魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【朝鮮特有の「恨」についての考察】

2017-12-31 14:48:40 | 半島族

 社会的抑圧に発する諦めの気持ちと悲しく惨めな感情が自己の深層心理に沈殿し,積もった状態をさす朝鮮語を「恨」という。具体的な仕返しをする対象を措定する〈〉とは区別される。一方,挫折した夢を叶え,望むべき新たな生を実現させ様とする感情の行為を「恨解き」という。

 或いは、刺激に対して興奮し易い屈折した性質,社会的に無理に押し付けられる様々な抑制により閉ざされ沈殿した情緒の状態が続く限り,恨は持続する。長い受難の歴史を通じて常に貧しく,抑圧されて生きて来た一般社会の人々の胸の底に籠る恨は,自ずから彼等の行動を左右する要因として働き,抵抗意識を生み出す様に成る。半島では李朝朝鮮時代から第2次大戦後の解放後迄の支配的立場に在る者が独断で恣に事を行うの下で,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されて来た。

 本当のことを言うと、此れはある資料を参考にして書いたものであるが、其の著者「韓国では李朝朝鮮時代から第2次大戦後の解放後迄の支配的立場に在る者が独断で恣に事を行う下で,」という下りで我は、「半島では植民地時代から解放後の外勢と“ 独裁 ”のもとで,」でを削除して「半島では李朝朝鮮時代から第2次大戦後の解放後迄の支配的立場に在る者が独断で恣に事を行う下で,」に変更して書いた。

 実は、「独裁」という言葉には、「 少数者に権力が集中し,大衆の政治的自由が抑圧されている統治状態」にあることに「専制」と共通点はあるが、「専制」とは異なり,「被支配者である大衆の政治参加と積極的支持に基づく点」が特色であるので、「支配的立場に在る者が独断で恣に事を行う李朝朝鮮下等の長い歴史の半島統治体制て所為あった『専制』」と成る筈で、著述が間違って居るのだ。更に、半島人が持つ「恨」には、日本統治時代には積極的な人権政策が行われており、「恨」が醸成された痕跡等無いのであり、小聡明い書き方は此の著者が日本民族で無いことが読み取れる。


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