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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

ベトナムのマスク事情

2009-04-14 00:23:15 | ベトナム・カンボジア
冬に比べて少しは減ったもののマスクをかけている人は相変わらず多い。
tesukeはマスクをかけない人なので、なんとなくかけている人が気になって仕方がない。

マスクも、昔は、風邪をひいてつらーーい時に使用する位で冬の風物詩だっが・・今は花粉症対策とやらで通年使用の市民権を得たようだ。(災害時にも必要とかで一応買い置きはしてある。)
形も進化を遂げて、tesuke がカラス天狗型と呼んでいる呼吸が楽そうなのから、大判の物などいろいろ。
材質もいろいろあるようだが、なぜか色だけは《白》。今冬観察をしていたら、ごくごく薄いピンクとごくごく薄いブルーを各1人発見。色物はこの2人だけだった。
それにつけても、目しか見えない人たちが闊歩しているのは、外国人旅行者から見れば、不思議な光景だろうな。

思いおこせば同じシチュエーションに・・・外国人旅行者のtesyukeが遭遇したことが・・・・あった。
ベトナム。
バイクに乗っている女性ほぼ100%がマスクをかけていた。
日本のマスクがひ弱な日陰の花とすれば向こうは大きなひまわり。と、例えたくなるほどの大胆さ!実にカラフルで大きなものをつけている。
形もいろいろで、(マスクに対して)耳にかける紐の位置もいろいろ。
聞けば、ベトナム女性の必需品で、手作りする人もいれば、買う人も。(確か)2千ドン位で売られていた。

バイクが道にあふれ空気の悪いベトナムでの排気ガス対策らしい。が、日差しの強いことに加え美人の条件は色白とかで日焼け止めの意味合いも大きいようだ。
美人への執念と言うか、目だけ出してすっぽりと頭巾のようなものをかぶっている人もいる。
マスクと組み合わせてスカーフや帽子で顔の大部分が隠れるように工夫している人もいる。もちろん長袖。手袋の人も。
日焼けに対する若い人のこだわりは半端でない。
おばちゃんになると実用的なマスクだけ、あまりかまわないようだが。

このマスク日本に輸入したら売れるかしらネーーーと、ちょっと考えたが・・・日本の(冬の)太陽には似合いませんな・・・。

いや、誰か考えてるかも!
で、びっくり。ネットサーフィンしていて見つけた。
ベトナムのデパートで購入してきた商品です・・と、売っている!
しかし、デザイン押さえ気味の小ぶりのマスクで、日本で売るにはこれが限度かと・・・・

ベトナム旅行記しあげなくちゃ!

ベトナム旅行⑩ベンタイン市場

2008-04-04 10:42:30 | ベトナム・カンボジア
ダウンタウンからはベンタイン市場が一番行きやすい。ほかにも沢山市場があるらしいが、ここよりもっとローカル色が強いとか。

ベンタイン市場に近づくにつれ、場外市場色の強い店が多くなる。歩道には屋台や露天。食べ物のひき売りも。売り子が道端で食事をしていたり、雑多なごみごみした雰囲気。もちろん道にはウンカのようなバイク。
市場近辺のこの雰囲気はどこの国も一緒ながら、なぜかそれに湿度を感じて、東南アジアやな――と思う。

tesyuke達が歩いてきた道幅の広いレロイ通りに面して市場の入り口はあった。大きな建物で、中は薄暗い。
商品によって場所が決まっていて入り口近くから三分の一は衣類・サンダル・バッグ等。観光客は大体この辺のものを買うから、売り子は大体英語か日本語で客引き。まあ市場と言えば、まけて・・・・と、駆け引きを楽しむのも旅の思い出。これかな、あれかな、なんてうろうろする。結局めんどくさくなった時に、ぱっと声がかかると、ぜんぜん思ってもいなかったような店で買うはめに。tesyukeもつかまった店で日本語をしゃべる売り子と値段の交渉。おまけをくれたから店員の勝だったんだろうね・・連れが女性だと、阿吽の呼吸で駆け引きができ、もっと楽しく買い物ができるんだけど・・・。

奥のほうに行くにしたがって乾物等の食料品・野菜・魚・肉と続く。最奥の魚介類売り場の雰囲気は釜山のチャガルチ市場に似ていた。(最も規模が違うが)
一周すれば十分と、そうそうに外に出る。
広い通りを隔てた向かいにバスターミナルがある。バイクに乗らずに、バスに乗ってほしいからと、バス料金は世界一の安さだそうだ。

来た道を引き返し、途中にある国営百貨店に入る。
ここが一番安心して買い物できるのではないか? 小さな店も沢山入っていて、ゆっくり見てまわれる。それに、何しろ国営! 売り子がうるさくない!
食品のスーパーマーケットも入っていて、ここへは荷物を預けて手ぶらで入らないといけない。
思わず‘スーパー’の意味が違うんだな・・ここはと思う。普通の店より品のよいもの・値段の高いものを置いてます、みたいな。(いや、高く売ってますか?)

