魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

「玄徳」とは?

2012-04-16 16:11:58 | 学問

玄徳とは深遠玄妙なるをいう。
明かには顕されていない天地万物あらゆるものに本来的に備わる徳であり、徳にあらざる徳である。
たとえば人において徳として顕された徳は、人に情があるが故に本来の徳の本質から遠ざかってしまう。
その本質を失わず、徳としても意識されない心そのままの徳を玄徳と呼ぶ。
これは大自然と同じであり、無為なるが故に万物を化す。
儒教において聖人といい、君子といい、そこに仁義禮智信を述べ、人の善性に帰して顕れるに至った徳は、この深遠なる玄徳の一端を垣間見せていることになる。」

以上、以下のURLのネット記事

>>http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_ke/goi_ke_12.html

「玄徳」を字句の儘に訳せば、「深淵な徳」ということで、「底知れない深い意味での『徳』」のことを言うということになる。

[ 徳 ]には以下のような様々な意味がある。

修養によって得た,自らを高め,他を感化する精神的能力。 「-を積む」 「-を養う」
精神的・道徳的にすぐれた品性・人格。 「先生の-を慕う」 「-の高い人」
身に備わっている能力。天性。 「よく味(あじわい)を調へ知れる人,大きなる-とすべし /徒然122
めぐみ。神仏の慈悲。加護。おかげ。 「-を施す」 「神の御-をあはれにめでたしと思ふ /源澪標
善政。 「師(いくさ)をかへして,-を敷くにはしかざりき /徒然171
富。財産。裕福。財力。 「上達部の筋にて,中らひも物ぎたなき人ならず,-いかめしうなどあれば /源東屋
富を得ること。利益。もうけ。得。 「時の受領は世に-有る物といへば /落窪1
「道家の『徳』は、根本的実在である「道」の万物自然を生成化育する働きを表す。『老子』はその名を『道徳経』とも言われる。」
老子によれば、『道』とは名付けることのできないものであり(仮に道と名付けているに過ぎない)、礼や義などを超越した真理とされる。天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる道を天道(一貫道ともいう)といい、人間世界に関わる道を人道という。」
 以上のように解されるのが一般である。
 我が私見を敢えて無理にこじつけて謂えば、『道』は宇宙森羅万象の実在を衒い無く素直に「事象」として受け止めることでは無いだろうか?と想う。『徳』とは、上述の通用を信じれば、「宇宙森羅万象の実在を活かす原理」を如何に捉えるかと謂うことではないか?と想う。
 そう解すると、「『玄徳』とは宇宙森羅万象に備わった其々の根源的特性を超越した万物万象総てを覆う『原理』への適応」を言うのかな?矢張り老子にあって訊かなければ分らないことである。

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