魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【「臭い臭いは元から立たなきゃ駄目」👈人類が悠久の時代を通じて練り上げた倫理観や道義観を捨てる誤った人権主義を改め無ければ、現在の蒙昧混沌の現状を抜け出せ無い】

2019-01-30 15:43:12 | 政治の闇の犠牲者達

 新自由主義を採り乍、財政難に喘ぐ日本政府は道理を外した高福祉政策を採って、国民全般の暮らしを困窮させて居る。

 日本国憲法では、
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

従って、
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
とされて居る。

 義務教育以前の貧困家庭の児童は格別、保護者の所得に拘わらず一律に児童の保育費を無償にするのは、日本政府は狂って居るとしか思えん。こんなものは、少子高齢化に有効な対策でも何でも無い。
 日本国憲法では、「日本国は自由主義国家である」と明文化されて無いが、日本国憲法第三章の各条文や第97条等其の外の条文から日本国が自由主義国家を標榜してることが読み取れる。

 自由主義の国家の国民が先ず社会から問われることは、「自己責任」の生き方である。然し、国家は「国民の運命共同体」として存立するものであり、国民同士相互扶助の精神が強要されるへきである。従って、国民は憲法第二十五条の「最低限の生活」以下に落ち込んで、国民全体の扶助に頼ら無い様に絶えず努力すべきである。此の努力が足り無ければ、少なくとも最低限の生活に甘んじる以外無いのである。
 思わぬ突然の不幸で夫婦の片方が欠けた場合は仕方無いが、離婚や未婚の母が生む社会は、改められるべきである。厳しく言えば、浮ついた世の中の風潮が此れ等の「慮外者」達を生むのだ。
 所謂貧困児童の生まれること以外にも、自由主義社会で果たすべき「自己責任」を果たさず社会に面倒見さそうとする慮外者は居る。此奴等を社会から絶滅させることには相当な覚悟が居るが、社会に此の様な輩を出さ無い為には、国民の倫理観や道義観を上げなければ成ら無い。此れには幼い時からの躾や成長期の道徳倫理感の植え付けが必要と成る。更に、成人教育も欠かせ無い。其れ等は積極的な取り組みだが、政府の取り組みとして自己責任も果たせ無い者への福祉政策や最悪な財政難も顧みず所得制限無しの児童保育無償化等の供与は言語道断で、結果として国民の倫理観や道義観の欠如を助長することに成るのだ。
 未来に明るい社会を展望出来る確りした国家には、確りした生き方の出来る国民で無ければ成らない。

 少子高齢化は、平成に成るずっと以前から危惧されて居たことで在るが、日本国政府は有効な手立ても、政策も実行して来無かった。総て過去と現在の政治屋の無責任から生じたものである。

 今一つ考えなければ行けないことは、地球や日本列島の人口は、社会を造る一人々が確り生きれる環境を成せるものかということである。


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