欧米のブランド品を売っている店での店員との会話でわかったこと。これは偽物ですと言うではないか! 偽物を偽物と言って売るのは合法?? 偽物買って帰ったら空港で没収よと言えば、わからないですよ・・だって。ここは、国営だよねと、思わず頭がクラクラ。

とにかく結構買いこんで一路ホテルに戻る。

*写真は市場で土産にと買った布バッグの内、最後に手元に残ったもの。右上のものがおまけ。

ベトナム旅行⑨ ベンタイン市場へ・街角

2008-04-03 13:43:34 | ベトナム・カンボジア
まだ明るいうちにホテルに帰着。ガイドさんはスタスタとそのまま徒歩で去り、車も帰っていった。
まだ明るくもあり、ちょっと休んでから、ベンタイン市場を覗きに行く。

街を歩いていて‘うんっ・これは?’といつも思う店がある。外から見えるように入り口近くに大きなクリムトの絵(ユデイットという画題の女性の絵)が立てかけてあり人目を引く。奥深くまで、絵・絵・絵だらけ。何屋さん? まさか画廊とは言わないだろうし・・・。絵画屋さんとでも呼ぼうか。この大量の絵を誰が買うのだろう。不思議な店。ホテル前の通りに2軒。市場までに1軒。

またまた、絵画屋さんの入り口の絵が眼に飛び込んできた。‘We can do it!’の文字と明るい顔の女性が力こぶを作っている。
これはどこかで見た。昨夏(2007年)ニューヨークの近代美術館だったかで第二次世界大戦中のポスターの特別展をしていた。これはその時に見たものの中の一つ。
なんだか落ち着かない気分。ベトナム戦争で敵対した国の、こんなポスターを誰が絵にしてこんなところで売っているのやら。

目線をふっと横にずらして驚いた。若い男性二人低いスツールに腰掛けて壁に立てかけた大きな画布に絵を描いている。彼らの手元を見てぎょっとした。絵葉書よりも小さな紙を持っている。おー・・右手に絵筆、左手に絵のコピー。こんな小さな元絵で、あんな大きなもっともらしい偽物を作るんだ!

《ニューヨーク近代美術館の戦争ポスター展》
第二次世界大戦中にプロパガンダとして作られた大量のポスターを展示してあった。
中には、対日本ということで、見るのがつらいようなものもあった。全体的にポジティブなものが多く、「国のためにボンドを買おう!勝利の暁には冷蔵庫も家も車も買える快適な時代がやってきます」と企業が宣伝したりしている。このホーチミンで見かけたのは、銃後の女性向け。

ベトナム旅行⑧ タイニン・カオダイ教 

2008-03-29 11:12:40 | ベトナム・カンボジア
車は一路北へ。カンボジアとの国境近くの町タイニンを目指す。
タイニンは人口100万人を超えるタイニン省の省都。そしてカオダイ教の総本山があるところ。このカオダイ教1919年に創始されたもので、儒教・道教・仏教・キリスト教・イスラム教の5つの宗教思想を取り入れた教義を持ち、独自の発展を遂げてきたのだとか。

車は内陸へ進んでいるのになぜか一転して水田の緑が目につく。水があるか否かで大地の色が激変する!
ベトナムでは米は年三回収穫できるとか。但し、水田に水が引ければのこと。このあたり、乾季の今稲作は本来不可能なのだが灌漑用水路が備わって可能になったらしい。広々とした水田に点在する家・形のよい山が背後にあったりとなんとなく日本の水田景色に似てなつかしく感じられる。

運転手さんはスピードを上げる。12時までには到着しないと・・・と。
田舎の集落を幾度通り過ぎただろうか?家のつくりもなんとなくこざっぱりした街の中に入ってきた。通りの左を延々と塀が続き、時折カラフルな門がある。左折してしばらく行くと正門。車はここを入り駐車場に。

こ・こ・が・カオダイ教の総本山。

なんと広い敷地!いろんな建物が建っていて一見テーマパークのよう。カラフルな色彩に明るく楽しげな雰囲気が感じられる。しかし異次元。
教団の人々の居住空間でもあろうここは、ちょっとしたコミュニテイーの感もあり、自転車に乗った人が往来している。地元の人も出入り自由な開かれた空間のようだ。(タイニンでは人口の7割近くがカオダイ教信徒といわれている。)

観光客が、カソリックの教会を模したような建物に集まっている。欧米の人が多いようだ。
ガイドさんが12時の礼拝に間に合いましたと、ホッとしたように言って、tesyukeたちを促してその建物に向かう。ここが中心となる寺院。毎日6時・12時・18時・24時の4回礼拝が行われ、旅行者も見学が許されているのだ。

寺院の内部に入るとこれは又極彩色の世界。長方形の建物の入り口から奥へと順次ゆるい階段様になっている。竜が巻きついた意匠の太い柱が並んでいる。入り口から最奥へと収斂していくように見える柱が建物の巨大さを物語っている。柱と柱を結ぶラインが聖俗の境目で、見学者は内陣には入れない。ラインの外を目をきょろきょろとさせながら進む。ご本尊はどこ?一体何?

ありました。
最奥の聖壇に、巨大な地球儀かと見まごう大きな球がドンとすえられている。真ん中に眼が一つ書かれている。これが神を象徴するもので神の眼『天眼』と言われているらしい。鬼太郎の親父、はたまたWEB-CAMといった、まるまるしたものでなく、ほんに人間の目。左目のように見える。
クワバラ・クワバラ・・・この眼に追いかけられたら、悪いことできませんって!
(事実、タイニン市は他市に較べて犯罪がすくないのだとか!)

