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Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

チベットの子供・・一学年終了

2011-06-13 10:51:26 | チベット
チベットの里子の写真・成績表・手紙などが届いた。
このところアメリカにいたりして、こちらから手紙を出す事がなかった。
いつの間にか、大きくなって、少女の域を超えてしっかり女性の雰囲気。
日本では成人の実質の精神年齢が下がっているといわれている。いわゆる九掛けあるいは八掛け説。30歳の人なら実質27歳あるいは24歳の気分というわけ。

彼女は何年か前におねえちゃんが結婚しましたと書いてきていた。きっとかの地では若くして結婚するのだろう・・精神年齢は二割増し位かもしれない。


続く

チベット・チベット・チベット

2009-06-28 15:06:55 | チベット
*チベットの里子の成績表と手紙が送られてきた。
インド在住亡命チベット人の子供。日本で言えば中学生ぐらいか・・
さすがに英語の手紙も長く書けるようになっていて写真も急に大人びた感じ。
前年の成績は非常に悪くがっかりだったが、今年はさすが一生懸命勉強したみたい・・・トータル51.7%で結果はPass(進級点は35%とか)

*どこで貰ったのか思い出せないが手元に一枚のチラシ。
チベットの映画『雪のしたの炎 Fire Under the Snow 』。
チベットに人権など存在しません。私がその生き証人です。33年間の拷問と投獄、チベット僧パルデン・ギャツォの不屈の精神を描いたドキュメンタリーですとの文字。
インターネットで流されていてこの方の存在は知っているのだが、ちらしの写真が尊い感じで、まるで鑑真和上みたい。なーーーんて!?
この映画を見に行きたいと思っているのだが・・
メジャーなものでないのでどこで公開されているのでしょうか?

*いつも行く大学の図書館で、購入されたばかりの新刊を見るのがtesyukeの楽しみ。
なにしろ公共の図書館にない選択が面白い。
今回目に留まったのが。『チベット滞在記  多田等観・牧野文子編』
早速借りた。興味の尽きない内容であっという間に読んでしまった。
ダライ・ラマ13世当時の話で、現14世さえ高齢なのに、なんと言う≪む・か・し≫ かと驚く。
1890年生まれの多田等観さんは1913年から10年余ラサの僧院で修行をつまれた。
この本からは、往時の青年のあるいは当時の日本仏教(しいて言えば西本願寺)の心意気のようなものが感じられる。

2009年5月発刊のこの本、元は1942年(昭和17年)に有志2,3人が多田に聞いたチベットの話が元になっている。
速記してそのまま本になるはずだったが、いろいろいきさつがあって面白みのない学術書のようになってしまったらしい。
それを残念に思った人により再度編集され作られたのがこの本だとか。多田の晩年に編者が筆談を重ねて再録したとか。
そして出版されたのが、1984年で、多田等観死去後17年だった。
本の末尾を見れば編者さえ1904年生まれ。出版の前年に亡くなっておられる。
大正時代の話と思えばまだ手の届く過去。しかしすでに埋もれて忘れられかけていたものが寸前に拾い上げられたそんな不思議なめぐりあわせの本。そして二十数年を経て再び発行と思えば感慨もひとしお。

長い年月の中でよみがえった本とともに多田等観の名前が記憶されますように・・

また・また・チベットのこと

2008-03-26 23:08:39 | チベット
チベットのことが気になりますね・・・

送られてくる映像を見ていると、僧侶の姿を良く見かけます。僧侶が率先してことにあたっているように見えますね。

政治犯として中国にとらわれていた人たちが、ぼろぼろになって命からがらインドに逃げてきた後に書いた手記を最近読みました。
それからわかったこと・・・・どうやらチベットの僧・尼僧は生涯独身なので、類を家族に及ぼさない存在としての自覚から、先頭に立って民衆のため犠牲になろうとするみたいですね。

tesyukeの読んでいた手記がどこを探しても見つからないのですが、代わりに
チベットの人権問題 - Human Rights を見てください。

http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html

http://www.tibet.to/mondai/index.htm

チベットのこと

2008-03-19 23:54:34 | チベット
年3回チベット難民の里子に手紙を出すのだが、また今回もNPOの事務所の締切日にぎりぎり。速達で出してきた。
ニュースでラサが大変なことになっているのを知りチベットの将来に胸が痛んだ。
それで今回ばかりは、あなたの将来と、あなたの国の将来のために一生懸命勉強してくださいと手紙に書き添えずにはおれなかった。

