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ジャズの歴史⑦”50年代の総括”

2005-09-26 12:47:41 | ジャズの歴史
さて、前回はウエストの衰退からハードバップの誕生と、その勃興までだったよね。
50年代は書くことが多くてめんどくさいので、ハードバップのその後と、同年代のその他の流れを大雑把に追って、50年代の締めとしたいと思う。

ハードバップはその後どういう変遷を辿ったかというと、従来のイディオムに加えて、元来のジャズが持っていた土臭さやブルージーな感覚、黒人の音楽としての伝統に立ち返ろうという動きが出てきたのね。これは・・・・・そうだな、Art Blakey(アート・ブレイキー、ds)のグループ、Jazz Messengers(ジャズ・メッセンジャーズ、以下JM)を56年に脱退したHorace Silver(ホレス・シルヴァー、p)の同年の録音(Six Pieces of Silver)あたりからかなぁ、始まる。
Silverに追随するような形で、当のJMやLee Morgan(リー・モーガン、tp)などが同様の吹込みをして、続けざまにヒットを飛ばした結果、ハードバップのさまざまなミュージシャン、グループがこぞってファンキーナンバーの録音に血道をあげるようになる。
このハードバップの亜流、支流ともいえるムーブメントが、所謂「ファンキージャズ」「ソウルジャズ」ね。
このふたつの違いは・・・・・なんだろ・・・・・感覚だね(笑)。ファンキーとソウルフルは違う。演奏そのものは双方ともハードバップ、バップイディオムに依っていて、フレージングの感覚がファンキーに演奏されるのがファンキージャズ、ソウルフルに演られるのがソウルジャズ・・・・・ちょっと無理があるかな?。まあムーブメントとしてはほとんど同時期同種、末端の瑣末な変化でしかなくて、同義と捕らえてしまってもいいかもしれない、かな?。ここら辺は弱い・・・・・自分で調べてくれ(笑)。
このファンキーブームの中心になったミュージシャンとして、上記のSilverやJM、Lee Morganのほかに、MilesのグループにいたCannonball Adderley(キャノンボール・アダレイ、as)、Silverと同じくJMのピアニストだったBobby Timmons(ボビー・ティモンズ、p)、Lou Donaldson(ルー・ドナルドソン、as)、Donald Byrd(ドナルド・バード、tp)なんかが挙げられるでしょうか。
このファンキージャズは、ハードバップ全体を巻き込んで一大ジャズブームを巻き起こして、日本にも著名なグループがたびたび来日。ジャズの広範囲への普及にきわめて貢献するんだけど、60年代末ぐらいまでしつこく続いた結果マンネリズムに陥って、次代のイディオムを模索せずにバップに安住してしまった多くのミュージシャンの創造性を奪っていく。
ただ、この時期がジャズが一番大衆に受け入れられていた時期でもあり、ハードバップの衰退が、ある意味ジャズの黄金時代の終焉であったと思う。

52年、もうひとつ、ジャズの歴史の中で重要な役割を果たすグループが結成される。
それはMilesの九重奏団にも関わっていたJohn Lewis(ジョン・ルイス、p)を中心として、Milt Jackson(ミルト・ジャクソン、vib)、Percy Heath(パーシー・ヒース、b)、Kenny Clarke(ケニー・クラーク、ds)によって結成されたThe Modern Jazz Quartet(モダン・ジャズ・カルテット、以下MJQ)。
このコンボの特徴は、クラシックの古典派や室内楽的な手法を取り入れて、ジャズ本来のスイングやインプロヴィゼーションとの調和を目指した点にあるのね。
従来のようにソロパートのみを見せ場とするのではなく、編曲とアドリブのバランスを均等に近づけたり、古典派的な形式に則って提示されるテーマとアンサンブルに対比させたソロを被せるといった、緻密かつ高度な音楽表現を実現させて、ジャズ史全体を見渡しても飛びぬけて独自性の高い活動を展開する。
また、John LewisはMilesの「Birth Of The Cool」の録音のときに、クラシック現代音楽の作曲家でホルン奏者のGunther Schuller(ガンサー・シュラー)と知り合い、現代音楽とジャズの融合を旨とした試みに手を染め、一部で注目を集める。
この試みは、クラシックが音楽史の第1の流れ、ジャズを第2の流れと捉え、第3の流れを作る試みであるとして、Schullerによって「サードストリームミュージック」と命名される。
両者のリーダー作やMJQのを舞台として数枚の録音を残したんだけど、極端に限定された範囲での実験的な試みだったことと、賛同して自身の音楽性に取り入れ発展させていくアーティストが出なかったことにより、自然消滅的に消えていった。
サードストリームはひとつのムーブメントとして結実することはなかったけれど、MJQは一時期の中断期間を含めて、以降40年以上にも渡って続いていく。
ハードバップ時代に生まれたコンボの中でも、特筆に価する孤高のグループだったといえるでしょう。

