ちょっとね、最近色々なことに対して否定的なアプローチをする記事ばっか書いていて、ちょっと俺は欲求不満気味なのかなとも思うんだけど、今回もある音楽家を否定するような記事ね。
ってか、良いものを良いと言うのって難しいんだよね。良いものは無条件で良いんだから、そこに何か言葉を差し挟む余地ってない。
でも、質の低い音楽家が音楽以外のファクターを使って「良い音楽家だ」って評価を受けているのって、やっぱ違うんじゃないかと思うんだ。
だから今回も書きます(笑)。
最近、知り合いにあるテノール歌手のインタビューを読まされ、その人の歌がどれだけ素晴らしいか滔々と語られ、「帰って聴いてみて」とアルバムを勧められた。
僕も以前から名前は知っていたし、テレビかなんかでチラッと聴いたことはあった。正直あんまし興味がなかったんだけど、まあお世話になった人だし、義理でもいいから聴いてみようと思って借りてきた。
インタビューを読んでて、その人が「人は自分以上である必要はなく、あるがままでいい。ナンバーワンではなくオンリーワン。私にしかできない人生。歌を使って人生の素晴らしさを訴えたい」といういうようなことを言っていたのね。
そのテノール歌手は凄く不幸な生い立ちで、両親と早くに別れ天涯孤独で、身体にも障害を持ち、混血であることによる差別も受けてきて、といった人なのね。宗教者で、障害者福祉の充実やなんかを訴えるチャリティーコンサートを行うなど、とってもボランティア精神にあふれる活動を続けている。
ここまでで知っている人は誰だかピンと来るでしょうか。
僕ね、これは音楽家の姿勢として、ちょっと違うんじゃないかなと思った。
この人ね、僕が一番気に食わないタイプの音楽家なんだよね。
何が気に食わないって、不幸な生い立ちや目が見えないことを前面に出して音楽を売ろうとしていることが、かな。
だってさ、借りてきたアルバムを聴いてみたんだけど、どっからどう聴いても肝心の歌が拙いんだもん。歌が拙くて良い表現ができるわけないじゃん。
この人に、盲目であること、親と早くに別れたこと、混血であることなどの条件がなかったら、現在の成功はあったかっていうとね・・・・・なかったろうね。
この人の歌を聴いて感動する人ってのは「歌」に感動してるんじゃないんだよ。「不幸な生い立ちで障害を持っていて混血の、苦労に苦労を重ねてきた人が、自分の福祉感を訴えるためにステージで歌っている」ということに感動してるんだ。
つまり歌そのもののの巧拙は関係がないのね。
そこに「音楽を聴いて、音楽に感動する」ことと、どれほどの隔たりがあるかわかる?。
彼の歌を支持している人ってのは、タレントにキャーキャー言って追いかけてるのと、基本的に何も変わらないんだよ。
別にそれはそれでもいいけれど、それはもう音楽リスナーではない。
彼の人生や主張、人間総体に関しては認めるよ。
いや、認めるってかさ、個人的に知ってるわけじゃないから正直なんとも言えないんだけど、まあ「そうか、不幸だったのね。苦労したのね。大変だったのね。それで今はそれなりの成功を収めたのね。良かったね」ぐらいは僕も思いますよ。彼の活動や主張をきちんと知っていけば、彼の活動に対してなんらかの寄付をすることだってありえるかもしれない。
でもどこをどう間違っても、お金を出して彼の歌を聴くことは、僕はないだろうね。
拙い歌にお金は出さないよ。
不味いレストランにはお客が行かない、それと同じさ。
オンリーワン?、音楽家である以上、それはやっぱり違うよね。
音楽はオンリーワンではない。
音楽家である以上は、「全員がオンリーワン」はありえないんだよ。
ジャズでもあるじゃん「ワン&オンリー」っていう言い方。
じゃあワン&オンリーって言われる演奏家が、そこらへんにゴロゴロ転がってるかっていったら、まったく持ってそんなことはない。
人に負けるか!って日々研鑽を積み重ねて、その遥か先にワン&オンリー、オンリーワンがあるんだよ。
ナンバーワンを旨としていない音楽家に、オンリーワンはありえない。
ナンバーワンを目指せばいいと思う。少なくとも音楽家であることを自認するのなら、ね。
以上。
アルバムを貸してくれた人もここを見てるだろうから、敢えて書いてみました。
ではでは。
ってか、良いものを良いと言うのって難しいんだよね。良いものは無条件で良いんだから、そこに何か言葉を差し挟む余地ってない。
でも、質の低い音楽家が音楽以外のファクターを使って「良い音楽家だ」って評価を受けているのって、やっぱ違うんじゃないかと思うんだ。
だから今回も書きます(笑)。
最近、知り合いにあるテノール歌手のインタビューを読まされ、その人の歌がどれだけ素晴らしいか滔々と語られ、「帰って聴いてみて」とアルバムを勧められた。
