リセットが多すぎる

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11月02日(木)
故きを温めて新しきを知る (24)
人生はやり直しが利かぬ
 子供のときから「人生はやり直しが利かぬから・・・」と親から何度も言われて育ってきたひとが多いと思う。世のコメンテータはゲームのリセットボタンを押して生き返ることを批判の材料にされる。ここのところ,『県政再生推進本部』だの『教育再生会議』など再生が多い。安易に再生という言葉で不始末が片付けられ過ぎてるのではないか。

 安倍総理の負け組みになったひとが再挑戦する機会をもてる社会にするんだと公約のような言葉に賛同するコメンテータも多いが,この発想もリセットボタンに似ている。大半の児童生徒はまじめに勉強して,将来いい生活ができるようにと頑張っている。努力せず遊び放題では負け組みになるからである。努力の差で違いが生まれてくるのは誰でも体で感じ取っているほど明らかなことである。安倍総理の言われる負け組みと,努力しないで必然的に負け組みになった集団とどこが違うのかの区別を明確にしないと教育上不都合が起きる。
 こんなエピソードを何度も聞かされ心の糧にしてきた。【偉い先生が弟子たちと一緒にゴルフのプレーをしていた。先生の番になってボールをティーの上において,ドライバーでこれからうつ素振りをされていたら,ヘッドがボールに触れてティーからころげ落ちてしまった。先生はそのまま第2打を打とうとされたが,見ていた周りの者がお気の毒に思って「先生,もう一度やり直してください。」と申し出たが先生は「君ー,人生にはやり直しはないんだよ。これでいいんだよ。」とおっしゃってそのままプレーを続けられた。】これを聞いてる私たちはリセットボタンなどもってのほかである。

 教育再生会議もいいが,負け組みの再生もいいが,そうならないような根本の所をおさえ,やり直しは利かないからこそ,若いうちの努力が必要であることを押さえなおす方向で検討してもらいたい。学校でも努力もしないで試験を受け,形式的な再試験で合格点をもらってる生徒の行く末は,社会を甘く見て自分の都合で何とかなると思ってしまい,何ともならないことからニートなどが生まれてきているとも考えられる。正当に努力してきた人をもっと引き合いにだしてほめることも教育上大切である。
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11/02 (36ip)
2006-11-05 08:30:10
晴れ後雨後晴れ
 
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