福島の焼き物と窯、戊辰戦争の激戦地を行く

青天を衝くー渋沢栄一の生涯 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ

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福島の焼き物と窯(1) [焼き物に魅せられて」

2021年04月09日 | 福島の焼き物と窯
初めに

日本人の繊細な感性は四季の移り変わりのなかから生れたものである。この感性は次代の人達にも大切に受け継いで行かなければならない。
新型コロナウイルス感染拡大が続き、生活様式も大きく変わり、心の余裕もなくなり、文化芸術の良さが失われてきていることは誠に残念なことです。
人生のうち、最も感受性の強い中学・高校時代に創造性豊かな美術や音楽、日本の古典などに触れる必要があると思う。
私も中学生の頃から、奈良や京都の仏像、庭園などに興味を持ち日本の伝統文化の素晴らしさに直接触れて見たいとの思いがあった。
私ごとであるが、東京にいる伯父の故芳村伊左衛門は、長唄界の第一人者で若山富三郎や勝新太郎の兄弟子でもあった。
杵屋の社中で多くの門人を抱えていたが、松竹歌舞伎の世界では長唄・三味線を演じていた。
そのような環境にあったので、上京すると歌舞伎、能、狂言などにも関心を寄せ鑑賞をしていた。
大学では化学を専攻し原子や分子などのミクロの世界を覗いていた。およそ芸術とは縁のない理論や実験の学問なので、全く正反対のものに魅かれたのかも知れない。
陶芸を志したのは、幼い頃から時々母が立てくれたお茶の茶碗や茶道具などに触れたことがきっかけとなった。
お茶は裏千家の作法であったが、子供心に長時間和室に正座させられて足の痛みのみが、記憶に残っている。抹茶をいただく前のお菓子の甘さが魅力だったのかも知れない。
 そして何よりも焼き物の色の美しさと、陶器の肌の滑らかさに魅了され、焼き物の道に入った。
私の住んでいる福島県須賀川市岩瀬地方には古く江戸時代より焼かた長沼焼きがあった。そして東北地方の焼き物の源流は福島県にある。福島県内、東北地方の窯を訪ねてその歴史の流れをまとめてみた。
陶芸の道に入り、ロクロを引き始めて50年になるが、より焼き物の魅力にひきつけれれている。



◎例年より1週間早く満開となった自宅の桜(令和3年4月8日)

◎自宅の桜4月9日



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