婢将女(ひしょうじょ)日記

ニダの創氏改名・通名の大問題を叩く!日本人の生命と安全のために

国母選手のいまどきファッション

2010-02-15 11:11:15 | 政治への怒り
国母選手の言動が、非難されている。
格好だけ見れば、国の代表としてオリンピックへ向かうと言う場面で、あの「着くずしはないだろ」と言う見方から、非難の声が上がるのも頷ける。

別の見方では、あの着くずしはいまどきのファッションであり、相当「イケテル格好」とも見える。

しかしいただけないのは、記者などからの質問に対する受け答えではなかったか。
一連の騒動に過剰な批判との声もあるが、ああいう非難のなかで、一人前の社会人として、何処に出しても恥ずかしくない人間をつくりあげていく事も、大事。
国母氏はまわりから教えられアドバイスされて、良い方向に変わっているのであるから、本人のためにもなっていること。さらにこれを見た若者も、公の場ではどうあるべきかの反面教師ともなり、世論の過剰反応とは決していえない。

何時までも子供ではない、社会人として通用する人間を作るのは社会の勤めでもある。
「朝青龍とは違うんだから」と、彼を擁護する向きもあるが、それは若者のためにならないのだ。
さて、品格とはさらに高い精神性や道徳性さらには人間性を求めるもの。
辞書には、品格とは「気品」「品位」とある。

話は飛ぶが、天皇陛下は恒例の大きな祭りの際には、深夜や早朝とその祭事ごとに五穀豊穣や国家の安寧を祈るために、2時間以上も正座をされ祈るのだそうだが、その訓練にと、日頃の夜のTV鑑賞では、正座をされて見ているとの秘話を侍従の方がされていた。
祈りで神と向き合う場合、「足が痛い」などと邪念が入らないようにするための訓練なのだそうだ。

さて、相撲とは神に奉げものとして供するものではなかったか。
ならば向き合う相撲取りも、単に格闘技と言う枠を超え、神事としての品格があり、神に展覧するという意味では、精神的な高みが必要になるのは当然ではないのか。

さてオリンピック。最近は経済的効果を目論む主催国が多い。
しかし一方では、オリンピアの聖地で取火式が行われた聖火を、世界中の人達が守りつないで開催国に聖なる火を届け、ついに開催国で催されるオリンピック。
オリンピック競技発祥は、ぜウスの神殿があり、宗教の中心が発祥の地で、こちらも神事と無関係ではないと言う点で、品格や精神論が問われるものではないのだろうか。

いずれにしても国母選手は今回の事を笑い話にする勢いで、良い成績を残し挽回するぐらいの気構えでなければ、男でないぞ!頑張れ日本!

参考として、以下産経ニュースより
{スノーボード男子ハーフパイプの国母和宏選手(21)の服装に乱れがあったとして、非難が殺到してるようですが、「えっ、なんで?」と。別にいんじゃない、違和感はないと感じましたが…。いかがでしょうか。シャツ出し、腰パン…確かに”公式の場”ではあまり褒められた格好ではないかもしれませんが、立派なファッションといっていいでしょう。それなのに鬼の首をとったかのように、五輪選手として「品格がなっていない」と責められるのは、逆に違和感がありましたね。
 折から朝青龍の品格が問われた。その直後だからといって、『再び問われる品格…』というのはいかがなものだろうか。相撲の場合は伝統・神事という観点から、その最高位にいる横綱は神に最も近づいた存在として「品格」を求めている。国母選手を”同じテーブル”に上げて論ずるのはちょっとお門違いでなないだろうか。
 確かに五輪派遣には税金が使われて、国の代表という心構えが必要だろうとは思うが、だからといって神のような品格論を振りかざすのは、単なる論点ボケ、混同である。朝青龍問題とは違う。国母の記者会見を見ていて、ちょっとすねて、執拗な質問に、「ちっ、うっせいなぁ…」という言葉をはいたことは、ま、いただけない。オイオイ、お前も成人男子だろっ、TPOを考えろって思ったけれど、ソレはソレで監督責任者が注意すればいい。ま、その前に、五輪関係者が過剰反応して?入村式を欠席させたりするから、かえってことを大きくした。いまどきの若者なんだから…で目をつむっていいケースだと思いますね。たとえ服装に少々の批判があっても、「これ、いまどきですから…」と周囲が言ってほしかった。
 国母は現地の予想でもメダル候補に入っている、と聞く。競技で頑張って是非とも、こんな雑音を吹き飛ばしてほしいものです。}