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音楽に真摯である事

2004-10-12 22:38:19 | 音楽一般
「上質な音楽とは、推考と研鑚によって丹念に積み上げられた技術の上に成り立つものである」
このブログで頻々と書いている事だよね。
「オイオイ、またそれかよ」って思います?、まぁもうちょっと語らせてください(笑)。
僕はこれは音楽における絶対的な真理だと思うし、誰がなんと言おうと譲るつもりはない。
この意見に異を唱える人は上質な音楽を経験した事がないんだ、とハッキリ言いきれる。
そう思う理由というか、その思いに至った経緯をちょっとだけ書こうと思う。

僕のボイストレーニングの同僚で、ロック畑のバンドを組んで活動している人がいるのね。
で、その人も音楽について語るのが好きで、まぁたまにその人も含めてみんなで飲んだりするんですよ。
その人が語る席で良く言うのが「難しい理屈はどうでもいい。俺は聴いてくれる人に感動を与えたいんだ」っての(ほぼ原文まま)。
まぁこのブログを読んでいる人なら判るだろうけど、音楽に関する考え方は僕とは水と油(笑)。
別にその人とは喧嘩する事もぶつかる事もないし、まぁ義理もあるんでその人のライブに何度か足を運んだ事があるんですよ。
でね、ライブを聴いて僕が思ったのが「この人は音楽に対して真摯じゃない」っての。

僕は以前ジャズクラブやライブハウスで歌ってた事があって、その頃いっつも思ってた。
「自分の歌で人からお金を取っていいのかな」って。
だいたいさ、アマチュアがライブやり始める時って、知り合いに頼み込んでチケット買ってもらったりするのが常であって、来てくれる人はなんで来るかというと「知り合いだから」なんだよね。知り合いだから、友達だから、という理由だけで時間とお金を費やしてくれるわけ。
ありがたいと思ったよ。何度も頭下げてお礼を言ったさ。
でも何を言おうといくら感謝しようと、自分の演奏でお金を取ったという事、人に時間使ってもらったという事は曲げようがない。
この事実は大きいよ。
この経験をすれば誰でも考えると思うんだけど、「自分の演奏には本当にそれだけのお金や時間を費やしてもらう価値があるのかな?」って、「ただ友達だから来てくれてるだけなんじゃないかな?」って、ね。
これは誰でも考えると思う。
考えない演奏者は最低。その人の音楽は自己満足のマスターベーションに過ぎない。
ライブの回数を重ねて何年もたってくれば慣れも出てきて歌う頻度や場所も変わってくるから、そういった感情ってのは麻痺してくるのかもしれないけれど、僕は常に思ってたよ。
「僕の歌でチャージ料なんて取っていいものか」って。
その思いから出てくる結論って、やっぱり「自分の演奏を良くしていこう」って事だけだと思うんだ。これ以外にはありえないでしょう。
僕の場合はボーカルだから「もっと上手く歌えるようになろう」だった。
演奏が上手くなるのに必要な事って、やっぱり「練習」だよね。
退屈な発声練習やスケール練習をイヤになるほど繰り返す。これは歌だけでなくどんな楽器であってもね、上手くなる事って退屈だし大変だし・・・・とんでもない忍耐を必要とする、めんどくさい事なんだよ。
ホントにめんどくさい。エライい苦痛を伴なう事なの。
「努力」という一言で片付けると軽く聴こえる。上手くなる為の時間って、ハッキリ言って「苦痛」なの。
自分の演奏を良くするために、人にもっといい演奏を聴いてもらうために、その苦痛をきちんと引き受けるのが真摯な音楽家ってものでしょう。
僕の演奏者としての側面は、その苦痛を逃げないで受け止める事ができなかったから、非常に中途半端なところで終わってる。
僕も演奏者として真摯じゃなかったって事ね。
まぁ歌う事自体は楽しいから続けてますが・・・・・。

