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フリージャズと新主流派

2004-09-11 00:26:28 | ジャズの話題
書く事ないねぇ・・・・・このブログができてもうすぐ10日。
毎日のように新規投稿してきたけど、そろそろ限界かな・・・・・ネタがない。
それでも無理矢理書くのでありました。
じゃぁ本日もMilesの偉大さを称えるような事を・・・・・。

今日はアルバム「Solstice」を聴きながらの書き込み。
これはRalph Towner(ラルフ・タウナー、g)がJan Garbarek(ヤン・ガルバレク、ts,ss,fl)と共演したアルバムなのね。
ECMってレーベルもそうだしGarbarekも、所謂フリージャズに分類されるアルバムだと思うんだけど、聴いていて不快じゃない。
フリージャズに関して、逐一引用しているジャズの永遠の帝王Miles Davis(マイルス・デイヴィス、tp)の発言を借りてくると、「トレーンやオーネットのやっていたことには興味があった。ただし、奴らは音楽の発展のさせ方に問題があった。コンセプトには共鳴できたけどな」だそうな。
フリーフォームの演奏は否定しないけれども様式を否定してしまうのは間違いだ、といった趣旨の発言だったようなのね。
フリージャズって、調性やスケール、オンビートやインテンポといった音楽の基盤になる概念を無視して、クロマチック(例えば、ピアノの白鍵黒鍵関係なく自由に用いる音の使い方)もしくは、時にはクロマチックの基礎になる12平均律すら外れた音を用いて、さらに一定のリズムに乗ることすらせずに、興の趣くままに音を出していこうっていう・・・・・音楽の「様式」を越えたところにある、ある意味究極のインプロヴィゼーションの姿なわけだね。
でね、「様式を否定する」ってのと「様式を越える」ってのはイコールじゃないよなって思うんですね。
上記のRalph TownerやPaul Bley(ポール・ブレイ、p)の近作なんかを聴いてると、スケールから外れる事もあるし、リズムを無視する事もあるんだけど、逆にスケールやコードで動いてたりインテンポな部分も当たり前のようにあって、フリーフォームと様式が両方とも混在しているような感じなのね。
様式を根底において、なおかつフリーのコンセプトを用いる事も良しとする。
様式を用いる事を否定するんじゃなくて「様式に捕らわれていない」って事なんだろうけど・・・・・・この往き方「新主流派」の発端になったのが、MilesがWayne Shorter(ウエイン・ショーター、ts,ss)を起用したあたりからなんだよね。

コテコテのフリーを聴くと、コンセプトに捕らわれて「歌う事」を忘れた音楽なんだなぁって思う。
フリージャズであれ他のどんな様式であれ、重要なのは歌う事だよね。