホットドッグを持った人々がやってきては、ずるずると大量のマスタードを搾り出してつけていく。

球場には大勢の売り子がいたが、感心したのは売り物の値段を書いたバッジのようなものを胸につけていたこと。お客はそれを見て計算して支払う。物もお金も観客がリレーして手渡しで順々流れていく。おつり、いらない、とっときなと手を振る人も多い。売り上げ?なかなかのものだろうな・・、だって何にも持ち込めないんだもの。

レッドソックス・フェンウェイパークの思い出 ②

2007-09-23 02:46:17 | ボストン
一塁側の結構前の席。何なんだろうこの開放的な雰囲気は?
上から下を見下ろすのでなく、目線の先がグラウンドといった感じ。日本の球場に比べ観客席の傾斜がゆるいのか?グラウンドが近くて、見やすい。座っているだけで楽しくなる!!
気に入りました!!

今日は、レッドソックス対デビルレイズ。
デビルレイズのダッグアウト近くまで行けば岩村のサインもらえますよとY君は言っていた。
アウェイのチームにレッドソックスファンは近寄らないから、らくらく話しかけられるということらしい。食指は動いたが、まずはコーラにホットドッグ。
そうこうしてる内に、松坂が投球練習を始める。最近調子が悪いせいか、みんなの反応は取り立てて騒ぐわけでなく・普通。
おっ、松坂や!とフェンス際まで行って写真を撮っているのはhus.ぐらいのもの。

まだまだ球場は空席が目立って、平日のデイゲームはこんなものかなと思う。
で、後ろの人の迷惑にならないワイと、用意してきた松坂と書いた大きな紙を掲げる。せっかく松坂が投げるんだからと、朝から即席で作ったのだ。大きな紙が無かったので靴を買った時の紙袋、これにはさみを入れて伸ばして裏にマジックで字を書いた。
左右に持ち手までついてなかなかのでき。と、自画自賛。(ほんとは、岡島と書きたかったんだけど・・)
Y君は、松阪はチラッとでもこういったもの見ないですよ・・と、言う。
で、わざわざフェンス近くまで行って、松坂にふって見せた。(これが悪かったのか・・松坂の調子は今ひとつ・・)

tesyukeたちの後の席の女の子はかわいい赤い靴下の絵に【Believe to go again】と書いた紙を掲げていた。
振り向いてこちらのも見せてあげると、“なんて書いてあるの?”“MATUZAKA”
試合が始まるまでに、双眼鏡で球場を見渡すと外野席でDICE-Kと書いたボードを出している日本人がいた。おまけにそれに並べて日の丸の旗も・・三振とるたびにKKKKKとKのボードを増やしていく。が、さすが調子の悪い松坂に日の丸の旗はしまってしまったが。

うろうろ見回しているだけで十分楽しい。外野席の電光掲示板にちらっと日本人の名前が・・おやっと思って見ると、【日本名 I love you 日本名】と読み取れて、消えていった。気をつけてみると「○○さんの60歳の誕生日、おめでとう。□□より」なんて言うのが、次々と表示されていく。お金を払って表示を依頼するらしい。なかなかいいもんだ。

レッドソックス・フェンウェイパークの思い出 ①

2007-09-22 00:07:21 | ボストン
タイガースもレッドソックスも、ちょっと息切れ気味・・・ですね。
がんばってくださーーーい。

甲子園のタイガースの試合をテレビで見ながら、この黄色を赤に変えたらきっちりフェンウェイ・パークのレッドソックスでっせと、hus.と言いあっている。
なんだか似たもの同士のファン気質。
今でもレッドソックスの試合観戦を思い出しては、ま・た・見・に・行・き・た・い・と、思う。それほど楽しかった、のです。
ちょっと遠すぎ・・で、テレビで、画面に映るのを見ては、あそこや・ここやと頭の中に思い出して、楽しんでいる。

日本の球場は甲子園以外知らないから、えらそうなことは言えない。
(今は、各球団もお客を楽しませるためにがんばっているみたいだから・・)
でもフェンウエイ球場に関しては、遊園地みたいなわくわくした楽しさにあふれていて、子連れでいける健全な娯楽場と感じた。
ボストンのダウンタウンからちょっと離れたところにあるので、たいていのファンは地下鉄で行くらしい。もちろん歩いても。試合が終わってぞろぞろと続く人の波は、甲子園そっくり。

思い起こせば8月15日。tesyuke達もばっちりレッドソックスのTシャツを着込んで出発。そこはシャイな日本人、真っ赤までは手が出ず、紺地に赤の文字入り。
地下鉄も球場が近づくにつれ、ひいきの選手のTシャツを着た人が増えてファン様ご一行状態。18番MATUZAKAを見つけては、喜ぶ。

地下鉄の駅からは、もちろんレッドソックス通りという按配で球場まで一本道(実際はYAWKEY WAYと、言う名前)。道路サイドの街灯にはボードが取り付けてあって《DICE-K ボストンへようこそ ボストン市長》と書いてある。ボストン市長と市民による日本人むけの歓迎メッセージ。ちょっと、うれしい。

道の真ん中では、レッドソックスカラーに身を包んだ売り子が台の上にのってプログラムを売っている。2ドル。頭におでこのところが日の丸になった鉢巻なんかして、かなり日本を意識している感じ。水曜日のディ・ゲームというのに、次々と客が繰り込んでにぎやか・にぎやか・お祭り気分。たとえて言うなら、お寺の沿道・・・縁日の人出風。

YAWKEY WAYを歩いているつもりが、いつの間にやら球場のゲートになっていて両側におびただしいレッドソックス・グッヅを売る店・みせ・みせ。
青空を横切って〈FENWAY PARK YAWKEY WAY Gate A〉の横断幕が。
なるほど・なるほど、YAWKEY WAY に面して球場はある。道を挟んで店がある。これがもう一体になってしまっていて、大きなモールの中にいるような錯覚を覚えるのだ。

おのぼりさん状態のtesyukeはY君を見失わないように必死。人の波で迷子になりそう。まずは、とにかく球場内へ・・・。
以前のことはしらないが・・・なんと、食べ物・飲み物持込禁止!!
そしてバッグは検査(と、言ってもちょっと中をみせるだけだが)され、検査済みの印に緑の紙ひもが持ち手に巻かれる。
ホットドッグ・ビールをはじめいろんな売店が並んでいる。食べ物・飲み物持込禁止なので、どの店も人・人・人の列。
チケットを確認してシートに近い入り口から入る。