#AcadeMee_Too と同じぐらい強調したいのは、私からは一円の利益も得ていないにもかかわらず所属先の教員より遥かに目をかけて心配して協力してくださる方々(つまり他大学の先生)が少なくなかったということです
— グリハルバ (@asgrijalva) 2018年5月7日
アカハラの被害者(のその後)には二種類がいる。
「オレは若い・立場が弱いときにこんなひどい目にあった。したがって、オレより若い者・立場が弱い者にひどい目にあわせる権利がある」と信じる・前提にする者。
「オレは若い・立場が弱いときにこんなひどい目にあった。幸いオレは強かったからこのとおり生き残ったが、まあやるべきじゃねえなあ、こういうの」と考え・そのように振舞う者。『夜の霧』で、収容所から解放されたときのユダヤ人の振る舞いについて学ぶところがある。
原則的に私は後者であり、所属も違う分野も違う若者に合理的範囲をやや超えて親切にしているものと思うが―観測される現象からは、そのように判断してよいものと思う―、一応、こんな私でも、自分にアカハラしかけてきた○○には、『速やかに片付いちゃえばいいのに(笑顔)』位は思う。
ちなみに
#AcadeMee_Too
— Atsuko TAMADA (@atsukotamada) 2018年5月7日
上野千鶴子先生の「悩みのるつぼ」(朝日新聞2009年5月9日付)は至言。 pic.twitter.com/gCfkTd5O9h
「泣き寝入り」を勧める向きがそれなりにあるのは、当然のこと。人を呪わば穴二つ、ということもあり、速やかに片付いて欲しい人を片づけるために全力をあげるのは、それはそれで生産性が悪い。その人にとっての経済性の問題である、ともいえる。相互主義ということもあろう。たとえば、指導を口実に呼び出されて強姦されて彼から捨てられた…という場合の復讐は、その相手が不貞行為で離婚され慰謝料をかっぱがれる…あたりになるのではないか。なされた不正義(被害)の弁済についてもなされるべきだが、これは世間の通例に従うことになろう。
院に進学される方は、指導教員が最後までパートナーとしていられるかどうか見極めましょう。
— ひかるくらげ (@sarusiakurage) 2018年5月7日
配属の後にヤバいと思ったら、すぐに逃げましょう。我慢する必要はありません。
正直、指導も研究費獲得も論文投稿もしてない教授が居座っているのは疑問でしかありません。#AcadeMee_Too
論文投稿できなくなったひとはねー…そのくせ、なぜか大物を自称する勢いと態度はたいした者でして―…。
「君がどこに就職しようとしているのか知らないが、この分野の大家である私がちょっと根回しすれば、どの会社も君のことは敬遠するだろう。そんなことは簡単に出来る。」というような話を個室で一対一で三時間くらい言われて、実際転職活動で苦戦して無職になった#AcadeMee_Too
— 南極にゃんこ (@NekoAntarctica) 2018年5月7日
いやん。三時間の一回くらいで済むなら、まだ極めて短いほうじゃないですかー、という嫌な突っ込みは山のようにあるかとー…。
…あとは、そのアカハラ者の政治力の差になりますね…。…キッツイ話です…。
私のほうがどうかは、ちょっと謎。私の名を抹消すると言ってきておりますが。それはそれで苦労があるかと思いますよ。生産力の絶望的な差を認識できていないようなんですが。私が出したデータを、私に言及せずに発表するとか、まあいいんですが―あのう、私と縁を切ったというのは、データの生産もとが無くなったということを意味するわけですが、ほかのデータ生産元って私ほどの生産力ありますか? あると思えたんですか?
