魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【日本の堕落からの脱皮して直接民主制を模索すべき】

2018-04-25 20:32:53 | 日本国のあり方

 我が国の政界の輩は総て堕落してる。政治の堕落は、其の国の民度の低さの結果である。物質的要求ばかり先行させ、精神的潔癖性が等閑にされて来たことが此の堕落を生んだ。

 国民が生きることに懸命な時代では、邪な生き方は社会が赦さ無い。物が豊富で安直に物を手に入れられると、生きること軽く見て、世の中に好い加減な風潮が蔓延する。

 今日本は最高の時期に在る。緩々と日々を遣り過ごし、白けた生き方から脱却するには脱却するには今が好機と言える。食え無い社会は問題外だが、凡ての国民が、日々緊張感を持って生きる世の中も決して悪いものでは無い。「国の在り方」や「人生」を一人々が真摯に考える良い機会である。腐った政治や行政に頼らずお互い助け合って生きて行く様な社会も悪くは無い。政治屋や行政に携わる輩が特権意識を持つのは、国民が彼等を煽てて利用し様とするからで、余りに多くの権限を与えるからであり、悪政の付けを回されるだけである。日本が此れ程酷い状況に成ったのは、政治屋や役人の質の悪さであるが、彼等を甘えさせたのは我々国民である。政治屋に期待しても所詮無理なのだ。日本が戦前戦後の或る時期未曽有の発展を遂げた実行者は、国民であった。政治屋が国民の生活向上について真剣に考えたのは、戦後の一時期だけであり、後は政治屋に擦り寄り、利益を得様とする輩と組んで甘い蜜を吸い尽くして来ただけである。政治や行政が、日本の再生への良い知恵を出せると思ったら大間違いである。柵と自己権益で雁字搦めに成った輩に今日の未曽有の難局を切り抜ける為に出来ることは何も無い。彼等の今日の迷走が、此の事実を如実に具現して居る。

 グローバルスタンダード等と言って居る様では、食え無い人が急増して仕舞う。何故なら自慰の混迷に遭って居るのは、我が国だけでは無い。多くの国が危機的状況にある。オリンピックでは、日本は幾つメダルを取って居る。世界が競い合えば、其の中で高い立場を維持することは難しい。同じ土俵の上で多くの国が競い合うことに成ったからには、「日本は高い技術力を持って居る」等ということは慰めに過ぎない。高止まりで国の行く末を夢見ることは辞めて、地に足が着けた日本の在り方を見据えて歩むべきである。

 先進国の水準から言えば、役人の数が足り無いと言い乍高給を取り、仕事を企業やボランティアに丸投げして甘い汁を吸って居る役人等は要ら無い。我々国民は、能力の無い役人に代わって、国内外の世論を動かし、各国の協力姿勢を導こうでは無いか。

 外交のプロである筈の者達が、能力に比べ極端に高い歳費を取って居るのも彼等の行き詰った外交交渉の痴劣さからも窺える。相手に阿れば何とか成ると思って居るのだ。外交が難しいのでは無く、能力が無いから自ら難しくして居るのだ。北朝鮮に遠慮し、入港の臨検が厳しく成ること迄事前に喧伝して遣る親切さがあると思えば、有事法や個人情報保護法やヘイト規制法や国民№制で国民を縛ることは、さっさと決める強引さを見せる馬鹿供に国民は舐め切られて居る。常識的に考えれば、跳んでも無い矛盾に目を瞑って従って仕舞う国民は何なのだろうか。

 政治屋の劣化の最大の要因は、選挙制度に在る。国会議員は国政に関わる選挙であり、国民全体の福利を如何導くかと言う国民全体の福利の向上を同時に上げる国政選挙である。党利党略や地方の代表の選挙であっては成ら無い。更に毎度、得票率が悪過ぎる。此れは悪疾い政治屋共の選挙制度が、「如何せ」意識を国民に生ませるからである。少なくとも8割以上の投票率が無いのは最早選挙とは言えまい。国会議員一人一人が国民の代表で無ければ国会議員が彼れだけ大勢居る意味が無く、金の掛かり過ぎる制度も政党政治が邪悪な国政の基である。投票率が8割以下なら何回でも選挙を遣り直すべきであり、そんなことが永遠と続くなら国民は国政に見切りを付けてる証拠と成る。政党政治は必ず多くの「無党派」層を生んでる現実を大きく留意すべきであるのだ。

 民主主義は出来るだけ大勢の者が議論を重ね決議に持って行くプロセスを大切にするが、議論する人数が多過ぎるから、議員の責任が曖昧に成り、居直って居座ることに成る。少数の議員は大勢の国民の票を取って代表と成れるので、議員の数が少なくとも選挙で多くの国民から選ばれて居るのだ。

 我としては、「人に『権力』を持たせば、必ず腐る」が持論で在り、「国民の福利より一度手にした旨味を護ることに専念する」ものである。

 我々は、工夫を凝らして「直接民主制政治」を造り上げる時期が来たのである。


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