40年代のバップ革命でモダンジャズの時代がやってきて、スイングは時代に取り残されていったんだけど、スイング時代の巨匠たちはまだまだ根強い支持を集めていて、ハードバップ時代にも活動を続けていたのね。
こういった演奏者たちは、後にバップ革命につながるアフターアワーのジャムセッションを正当な形で受け継いでいて、ある意味スイングでもなく、バップをはじめとしたモダン化への流れにも乗らず、時代の狭間の混沌とした位置に留まっていたのさ。
Lester Young(レスター・ヤング、ts)やColeman Hawkins(コールマン・ホーキンス、ts)に代表される、スイング時代のビッグバンド経験者がこの派閥を主に構成していて、特にCount Basie楽団を範として、スイングイディオムによる演奏をスモールコンボで繰り広げた。
この流れをモダン以前とモダン以降の中間点に位置するとして、「中間派ジャズ」と呼ぶ。命名したのは日本人、ジャズ評論家の大橋巨泉だったそうな・・・・・。
前々回、ジャズの歴史⑤でJATP(Jazz At The Philharmonic)について触れたけれども、ああいったジャムセッション形式の大型コンサートは40年代から60年代に乱立して中間派の温床、そしてモダン派との接点となって、60年代まで多くの録音を残す。
こういった企画、大まかなヘッドアレンジによるジャムセッションなので緻密な音楽性は望めないけれど、時代の枠を超えた夢の?競演を数多く生み出して、中間派もこの時期に一時代を築いた。

だいたいこんなところでしょうか・・・・・50年代を駆け足で追ってきたけれど、40年代と同じく2回に分けないと書ききれなかった。
これでもかなり端折ってるんだけど・・・・・。
もうね、ここら辺になるとジャズそのものが多様化しすぎてて、ひとつの流れ、1本の線として歴史を追うことができなくなってくるんだよね。結局起こったことを箇条書きに並べていくしかなくなって、すんごく読みづらい文章になっちゃう。
こんなふうにショートコラムで書くこと自体に無理があるのだろうか・・・・・。
あ、あと、次回は60年代、フリージャズとモードジャズを書くつもりなんだけど、このふたつは「Jazz Advance / Cecil Taylor」(54年)、「Jazz Workshop / George Russell」(56年)あたりにその手法を見ることができる。つまり50年代に生まれてるわけだ。
これを今回書くか次回書くかすごく迷ったんだけど、はっきりとした趨勢として認知されてくるのは60年代なので、次回にまわすことにした。
50年代って、スイング、バップ、クール、ハードバップからファンキー、フリーにモード、主だったジャズの派閥がすべて出揃ってくる時期なのね。そういう意味で、ジャズがどんどん取り留めなく拡散しはじめた、「アメリカ南部の伝統音楽」といった括りを離れて一人歩きし始めた時代だったのかなって、そんなふうに思います。

疲れた・・・・・今回はこの辺にしときます。
ではでは。

2 コメント

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TBありがとうございます (ezee)
2005-10-02 02:38:03
お初です!すごい、お詳しいですね~

正直JAZZの歴史はあんまり詳しく知らないので

もっぱらジャケのイメージとか、友達の情報で

聴いてます!ハードバップ期が一番、大衆に受け入れられたっていうのは、何となく分かる気がします。

分かりやすさと、一般的なJAZZのイメージ・カッコよさが単純に存在していたからだと感じますが・・如何でしょう?? また寄せていただきます。宜しくです!
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レス (TARO)
2005-10-02 10:27:10
>ezeeさん



こんにちは、わざわざご来訪いただきましてありがとうございます。



>ハードバップ



このころからジャズがジャズっぽくなくなっていく動きが出てきたということなんでしょうね。

ストレートアヘッドな4ビートが一時期衰退していく・・・・・4ビートが再びクローズアップされるには、70年代を待たなければなりません。



そちらのブログも覗かせていただきますね。



ではでは。
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