観光客は神殿を取り囲むように作られた二階のテラスへ。青空に白い雲がかかれた天井が随分近くに見える。
男女別に床に座った、僧侶・信者を見おろすと、ほとんどが年配の人。女性信者の白いアオザイ姿が特徴的。音楽が始まり身を投げ出すようにイスラム教風の礼拝が始まった。一時間以上続くという。
ガイドさんがもういいでしょ・・と言った顔をしてtesyuke達を外へ誘う。礼拝を見るなど悪趣味な観光だとは思うのだが、教団側も布教のひとつと捉えているかもしれないし・・・

それにしても百聞は一見にしかず・・見てきてとしか言いようがない・・で、毎日毎日観光客が来るという繰り返し?

よっぽどカオダイ教のインパクトが強かったのか、帰路に寄ったレストランも昼食も何も思い出さない。

ベトナム旅行⑦ クチトンネル(Cu Chi Tunnel)

2008-03-20 23:47:22 | ベトナム・カンボジア
クチ市の郊外、クチトンネルに着く。欧米の観光客が目立つ。
ベトナム戦争時、南ベトナム解放戦線がアメリカ軍の目を逃れるために掘った秘密軍事施設。地下に無数のトンネルが何層にもわたって掘られていて、全長250kmにも及ぶとか。
ここは司令室・会議室・野戦病院など、ゲリラ戦を戦うための拠点であると共に寝室・台所など生活の場でもあったとか。

当時は生い茂ったジャングル地帯であったろう実戦の場だが、何十年の年月が生々しさを消してしまっている。広い敷地の中にルートが示され、再現された建物等を順次見ていく。恐ろしい現実の戦争の遺産なのに、2008年現在では、一見戦争関連テーマパークのようだ。

ガイドさんの後を、雑木林の中を進んで行く。
やおらガイドさんが地面の落ち葉を掻き分けだした。何の心の準備も無いままに何をしてはるんやろー? と、ぼおっと見ていると、小さな長方形のふたを探り出し持ち上げ地面に置いた。はっ?なんじゃこりゃ?待ち伏せ用の縦穴!あるいは退避用。
細いガイドさんがおもむろに中に入りふたをする。人の気配のないただの道が出現。びっくりだ。hus.も挑戦。ガイドさんに比べれば肉付きのよすぎにもかかわらず、すんなり成功。

これが手始め。知らずに歩けばただの雑木林が、ガイドさんの説明でびっくりワールドに変身。
大きなどこにでもありそうなあり塚。木に巻きつくようにあるそれは、人為的に作られたものだとか。アメリカ兵が近づくと彼ら特有のにおいがその蟻塚の穴から地下に入り接近を知らせたのだ。
下草の生えただけの大きな空き地。えぐられたようにも見える。米軍が飛行機B52だったかから落とした爆弾の跡。(日本で良く聞く数字はB29だが・・)
又、そこここに破壊された米軍戦車が放置(展示)されている。

ガイドさんの案内は続く。(展示の多くは、本来地下に設営されていたのだろう。)

*ラット・トラップ(回転式落とし穴)の展示場
ジャングルにはあちこち枯れ葉でおおった落とし穴が仕掛けられていたとか。何も知らない米兵がこの上に乗ると90度回転し、下に落ち、突き出た金属製の刃によって串刺しにされる。
ここにはいろんなタイプのそんな仕掛けが沢山展示されている。原始的であるゆえに余計に恐ろしさを感じる。
徴兵(当時は米国に徴兵制があった)されて送り込まれた米兵のことを思う。
何が待ち構えているか分からないジャングル! 一瞬にして足もとに地獄がひろがる! 不毛の戦いで敵も味方もこころにおった傷は深い。

*武器を製作しているところ
分捕った米軍の爆弾や武器を分解しいろんな用途に使う。もちろんラット・トラップにも。

*服を作っているところ
当時着られていた男女の黒い服が展示されていた。敵に目立ちにくく動きやすいもの。

*タイヤで草履を作っているところ。
古タイヤにナイフを入れて、フラットなゴムにしてからゾーリにしていた。タイヤってなかなか切りにくそう!ホーおじさんが履いて有名になった・・・

*台所
かまどの煙が遠く離れたところから、少しずつ排出されるようになっている。煙で居場所を探知されないための工夫。

休憩場所に到着。展示の台所でも調理されたであろう、ふかしタロイモの試食。
ベトナムの人が良く使う調理塩(岩塩に何か混ぜてある)をつけて食べる。なかなかおいしい! 笹茶(多分)も頂く。

*なんたってトンネル!!
ガイドさんが聞いてきた。30m・60m・90mどれにします?
ええっ、トンネルを体験するんですか? tesyuke と hus.声をそろえて、30mでお願いします。
案内人に付いてクチ・トンネルの内部へ。トンネルの中はあちこちに分かれ道があって、一人ではとても・・・無理。もちろん閉所恐怖症の人も・・・無理。

