Jazzを聴こうぜBLOG版

100の質問配布中。
カテゴリーの「100の質問」からどうぞ。

高尚な音楽?

2004-09-09 21:02:22 | 音楽一般
この前読んだ本の中の一節。
『昔は他のジャンルを聴いている友人たちをあからさまに見下していた。「チェッ、お前ら軽い音楽聴きやがってよ。こちとらジャズだ。アドリブだインプロヴィゼーションだ。かなうわけねーだろ」・・・・・昔の僕がこれだった。モロに態度に出た。今はそうでないという自信があるから書けるが・・・・・』
なーんてくだりがあった。
あー、これね、これはあるね。
なんでだろ・・・・・これって確かにあるよね。
僕自身もそうはなりたくないと思いつつも、きっと心のどこかでそんな風に思う事がないとは言い切れない・・・・・かな(笑)。
こんな優越感なんてまったく意味がない事なのに、こういった風潮はクラシックファンを頂点にジャズファンにも確かに存在してる。

その理由として僕が個人的に考えていたのが「ジャズは聴いて一定以上の情報(感動)を得るためにはより深い理解(知識)が必要な音楽」だって事。
それはモダン以降のジャズ(つまり現在聴かれているほとんどのジャズ)は、基本的には演奏者側の技術的な満足を得ること(ビ・バップ)に端を発していて、リスナー側の立場を考えたスタンス(こう聴いてもらいたい、感じてもらいたい)が出発点じゃないって事が大きくあると思うんだよね。
いや、もちろんすべてのジャズがプレイヤー側の独り善がりって言ってるんじゃなくて、モダンジャズの原点が、演奏者側の満足を得ようとする試みから始まっているって事。
あくまで出発点の話ね。
だから聴き手側は技術的なコンセプトやバップが誕生した歴史的な背景、「この演奏において何が起こっているか」を理解できるだけの知識がないと、一定以上は踏み込めない。歴史があればそれだけ形式や様式も多様化するし、理解するにはより多くの知識が必要になる。
ジャズファンが持つ優越感ってのは、要するに「俺は理解してる。お前は理解できない」という単純なエゴなのかなと・・・・・。

で、それとは別にクラシックに造詣の深い友人と話したんだけど、クラシック自体はジャズより遥かに歴史が長くて、この音楽に親しむ階層って言うのが歴史的に見て労働者層ではない上流階級だったという問題がある。
それは現在でも厳然とあるね。
ヨーロッパでは演奏会を催す劇場では、入場できる入り口から席、トイレやその他の施設に至るまで、すべてが払う金額のランクによって別になっているという、甚だ下らない実情が現在でもあるんだそうな。
つまり、社交界の人と一般人、さらにそれよりも低所得者層の人たちってのは絶対に交わらないようなつくりに、建物そのものがなっているという・・・・・・差別丸出しだね。
クラシックはセレブのもんだって事。だからセレブはパンピーを見下すんですね(言いすぎ)。
まぁこれは極端な例えですが。

どっちもバカバカしい話だね。
音楽なんて高尚も低俗もなくて、聴いて楽しければそれでいいもののはずのに。

この、聴くジャンルに因る「無意味な優越感」には、歴史的な社会背景や人種の問題までが内包されているかもしれないという側面までありそうですね。
面白い。
僕は自分の中で疑問に思った事を突き詰めて考えてみるのが比較的好きな人間で、そのために知識を吸収しようという意欲もそれなりにある。
この問題は簡単じゃないね。
本当はまとまってから書けばよかったんだけど、問題を整理する為にちょっとこのブログを使って今思ってることを書いてみました。
進展があったらまた書きます。
いやー、面白いねー。