2019年8月9日(金)
この日は私が何度も参加してきた「平和の旅へ」について少し書いておきます。
組曲8曲から構成されています。原爆乙女渡辺千恵子さんが語り部として活動を
始めた様子が歌われた曲です。
↑日色ともゑさんが
この中で私も歌いました。真ん中あたりでした。
また、このステージで私はおてもやん(300人の九州合同合唱団)の指揮をしました。
姉が絣、腰巻・などの衣装を準備してくれました。実家や兄姉の家族 高校の同級生が
たくさん応援に来てくれた思い出深い祭典です。
作詞 作曲 | 松下 進 園田 鉄美 | |
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平和の旅へ 出かけよう あの日のナガサキの 語り部として 平和の旅へ 出かけよう それがわたしの 生きて行くあかし 胸弾む 友との出会い求めて 車椅子で こぎ入れる見知らぬ町へ 草の根の ひとつひとつの命に触れて 平和の旅へ 出かけよう 平和の旅へ 平和の旅へそれが わたしの人生 平和の旅へ 平和の旅へ それが わたしの人生 渡辺千恵子(わたなべ・ちえこ) 1928年生まれ。16歳で被爆。頭と足がくっついたエビのような姿で鉄骨の下敷きとなり、脊髄を損傷。数日後、腰から下の肉が腐りはじめ、母がカミソリで腐った肉をガリガリ削り、骨がむき出しになった部分もあったが、腐敗を食い止めて命をとりとめた。核兵器廃絶運動に生涯を投じる。64歳で死去。 被爆者・渡辺千恵子さんの半生を描いた合唱と語りによる組曲「平和の旅へ」が演奏されました。核兵器禁止条約の採択と、公演250回を記念する墓前報告会でのこと。作曲・指揮した園田鉄 ... 世界大会に参加したのは、長崎原爆乙女の会ができ、外の世界とつながり始めて間もないころでした。 「いくたびか死を ... 移動するのもこんなに大変なことなんだと知りました」. 『長崎に生きる』 この合唱組曲は「原爆乙女」として.自分の体をさらけ出し世界に核兵器廃絶を訴え続けた 渡辺千恵子さんの半生を描いた組曲です。 私たちのうたごえの仲間「園田鉄美さんなどで創作され、いろんな祭典や、長崎では修学旅行生にも 演奏を続けています。 渡辺さん亡きあとは渡辺さんの役をいろんな方がやられましたが、印象に残っているのは 北九州の日本のうたごえ祭典(写真)で演奏した時 日色ともゑさんが演じた時のことがとても 印象強く残っています。
園田鉄美さん 作詞作曲歌も歌います 指揮者でもあります。 長崎には平和教育を兼ねての修学旅行生がたくさんやってきます。現地の高校生も 平和の旅へを演奏できます。 今日は、温泉も休んでプールでのウオークと圧注浴、サウナなどで足を いたわりました。
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