魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【合衆国は文字通り人種や民族毎に倫理感や「社会通念の感じ方」も違うから、倫理観や道徳観念は基準と成らず総て法で結着を付ける。簡単に謝罪し無いお偉いさん。】

2018-11-09 15:50:28 | カルト宗教の闇

 前にも書いたことが在るが、直ぐ傍に或る特亜の国々も海洋で隔たれて居るので、地続きで簡単に歩いて行き来出来る大陸と日本の思想体系は丸で別物である。大陸の地続きの国は多かれ少なかれ孰れ異民族同士の攻防や共存が為されて来た。日本国も争いの歴史には大陸と遜色は無いが、所詮、小さな島の中の覇権争いであった。当然覇権を取った者は、思想統一を目論むが、そんなことをし無くとも箱庭で暮らす人々は、自然に同一性は確保される。

 責任を辞書で引くと、
責任とは、元々は何かに対して応答すること、応答する状態を意味しており、或る人の行為が本人が自由に選べる状態であり、此れから起きるであろうこと或いは既に起きたこと の原因が行為者にあると考えられる場合に、其の或る人は、其の行為自体や行為の結果に関して、法的な責任がある、または道徳的な責任がある、とされる。何かが起きた時、其れに対して応答、対処する義務の事。」

とであり、更に、管理者を辞書で引くと、
「管理者は究極的には人や物を管理し、施設や集団を運営する者。」狭義には、「一定限で実行者を支配し組織等で決めた通りに実行者に実行させる権限を持つ者」
と解釈出来よう。

 だから、欧米であろうと特亜の国々であろうと、社長や大臣(外国では日本の大臣に相当する地位がある者)は、部下の不始末には謝罪と責任を取るべき道義的責任が在るのだ。此のことに文化の違いは無い。

 「悪」とは、" 何の根拠も無く " 他人に被害を与える迷惑を及ぼすことである。迷惑を及ぼしたら、欧米人だろうが特亜だろうが、先ず謝罪して自ら罰を与えられるべきである。

 特に、社会的影響力の在る者の責任は重い。

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 公人は不作為の責にある。御身大事で日本が崩れて行くのを見のがせば、其れは護るべき国民や住民への裏切りで、少なくとも道義的責任は一生問われる。


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