魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【ネットの歴史は素人が勝手に改竄する代物ばかり(因みに、日本歴史学会の日本史やWikiの日本史の記述は朝鮮系の者のものばかり)】

2018-09-24 15:51:36 | 歴史

 13世紀、次第に朝鮮・中国への海賊行為が目立。朝鮮の文献に初めて「倭寇」の文字が出る☜『高麗史』の1223年。1232年には、『吾妻鏡』に肥前(唐津)の人が高麗で海賊をしたことが記録されています。

 元寇は、文永の役1274)、2度目を弘安の役(1281年)と言われる。

 ネットでは、倭寇は元寇の仕返しで発祥したと書かれたものが多いが、此れは改竄。


 元朝は、1271年から1368年迄

天童寺
http://www.kagemarukun.fromc.jp/page003f.html

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大徳5年(1301)に天童寺住持の東巌浄日(1221~1308)のもとに「朝元宝閣」の勅額を賜っている(『天童寺志』巻之2、建置、元、大徳5年条)。大徳11年(1307)、実際には至大2年(1309)のことであるが、寧波にて「日本の商人」()が暴動を起して放火し、寧波の城中がすべて焼失する事件が起こっており、これにより日本僧の摘発が天童寺にも及び、龍山徳見(1284~1357)を含めた十数人が逮捕されて大都に送られている(『東海一オウ集』巻5、真源大照禅師行状)。至治年間(1321~23)には住持の雲外雲岫(1242~1324)が構畳軒を中峰に建造している(『天童寺志』巻之2、建置、元、至治年間条)。

日本の商人 実際は平素は商人と身を変えた海賊倭寇


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