チベットの子供達の作文を読むと、なかには雪のヒマラヤを越えてインドの地(ダライラマの下に)に来たときのことを綴ったものもある。親が子にチベットの将来を託し、貧しい中苦労して旅支度を整えて送り出す。親も子も今生の別れと分かっての旅立ち。もちろん一家で出立する人たちも。中国警察の目を逃れ、ネパールの人に助けられたりして何日も何日もかかってぼろぼろの状態でインドにたどり着く話。

チベットに居るときに親たちが漢民族にすべてを奪われていく状態を書いている子もいて、チベットのアイデンティティが壊されていく実態が作文から感じとれる。また、子供達の作文にはダライラマ14世の言葉として、武力ではなく言葉の力で・・戦うのだということが書かれていたりする。

チベット亡命政府のあるダラムサラでは、チベットの文化を受け継ぎ次代へとつないで行くために、教育を重視している。教育と言っても貧しいチベット難民には子供の教育資金を調達できない。で、スポンサーがついた時点で子供は学校に行ける。そういうわけでtesyuke も貧者の一灯、一人の子供のスポンサーになっている。

と言っても12年前まで、tesyukeはチベットの置かれた政治的状況を知っていたわけでもなく興味も無かった。
1996年にメルボルンで会ったオーストラリア女性がチベット難民の子供に英語を教えに・・・ボランテイアでダラムサラに行くのよと言った。その時はじめて、ダラムサラにダライラマの亡命政府があることを知ったのだった。

テレビが若きダライラマがヒマラヤを越えてインドに亡命する映像を流していた。チベットはどこへ行こうとしているのだろう?ダライラマがポタラ宮に戻る日は来るのだろうか? 
tesyukeにできることと言ったら、チベットを独自の文化を持った国として見続けること。心を寄せ続けることぐらいか・・・
世界の関心がチベットの強い味方、そのためにダライラマが孤軍奮闘しているように見えるのだが・・・

何はともあれ、チベットがチベット人の国であり続けますようにと祈る。

チベットの子供

2007-11-19 11:40:36 | チベット
朝一番に郵便局(本局)へ行ってきた。チベットの里子宛の手紙とプレゼントを投函するため。
NPOチベット教育サポート基金に20日必着なので、昨夜遅くに手紙を書いて、ばたばた。
北部インドの辺鄙なところまでの年に何回かの郵便は、締め切りを守らないと間が開いてしまう。一人届かなかったら里子がさびしい思いをするのではとあせった。まだまだ時間がたっぷりあると思っていると、こんなにあわてるはめに・・・・いつものことながら・・・
メトロポリタンミュージアムで撮った,チベットの展示物の写真も同封してあげたかったが、時間切れでアウト。

NPOから毎月送られてくる小冊子に“チベットの子供達の作文”のページがある。
いつも読みながら、子供達が日々を真摯に生きているのが伝わってきて胸が熱くなる。
同じ地球に住みながら、日本の子供たちとのあまりの落差。
取り巻く環境が子供を哲学者にするのかもしれないなんて思ってしまう。

今月のこどもの作文のタイトルは、“父が私を生んでくれた!”
テンジン・ラードンさん・9年生・女子
父親が家族の生活のためにアメリカへ働きに行った。
日々メールでやり取りはしていたが、ある日電話があった。
この子がアメリカはどうですか?と聞くと、無言の後聞こえてきたのは父親のすすり泣き。そして嗚咽に変わったと言う。
今まで見たことの無い父親の様子、そしてアメリカで送っている厳しい父親の状況(人種差別か、かなりひどい扱いをされている)を知ってこの子も泣いてしまったと。
この電話以来この子は自分の人生の目標について考え、それを達成するために一生懸命勉強を始めたという。
そして、あの日の、偽らず、飾らない、正直な、そのままの自分を見せてくれた父親の勇気と導きによって作り変えられたと書いている。

