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ハロー・ハロー

2008-03-01 22:57:21 | 音楽一般
おー、ひさしぶりぃ。
前に何か書いたのは昨年だよね?
まあどんなに間が空こうと、僕が音楽が大好きで、音楽で何かを感じることがあって、それを他人に伝えてみたいと思うことがある限り、ここは続いていくんだけどね(笑)
んじゃ、いってみましょうか。

昨年の中頃、有線放送で流れていてとても耳についた曲がある。
いつもJ-POPの曲に対する興味というのは数日、長くても数週間で冷めてしまうことが多いんだけど、半年以上たった今でも「あれはいいな」と興味が持続したので、今日、聴きかじった歌詞を検索にかけて曲名を探し出して、iTunes Storeで購入した。
曲はSuperflyの「ハロー・ハロー」。
あらためて聴いてみたんだけど、やっぱいいんだよ。楽しい。
まず、ライブで歌ってるところを聴いたことがないのでなんともいえない部分もあるんだけど、歌い手がある一定の鑑賞に堪える技術的な水準には達しているということ。これはまず最低限の大前提だよね。
で、もうちょっとなにに惹かれたのか感じてみようと思って、歌詞と曲をじっくり鑑賞してみたんだけど、それほど繊細な歌い手ではないし、作品に深みがあるわけでもないんだよね。曲の内容はとっても単純で、たいしたことは言ってないんだ。でも聴いていてとても耳に心地いい。これはなんなんだろうって、ちょっと考えてみた。
この曲の何が僕の耳をここまでひきつけたのかっていうと「ハロー、ここからすべてがはじまる」という歌詞と、あふれるバイタリティに乗ってそれが紡がれていること。
体まかせに歌っていると言っちゃうと聞こえが悪いんだけど、この音にはそう言わしめるエネルギーがある。そして、それはその曲が、歌い手が自身のエネルギーをそれに込めることができるものだということ。
平たく言うと、コイツ本当に心の底からそう思って歌ってんだな、ってことね。
単純なモチーフと単純なメロディであっても、そこにマインドがあれば、それはひとつの表現になりうるということだね。
ここで表現されているのは、見も蓋もない言い方だけど「ロック・マインド」であると思う。ロックマインドあふれるいい演奏だ。

いっつも思うんだけど、表現者、演奏者、その中でも特に歌い手ってのは、自分のアイデンティティを歌わないといけないってこと。
これができている歌い手っていうのは、聴き手に何かを伝えることができる。そして、それが上質な技術に裏打ちされたときに、一流の演奏、一流の歌になる。
歌われる曲は、歌い手のアイデンティティと情動を喚起させ得るものでなければならない。
歌い手は、自身のアイデンティティと情動がそれに一致するくらい、曲を読み込んでいなければならない。
そしてそれが綿密な技術、そしてそれを発動させる体力に支えられていないといけない。
アイデンティティ、技術、体力。これが揃うときに、演奏が上質なものとなる。
しばらく前にね、僕が日本の歌手のなかでも比較的良しとする沖縄出身の歌い手が、休業宣言をしてしばらく表舞台から遠ざかったのさ。で、休んでる間なにしてるんだろうなと思ってたんだけど、ある日突然某メーカーのビデオデッキかなにかのCMで、その人が歌う「スワンダフル」が流れてきたのね。
それを聴いて僕は「しょうもねぇな」って感じたのよ。味も素っ気もねぇなって思った。
それはやっぱ、ジャズのスタンダード・ナンバーが、彼女のアイデンティティのなかにない、もしくは未だそれをアイデンティティのなかに取り込めていないということなんだなって、今日わかった。
彼女が自身のアイデンティティに深く根差している沖縄の民謡や、自身の持ち歌としている曲を歌っているときと、感じられる体温がなんて違うんだろうね。
また、最近アメリカ人の演歌歌手がチョイ話題になったりしてるけど、彼の歌を聴いて、少なくとも「良い演歌だ」とは、僕には感じられない。だってそりゃ無理だよ。日本で育ってないんだもん。
新手のJ-POPとして聴けば、もの珍しさも手伝って、あれはあれでありなんだろうけどね。

よくさ、ジャズは黒人の音楽だから、って言い方をするじゃない。あと、演歌は日本人の心だ、とかさ。
やっぱ、それはある意味で真実なんだよね。
表現される音楽がトラディショナルなものであればあるほど、それはその風土に暮らす人々のアイデンティティに根差しているわけでさ。一朝一夕で自分のアイデンティティに何かが根を下ろすということは、なかなか難しい。
歌い手は、自分の育ってきたアイデンティティを歌うのが、一番自然なんじゃないかな。

以上。
なんだかとってもまとまりのない文章だけど、ひさびさだし、まあこんなもんだろ。
また不定期で書きます。
ではではー。