で、そのボイトレの同僚です。
ライブ活動してるくせに練習しないんだわ。
一緒にレッスンを受けてても「ああ、この人練習してないな」って良く分かる。前回言われた事を繰り返してるんだもん。
直そうとしてできないんでなく、意識がないっていうか、自己満足してるもんだから人の言う事を聞かない。
それでいて「聴いてくれる人に感動を与えたい」とか「気持ちを伝えたい。魂をぶつけるような歌が歌いたい」なんて言っちゃったりするもんだから、師匠ももう適当褒めてレッスンの時間を過ごしてる感じ。
まぁそれも教えてかね取ってる立場としてはどうかと思うが(笑)。
いや、別にこの人の悪口を言う事が主題じゃないんだけどさ(笑)。
こういうオナニー人種って、音楽やってるヤツにはたくさんいる。何人も見てきた。二言目には「気持ち」とか「心」とか言う人たち。
書いててエキサイトしてきたので言います。
気持ち?、心?、ってふざけんじゃねぇ。そんなもん音楽やろうと思ったヤツなら誰でも持ってんだよ。
努力無しにそれを口にする人は軽薄だと思う。

真摯な演奏者の音楽と、真摯じゃない演奏者の音楽って、表現の深さには歴然と差がある。
軽薄な音楽は聴きたくないし、また聴き手としてはそれが分かる聴き手でありたい。
そして、真摯な音楽の素晴らしさに気づく事ができれば、そこに聴こえてくる感動って言うのは本当に際限がない。
そう思うから、今日も音楽を飽きずに聴いてるんですね。

まぁこんな感じでしょうか。
スイマセン、今日も酔ってます(笑)。
これ以上書いても上手くまとまりそうもないので寝ます。
本日の安眠盤、Nancy Wilson(ナンシー・ウイルソン、vo)の「Forbidden Lover」
ではでは。

2 コメント

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身につまされる~ (naruru21st)
2004-10-13 00:38:57
今週末、ソロでの舞台を抱えている私としては、

身につまされますね~。。。

私は音楽でお金を取ることは、

「その人の労働時間」と「聴いて頂いてる時間」の2重の意味で、他人の人生を奪う行為だと思っているので、

お客さんに「私・・・奪われて良かった!!」と思われたらなーと、いつも思ってます。

でもでもね、自分に厳しくしてばっかりなのも問題かも。

私は厳しすぎて、お客さんの批評も素直に受け入れられない時もあるのです。もう相手が泣いちゃったりしててもね。

結局それは自分で客観的に自分の音楽を聴けてないからであって、

音楽を聴けない原因の一端には

「練習過多のため『木を見て森を見ず』状態」

「厳しすぎて音楽が楽しい事を忘れてる」

とかがあるんですね。

練習は大事だし、練習が本番の90%を決めますが、

練習も楽しい気持ちでやらないと、実は本当の意味で向上しないし練習にならないこともあります。

スケール一つだって、変に力をこめるよりも「単純だけど美しいメロディじゃん」とか思ってやるほうが、いい声だし音程もいいんですね。

(もっとも私は練習やレッスンが楽しかったことは、100回に1回もないですが・・・)

だから、きっと憶測だけど、前のTAROさんよりも、今のTAROさんの音楽のほうが、他人が聴いていて聴きやすい音楽になってると思いますよ。

なーんて、おおっ私、ナマイキ。
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音楽は楽しいもの (TARO)
2004-10-13 20:51:12
仰る通りです。



というか、退屈な積み重ねを楽しく感じて向上していける人が、本当にいい音楽を出来るようになるんでしょうね。

教える立場の人は、退屈な積み重ねを楽しく感じさせる事ができる人が優れた教え手であると。



naruru21stさんの言われる事に関しては、僕は一言もありません。

今までのコメントのやり取りから窺い知るに、僕よりはるかに真摯に音楽に取り組んでいる方だと思うからです。

僕は・・・・僕はねぇ(溜息)。

そうですね、まぁ楽しく音楽やっていきます(笑)。

なんつって。
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