チベット音楽を楽しむ会

2007-01-06 10:35:55 | チベット
チベット教育サポート基金から毎月送られてくる小冊子にチラシが入っていました。
関東に住んでいたら行くんだけれど・・・

チベット音楽を楽しむ会
 日時 1月9日(火) 14:00~16:00頃(13:30開場)
 会場 世田谷区民会館別館「三茶しゃれなあど」
    ルーム名はオリオン
    東京都世田谷区太子堂2ー16ー7 東海ビル5階
    ℡ 03-3411-6636
    料金 500円(ワンドリンク付き)12歳以下無料
 
 日本では余りふれることの出来ないチベット音楽に身近でふれられる音楽会です。
 出演はチベット舞踏音楽団のシニア・アーチスト タシ・ダルゲーさん。
 チベット人のご主人を持つ日本人女性によるチベットの踊りの講習も!
と、言うことです。
   ************************************************************

小冊子にはチベット難民の子供の作文が毎回掲載されている。それをそのままここに書き写すと言う訳には行きません。しかし、いつも思う・・・・全国の小学生・中学生・高校性に読ませたい・・・と。信じられないような過酷な体験をしながらも、明るく希望をもっている子供達。同じ地球に住みながら、なんと日本の子供達と違っていることか。


ダライ・ラマの子供達④

2006-11-18 10:23:28 | チベット
里子への手紙を投函して帰ると、なんと言うこと彼女からの手が2通も届いていた。
年に数回のやり取りなのでタイムラグがあって、これらはどうやら数ヶ月前のものらしい。

1通には学校からの、成績表と、写真が添えられていて、成長が見て取れる。
他方は、8月のtesyukeの手紙を見た後に書かれているようだ。
今までは、Dear Sponser **** だったのが Desr MOM **** となっていて、ちょっとうれしい。Your loving daughter からと、なっていてもっとうれしくなった。

チベット教育サポート基金を始めた方は、最初他の機関を通じて援助をしていたそうだ。が、現地に実情を見に行って、それがうまく機能してないのを知り、それでは自分がフェアなものをと、はじめられたと言う。

毎月送られてくる小冊子に、ダライ・ラマの話(説法?)と、チベットの子供の作文がのっている。日本の同年齢の子の姿をダブらせて、これらを読んでは、厳しい現実の中にいながら、心身ともに健全に育っている子供達に感動をもらっている。


ダライ・ラマの子供達③

2006-11-17 22:33:20 | チベット
1996年から月日は流れ、21世紀になりました。

お気楽なtesyukeも、ちょっとは真面目なことを考えるようになりました。
今まで平穏無事に暮らしてきたけれど、何か世の中に還元すべき時ではないか?なーーんて、ね。

しかし、生まれついての怠け者、体を動かすボランティアなんてとんでもない。
そんな時に見つけたのが、「日本語ボランティア講座」開講のお知らせ。
教ええることは嫌いではないので、早速、某大学に受講に・・
日本語ボランティアの意義を説くのが主たる目的とはいえ、結構ハードな講座でありました。

そんな折、先生推薦の本を借りに図書館に、書庫をうろうろ。ジャー―ン、目に飛び込んできた背表紙!!

『ダライ・ラマの子供達』

ダライ・ラマに子供がいたっけなんてアホなことを言いながら手にとったその本は、チベット難民の子供達の作文集でした。
あっ、とこの時Jannさんの話とつながったのです。

ダラムサラのチベット亡命政府にて学ぶ子供たちの作文集。
この飽食日本の対極にあるような、貧しいが心豊かに毎日を感謝とともに生きている子供達。
清冽な泉に足を浸したような・・
深い森の中で深呼吸をしたような・・・・
何か清らかなものに触れた思いでした。

中国に、寄って立つものを奪われているチベットの人々は、ダライ・ラマを慕って雪のヒマラヤを超えて、インドの地に亡命してくるのです。老齢の親は、子供だけでもと、運を頼りに子供を送り出すと言います。

ダライ・ラマは
「国の未来を作るのは子供たち。一番必要なのは教育。」と、学校を建設しました。しかし、亡命してきても、インドの地で定職も無く、貧しい親は子供を学校にやることが出来ません。それで里親が出来た時点で、子供達は学校に行くことができるのです。

