89歳の日々

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古九谷を語る-;荒川正明氏のお話

2006-11-26 21:31:53 | 九谷焼
 加賀市にある九谷焼美術館で、出光美術館の学芸員・荒川正明さんの話は、とても良かった。
 どうして古九谷の産地が有田であると言う説が、広く信じられるようになったかを、九谷の産地に居る私も納得出来ました。

 有田では窯の遺跡も100以上発掘され、研究会も活発で度々行なわれ、彼も(多分他の研究者も)、毎年通って、その研究結果から古九谷の有田説を信じるに至ったとの事です。

 3~4年前に再興九谷の「吉田屋研究会」が発足してから彼も毎年加賀へ来るようになり、古九谷の独特な画風などから、結局「古九谷は、前田家が有田で作らせたのではないか」と言う推論に達したようです。この話も、彼が順序立てて話すと、すんなり聞けました。

 ですから、九谷の方でも、もっと発掘等々をして(来年から発掘が始まるとの事です)新しい研究成果を沢山の人に発表し続け新説を確立して欲しいと言っていました。もし古九谷の九谷説が確定したならば、彼は土下座して謝るそうです(笑い・・・)

 しかし九谷は江戸の大聖寺藩邸跡(この大聖寺藩が九谷村で34mの窯を築き、九谷焼を始めたと言い伝えられている)に沢山の九谷陶片が出たように、前田家と特別な関係があったという事は確かですが、「古九谷は有田で作っていた」ことを認めなければ、話は始まらないとも言っていました。
 
 なを、大成可乃氏と堀内秀樹氏による”東大構内出土「古九谷」と生産地”を下記のように付記いたします。

「古九谷」と考えられた陶片は、本郷キャンパス内の医学部附属病院地点より出土した。特に天和二(一六八二)年の八百屋お七の火事によって廃棄された地下室からは、多くの「古九谷」と考えられる陶片が出土している。(付記:この時期は古九谷の最盛期と考えられていのです。)

 分析に対する報告は、蛍光X線による分析の結果、少なくとも五彩手古九谷は肥前産であろうと見解を示された。 放射化による分析方法も加えて行われたがここでの成果も、青手古九谷についても肥前産であることが確認される・・と述べられている。以上。

 ここでなを、しかしと言いますが、上記のように分析結果は古九谷の産地は肥前、有田となりますが、不思議なことに文献的には加賀にはいろいろの九谷焼に関する文献があります。それは改めて書きましょう。

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