Jazzを聴こうぜBLOG版

100の質問配布中。
カテゴリーの「100の質問」からどうぞ。

音楽とは知性の産物である(笑)

2006-08-17 23:17:33 | 音楽一般
はぁはぁ、ようやっと落ち着いてきたのかな・・・・・今日も何か書く時間が取れるや。まあ現在夏休み中で、比較的時間があるからなんだけどね。
僕は今年の4月から生活環境がまったく新しくなりまして、人間関係もどっと変わったのね。で、その中で音楽好きな人も何人かいて、このブログのことを教えて、読んでくれてる人もいるわけさ。
先日その中の1人から「音楽にこんな理屈を並べて、何の意味があるんだか全然わかんない」っていう痛烈な言葉をもらったんだ。
いやこれまた厳しいこと言うね。
なかなかその場で手短には説明しにくい問いだったから「じゃあブログにそれ書くよ」って、思わず言っちゃったのね。だもんだから、今まで散々繰り返してきたことかもしれないけど、音楽とは何か、引いては文化とはどういうものなのかってことを、改めて書いてみようと思う。

音楽ってさ、なんだと思う?。
こういうときは辞書を引くのが正しい行動なので、まず辞書の定義からね。
「音楽=音による芸術。時間の進行の中で、一定の法則に基づいた音を組み合わせて、人の感覚に訴える美を表現する」だって。これだけだと漠然としちゃってわかりにくいから、もうちょっとだけ詳しく考えてみよう。。
音楽の起源って、言われているものには色々あるらしいんだけど、ちょっといくつか見てみると・・・・・
まず1番原始的というか単純なのが、性愛、性欲を高めるための行為だったというもの。動物や鳥なんかが泣き声で求愛しあったりする、ああいったものの発展の先に音楽があったというもの。
またそれに似てるんだけど、言葉の変化変容が音楽になったというのもある。感情や情動が多岐に分化していった結果、同じ言葉でも様々なイントネーションが生み出されて、それが音楽へとつながっていったという説ね。。
あと踊り。原始的な自然崇拝や典礼などの舞踏を喚起するために生み出されたとかってやつ。
さらには、人が進化の過程で集団で労働を行うようになり、規則的な時間の分割や合図、掛け声が必要になり、それが発展して音楽になっていったという、労働に起源を求める説もあったりする。
この「音楽の起源」ってのは、音楽がどんな用いられ方をしているか、どんな場面で必要かってことに密接につながっていて、それで音楽の役割が見えてきたりする、
例えば、風の音や雨音、鳥や虫の声などの自然界に存在する音に換えて、意図的に心地よい音響を作り出そうという環境面へのアプローチ。例えばお店のBGMやダンスミュージックなんかはこれに当たるかな。
もうひとつは、まあこれも似たようなもんだけど、感情へアプローチしようとする方法。祭りでの囃子や、儀式で用いられる讃美歌や祝詞、宗教歌など。これによってリラックスしたり高揚感を煽ったり、恐怖感を軽減したり、さらには集団でその感情を同じく共有しようとしたり、ね。
あと僕らが「積極的に音楽を聴こう」と思ったときは大抵このアプローチだと思うけど、伝え手の感情を聴き手が受け取ろうとする場合。
この場合は演奏する方には演奏するすることの快感、表現することの悦びがあるだろうし、聴き手には聴き手の喜び、聴くことによって感情が動かされる心地よさがあるでしょう。
んじゃ音楽ってのは具体的には一体どういう現象なのかってのを考えてみよっか。例えば音楽の3要素「リズム、メロディ、ハーモニー」を見てみると・・・・・。
リズムは一定のタイムスパンを意図的(規則的にも、不規則的にも)に分割すること。
ハーモニーは高さの違う音を、心地よく聴こえるように(協和も、不協和も)意図的に重ね合わせること。
メロディは、ハーモニーを分解して意図的なリズムに乗せて連続して発すること、としていい、かな?・・・・・。

まあ音楽ってのはこんな感じかな?。
どう思う?。
これって、どう考えても「知性の産物」なんだよね。
一定の法則に基づいた音を組み合わせるだの、環境を意図的に変えるだの、時間を意図的に区切るだの、何某かの意図的な方法によって感情を共有しようとするなんてな、知性を持ってしてしかできるもんじゃないんだよ。
社会を構成する人々が、感覚や感情、欲求や都合、方法論などを知性によって統御、伝達、共有することで文化が生まれる。
音楽ってのは、すこぶるつきの「文化」なんだ。
文化ってのはご存知の通り、それを内包する社会(これは概ねには「国」であったり「地方」だったり、さらにそれよりもっと小さなコミュニティだったりもする)によってまったく違うもんだ。その違いは風土や気候だったり、民族性だったりによって育まれた価値観の違いによって決定される。
それぞれの社会にはそれぞれの習慣、風習、風俗、宗教、そして個々人のものの感じ方があり、それによって世界中の多様な文化の複雑な様式が形成されてくるわけだ。
何が言いたいかわかるかな?
音楽ってのは「音の鳴った」っていう、物理的に起こった現象それ「のみ」だけでは成立し得ないんだってこと。「その現象単体だけでは音楽は不完全」だってこと。いや、これは文化ってもの全般がそうか。
そういうもんがね、そういう複雑な知性や様式に裏打ちされた表現ってものが、ただなんとなく聴いただけで、予備知識なんにもなしのまっさらな感性だけで理解し尽くせるわけはない、感じ尽くせるわけはないんだよってこと。喚いたり叫んだりしてんのとはわけが違うんだよ。
その音楽の成立した過程や背景、原点にある情動、用いられる様式、それを育む社会や風土、そういったものを知れば知るほど、音楽の味わいは深くなる。感動は高まり、喜びは大きくなる。
これは変えようがない事実なんだ。

「音楽は音楽なんだから理屈は要らない、音だけでいい」ってね、そういう聴き方でもまぁいいでしょう。それはそれでいい。
でもそれは音楽という文化のごくごく表面をなぞっているに過ぎない。それは文化という人間の叡智の産物に接する上で、いかにも知性がないと思わない?。
それが悪いとは言わないけれど、でもその先があるんだよって。
それから先に、はるかに大きな音楽の感動ってのが、知れば知るほど、理解すればするほど、底知れぬ深さであるんだよって、僕はそう思うのね。
だから毎日毎日理屈を捏ね回して、知識を吸収して、たくさんたくさん聴いているわけだ。
だってもっともっと楽しく聴けるようになりたいもん。
もっともっと感動したいもん。
そう思いませんか?。

はーい、わかりましたかー。
僕が音楽に理屈を並べてるのは、こんなわけがあるからなんですねー。
ということでした。
おお!、スゲェ!、2日連続の投稿だ(笑)。

ではでは。