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高齢者はこうなると独りでは生きられない


カテゴリ:医食住(15) 定年退職者の目: 206
サブテーマ:高齢者は自信を捨てよ
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 市の公共施設の1階は講座・イベントを主催する貸し部屋が何室かあり,その一角に4人掛けのテーブルや休憩用の数人が座れる台がいくつか置いてある。それらにはさまれて,「思いやり席」と呼ばれるテーブル3卓が用意されている。遠目では見えないが机上に「お子様連れの方,妊婦,高齢者,障がい者,体の不自由な方の専用席」と書かれた△標識が置いてある。

1.高齢者は思いやられる人
 だからと言って偉そうに座るわけにはいかない。わたしは遠慮して座っている。ここでお昼はお茶や弁当を使っている。実際このテーブルに付く人はこの施設に来れる人であり必要な人だから,お子様連れか高齢者がほとんどである。高齢者と言えるのは,後期高齢者といっていいでしょう。思いやられる高齢者は自信をもってはいけない。
『やり抜く力』とかの啓蒙書は若者向けであり,『ほどよく孤独に生きてみる』には賛成しかねるが,経験を蓄えた頭脳だけは自信をもってよい。
2.高齢者はゆっくりが安全
 高齢者は歩けなくなったらおしまいである。自分は元気だと思って自転車に乗ってはいけない。赤信号に変わる前に渡ろうとスピードをあげてはいけない。100m前から歩くとちょうど青信号になる。このとき歩く運動を取り入れる。これを実行している人を見た事ないが合理的。
 室内でスリッパを履いてると足先の神経が鈍くなって物に当たったり,ストーブを倒したり,躓くことしきり,室内は一歩一歩ゆっくり移動する。怪我をしたら余生は悲惨なものになることが分かっている。

3.医師の前での自己判断は嫌われる
 自身の身体は自身が一番よく知っている。診療を始める医師は検査結果でしか患者の状態を知ることができない。しかも1対1ではない。1対多である。
 通院の日,体調もよく本日で薬を止めたいと自信をもって言ってからいつものように喉の洗浄をしてる最中,針で刺されたような痛みを感じた。その後数時間痛みが続いた。そして扁桃腺の痛みとつば飲み込み時の痛みに変わり数日続いた。残念でならない。医師の心象を害したことがこんな結果になったかと後悔の日が続いた。

4.公共の施設にはひとりよがりな人が寄ってくる
 大部分のおとなしい高齢者が集まっている。その中に異常行動を起こす人がそばに来ることがある。ここ図書館で「新聞を声を出して読み上げ,がさがさ新聞を捲る音を発生させる」のは個人的な鬱憤をはらしているのだろう。あわれな人間もいるが正義と言う自信で以って注意をすれば,そのことがいつまでも心に残り,自己の得にはならない。忘れることが最大の得である。
まとめ
 高齢者の身体能力は意外なほど減っている。歩く速さ,自転車を漕ぐ速さ,眠りにつく速さ。若者に勝てるのは起きる早さぐらいです。自分の意識とかけ離れていることに気づかなかった。自転車で転んで4輪のカートにつかまって歩いてる先輩知人を知っています。こうなると独りで生きていけない。細心の注意をはらって歩く能力だけは保持したいものです。
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