僕も以前から名前は知っていたし、テレビかなんかでチラッと聴いたことはあった。正直あんまし興味がなかったんだけど、まあお世話になった人だし、義理でもいいから聴いてみようと思って借りてきた。
インタビューを読んでて、その人が「人は自分以上である必要はなく、あるがままでいい。ナンバーワンではなくオンリーワン。私にしかできない人生。歌を使って人生の素晴らしさを訴えたい」といういうようなことを言っていたのね。
そのテノール歌手は凄く不幸な生い立ちで、両親と早くに別れ天涯孤独で、身体にも障害を持ち、混血であることによる差別も受けてきて、といった人なのね。宗教者で、障害者福祉の充実やなんかを訴えるチャリティーコンサートを行うなど、とってもボランティア精神にあふれる活動を続けている。
ここまでで知っている人は誰だかピンと来るでしょうか。
僕ね、これは音楽家の姿勢として、ちょっと違うんじゃないかなと思った。
この人ね、僕が一番気に食わないタイプの音楽家なんだよね。
何が気に食わないって、不幸な生い立ちや目が見えないことを前面に出して音楽を売ろうとしていることが、かな。
だってさ、借りてきたアルバムを聴いてみたんだけど、どっからどう聴いても肝心の歌が拙いんだもん。歌が拙くて良い表現ができるわけないじゃん。
この人に、盲目であること、親と早くに別れたこと、混血であることなどの条件がなかったら、現在の成功はあったかっていうとね・・・・・なかったろうね。
この人の歌を聴いて感動する人ってのは「歌」に感動してるんじゃないんだよ。「不幸な生い立ちで障害を持っていて混血の、苦労に苦労を重ねてきた人が、自分の福祉感を訴えるためにステージで歌っている」ということに感動してるんだ。
つまり歌そのもののの巧拙は関係がないのね。
そこに「音楽を聴いて、音楽に感動する」ことと、どれほどの隔たりがあるかわかる?。
彼の歌を支持している人ってのは、タレントにキャーキャー言って追いかけてるのと、基本的に何も変わらないんだよ。
別にそれはそれでもいいけれど、それはもう音楽リスナーではない。
彼の人生や主張、人間総体に関しては認めるよ。
いや、認めるってかさ、個人的に知ってるわけじゃないから正直なんとも言えないんだけど、まあ「そうか、不幸だったのね。苦労したのね。大変だったのね。それで今はそれなりの成功を収めたのね。良かったね」ぐらいは僕も思いますよ。彼の活動や主張をきちんと知っていけば、彼の活動に対してなんらかの寄付をすることだってありえるかもしれない。
でもどこをどう間違っても、お金を出して彼の歌を聴くことは、僕はないだろうね。
拙い歌にお金は出さないよ。
不味いレストランにはお客が行かない、それと同じさ。
オンリーワン?、音楽家である以上、それはやっぱり違うよね。
音楽はオンリーワンではない。
音楽家である以上は、「全員がオンリーワン」はありえないんだよ。
ジャズでもあるじゃん「ワン&オンリー」っていう言い方。
じゃあワン&オンリーって言われる演奏家が、そこらへんにゴロゴロ転がってるかっていったら、まったく持ってそんなことはない。
人に負けるか!って日々研鑽を積み重ねて、その遥か先にワン&オンリー、オンリーワンがあるんだよ。
ナンバーワンを旨としていない音楽家に、オンリーワンはありえない。
ナンバーワンを目指せばいいと思う。少なくとも音楽家であることを自認するのなら、ね。
以上。
アルバムを貸してくれた人もここを見てるだろうから、敢えて書いてみました。
ではでは。
最近恋しているnaruru21stです。
誰を指しているのか、もちろん私にはわかりますが。
ウチのシロート両親も彼は好きじゃありません。
「なんかうまくないから」らしい。
私個人の感想も、
好きではないかな。
声はあると思うけど、
(声楽の世界では、生れつきのいい声を持っている事を『声がある』と表\現します。うまいかどうかは別問題。ただ、声がない人がうまいわけないけど。)
曲が素人くさいのと、
思想云々でなく
なんか偉ぶられた感じがして。
盲目のミュージシャンは多くいるけど、
クラシックのミュージシャンの場合、創作性よりも‘演者’の要素が多いから、より表\現は難しいのかもしれない。
私達はあくまで「芸術の解釈人」「代弁者」であって、自分の生の感情を吐露する立場ではないのよね。音に対して真剣に丁寧に演奏すれば、感情は自然と反映されるものだと思う。
歌い手は歌詞という具体性を持つツールによって場面設定・人物等にまで制約まであるから、オペラなんかの場合はいくら自分がオクテでも、魔性の女にならなければいけない時もある。