懐中電灯を持った案内人が頼り・・。彼を先頭にtesuke、 hus.と這うように進む。トンネル? いえいえ、モグラの穴では? それほど狭い。しかし観光客用に少し広げてありますと! ほんの30m行くだけで、頭をよぎったのは、迷路のようなこの地中で行き倒れた人もいたんではないか??
やれやれ、地上に。
hus.の生成りのデー・パックが壁にこすれて赤茶けていた。メインイベント終了。

のんびりとライス・ペーパーを作っている小屋があった。(挽いた米を水で溶いた)しゃぶしゃぶした白っぽい液体を、昔ながらのかまどに置いた蒸し器の上の大きな円盤(竹であんだ物にふきんをかぶせてあるように見えたが?蒸気があがっている)の上にだーっと伸ばし掛けている。そして、蒸しあがったものを天日で干す。

オヤオヤhus.の関心は小屋の片一方に。
なんと、お酒を作っている。最終段階、透明な液体がポタポタと容器に落ちている。試飲をどうぞ。なかなか口当たりが良くいけるとのこと。もち米で作るベトナムライススピリッツで、度数は45度。手の届く場所で作られたなんともローカルなお酒! 750ml位で50円したのかしなかったのか!!

のどか?に見学が終わった。ガイドさんが言った。ベトナム国民用の“クチトンネル”もあるんです。もっとシビアにベトナム戦争を説いて教育的な施設なのだろうと思う。

外に出る。着いた時にがらがらしていた駐車場は車で満杯。
一路タンニンへ。

ベトナム旅行 番外・ソンミの虐殺

2008-03-18 00:15:20 | ベトナム・カンボジア
3月16日テレビのニュースを見ていたら、ベトナム戦争中に起こったソンミの虐殺40周年記念日と報じていた。

40年前といえば1968年。
ホーチミン市を歩いていて、40と1968の数字の入った立て看板を見つけた。ベトナム語は分からないが、何かの記念日のアピールかと思われ気になっていた。ひょっとして関連性があるのかもしれない・・・(写真)

改めて調べると、《ソンミの虐殺は、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を虐殺した事件。これがベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな批判の声が起こってアメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。》とあった。

今ソンミ村には、虐殺の遺跡と博物館を含めた「ソンミ事件遺跡地区」が設けられているとか・・・これが世界で最後の負の記念館であってほしいと思うが・・・

経済発展著しいホーチミンの街を行く人は、一人としてこの立て看板に目を留めていなかった。ベトナム戦争も遠くなりにけり。

*後日、年長の知人が言った。1968年なら、共産軍による南ヴェトナム全土への一斉攻撃、いわゆる「テト攻勢」が実施された時だから、この絵柄からはテト攻勢にかんするのではないか?と。
どうやら、その方があたりのようだ。

ベトナム旅行⑦ クチトンネル(Cu Chi Tunnel)まで

2008-03-17 00:36:28 | ベトナム・カンボジア
3月4日 午前7時30分
ガイドさんがロビーへやってきた。やさしげな若い男性で小柄。つぶらな瞳?にめがねをかけて一見糸井重里を若くしたみたいな感じ。27歳とか。

ホーチミンから北へカンボジアとの国境に続く道をバンは走っている。
60kmほど行くとクチ。そしてまだ先、国境にほど近いところのタイニンと言う町まで行くのだ。(車でホーチミンからクチへは約1時間、タイニンは3時間あまりの距離)

ホーチミンを出ると一気に田舎の風景が広がる。内陸部に向かっているので乾季のこととて、青々とした水田風景は望めない。
やはりバイク・バイク。バイクが走っている。あの恐ろしいホーチミン市で事故の現場に行き合わせたことがないのに、なんとこんな田舎で2件も見てしまった。スピードを出しすぎるのだろう。

人々の影が畑地に見えたが、ピーナッツの収穫をしているのだとか。
風景の大部分は木々と収穫を終えた水田で、それは茶色でただの草むらのように見える。
牛が放たれて草を食んでいる。赤茶色の小柄な牛達で、骨が浮き出て見える。最初はやせているのかと思ったが、すべての牛がそうなのでこれは種の特徴かも・・
子牛も混じった大家族がいたり、1匹であったり、風景に溶け込んで、次から次へと牛が目に入る。今でも牛を使った稲作なのだ。家の庭に犬がいて・・鶏がいて・・ハンモックで幼児が寝ていて・・この一角を切り取ったらどうだろう? タイムスリップしたような気分。

時折、水牛もいる。これはグレーがかった色に湾曲した短い角を持っている。
家の左右の門の上に犬の置物が乗せてあるのが気になる。(沖縄のシーサーのような感じで)あそこも・・ここも・・
結構リアルな犬でコリーのように見える。なにかと思って聞いてみると、ガイドさんは犬鍋屋かもしれないと・・・言う!
ふふーん、マレーシアの人も言っていた。韓国はもちろん。犬鍋と聞いて驚いちゃいけない。ここもそうなのか、と思う。
しかしどう見ても普通の家。犬の形からして番犬代わりに乗せているのでは?とtesyukeは思ったが。クチへ行く道すがらこのあたりだけの話し。

クチに近づいてきた頃、農村風景にとって変わって等間隔に植えられたすらっとした木々の林が見えてきた。植林。何の木だろう? ガイドさんがゴムの木と教えてくれる。
良く見れば,木の幹に斜めの切り口が並んでいる。そこから樹液を採集するのだ。あっと通り過ぎるスピードに、切り口の並んでいる木の下2メートルは黒く、上は白く色分けして見える。
そういえばマレーシア・ゴム・プランテーション・搾取などと社会科で習いましたな。