その本の発行所はやすらぎ研究所.
そして、こうです。
    あなたの愛をチベット難民の子供達が待っています。
    里親になることは単なるボランティアではありません。
    里子を通してあなた自身が救われるのです。
    あなたの心に中にある偉大な愛が甦っってくるのです。
    あなたが、里親になってください。
    そして、勉強させてあげてください。
    あなたの愛が、チベットの子供を救い、
    そして、地球の未来を救うのです。

こうしてtesyukeは、チベットの子供の里親になったのです。

ダライ・ラマの子供達②

2006-11-16 10:06:51 | チベット
いろんな国の子供達の里親に多くの日本人がなっている。
新聞にフォスター・ペアレントになってくださいと言う広告をよく見かけたりする。そんな折には、、食指を動かされることもあった。でも何故、tesyukeの場合ルーレットがチベットで止まったんだろうか?と思う時、小さな知識の積み重ねがチベットの子への関心に繋がったのだろう、とおもう。

とにかく本の好きな子であったtesyukeは、小学生の頃、チベットの活仏〈かつぶつ)を知っていた。チベットの最高指導者としての活仏・死ねば生まれ変わりの幼子を探して地位を継がせる。一番上位が観音菩薩の化身としてのダライ・ラマ。二番目が阿弥陀仏の化身としてのパンチェン・ラマ。三番目がだれそれ。という具合に何人かの活仏がいるということ。

そして、中国のチベット侵攻でダライ・ラマが国を逃れ、パンチェン・ラマを中国が傀儡
としたこと。そのパンチェン・ラマが死んだ時、中国側が探し出した生まれ変わりの子供
と、ダライ・ラマが探した子供の二人がいるらしいと言うこと、など。
(tesyukeは、政治には無関心な人間ですが、チベットに関しては中国に対して理不尽さを感じている。)

次のステージは、1996年5月。オーストラリアのメルボルンで出会ったJannさん。彼女は、知的障害を持った子供を、週に何回か教えているパートタイムの先生だった。
「秋になったら、インドへ行くんです。チベット難民の子供に英語を教えるボランティアとしてね。」と、彼女。「えっ、インド?暑くないですか?」と、とんちんかんな返事をするtesyuke。
彼女によれば、ヒマラヤの山麓インドのダラムサラにダライ・ラマのチベット亡命政府があり、学校も作られていると言う。そこで彼女は子供達に英語を教えると言うのだ。

このとき初めて、チベット亡命政府の存在とチベット難民のことtesyukeは知ったのです。
  




ダライ・ラマの子供達①

2006-11-15 17:16:36 | チベット
20日までにtesyukeは手紙を出さなくてはなりません。

チベット難民の子供の里親になってかれこれ2年。
教育資金のほかに、毎年2回手紙と小さなプレゼントを送ります。
お世話をしてくれているチベット教育サポート基金と言うところから、日本全国の里親の分をまとめて、チベット亡命政府文部省に送って、各学校に配達されていきます。20日に届くように出さないと里子がさびしく思うだろうと、ちょっとあせっています。

最初の里子ちゃんはNgawang Chaedenと言う8歳の少年でした。送られてきた履歴書には、両親は定職が無く、非常に貧しい家庭とありました。難民の子たちは、スポンサーができて初めて学校に行けるのです。聡明そうな顔をしたかわいい子供で、一生懸命書いてくれた、クリスマスカードが手元にあります。ほんとに賢い子供だったのでしょう、あっという間に、公的機関からの奨学金を得ることが出来ました。

今の里子はKalsang Chokey と言う11歳の女の子です。兄弟姉妹が6人いて、定収が無い家庭。この子も very poor family 欄にチェックが入ってました。
一番最近の手紙には良い点で試験に受かった旨が本当にうれしそうに書かれてありました。そしていつも手紙の最初は、貴女にTashi Delek したいと、書いてあります。きっとチベットの言葉なのでしょうね。
tesyukeの場合、貧者一灯ですから、続けようか止めようかと思案することもあります・・・・が、こんな言葉に出会うと、ほろっとしてしまいます。