だからたくさんのいろいろな経験が参考になるし必要にもなる。想像力だけでカバー出来る事ばかりじゃないと思う。
そういう意味で彼はやはり大変だし難しいよね。
あと、フツーに歌のお勉強が足りない気もするけどね。
なんか基礎が足りない感じ。クラシックに聞こえないので。
僕の一番好きな秋がやってまいりました。
このブログができてから2度目の秋で、まさかこんなに長く続くとは、思っても見ませんでした。
確か、僕がブログを作るより一月早くnaruru21stさんのブログは開設されたんですよね。
続けるって凄いですね。
いくら放置してもやっぱやめずに、気が向いたときになんか書く。最近はそれでいいような気がしてきました。
そういう、自堕落なんだけど、でもなんだかんだ言って終わらないのって、なんだかいいなあって思います。
>『声がある』
これは初めて聞きました。
でも意味はよくわかります。声がある、ない、ね。
なるほど。
「彼」は、確かにまあ声はあるかも知れませんねぇ。
>自分の生の感情を吐露する立場ではない
>音に対して真剣に丁寧に演奏すれば、感情は自然と反映される
いい言葉ですねぇ。まさにその通りです。
自分の感情に埋没しているような演奏者は僕は好きじゃないんですよ。
そういう音楽は「青い」。
そもそも真剣に丁寧に演奏することができないような人に、感情を表現することなんかできないですよね。
そういうのを見ると「お前の取るに足らない感情なんてどうでもいいから、ちゃんと歌えよ」って思う。
「音に対して真剣に丁寧に演奏する」
いい言葉です。
>はいくら自分がオクテでも、
>魔性の女にならなければいけない時もある。
>想像力だけでカバー出来る事ばかりじゃない
まったく持ってその通りです。
成熟した人間の音楽は、やはり成熟している(これは確かな技術が前提ですが)。
そして成熟した人間の音楽ほど、客観性を持って必要な表現を取捨選択でき、短絡に感情におぼれることはなくなっていく。
自分の感情の迸りをそのままぶつけるような音楽って、最終的には底が浅いものにしかならないですよね。
人一人の想像力なんて、結構たかが知れているものですしね。
音楽って、未成熟な人間が未成熟なまますべてを表現できるほど単純なものじゃない。
>フツーに歌のお勉強が足りない気もする
>なんか基礎が足りない感じ
「彼」に関しては、偏にこれに尽きるのではないかと。
そもそも声をコントロールできてない。
音外れてんですもん。
あれだったら、音大出て声楽を勉強してるそこらへんの人にも、もっとちゃんと歌える人いっぱいいるでしょう。
彼がいくら偉ぶってもそれは構わないですが、少なくとも彼は「歌手」ではない。
それなら「僕ってかわいそうなの。お願いだからCD買ってぇ」って素直に言えよお前・・・・・って、だんだん腹立ってきました。
いや、別にnaruru21stさんに当り散らしても仕方ないんですよね。
ごめんなさい、僕はやっぱ音楽好きなんで。
ではでは。
音楽そのもののことではないのですが、僕にはいくつか嫌いなコトバがあります。実はオンリーワンもそのひとつです。
ナンバーワンにはなれないけど人には自分にしか(その人にしか)出来ないい大切なものがあり、其れを自覚してがんばることで生きている意味が見えてくる、そしてオンリーワンを持つ、と言うようなことでしょうか。
でもオンリーワン、ナンバーワン、そうでなくてはその人の価値(価値と言う言い方も問題ですが)がないという人生観はたまらなくいやです。真摯に生きること、其れに尽きるような気が今はしているのですけど。
ある音楽家の音楽が、オンリーワンでなく、なにかの焼き直しだったとして、そのどこに問題があるのでしょうか。
ないですよね。
上質な演奏は上質な演奏。
いい音楽はいい音楽。
それだけですよね。
個性個性って誇ってるやつほど、音楽は大雑把で雑なやつが多い。
オンリーワン言う前にやることがあるだろっての。
もっと真摯にやれよ真摯に。
ねぇ(笑)
すごいですね。これだけハッキリした芸術に対しての意見をお持ちな方、日本人では久しぶりです。
そもそも私は絵画を中心に芸術分野で仕事をさせていただいていますが・・・日本人の芸術に対しての感心の低さは日々実感しています。(日本人の私ががこのように申すのは違っているのかもしれませんが・・・。)
どうして日本人はこんなにも廃れた方向へ流されるままなのだろう・・・私は日々そのような葛藤と戦いながらその思いを仕事にぶつけています。
とりまく環境の違い・・・これに尽きますね。残念ながら今の日本で上質なものだけを提供しても、その事に感心を抱くのはほんの0.6パーセントほどにすぎません。
いつまでも上質なものを追い続けましょう。