そうこうしてる内に、ベトナム戦争の舞台・クチに到着。

ベトナム旅行⑥ パペットショー 

2008-03-16 00:03:35 | ベトナム・カンボジア
午後6時、ガイドさんがロビーに迎えに来てくれた。若い女性。なかなか日本語がうまい。バンに乗って劇場へ。先ほどうろうろしていた統一会堂近くにあるとか。

気になったことを聞いてみる。
日本の風景では、電信柱に電線が1本・2本と数えられる位が走っている。ここでは、低い電信柱に一抱えもある電線の束が垂れ下がるように張り巡らされている。ほん頭上と言った位置で、どさっと黒い線の束が視界をさえぎっている。これは、ほんとに、電線なのか?電線なら生まれてはじめてみる量。こすれあって事故でもおこらないかと怖い。
答えはイエス。おおー。

この近くで、学校らしき建物の前を歩いていたとき、ベトナム語の中にTOEIC とTOEFLの文字があった。
何の学校だろ?。学校の塀の外、歩道にびっしりバイクが車道を向いて並んでいた。お迎えらしく子供を乗せては順番に去っていく。
答えは英語学校。学生も大人も授業・仕事が終わってやってくるのだとか・・

水上人形劇の劇場に到着!

これは素晴らしかった。たしか確か世界遺産になっているはず。当然・で・す!!
G がハノイで見たといていたが、去年からホーチミンでもやるようになったとか・・・見ることができてラッキー。
この水上人形劇、ベトナム北部にある水田地帯の農村で1000年近い昔から伝わるもの。集団ごとに自前の池や人形を持ち、技術を門外不出で伝えてきたとか。

舞台の両袖に伝統楽器の演奏や歌・科白・掛け声を担当する楽員が陣取り、水をはった舞台中央のプールで人形達が踊ったり、飛び跳ねたり。
田植え風景・竜が出てきて水を吹いたり・舟同士の競争があったり・天女の踊り・王様の行列・・等々。人形の細かい動きにどうして動かしているんだろ?どうしたらこんなに人形を動かせるのだろうか?と考えるが、秘密は解けないまま。

最後に簾の仕切の奥から6-7人の人が下半身水に浸かったまま飛び出して来て挨拶。簾の奥で人形を操っていたのだ。どうやって?秘密は解けない!
田植え風景は牛が田をすき、乙女が苗を植えてと昔の日本にそっくり。この人形劇が北ベトナムのものと分かるとhus.は言う。南では籾を直接田に投げ入れる直播なのだとか。

終わってLAU1000℃へ。ベトナム料理はほんとにおいしい。

ベトナム旅行⑤ 統一会堂・戦争証跡博物館 

2008-03-15 17:37:32 | ベトナム・カンボジア
ホテルで一服した後午前とは逆の方向に出かける。
人民委員会庁舎前のホーチミン像近くで、宴席に置くような花輪を道端で作っていた。赤いリボンをまさにかけようとしていた。何気なく見ると白字で “Japan Maritime Self-Defence Force Escort Division 22”と書いてある。あれれ、日本の自衛隊? 何しにきてはるんやろ?

ここで広いレロイ通りを左手に折れ、ふた筋目を右に。ナムキーコイギア通りを統一会堂まで行く。
統一会堂前は歩道の幅も広く、大勢の観光客がたむろしている。この道に直角に聖マリア教会へ直進する道があり、道の両端は公園になっている。統一会堂は門から随分奥のほうにあるのでこのあたり一体が広々とした空をもつ特別の場所と分かる。

【統一会堂】
もとは、フランス人総督が1868年この地に起工し建設させたノロドム宮殿。その後南ベトナム大統領官邸となり、ドクラップ(独立)宮殿と言われた。1962年に爆撃を受け壊れたのを再建。ベトナム人の建築家がベトナム独特のスタイルで設計した建物。
古いものではないが、ベトナム戦争の歴史が詰まっている建物。
3階のヘリポートにヘリコプターが置いてあった。サイゴン陥落時に大統領がここからこのヘリコプターでタイへ亡命したとか。
購入したパンフには、1975年4月8日午前8時30分F5E作戦飛行機が2発の爆弾を落し目的を達成と書いてある。戦争終結に結びつく大切な場所なのだろう。
作戦指揮室には多くの作戦地図など掲げられている。
地下は迷路のようになっていて、無線室等々軍事活動や安全避難所として利用されたらしい。

【戦争証跡博物館】
統一会堂の近くにある。つらい場所だけど行かないと・・
ベトナム戦争の悲惨さを伝える場所。誰もが無口で黙々と見ていた。枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬けなど、何十年と言う月日をこの場にあって・・静かに告発しているんだ・・・
虎の檻という米軍のベトナム政治犯を収容したものも再現されていた。

