親鸞上人は比叡山等の旧仏教徒の讒訴に依って1208に越後の国府(直江津)に流された後に、関東の常陸地方に約20年程過ごされたこのは良く知られています。
息子一家がつくば辺りに住んでいますので、私共夫婦は青い冬空の彼方に筑波山を 眺めながら彼らの車で親鸞上人の旧跡少々を廻りました。
報恩寺
親鸞上人に関係のあるお寺として息子がネットで調べた 報恩寺に参りました。
静かな場所にぽつんと建って居るお寺でした若い息子さんにお話を伺いますと・・・・
何と!かの有名な性信坊が開かれたとの事。
目の前の方が小説等で色々書かれている性信坊のご子孫でした!
性信坊は1187年に鹿島神宮の嫡男として生まれましたが、気性が激しく
悪五郎と言われていたそうです。
天覧相撲の為に常陸から選ばれて京都に行き、そこで縁あって法然上人の弟子になり、後に法然上人による親鸞の特度の際にも立ち会いました。
以来親鸞上人とは深い縁で結ばれ、越後への流刑の際にも一緒に行きましたが、
その後常陸に帰り、上人が常陸に来られる時にはお迎えに行ったと言われます。
当時荒れ果てた寺がこの地にあり、これを親鸞上人が性信坊に貰い受けるよう
に言われ、それが現在の報恩寺の始まりになっています。
ご子孫は明るい感じの良い青年で興味深いお話を伺う事が出来ましたした。
西念寺 この茅葺屋根の山門は、も古い歴史を感じさせました。 親鸞上人は1214年に領主の稲田九郎頼重の招きで来 られ、このあたりの草庵に20年ほど住まれ、 主著「教行信証」も書かれました。
(その後62歳頃京都に帰られました。)
稲田の西念寺という立派なお寺の本堂は1995年に再建されたもので,親鸞上人のゆかりのお寺とされています。
田園の中にありますが後ろが山になっていて、登ると見晴らしが良く気持ちの良い処です。
ここは何処にも属さない独立のお寺です。(そこに行きますと言い伝えによって、親鸞上人のお墓も建てられています)
蛇足・・
親鸞は公に妻帯し、長男の善鸞を関東布教に出していましたが、親鸞の教えを
守ろうとする性信に対して、善鸞は違った教えを広めた為に1256年親鸞84歳の時に、
息子に義絶状を出して義絶しました。
其の6年ほど後に親鸞は90歳で息子(有房)娘、門弟二人に見守られながら90歳で
亡くなり京都の大谷に納められました。流罪後は非僧非俗の立場を貫きました。