博論研究テーマの目玉になる投稿論文の参考文献リストを充実させるため、キーワードで検索したら、まさにその投稿予定論文ママが指導教官の単著で投稿受理されて世の中に出てた。数週間前に内部報告として渡したものだった。#AcadeMee_Too
— Agash (@appareja) 2018年5月7日
こういうのも、「泉」あってこそのものであるのだ。
いやまあ、普通の教授なら、自分自身がそこそこの泉ではあろうが。
どれだけ馬鹿とか頭悪いとか言われても、論文けなされても、平気だった。頭悪くてごめんなさいだし、なにくそと思って頑張れた。いまも厳しいご指導に感謝してる。でも、ブスとかデブとか、関係無い思うの。容姿とか出身地とか罵倒されると心が侵食されるよね。#AcadeMee_Too
— donadona (@ahirunimutyu) 2018年5月8日
出自で差別された経験を一度でも持てば、それがいかに不当なことかが分かる。されてはならないことを、してはならない。
— jiro kokuryo 國領二郎 (@jirok) 2018年2月12日
出身差別発言等々はまあねー。
若手研究者に金をばらまくことで何でもいうことをきく子飼いをつくる。自分の金でやるんなら誰も文句を言わないが、税金を使ってやるとその内容を厳しく精査されるのは当然だろう、ってマックで女子高生が言ってた。
— 高橋雄一郎 (@kamatatylaw) 2018年5月6日
「自分の金でやるんなら誰も文句を言わないが」なんだが、その手のひとは、ポストも研究費も人格も思想も自分で自由に左右できるべきだ、そういうウラのルールがある、と信じるようで、私では最終的には調整をつけてあげることができなかった。
オーダーの一部は、1) 直近で投資に勝利できる情報、2) 安倍政権を馬鹿にし、軽んじ、侮蔑すること、であり―この時点で、少なくとも微視的には矛盾をきたす。しかも安倍政権を通じて基本的には株価・為替は概ね一応好感方向であり、日々時々刻々の下落の責任を安倍政権の愚昧さに求めるのは結構難だった。
大物研究者が巨額の科研費を取得して若手研究者を雇用した。若手研究者はこの御恩に公私問わず奉公で応えるだろう。動員かけられれば街頭デモにも参加するかもしれない。外から見ると研究界のヒエラルキー構築と維持に税金が使われていると理解される可能性があるかも。 https://t.co/8mdU6mI4l8
— 高橋雄一郎 (@kamatatylaw) 2018年5月6日
そういう大物になりたかったらしい人もおり、政治的に従属しない私に切れてましたな。いや、アンタ、そんな大物じゃそもそもないだろ、とも。そのひとがそういう大物になれなかったのに、私には責任ないからねえ…。そのひとの指示・要求はまず満たしてきたのであるし。それで大当たりできないというのはそのひとの指示の限界がその辺だったということになる。
この「ご恩と滅私奉公」というのは、まあその、今は退職された世代には常識であったようで、きりきり若い人に要求してきたようなのだ。しかし既に我々は若い世代にはいっているのであり…。
今時はこんなことするとアカハラで訴えられたときどうにもならなくなるしそもそも労務管理がきつくて定時で帰らせて業務時間外は拘束しないようにしないと、みたいな感じになっているのが普通なんではないかと思うけど。特に文系だと。実際の所どうなんだろうか? https://t.co/GnPXjTiCii
— Kiyonori Nagasaki (@knagasaki) 2018年5月7日
いやあ、ふるい意識の人はいますわ。古い世代に、特に。文理限らず、というか具体的には理学博士様にもいらっしゃいまして…。
…分野的な傾向はあろうが、個々人の見識の問題も相当あるよなあと。
研究費をばらまいて子飼いを作ると聞いたのですが「ありがとうございます、つきましては最大のご奉公としてお命頂戴」「ぬはははは返り討ちよ」みたいな光景しか想像できません。いいですか、多年の学恩に応えてわしらが編んだのが『逞しきリベラリストとその批判者たち』(ナカニシヤ)です。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2018年5月7日
そりゃあ、師匠を超えるような弟子にならねば、その系統はひたすら衰弱して消え去るだけですからな、よそが進展すれば。
なので、大恩ある師匠の名を高からしめるためには、当然、弟子は師匠を超えるようなものになり、「いやあ、このような優秀な私を見出し、育てた師匠はたいしたものなのだ!」と言ってあげねばならぬ。
…と今まで信じて生きてきた。
が、「なにはともあれ、オレ様が偉大であることを日々称揚せよ! 偉大なオレ様の偉大な政治的経済的見解は素晴らしいものだと同意せよ! そのような人格者であるオレ様を尊敬しろ!」という「大物」が…。
そーゆーゴミ水準に絡まれた不幸を悲しもう。そして論文を書くのだ、まっとうなものを。
他分野は知らんけど、歴史学では最大の師匠孝行は親殺し、つまり師匠の研究を乗り越えて倒すことだと教えられているので、さもありなん。
— せんだい歴史学カフェ (@SendaiHisCafe) 2018年5月7日
いや、どこでも同じだろうになあ:
井上達夫先生だから特別という面もある気もしますが、将棋界では師匠に勝つのが恩返しとされているみたいなので、研究者の世界も学問の発展の為に、多かれ少なかれ、似たような感じがあるのは何となくわかります。
— androiduse (@androiduse) 2018年5月7日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます