空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

業界の内幕のお話

2024-08-11 11:35:37 | Weblog
 ―のメモ。



 大学もまあぴんきりで、恐らく研究してナンボという大学では上掲の如くだろうが、「教育が主任務」を看板にしているようなところで…資格の縛りが薄い・ないようなところだと…という疑いはある。



 …私の態度がデカすぎるんじゃないかというのは、まあ…。しかしなあ、研究費がおりてこないと活動に難が出るので、科研費が来ない年はそりゃあ多少意気は消沈するわけですよ。しかし論文は書くが。そうした態度が、科研費なしが通常状態である人たちからどんなふうに見られるのかというのは、まあちょっと思うところはある。仕方ないとも思うが。



 してみると私は研究で死ぬのだろう。

 では死なない方法はどうか、と考えれば、ある種の同僚の姿を思い起こせばよい。「研究しない」という選択肢を選ぶのだ。発表しない、論文を出さない。これなら、発表したデータが間違っていて…だなどという失態はありえない。

 しかし、一応仮にも職務として研究することになっているのではないか?という問いには、”条件が見合っていない”と言えば良い。

 実験系だから機材がないとできない、機械は一台1000万から、しかも数台ないとそもそも話にならない、ここには一台もない、だからできない―試薬がないとできない、試薬は一本1万円から、基盤の校費では学生の実験用試薬を用意することさえしかねる―制度が悪い、文系に研究費を割り当てているせいで理系研究者への割り当てが相対的に減る―一般教養の所属だと…学務が多い…部活の指導が…。

 しかしまあ、出身研究室(おおむね旧帝大の)と同様の機材など、そもそもその辺の地方校にあるはずないのである。仮にたまたま昔、予算が潤沢だったことがある部署でも、時代の流れとともに機材は陳腐化するだろう。だからいずれにせよ、努力の量の幅は非常に大きいであろうとはいえ、だれしも「研究室を立ち上げる」必要がある…はずなのだ。

 …でまあ、できた人と、できなかった人と、構想だけは立派だなという人と、実践の「じ」の字もないようですがねえという人と…いろいろいるわけだ。

 思うに、就職したことで本質的には満足してしまえた向きがあるものなのだろう。



 まあうちはビッグクラブではないが、それでもゲームに出場し続けることはできる。



 私の出身高校は偏差値40-43といったところで、学生から「…どうやってモチベーション、保ったんですか?」「どうやって勉強したんです…?」と、驚愕の表情で聞かれるレベルである。「バカだったんですか?」という発言もあり、おいちょっとおまえ言葉を選べ、という気も、多少。いやだって家から近かったんだもん。

 ともあれ、それはもう、研究室内でもぶっちぎりの低偏差値校出身であり、現場―職場―においても同様である。



 私の出身研究室は、お花畑とまではいかないにせよ、よいところだった。
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