庭に置かれたベンチによろよろと座る。日本の団体の寄贈だ。
贈呈 平和がいいベトナムの旅 参加者一同 19TH AUG. 2000 OSAKA JAPAN

パペットナイトのピックアップ時間に間に合うようにホテルに帰る。
途中、白い制服姿の自衛隊員が三々五々散歩しているのに出会った。

ベトナム旅行④ ホーチミン市散策

2008-03-14 18:13:13 | ベトナム・カンボジア
3月3日 朝食後出かける。
乾季なので暑くはあるが汗をかくということはない。建物内の冷房もアメリカのようにカンカン・寒っ・ぶるぶるということは無く外気とスムーズに呼応していて、冷房が入っていると意識することはなく快適。
(最も、一部の新しい建物だけで・・・あとは昭和何年までタイムスリップするか?と言った、がたがたと古い扇風機・・)

まあ、これ位の暑さならフル稼動しても大丈夫かと、一番にツアーデスクによって今日明日のツアーを予約することに。日本でプリントアウトしてきたものの中から、ベトナム戦争関係の≪クチ≫と、なんたってメコンデルタということで≪ミトー≫行きを・・・
そして目を疑ったのだがハノイでしか見られないと思っていた、水上人形劇!これがここでも見られる。

ホテル前の広い通りを一本中に入るとドンコイ通りが平行して走っている。細い道ながら、沢山の店が軒を並べていてにぎやか。サイゴン川を背に歩き突き当りが聖マリア教会。
途中シェラトンホテル三階のウエンディツアーデスクに寄り予約。
①今日(3日)の夕方 ホーチミンパペットナイト
②4日 クチトンネル&タイニン(カオダイ教寺院)
③カンボジアから帰って 8日 メコン川クルーズ

ドンコイ通りを行く。まずは、
【市民劇場】 
フランス統治時代にはオペラハウスだったとか。コロニアルな長方形の建物。今でも劇場として使われている。パペットナイトのガイドの女性が、いろいろ催しはあるけれど、値段が高くて行けませんと、言っていた。

【聖マリア教会】
1883年に完成したカトリックの教会で二つの尖塔がある。ここがアジアだと言うことを忘れそうになる。前面に大きなマリア様の像が立つ。
ベトナムは80%が仏教徒と聞いているが、ホーチミンではカトリックの比率が多いのかもしれない。でもあんまり宗教色を感じない街。お坊さんも見かけない。聞けば、フランス統治下では仏教は弾圧されていたとか・・(真偽のほどは?)

【中央郵便局】
聖マリア教会に向かって右隣。1891年に完成。今も現役の郵便局で天井も高くすばらしい。外国の古い駅舎に入ったような錯覚を覚える。一見の価値あり。
窓際に藍色の模様の大きなどんぶりが・・・。何かと思えば糊が入っていて、お箸様のものも置いてある。お客が入れかわり利用している。ベトナム滞在中、ご飯からのりを作っているところを見かけたことがある・・多分この糊も市販品ではないだろう・・・

ここからどちらに向かおうか。一区の中心部に戻るか?
歴史好きのtesyuke達ちょっと遠いが、北東の方向・一区のはずれにある歴史博物館まで行くことに。歩いた距離は歩いて帰れるというのがtesyukeの信条。車で移動すると、自分の位置が分からなくなるというのもあるが、歩いて見つける面白いことは捨てがたい・・

レユアン通り。この道沿は、ダウンタウンに比べると少しはすっきりした感じがする。新しい大きなビル群のせいか・・バイクは相変わらずだが・・
ライダーのマスクなどを観察して歩く。女性はほぼ100%が実にカラフルなものをつけている。形もいろいろ、耳にかける紐の位置(マスクに対して)もいろいろ。確か2千ドン位で売られているらしい。
排気ガス対策らしいが、日焼け止めの意味合いからつけ始めたのではないかとも思う。というのも、目だけ出してすっぽりと頭巾のようなものをかぶっている人もいるし、マスクと組み合わせてスカーフや帽子で顔の大部分が隠れるように工夫している人もいる。おばちゃんになると実用的なマスクだけ、あまりかまわないようだが、美人の条件は色白とかで日焼けに対する若い人のこだわりは半端でないみたい。もちろん長袖。手袋の人も。

【サイゴン動植物園】
レユアン通りの突き当たりにカラフルな遊園地の門のようなものが見えてきた。植物園。歴史博物館はこの中にある。ドンを持ってないのでドルで入場券を買う。
がーーん。閉まっている。月曜日は休館日だった。ただでさえ暑い昼下がりどっと疲れが・・・
しかしここはホーチミンの喧騒から離れた静かなほっとするような所。ホーチミンに着いて12時間ほどでこんなほっこりスペースを散歩していると言うのが不思議だ。大きな木々の影で涼しい。
月曜日とあって人もまばら。園内をめぐる子供用の小さな列車が道を横切って走っていった。

1800年の中ごろに作られたらしい古い温室があった。屋根に紗をかけて、観葉植物が吊り下げられているだけ。作られた当時は人々の賞賛の的だったろうに・・時が停まったような不思議な場所。その周辺には日本の盆栽に似た鉢物が多数おかれていた。もちろん日本のもののように緻密なものではないが。(盆栽は日本の固有のものと思っていたがルーツはどこ?)

進むにつれて、鳥や動物のゲージが現われだした。動物園の入り口が反対側にあるようだ。中で交じり合っているのだ。これはすばらしい!
動物のすむ環境も、自然そのもの。ホーチミンの年間を通じて30℃前後の気温に適応するものだけおいているということか? 柵一つあるだけで、とにかく動物への距離がとっても近い。サイ舎ではバケツに前足をかけて野良猫が中の水を飲んでいた。随分長い間飲んでいた。平和やねー。象さんも、溝一つ隔てた所にいて、子供達から人参を貰って食べている。アメリカンスクールの低学年の子供達のようで先生とにぎやかにおしゃべりをしている。ステック状に切った人参を売っている人がいる。

園内にはあちこち口を開けたペンギンが立っている。ゴミ箱。こんな暑い国で何でペンギンやねん・・と、心で言いながら結構動物園を楽しんでいるtesyke。

一路ホテルへ戻る。
途中ツアーデスクお勧めの、地元の人がよく行くという春巻きの店で昼食。ここはおいしかった。Wrap&Roll。
ドンに両替して午後に備える。

ベトナム旅行③ ホーチミン市(サイゴン)のこと

2008-03-14 13:06:09 | ベトナム・カンボジア
ホーチミンの町としての歴史はたかだか300年ぐらいだとかで、ベトナムの長い歴史を思えばフエやハノイへ行ったほうがおもしろかったかもしれない。
ベトナムの南はカンボジアなどと同じでクメール人の国だったのが北からのベトナム人を受け入れたことや19世紀のフランスの植民地化でクメール色は払拭されたみたいだ。
とにかくここをどこかにたとえるならば、規模は違うが上海ですか・・・・にぎやかな経済の街。
しかし、ちょっと郊外に出ればまったく違うベトナムがある。誰かが書いていた。ホーチミン市に来ることをベトナム旅行と言わずにサイゴン旅行と言ってほしいと・・・確かにここは特区だ。ホーチミン市を見てベトナムと思う無かれ!

上海にも租界時代の洋風建築が残っているが、ホーチミンも見所と言えばフランスの植民地時代の建物ぐらいで、観光に一日もあれば十分というところか。(イギリス領だったところでは必ず立っているビクトリア女王の像はない!)
街もわりと碁盤の目状態で歩きやすい。

朝の散歩で、グエンフエ通りをまっすぐ歩いて人民委員会庁舎まで行ったが、これはルネッサンス様式の豪華な建物。今は政府の施設で内部に入ることはできない。
前面に道をはさんで緑地帯があり、大きなホーチミンの銅像がある。庁舎の丁度真ん中になるよう配置されている。ホーおじさんも壮年の面影で、おでこが川端康成みたいとはtesyukeの感想。

朝早いのに街はすでに胎動している。長い竹箒で緑地帯を掃除をしている人たち。(この掃除風景は時を選ばずどこでもお目にかかった)。ぱちぱちと木を刈り込んでいる人。しょっちゅうしていないと形を保てないのかもしれない。大きな植木鉢に植えられた木が列を成して置かれている。西洋風の中にフッと香った中国的なもの。

ところで、ベトナムと言えば条件反射で、ベトナム戦争を思い出す。アメリカとの関係はどうなんだろうと内心思っていたが、ホーチミンで通用するお金はドル一辺倒。このご時世にユーロの影も形もない。ドルとドン(ベトナムの通貨単位・銅から来ている)の換算で過ごすが、ホテルの近くの両替屋さんのレート表示がだんだん1ドル=100円=15000ドン強になってきた時は悲しかった。tesyukeが旅行社に支払ったりドルを購入した時は1ドル=110円強だった!!

ベトナム旅行② バイク・バイク・バイク

2008-03-12 13:34:11 | ベトナム・カンボジア
3月2日、成田空港を18時20分発のNH931便は(到着が遅れたため)少し遅れて飛び立った。
それにしても搭乗の際、二次元バーコード読み取りになっていたのには驚いた。搭乗券の四角いバーコード部分を機械にあてると≪チャリーン≫。搭乗で電子マネーの音を聞こうとは!新たに紙にシート番号が打ち出されて出てくる。(余分な紙の消費やな・・・)

ホーチミン・タン・ソン・ニャット国際空港に現地時間23時に到着。日本とは2時間の時差。こじんまりした空港で、スムーズに出国。
機内で気温は28度位と聞いていたが、夜のこととてそんなに暑くは感じない。

若い子らは市内までのタクシー料金で、まず駆け引きの世界に突入なんだろうな。それも楽しい・・が、
若くはないtesyuke達、深夜のこととて安心・安全を買って、ピックアップを依頼している。迎えの人を探す。若いベトナム男性が名前を掲げて待っていてくれた。バンにのって夜のホーチミンへ。
交通渋滞とまでは行かないがバイク・バイク・時々車と道一杯。うるさいこと。うるさいこと。(でも、このときはまだ現実のバイク事情をしらなかった!)
カンボジア(シェムリアップ)行きの飛行機のチケットをもらい、道々の案内などを聞くうちにホテルに到着。

パレス・ホテル。リーズナブルでプレーンでよいホテルだった。ツアーデスクが地の利がとってもよいし、ニューフロアの方ならばと奨めてくれた。便利なところにあって、ホテルにリゾート気分を求めないならば、お・す・す・め・だ。(最もテト直前に依頼した植民地時代に立てられたホテルのほうは、テト休みがはさまったため予約できず残念な結果になったが・・)

初めてのベトナム! ベトナムの朝。
わき上がってくる、車の走る音・警笛に目がさめる。hus.が窓を開けたのだった。12階から見下ろすと、オーーー・オーーーこれは!
なんたる光景!
あきれるほどのバイクが我先にと走っている。ピッ・ピッ。そして車の走る音がBGMのように街を覆っている。そしてホーチミンにいる限りこの音から逃れられないと知るまでに時間はかからなかった。

朝食前にホテル前の広いグエンフエ通りを人民委員会庁舎まで散歩に出る。歩道を歩いていても、バイクの量のすさまじさに圧倒される。ダウンタウン(一区)はロータリーになっているところが多いせいか信号機が見当たらない。横断歩道を渡ろうとするが、車・バイクの途切れるということがない。
何分立っていただろう? hus.の腕にしがみつき決死の覚悟で一歩を踏み出す。tesyuke達の前後をバイクがすり抜けてゆく。ほんと足がすくむ。今までいろいろ怖い道路の経験もあるが(イスタンブルもそう)ここが一番だ。

街の中心を少し離れると、信号があるのだが、あっても分かりにくいし、信号無視も多い。量的に少ない自動車は、バイクの海の中をクラクションを鳴らしながら泳ぐように走る。歩道を歩いていても安心ができない。乗り上げてきてするっと、横を走っていく。
信号で停まっているバイクを見て、東京マラソンの光景を思い出した。スタート地点にいるあの大勢のランナーがバイクに乗っていると思えばよい。パンとピストルがなるのでなく信号が変わると、いっせいに飛び出しました・・飛び出しました・・状態。

後日聞いた話。人口800万、バイク数300万、ライダーのうち半数近くは無免許運転。(地方からの出稼ぎ労働者などが多いので)ヘルメット着用が義務付けられたのは去年。
以前はここも自転車が主流でHONDAのバイクなど高嶺の花だったとか。
それにしてもHONDAのバイクが多いですねというと、実は・・エンジンは中国製です。えっ?
HONDAのマークをちょっと変えて、一見HONDA製に見える安いバイクが中国から入ってきて、あっという間にバイク天国になったのだとか! 

ベトナム旅行①旅のはじめに

2008-03-11 13:54:31 | ベトナム・カンボジア
ベトナム(ホーチミン)行きの飛行機のチケット予約したのは去年(2007年)12月の中旬。思っていたより取りにくくて、3月2日成田出発・9日の深夜ホーチミン発、成田到着は10日朝のANA便に落ち着いた。丸々利用できるのは7日間。その間をどのように過ごすか、ぼちぼち計画を立てよう・・・・と。

今まで小耳にはさんだベトナム情報は・・

10年位前になるか、バクパッカーの息子のGが中国の雲南省経由で陸路ベトナムへ入国したといっていた。バスがわりのトラックの荷台に詰め込まれて、国境を越えたとか。(ええナーーー・しかし却下)

娘の方は女友達と、7,8年前に観光で訪れている。ホーチミンからフエまで移動したとかで食べ物がおいしくて楽しかったと明るい笑顔の感想だった。アオザイを作ったとも。街角で女の子がマニキュアの商売をしていたのでちょっと遊んでみたと、爪を見せてくれたが単純な花の模様だった。(日本でこんなにネールアートが盛んになる前のこと)

tesyukeがハングルを勉強していた頃だから2000年前後か、同じクラスにいた60代後半の男性。旅行好きであちこち出かけている。彼は、ベトナムはおもしろ無かったなーー!と、ぶすっと一言。(何故か?)

最初は、ベトナム国内をホーチミンから北のほうへ旅しようかなと漠と考えていた。tesyukeはフエが古都ということで一番興味がある。ハノイはあんまり親近感を感じない。それにしても細長い国だ。そんな時目をかすったのがアンコール遺跡の文字。こちらはちょっと西に行くだけ。
アンコール・ワットや!!
ここには前々から行きたいと思っていたので、ハノイもフエも視界から消えさり、カンボジアに行くことに決定!

沢山ある現地旅行社でアンコール遺跡に行くならば一番充実して観光できるツアーをと探す。(現地の)スケッチトラベル社のプライベートツアーに決める。いろいろ相談できるので楽だった。ホーチミン深夜到着がネックだったが、空港ピックアップサービスもしているとかで、やれやれ。ついでにホーチミンのホテル・・最終日のナイトツアー(空港へ送ってもらうまでの時間をつぶすため)などを申し込んで一件落着。

旅のアウトラインは
3月2日深夜ホーチミン到着====3日・4日ホーチミン滞在====5日朝カンボジア・シェムリアップ到着====5・6・7日シェムリアップ(アンコール観光)====7日夕刻ホーチミンへ帰着====8.9日ホーチミン滞在====9日深夜ホーチミン出国
あとは3・4・8・9日をどうすごすかだけ。
体調その他と相談しながら行ってから決めようと言うことに・・・・
ほぼ2月いっぱい使ってのアクセスだった。(ベトナムらしく旅行社もテト・旧正月休暇と言うのが2月6日からきっちり入って、6日間は音信不通・・・これがベトナムなんだ・・・)